ART COMMUNICATION IN SHIMANE みるみるの会の活動報告

島根の美術教育関係者が集まって立ち上げた対話型鑑賞の普及に努める「みるみるの会」の活動情報をお知らせするブログです。

秋晴れの日曜日、鵜鷺小学校の運動会に参加し、その後日本海側をドライブしました

2014-09-28 14:51:07 | 対話型鑑賞
秋晴れの日曜日、鵜鷺小学校の運動会に参加し、その後日本海側をドライブしました


今日は島根半島の日本海側、出雲大社の後ろの山の北側にある鵜鷺地区、その昔は北前船の停泊地として栄えた港町ですが、過疎化が進み、児童も5名となり、今後も児童数増加が見込めないために閉校となる鵜鷺小学校と鵜鷺地区の「郷かえり運動会」に来賓として参加しました。
小学校にとっては最後の運動会です。地区の皆さんには来年も地区の運動会は残されるのでしょうが、小学校児童との合同の運動会でなくなるということはとても淋しいことではないかと思いました。ただ、「郷かえり運動会」と名付けられ、鵜鷺地区を離れて暮らしている方も参加していたり、外国から移り住んでいる方の参加の姿を見て心温まる思いがしました。5名の児童に交じって他地区の小学生や保育園児の参加もあり、その交流の様子も微笑ましいばかりでした。地域から学校がなくなるというのは本当に淋しいことだと思います。でも、子どもたちがいなくなるわけではないので、今後も地域の運動会が子どもたちと一緒に繰り広げられることを願わずにはいられませんでした。中学生や高校生が役員として活躍している姿も素晴らしいと思いました。大規模な学校やそれを取り巻く大きな地域では開催することのできない小さいが故の地域のよさが光っていました。
その光景に豊かな気持ちになった私は、まっすぐに帰るのがためらわれ、お天気の良さにも心惹かれ、日本海側をドライブすることにしました。鵜鷺地区から日本海側を平田方面に向かうと猪目洞窟があります。この洞窟は遥か昔に朝鮮半島から日本にわたってきた渡来人が葬られた場所ではないかと言われています。天然の岩盤が大きく傾斜し、その奥深くに人骨が葬られていたことが調査で分かっています。足を踏み入れると分かりますが、その横穴は奥深く、真っ暗で黄泉の国への入り口のように思えます。古代人が亡くなった人をあの世に送るのにふさわしい場所だと考えたのが分かるような気がする場所です。
そして、今度私が授業公開をする光中学校の脇を抜け、巨大な風力発電用風車が回る風車公園に向かいました。北山の風景を壊すと物議を醸した風車ですが、自然の光景の中で十数基の風車が回る光景は案外に美しい物でした。今日のような晴天の中で風車は白く光り輝き、自然と人工物の取り合わせの妙を感じました。そこをさらに進むと「白い船」で映画の舞台となった塩津の町に着きます。塩津小学校も今日は運動会のようで、港までにぎやかな放送の声が響いていました。「白い船」公園を過ぎ、雄大な日本海を眺めていた時、はるか前方にかすかに島影が見えました。隠岐の島です。こんなに天気がよくて海がかすんでいないと、もしかしたら、隠岐の島が見えるのではないかと思いましたが、まさにドンピシャでした!!ラッキー!!皆さんにはあまりに遠くて、画像でも確認できないと思いますが、隠岐の島が肉眼で見えるのは感動ですよ。その感動を胸に日本海側を離れ、帰路につきました。峠を越えて、眼下に斐川の仏教山が見えた時には、帰ってきたって感じたのは何故なんでしょうかね。岡山から嫁いできて20有余年になります。この風景が懐かしいと感じられる故郷になりつつあるのでしょうかね。
平田に着いたので、平田で教え子が家具屋を開いて2周年になるので、顔を見に行きました。店の角で芙蓉とコスモスが美しく咲き誇っていました。
気持ちの良い運動会とドライブを楽しんだ一日でした。
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秋山孝氏のポスター作品による鑑賞実践レポートが届きました!!

2014-09-27 08:09:22 | 対話型鑑賞
秋山孝氏のポスター作品による鑑賞実践レポートが届きました!!


