ART COMMUNICATION IN SHIMANE みるみるの会の活動報告

島根の美術教育関係者が集まって立ち上げた対話型鑑賞の普及に努める「みるみるの会」の活動情報をお知らせするブログです。

東京に行って来ました。森アートセンターと国立新美術館を訪問しました。

2014-03-31 11:54:07 | 対話型鑑賞
東京に行って来ました。森アートセンターと国立新美術館を訪問しました。


年度末の慌ただしい時期ではありましたが、東京に行く機会に恵まれ、みるみるの会員の房野さんと金谷さんと一緒に出掛けてきました。
29日の土曜日はコートもいらないくらいの暖かさで、中には半袖で桜の花の下を歩く方も見受けました。東京も桜が一気に咲く、JUSTなタイミングでした。神様に感謝!!
29日の午後に用事を済ませ、一路、六本木ヒルズへ・・・。お目当ては「ラファエル前派展」と「アンディ・ウオフォル展」です。森美術館は土日は22時まで開館しているので夕方からの鑑賞もゆったりとできるのが魅力です。前回、「LOVE展」で鑑賞に時間をかけすぎ終電に間に合わなかった反省を踏まえ、まず、「ラファエル前派展」を鑑賞し、間に食事を挟んで、残り時間をみて「アンディ・ウオフォル展」を観ました。
しかし、3名が対話型鑑賞の実践者ですから、どの作品をみるのにも時間がかかります。後から後からの来館者に追いこされ、でも、作品を食い入るようにみつめ、3人で「あ~かな?」「いや、こ~じゃない?」などど談義しながらみて回ると時間はあっという間に過ぎます。京都造芸大ではこのような症状を「ACOP症候群」と呼ぶそうですが、まさに私たちも「ACOP症候群」に罹患していると言えるでしょう!!
「アンディ・ウオフォル展」では、閉館時間が迫り、STAFFの方々に背後からプレッシャーをかけられながらも、図々しくミュージアムショップでGOODSもGETし、余裕で地下鉄に乗りホテルに到着できました。

翌30日は昨日の陽気が嘘のような荒れ模様・・・。三寒四温とはよく言ったもので、咲いた桜も一気に花弁が散ってしまいそうです。今日は3時の羽田集合に間に合うように国立新美術館に向かいます。ここでは大阪の民博に収蔵してある世界各地の民俗資料が展示されている企画展「イメージの力」が開催されています。この情報は出かける前日のBS「ぶらぶら美術館」(私のお気に入りの番組)で紹介されていて、とてもそそられたので、二人を誘いました。

余談ですが、最近は様々なメディアで展覧会情報が番組になり紹介されています。以前には「日曜美術館」しかなかったように思うのですが、このことも世の中に鑑賞ブームが起きていることを感じずにはいられません。

話題になると地方では予測もつかないくらいの人が集まるのが東京ですので、朝イチで開館を待って一番乗りしようと早めに出かけました。雨が降っていたし、東京の人は休日の動きは遅いので、朝イチなら、人の頭越しに作品をみなくて済むので、勇んで乗り込みました。もくろみ通りで、一番乗り。じっくり、ゆっくりとたくさんの展示物をこれも3人ACOPしながらみ回りました。つい近くに寄り過ぎて、超えてはいけないラインテープを超え、STAFFの方に再三注意されました。(インカムで要注意グループの指示が出されていたかもしれません。だって、途中から遠巻きに監視の視線を感じてましたもの・・・。)番組でも紹介されていましたが、本当に展示の仕方にも工夫が凝らされ、楽しい展覧会になっていました。民俗資料をこんなにじっくりとみたことは初めてです。大阪の民博には何度か行きましたが、その時は一人だったし、まだ、対話型鑑賞などは知らなかったので、「へ~~。」「ふ~~~ん。」で終わっていました。でも今回は「ぶらぶら」で仕入れたネタも披露しながら対話型鑑賞を知っている2人の仲間と鑑賞でき、気が付けば、あっと言う間に2時間が経っており、軽いランチを館内で済ませ、ミュージアムショップを回っていたら、羽田に遅刻しそうな時間になってしまいました。ヤバイ!ヤバイ!!(生徒に時間厳守って言えなくなるよ!!)