ナビ担当者の房野さんからの長編レポートです。
読んでいると鑑賞会に参加しているような気持ちになりますよ。

ダイレクトメモしてくださった正田さんにも感謝です。
では、どうぞご覧になってください。

9月20日(土)14:00~14:45
浜田市世界こども美術館 コレクション展
作品①Any child needs love.
 ②”Sky-See”
  ③ARCHI-NEERING DESIGN2010(赤)
いずれも秋山孝によるポスター作品
参加者:みるみる会員7名 一般3名 計8名
ナビゲーター:みるみる会員 房野


☆以下、鑑賞の文字おこしです。
房:は房野のナビゲート。

房:それではまずこの作品から。
  隅々までじっくりご覧ください。

A: 鳥かな。母子家庭。

房:どこからそう思われましたか

A:大きな青い鳥が母親で,その上に四羽の黄色い鳥を乗せているから。親子の鳥だと思う。

B:鳥だなと思いながら、飛行機にも見える。翼を広げたところが、飛行機みたい。

房:この羽が飛行機の翼に見えるというところから、飛行機だと言うわけですね。

C:大きな鳥の上に黄色い小鳥が載っているんだけれど、姿かたちが微妙に形に違いがある。

房:背中に乗せている黄色い鳥は小鳥だということですが、そこから感じられることはありませんか?

C:小鳥たちが,形の違いがうーん…
小鳥の形の違いでそれぞれの個性を表しているのかな…

房:微妙に形が違うことから、鳥たちの個性を表しているのではないかということですね。

D:鳥の上に Any children needs love ・・・と書いてあるので、鳥を描きながら、人間の社会をえがいていると思う。だから、世の中の子どもたちは愛を必要とする存在だという意味が込められていると思う。

房:鳥の上に文字が書かれている。人間社会へのメッセージを表現したポスターということですか。

A:これは子育てのことだと思うけれど、現実にはこういう状態は無いと思う。鳥の子は、飛び立つことで一人立ちし、それまで大人になるまでは、巣の中で育てられる存在だから、親の背中に乗せられるというのは自然の鳥ではありえない。こんな風に育てるのは過保護で、愛情もいろいろあるけれど、過保護はいかがな物かと思う。

房:では最後に…

E:ええっ!。もう次へ行くの?

房:ああ!そうですね。すみません。どうぞ、発言をしてください。

E:先ほど、過保護と言われたのだけれど、
自然の鳥は小鳥を背中に乗せることはしない。だから人を想起させる描き方で、人の子どものことを表し、それだけ手をかけないと人は独り立ちができない。人間はそれだけ、たくさん愛情が必要だというメッセージがあるのだと感じました。

房野:鳥を描きつつも人間の子育てについて育て方も、愛の示し方はそれぞれですけれどメッセージを込めているということなんですね。

A:下に濃い影があって、リアルではないけれど、アクセントとしてとても効果的で,その鳥の姿に違和感がない。

房:ここに(ポインティング)影が有りますが、以外にもデザインの表し方としてはいろいろあると思います。これからどのように考えられますか。

E:その影がそこにあることで、親は地上そう高くないところで飛んでいる。重くて親は苦しい。高く飛んでいないことと、その周りにあるにょろっとした線から、親鳥はやっとの思いで必死に飛んでいる。子育ても大変な中で一生懸命がんばっている姿。

房:軽々と飛んでいるのでは無く、低空飛行で親鳥のやっと飛んでいる感じが出ている。親の心情や状況的なものも感じさせるポスターである、ということでしょうか。

2作品目
房:それでは、次の作品はこれです。しばらくご覧ください。

F:真ん中に線が描かれていて,上が女の    人。下は男の人。

房:上が女の人で、下が男の人だというのは、どこからそう思われましたか

F:女性は胸部分が出ていて髪が長い。細い体つきからそう思った。男の人は手足が太くて帽子をかぶっている所から。今はそうでもないかもしれないけれど、一昔前はサラリーマンは帽子をかぶっているイメージがある。

E:文字が書いてある、上Sea 下がSky
画面が天地ひっくりかえてもおかしくな   い。そこに意図的なものを感じる。
(★実は、美術館が天地を間違えて展示していたことが後でわかりました!)

房:普通、空の方が上で、海が下の方が下にあるべきものなのに、このように掛けてあるのにも何か意味があるのではないかということですね。
(キャプションを見て)題名はSky-SeaでSkyが先なんですが・・・

D:男が上で、女が下という社会と思われがちな社会通念に疑問を投じているのでは

房:なるほど。通念的なジェンダーをわざとひっくり返している。空と海もひっくり返っていて、いいじゃないかというメッセージでしょうか。

B:男性と女性はそれぞれ向いている方向も違うし、それぞれ違う生き物なんだと表しているとは思うけれど、真ん中にある線の足下を表しているところをみると、同じ所から足が表してあり、違う生き物でありながらも同じことを共有しているところもある

房:違いと一致している部分があるということですね。

E: seaの方に女性が描いてあることは、背景の海が命の源であることから、女性が命の生み出す性であること表している、母なる海としての女性への尊敬の思いがあるのでは。男性と女性の立場の逆転を表しているのは、ポスターとして見る人にいろんな考えを想起させるためにこのように描いているのではないか。

G:また、男性と女性の方向をたどると横に動きを表す線があって、時計回りに回転していくようだ。

房:なるほど!水平線を境に男女の向いている方向をたどるとここが円運動になっているんですね。

E:付け足して、背景の右下のスカイと左上のシーという文字があるのだけれど、それも点対称の位置にわざと書かれているから、より一層動きと回っていく感じがする。

房:構図的なことから、回っていく感じがすると言うことですね。面白いですね・・・

(しばし、みんなで作品をじっくり見る感じ)

F:対になるものが回転するように描かれていることと、海や空などの人間を取り巻くもののことも含めて考えて宇宙的規模で見ると、天と地が逆になることも考えられる。

房:なるほど。視点がすごーく広がった感じがしますね。当たり前に感じていることが当たり前で無く、当たり前で無かったことが当たり前になることもあるということでしょうか。

A:海の青さは空の青さが映り込んでいて、その逆でもあるけれど、この背景の青と水色も地球儀だと思えば、大きい円の中にあって別々のものではない。それと同じように男と女との関係もお互い影響し合う物だと思う。

房野:空と海はお互いに作用し合っている。お互い影響しあっていることが、男女の関係においてもそれが通じ合うということでしょうか。
円運動があったり、地球規模であったり、大きな宇宙の一部であるということでしょうか。・・・
おもしろいですね~

D:やはり男女のジェンダーを表している 色が気になる。男は青。女は赤で表してある。

E:だけど、この女性の色は紫だから、紫は中性色だから、そこを狙って中性的なものを表しているのではないか。

房:女性に中性的なものがあるというこということですか?

E:そうではなくて、女の子は持ち物は暖色系ということを求められていると思うけれど、紫は中性色だからそこに意味があるのでは。

房:中間色から何らかのメッセージが込められているのではということ。典型的に男女が色で分けられるわけではないということでしょうか。

A:一般的なイメージとして,トイレの男女のマークは男が青色で、女が赤色と表していることが圧倒的に多いから、男尊女卑とかそういうメッセージを伝えているわけではないのではないか。
真っ赤と真っ青だと単純にきついからかも。

房:意味合いがあるかもしれないし、グラフィックとして真っ赤ではバランスが良くないから、という理由でこのように表現しているのかもしれない、ということですね。

では、最後に真ん中の作品を見ていきたいと思います。(③「ARCHI-NEERING DESIGN2010(赤)」)

E:この風景を見たことがある。けれど、私が知っているこの風景は周りは緑の風景で、真っ赤な橋が架かっている

房:実際に見る風景と表されている色が違う。

E:色を変えてみると、物の見方が違ってくるということを表現しているのでは。そういうことに橋を架けてみようということ。橋は橋でも現実と見方を変えた部分と現実に架け橋をかけようとしている
三作品を見てきて、この作者は逆説的に物を表現する人ではないかと感じる。だから、普通とちょっと違った視点で表現して、それをこちらとの橋渡しとして象徴的に橋を描いているのでは。

A:現実と違う色で表現しているからアンディ・ウォーホールを想起した。色面を変えたポスターが他にもあるのではないかと思った。(★後で調べたら、他に青や、この絵柄にモチーフが加わった作品もありました。)

B:風景写真をコピーを繰り返していって残っているものに色々と色を変えてつけたように思える。同じ絵柄で色を変えて秋バージョン、春バージョンとありそう。
あの上の字が気になる。なんだろう?

房:グラフィックデザインだから簡略されたものだということですね。
ここの言葉にも注目してください。

右上にきちんとしたレタリングの文字があるが、アーチだとしたらスペルが違う。ニアもスペルが違う。デザインはそのままだけど、こういう単語は見つからなかった。
それはどういう意味なんでしょう?

D:前の二つを見て、この作品をみると、同じように動きを表す線が橋の近くに描かれている。何かここに言いたいことがあるんじゃないか。

房:本来がっちりしている橋にこのような動きをつけるというのは、どんな意味があるのでしょう?