こうして、3人の東京珍道中は終わりを迎えましたが、「ラファエル前派展」が会期の終了前で来館者が少なかったこと、「イメージの力」も朝イチで大正解だったお蔭で、本当にじっくりゆっくりみられたことが何よりの充実でした。年度末の慌ただしい時期に誘った房野さんと金谷さんが同行してくれて本当によい旅になりました。ありがとう!!そして、また、出かけましょう!!よい作品に巡り合うために!!
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京都造形芸術大学でセミナーが開催されました。その模様をお届けします。

2014-03-28 14:47:20 | 対話型鑑賞
京都造形芸術大学でセミナーが開催されました。その模様をお届けします。


3月22日に京都造形芸術大学で「みる 考える 話す 聴く」の副読本発刊記念セミナーが開催されました。詳細なレポートは会員の正田さんから届くと思いますが、速報画像をお届けします。

週末、東京に出かけるので、ブログの更新がままならないので、セミナーの前日のMTGからセミナー当日、終了後の懇親会までをダイジェストでお届けします。北は宮城県から南は沖縄まで、年度末の慌ただしい時期でしたが熱意ある現場の先生方や美術館関係者の皆様が集ってくださり、大変有意義な研修会になりました。
鑑賞の評価にかかわることはなかなか難しい現実があり、今回もそれらのことが最後の質疑の話題にもなりましたが、「評価」という領域に一石を投じることが今回の成果ではないかと感じています。
実践された方が、もっと別な効果的なやり方を今後紹介してくださったり、改良版が出てくれば活性化されると思います。そういう意味においても一里塚くらいにはなったのではないかと思うところです。
今後ますます情報の共有ができることを願っています。
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石見美術館で最後の「みるみると見てみる」の実践がありました。その報告です。

2014-03-28 07:46:36 | 対話型鑑賞
石見美術館グラントワでの最後の対話型鑑賞のナビゲーターは松田さんでした。他の多くの会員が京都造形芸術大学のセミナーに参加していたので、松田さんは孤軍奮闘でした。でも、実りのある実践だったようです。ご覧ください。


3月23日(日)「みるみると見てみる?」 (石見美術館)

 今回の作品は、永瀬義郎『祭壇の処女』と香月泰男『鰹と犬』でした。参加者は、一般参加者の男性5名と女性3名、学芸員1名、ナビゲーター1名の合計10名でした。今回の最終回までに複数回参加された方も、今回初参加の方もいらっしゃいました。私にとっては、参加者が全員大人の会で新鮮な気持ちで臨むことができました。
  前回までの反省をもとに、鑑賞を始める前に、対話による鑑賞のルールを確認しました。作品について感じたことを自由に話してよいこと、発言の際には挙手をして指名された人が話すこと、他の人の話をよく聞いてみんなで見方を広げたり深めたりしていけるようにすることを伝えました。はじめにこのルールを確認したことによって、最後まで整然とすすめることができました。中学生を相手にした場合は、つぶやきでしか発言することのできない生徒もいますが、大人の場合は明確にこのルールを示しておくとよいと感じました。
 2点の作品のどちらを先に見せるか、直前まで悩みました。そして最終的には、描かれているものから想像をして話しやすい『祭壇の処女』を選びました。始まってみると予想通り、この作品に対して様々な見方があがり、どんどん意見が出されました。左側のオレンジの円は太陽で、右側は月であり、人間が食べ物や光などを吸収して成長していく時間の流れを表現しているのではないか。上半分は空であり、下半分は海であり、人物や植物、動物を描いて生命の誕生を表しているのではないか。女性の乳房が強調されて描かれていることや桃が対になっていることから、上に描かれている女性に対して、魚と桃は男性であり、男女の関係を描いているのではないか。背景に金箔が描かれているようで、女性は仏像であり、桃や魚は供物ではないか。…というように本当に多様な見方ができました。常連の方はもちろんですが、初参加の方も積極的に発言をされていました。他の人の意見からさらに自分で考えて話されることが何度もあり、対話による鑑賞でしかできない味わい方ができたのではないかと感じました。
 続いて『鰹と犬』を見ました。ひとつ目の作品で描かれたモチーフから物語を想像したのに対して、この作品では、色や構図といった造形要素を中心としたこの絵の不思議な魅力について多くの方から語られました。ひとつは、この絵のアンバランスさでした。中心に何も描かれず、周りに描かれたほとんどのものが画面からはみだしていること。セザンヌの『リンゴとオレンジ』のように、鉢とテーブル、布、鰹がそれぞれ視点の角度が異なり、不安定な感じがすること。犬は、鰹が近くにあるにもかかわらず食べようとしているような様子はなく、不思議な表情をしていること。影の方向がバラバラであり、魚の影だけが緑で描かれていること。そしてその緑がこの絵の中で、非常に重要な色であることも意見として出ました。様々な点でアンバランスな感じがするところが、この絵の魅力につながっているのではないかという話で盛り上がりました。1点目でモチーフ想像した後だったので、同じように無理矢理にでもまたおもしろい物語が想像されていくのではないかということを想定したシークエンスだったのですが、よい意味でその期待を裏切られ、鑑賞者が視点を変えて味わっていったのがとてもおもしろく、興味深いことでした。
 最後にこの展示室の展示作品が2点ずつ作品を並べて展示していることを伝え、この2点を並べて見ることで気づくことがないかと投げかけてみました。共通点として、魚が描かれていること、真ん中よりやや下のラインで画面が上下に分けられていること、どちらも生命力を感じること、イエローオーカーの美しい作品であることなどが上げられました。時間が少なく、2点を並べて見てさらに深めていくことはできませんでしたが、“他の作品と比べて見る”という楽しみ方があることを少し感じていただけたのではないかと思いました。
 今回のナビをすすめる中で、途中から参加者の意見をくり返すことをやめました。中学校で生徒を相手に鑑賞を行う場合は、声の小さい生徒の発言やつぶやきを確実に教室全体に伝えるため、言いたいことの意味を確認するために、生徒の意見を私がくり返し言って、全体に伝えています。はじめはいつものスタイルでくり返していましたが、全員大人であるため、声も適度な大きさであること、内容も伝わることがみなさんの雰囲気から感じられたため、くり返しはしないことにしました。そのぶん余裕をもって、意味の分かりづらいことについて確認したり、根拠を聞いたり、意見に対する自分の感想を述べたりできました。また学校での授業ではないことなのですが、自分も鑑賞者の一人として意見を出してみました。生徒だと私の意見があたかも“正解”であるように受け取られますが、今回はその心配がなかったので、みなさんと一緒に意見を出し合って楽しむことができました。学芸員の川西さんも同じように参加してくださったこともうれしかったです。約45分の時間でしたが、とても短く感じられ、とても勉強になりました。参加者のみなさま、美術館関係者のみなさま、ありがとうございました。
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京都造形芸術大学でのセミナーの前に報告です!!