A:僕もあの線は気になっていた。橋が皆から見られることを喜んでいる。自然の中で橋だけが人に作られていて、あれだけがよく目につくし。動きの線でそれが喜んでいる線だと思った。

房:橋のこの線から感情的な物まで感じられると。

F:吊り橋は歩くと揺れるけれど、これは吊り橋でもなさそうで、その線からもろさを感じる。

房:この橋からはもろさを表していて、危なっかしいと。

A:ひっくり返したら吊り橋にも見える。
あちらのポスター(2作品目)からすると、ひっくり返してみることもできる。

C:アーチ二アリングデザインが、どのような意味か分からないけれど、何らかの橋渡しをすることの意味が込められているのでは。
物と物、いろんなことを橋渡しするというものを描いているのでは。

房:橋の意味についての言及がありました。ただの物質としての「橋」ではなく、何かと何かを繋ぐものという意味合いが込められている。

G:自然は移ろいやすくて変わるけれど、人工物は変わらない。

E:逆に自然は強固なものであることを表しているのでは。人が作った人工物は地震などの自然災害ではこわれてしまう。だからもろさを表し、人工物を危ういものとして表現している。一見移ろいやすい自然の方が強いといいたいのでは。
そこから、確かなものと考えられているものほど実は危うい。皮肉のような。真ん中の白い橋が象徴として、もっと気をつけた方がいいと警告を発しているのでは。

房:いろんな意味が。ダブルミーニングということでしょうか。

D:アーチ二アリングはエンジニアリング、工学を文字っているのではないか。

房野:そこから何が考えられるでしょう?

D:いや、別に。そこまでは考えてなかったです。

A:アーチ二アリングとはデザイン展かイベントの名前か何かで、テーマにそったポスターなのでは。

房:これは秋山孝さんというデザイナーの3つの作品なのですが、全部を見てどのように感じられますか?

A:一見してほのぼの感がある

房:親しみやすいと言うことでしょうかね。

F:かわいいイメージ

B:当たり前であることがそうではないということを表している。それを突きつけられている。

E:突きつけられているほど鋭くない。とっかかりはやさしいし、かわいらしいけれど、じっくり見ていると何かを考えさせられるというようなもの。
私たち鑑賞者が、単純な形の中に何を読み取るのか試されている。突きつけられているというよりは問いかけを投げられている。わかる?分かって!感じて!という問いかけが投げられているように感じます。

房:かわいらしくて、優しい感じだけれど、実はそこに当たり前じゃないというメッセージが込められていて、お茶目心というか・・・

A:真ん中は特にメッセージ性がある
山とか河とかの風景の中の橋として見ても、メッセージ性としては成立する。絵画として見てもメッセージは読み取れるから、文字が必要なのか疑問を感じる。
ポスターではあるけれど芸術作品として見るとメッセージが読み取れるので、文字はいらないのでは。

F:文字が書いてあるということは何らかの意味があるのだと思う。両サイドの作品の文字と、真ん中の作品の文字とは描き方が違うからそこにも意味があるのだと思う。

房:今日は、あっという間に45分が過ぎました。どんどん深い意見が出てとても楽しかったです。言い足りない方はこの後もどうぞ。
では、これでみるみるは終わります。今日はどうもありがとうございました。

一旦終了したものの、この後も鑑賞者は解散しがたく、対話は続く・・・

○2作目の地の部分が地図に見える。
○どれもメッセージ性が高いポスター
○2作品目の天地は反対では?
○1作品目超低空飛行・・・
○青色だから、父親かも
○幸せの青い鳥かも・・・などなど。


鑑賞会後のミーティング

<自評>
いつも初見で、展示室の作品を見て決めていて、最初はどの作品でやろうかと迷ったけれど、メンバーと話しているうちに、グラフィックデザインでもやれる気がしてこのシークエンスでいこうと思った。

ポスターなんだけれど、いろんな意味が複合的にあると感じて選んだ。②は男女の違いとそれでもともに生きていこうというメッセージを感じた。③は、橋が揺れていて、何かを繋ぐものではあるけれど、もろいイメージを感じた。図と地が地図のようにも見えて、特に南アメリカ大陸のように見えたので、人種のるつぼであったり、様々な格差やトラブルがあるところを、もろくて危なっかしくてもつないでいきたいというイメージかな、と。
もろいつながりでも、つながっていることは大事。もろくても橋渡しをしなくてはならないと考えた。

実は①は足がかりくらいの位置づけしかしてなかった。それで、「今日は3つあるし、サクっと進めて、②③を膨らまそう」と考えた。けれど、①も対話型鑑賞には良い作品で、みんなはもっと言いたいことがあるのに終わらそうとしてしまい、私の読みが甘かった。

自分のナビがどうだったか疑問だが、作品選びは成功したと思う。また、鑑賞者の読み取りに助けられた。
シークエンスの順番もあの順番で良かった。色々な読み取りができ、深まる順番になっていたと思う。

自分の今日のナビのポイントとしては「そこからどう思いますか」と問うて深めようということだった。今までは、根拠を問いただすことを主にしていたが、今日のテーマは、そこからどう思うかということも聞きながら、作品の持つ意味にもう一歩近づきたいと思ってのぞんだ。
ただ、鑑賞者がそこまで感じていないのに
「そこからどう思うか」と尋ねられて、「特になにも」ということもあった。ナビがしっかり観察してタイミングを見ることが大切だと思う。

<みるみるメンバーより>

○「アーチニアリング」と読んだが、実は「アーキニアリング」というコンクールの名前だった。アーキテクトは建築⇒アートと建築を近づけようというコンセプトのコンクールの名前だった。

○デザインのポスターは作者の意図があって制作されたものだから、作者のコンセプトから離れすぎて鑑賞するのはどうか。

○そういう考えもあると思うけれど、作品は作者のコンセプトから離れて、鑑賞者にゆだねられることも有り。鑑賞者が、デザイナーがそう思っていないことを言うのも有りでは。

房野:今日の作品は宣伝のためのポスターというよりは曖昧さが残っている。特に①は誤 解を受けにくい作品だと思う。

○なんのために見るのか、見る環境と時間の持ち方による⇒今日の作品は、鑑賞者に読み取りをゆだねられているのだから、作者の意図から離れることもあり得る。

○作者の意図と離れて見ることに不賛成の意見を言う人もいるけれど、鑑賞の狙いが異なってくれば今日のような鑑賞もあるのでは、今日は作家の狙いに近づくことを目的としていなかった。

○デザイナーの意図した場所に目的をもって掲示されるなら、ポスター本来のコンセプトが大事になるかもしれないが、今日は美術館の展示室で、純粋に鑑賞することを目的としていた。

○作品を見るとき、彫刻・版画・ポスターなどの違いがあるとは思えない。限定的な展示環境の時に初めて意図がくみ取られる。例えば、コーヒー缶(例)を提示して、コーヒーという飲み物の入れ物のデザインとして見るのか、レディメイドの作品をして置かれるかの違いと同じ。

○ナビも一鑑賞者として自分の読み取った物を場に投げることもありと言うけれど、場の人たちが、話題にしてないのに、ナビが先行してしまい、鑑賞者が後追いの場面があった。
例えば、1作品目「母鳥」と「小鳥」の話題が出たときに、皆さんがそう思っているのか確かめる必要があったのではないか。その場の共通の合意形成なのか、既成概念をひっくりかえす⇒皆さん、これを本当に母鳥と思っておられるのですかね。など。

○三作品だったので、そんなに急がなくても良かった。今日は三作品見ようと思っていたので、一時間くらいかかるかもしれないと前もって告げるのもありかも。

○③で、地図に見えるという発想はおもしろかった。皆さんの前でも、地図のことを出せば良かった。

○ポスターだったら意図がはっきりあるのなら、それは鑑賞者に投げかけてみてもよかった。
読み取りを間違っていくと対話が意味を成し得なくなっていく。福田繁雄の「ビクトリー」作品みたいに反戦ポスターは、作品のどこからそう感じるのか聴くのもあり。

○今日の作品は、ナビや鑑賞する人に意図を探ることを求められて掛けられていない。何かのためのポスターだと思うけれどそれだけではないと思う。ファインアートに近いものがあるのではないか。何かの宣伝のためのポスターというよりは、アートとして鑑賞に堪えうる作品だった。

○文字にも意味があるというおもしろさがあった。
文字が分かると分からないでは読み取りの方向性が変わってくる。中学生なら、文字の意味を教えてあげないと話が進まない。

○三作品まとめてどう思いますか?三つまとめて見る意味と、この順番で見る意味を問うといい。

○テンポはいいと思う。
理解しにくい意見を皆さんに分かるように返していた。

○構図のことから作品の意図を読み取る場面があって、鑑賞の段階が一歩上がったと思った。
○秋があるなら他もあるのではないかという意見がおもしろかった

○一人では今日の鑑賞まで到達できなかったと思う。
揺れているものから、自然物は変わるけれど、人工物は変わらない またその逆など興味深かった。

○展示の意味を考えて三作品つなげてあったのか?⇒学芸の人の意見を聴いてみたい。
選定に意味ないという意見もあるけれど、そうではない。並べたとところできっと色ぐらい、並べてみてしっくりとくるというものがあると思われる。

○展示してみたら、意味が生まれてしまった
のならそれもすごい。並べられたところで意味が生まれて意味を見つけられる対象となるのもすごい。

○意図を持って並べられているものの意味を読み取るのもあるけれど、意図が無いところに逆に意味を見出すことができたら自慢できるかも。

○父鳥の話が出ないから、親子の話 子育ての話だって、分かりやすいものほど、意味がそれぞれはっきりしているか確認をしたほうが良かった。当たり前と思っているものほど確認していく必要がある。油断もしやすい。

○② 女性と後ろと男性の色が、女性赤紫 男性青紫 両方中生色だと思っていた。(☆そこはナビが違う解釈をしてしまっていた。反省。)あそこが赤だったら 下品。赤紫で目立つのは女性がえらいのかも。



一般鑑賞者の感想

◎ポスター的なものでも結構語れるものだと思いました。(60代男性)

◎グラフィックデザインの謎かけ的な要素を多くの人の意見を聴くことで、より一層楽しむことができました。(20代男性)

◎ポスター鑑賞は久しぶりでしたが、色や形以外、文字の入り方からもメッセージが読み取れるような、謎が深まるような面白さがありました。(30代女性)
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夏休み明け最初のみるみるの会をいつものはまびで開催しました

2014-09-21 12:26:52 | 対話型鑑賞
夏休み明け最初のみるみるの会をいつものはまびで開催しました


夏休み明け最初のみるみるの会をいつものはまびで開催しました。
今回のナビ担当は房野会員でした。
はまびがコレクションしている作品が展示してあるコレクション室で、秋山孝氏のポスター作品3枚を鑑賞しました。(詳細は画像参照)
参加者はリピーターの2名(男性)と日文の高橋さん、そして会員6名でした。
正田会員はパソコン持参で、対話型鑑賞のやりとりをダイレクトメモしてくれました。
房野会員の振り返りとともにその記録が届くのを楽しみに待ちたいと思います。

さて、昨日はまさに秋晴れの、清々しい一日でした。出雲から浜田までドライブの道のりは日本海がことのほか美しく、目を奪われそうになり、何度も車を停めてはカメラを取り出し、撮影しました。同じような思いの方がおられ、道端に車やバイクを停め、カメラを海に向けている姿が点々とありました。それくらいに、美しかったのです。その一端でもお届けできればと、画像をUPしていますのでご覧ください。でも、本物の美しさにはかないませんけどね。

また、いつも鑑賞後はMTGで振り返りをするのですが、女子会員が多いので、いつもお菓子には事欠きません。今回もテーブルには種々のお菓子が並べられ、心を浮き立たせながら、でも、シビアな指摘も飛び交う充実したMTGとなりました。

今回の作品はポスターということで絵画作品よりメッセージ性が高いこともあって、読み取りはかなり白熱したものになりました。また、作者の作意と読み取りが異なる(大きくは異ならないと思うのですが、作意に近いが、ややニュアンスが異なるような)場合が起こり得ると考えられますが、その点についてどうなのかということも話題にしました。しかし、ピカソも言うように、作品は作者の手を離れて作品として成立した時、みる者がいかようの解釈をしようと自由であっていいのではないかというVTS本来の考え方を支持する意見となりました。ピカソの名言「雄牛は雄牛さ!」です。
また、メッセージ性の高いポスターであれば、作者の意図するものが正しく伝わらないのであれば、それは作り手に問題があるのではないかという、ちょっとデザイナーには手厳しい発言もありました。しかし、秋山氏のポスターは単純化された形や色の中に様々な意図が隠されていることが伝わり、表面的な意匠の奥に潜むものを読み取る面白さがありました。きっと秋山氏はそこまで計算しながら余分なものを削ぎ落とし、最低限必要な要素を残し、効果的な色を用いて作品を制作したのではないかと思います。引き算の美と言ったものが作品からはうかがえました。
また、今回は秋山氏の収蔵作品50点のうち3点が選ばれ並べられていました。この3点がどのような経緯で選ばれ、並べられたのかを知ることはできません。しかし、並べられ方について、3点をすべてみた後に私たちは考えました。学芸員さんの意図は分かりませんが、私たちで3点の並べられ方を考えることで「新たな意味が生まれた」気がしました。ブログに画像がUPされているのでみていただければわかりますが、真ん中に橋と思われるものが中心にあるポスターを配置し、左右の2作品の橋渡しをしているように捉えました。配置としての橋渡しもだけれど、作品自体の橋渡しの役割も果たしているように感じました。
作品を何作か続けてみるとき、そこに何がしかの共通の意味を準備して作品を組むことを「シークエンス」とVTSでは言いますが、今回の3作品は「シークエンス」としては「作者が同じ」として学芸員さんは展示したと思いますが、並べ方、みる順番を考えてトータルとしてみたときに「意味形成」が成されたと思います。みる者たちの対話の中から「あとから意味が生まれた」と言えるのではないかと思いました。それも素敵な鑑賞なのではないでしょうか。

「鑑賞とは何か?」この問いかけに対する正解は無いのではないでしょうか。
「鑑賞」は「作品をみる」ことだと思います。でも、その行為自体に優劣や正誤があるのでしょうか?そう問われたら、「無い」と思いませんか?
「みかた」は自由なのではないでしょうか?「自由」にみていいのだけれど、同じみるなら心満たされるようなみかたができたら鑑賞は楽しいと思えるのではないでしょうか。
私は教師として、生徒にこの鑑賞の楽しさを伝え、生涯にわたって美術(作品)に関わることのできる人になってくれればいいと思い、この対話型鑑賞を続けています。同じ活動を一般の成人向けに出雲JCでも実践しましたが、大人にとっても目からうろこの体験だったようです。詳しい知識や薀蓄がなくても、自分目線で鑑賞することのできるこの鑑賞法を本当にもっと普及していきたいと強く思う秋の日の今日この頃です。
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萬福寺へ行って来ました

2014-09-09 21:56:18 | 対話型鑑賞
萬福寺へ行って来ました


みるみる会員の正田さんからのレポートです。

雪舟作庭の萬福寺の石庭へ行ってきました!           正田 裕子

○訪れた場所 萬福寺 雪舟庭園(国史蹟及名勝指定)(本堂国重要文化財指定)
○説明してくださった人 萬福寺ご住職の奥さま

 夏休み明けの体育大会も終え、振替休日となったとある月曜日に、県西部の益田市にある萬福寺の雪舟庭園を訪れてみました。
 さすがに週明けの午前中、朱塗りの門の前で出会った3人の婦人とすれ違った後は来訪者もなく、ゆったりと石庭並びに本堂(国の重要文化財)を鑑賞しました。
 清流日本一の高津川沿いにある「萬福寺」は、門をくぐると三十余メートル四方もあろうかという前庭が見えます。前庭の向こうには本堂とお寺の玄関があります。京都などの大きなお寺とはいいませんが、そり上げた本堂の大きな屋根は銀色の瓦が広く拭かれ、四隅の柱や本堂正面の障子からはすっきりとしたたたずまいと共に歴史や風格を感じるものがありました。また、本堂の正面の向かって右側には雪舟禅師の上半身像がありその雪舟と萬福寺を菩提寺としていた地元益田氏との関係についての説明がありました。戦乱の世、都と500キロも離れていない益田の地で「文明11年(1479)に15代益田七尾城主・益田越中兼尭(かねたか)公が画聖雪舟を益田に招き、堂後に石庭を作らせた」とのことでした。
 玄関を訪れるとご住職の奥様が、「戦国の世の中で雪舟禅師が創られた石庭を心で楽しんでください。」と笑顔で迎えてくださいました。
 雪舟等楊禅師は、山口・大内氏の庇護のもと自ら大陸へ向かいあこがれの地で3年余り禅と画業の修行をしてきます。大陸に渡り帰国時には景徳禅寺で「四明天童山第一座」の位を与えられています。奥様の言葉の端々には、菩提とされた益田氏とその益田氏が招いた雪舟禅師への深い敬意と日本文化への豊かな思いを感じることが多々ありました。
 宋・元時代の作品を多く模写したといわれる雪舟は、多くが謎に包まれており、雪舟の作と確定している作品も数少なく、帰国後の真筆が確認されている作品は全てが国宝に指定されています。
 受付での会話の中で「石庭もまた絵画的です」とも、雪舟が求めた「禅の世界の宇宙観を表している」とも奥様から教えてくださいました。実際鑑賞してみると、月見台の頂にある石が、秋冬山水図(冬景図)の空より描かれる線のようにも見えたり、その月見台と手前の庭の間にある「心字池」の存在から三途の川を思い起こしたり、月見台を隔てる水の意味を問うてみたりと、日常では味わうことのできない感覚を味わうことができました。
「周りにある草木は無常の存在であり、石は変わることの無いものであるので、石を観てください。」とおっしゃった意味とは…。
500年経ても倒れたりくずれることのない庭の姿は、当時の雪舟及び石庭を作り上げた人々の技術の高さや精神性の深さを表し、やはり日本文化を代表する一つではないかと強く感じました。
 ?はつきませんが、今度は生徒達と一緒に対話をしながら鑑賞したいと思いました。
  以前、初任校での教え子をここ萬福寺へ連れてきたことを思い出しながら、現在共に学ぶ生徒達とも改めてこの石庭で対話型鑑賞をしたいなあと思いました。
 
一人で鑑賞してみると…
見えたこと(fact)
・庭は大きく分けて、敷地から庭の部分、その向こう側に池が有り、その池のさらに向こう側にゆるやかな丘のようのな部分が有る。
・庭には草が生えているが、丁寧に駆られていて美しい黄緑色が広がる。その庭の中には比較的に平らに加工された大小の石が百余り、積まれたり並べられているように見える。正面から見ると,石が三割、緑が七割くらいの比率で見える。
・並べ方は、小高い丘の部分に集中して摘まれているように見えるが、池の縁には隙間が無く丘の陸地に平らに続くように石が並べられている。手前の敷地につながる方の縁も同様である。池の右奥に巨石を含めやはり百あまりもあろうかという石が並べられている。
考えたこと(truth)
○池の水と庭地との境がはっきりとしている。右奥の石の積み重なりと並びが賽の河原を連想し、あの世と現世の境を思った。もし現世と来世を思うのなら、手前が現世であり、池の向こう側の小高い丘の部分が来世であろう。
○来世の丘は緩やかで穏やかな感じがする。あの世は穏やかで、極楽往生の世界であろうか。
(fact)・そう思って見ると、岩や石は階段のように積まれているように見える。最も高い位置に半月が半分程見えるように岩が土の部分から出ている。否がおうでも、その岩の突端に視線がいってしまう。
(truth)○まるで秋冬山水図の岩肌(と私が思っている)線のようだ。NHKの雪舟鑑賞ビデオで見た時の模写の姿を思い起こし、岩肌のその線は画面最初の一番最初に描かれた線であろうと推測していた情報と合わせて、その頂にある石は無からの始まりを表しているのではないかと思った。もしくは、ある世界の終わりとその次の次元へつながる始まりとのつながりのようにも考えられる。
○池の深さはあまりはっきりしないが、池の縁に並べられている石の様子と周りにある石の大きさからすると深さは大人の腰の高さくらいまでで、1メートルまで無いのではないか。室町時代の成人男性の身長は分からないが、腰より深ければ,作業でも危険が伴いやすくなるから、やはり大人の腰くらいの深さと思われる。
(fact)・池の水に藻が浮いているのか底が見えない。
○底が見えないことから、人間の深層の意識を表しているのではないか。来世との境目と考えても、人が現世の意識からどこか深い時間や空間をも隔てる遠くを見るようである。
日本に伝わる仏教観や宇宙観を見るようである。人間に備わるが普段意識することの無い部分が確かに存在するのではないか。
○池の向こう側の丘も五百年あまり崩れていないと聞いたことと、平らに加工してある石が表面に凹凸を余り出さないで見えることより、小高い丘の下には見えていない岩が多く埋められているのではないかと思った。土は形を変えるが、岩は長年形をほぼとどめていることより、変わらぬ仏の教えや生や死という普遍の営みなど意識の計り知れないものが石となって見えない所にも表現されているのではないか。意識の奥深い人間の精神性を求めたのではないか。また、雪舟は後世にも、石と土と水とで変わらぬ仏教の教えや世界を伝えるために庭を作ったと考えた。恐らく、多くの人の力と技術が集められたであろうこの庭は、雪舟を招いた益田兼尭も移り変わりの激しい乱世の中で自分を見失わないでいるための心の拠り所にしたのではないかとふと思った。
○石の加工には多くの人力が必要ではなかったのか。自然にも見えるが、平らに見える石の姿からは重機も無い時代にかなり多くの人の技術と力がつぎ込まれているのではないかと考えた。それとも、近くを流れる高津川から巨石を運んだのか。どちらにしても、多くの人々の力が結集して作られた庭と考えると、当時多くの人々の深い信仰を集めた場所であり、人々が信仰を求めていた時代ではなかったかと思う。
コメント (1)
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