2014-03-19 20:47:51 | 対話型鑑賞
3月22日に京都造形芸術大学で、日本文教出版(株)から出版された副読本の刊行セミナーが開催されますが、その前に、自校で実践した雪舟の「慧可断臂図」の実践をお伝えしたくてUPします。
今週はレポートが続々と届きまして、毎日のようにUPしていますが、今日のもぜひ読んでほしいと思います。そして、皆さん!!京都で会いましょう!!

今年度最後の対話型鑑賞を2年生と行いました。作品は雪舟の「恵可断臂図」です。
作品鑑賞中に、恵可の持っている手は切れた手であることに気付きました。「誰の手なのか?」で様々な意見が出ましたが、「恵可の手であること」「恵可自身が切ったこと」を情報として与えました。また、二人は宗教関係者であるという意見が集約されたので「白い衣の僧侶の方が位が高い」ことも伝えました。そして、この作品からとこれらの情報を踏まえて「そこからどう思うか?」ということで「二人の関係」と「手を切った理由」について生徒各自が考えたことを最後のまとめとして記述させました。また、「なぜこの絵が今まで残っているのか」についても考えさせました。
そして、36人の生徒のうち、なんと2名がこの「恵可断臂図」のエピソードと同じ読み取りをしたのです。これにはちょっと、いや、かなり、読みながら、心が震えました。読み取った生徒2名は、前回の「解放」同様に、そんなに知的レベルが高いといえる子どもではないからです。読み取った文章を掲載します。
※記述は原文のままです。

【生徒①女子】
 わたしは左下のお坊さんは右上のお坊さんの弟子になりたくて手をさしだしていると思います。理由は、右上のお坊さんは誰もいないようなどうくつにいるから、位は高くても、弟子とかはいないんじゃないかなと思いました。でも、左下のお坊さんはどうしてもその人の弟子になりたかったから、自分の手をきって、「私はこんなにするほどあなたの弟子になりたいんだよ。」という気持ちを表しているんだと思います。この絵がなぜ今まで残っているのかというと、人に本気でたのむのはここまでしないと伝わらないというのを描いているから残ってるんだと思います。

 今日授業をして、自分の意見は話すことができなかったけど、人の意見をしっかりきいて考えを深めることができました。

【生徒②男子】
 あそこはどうくつだと考えて、位の高いおぼうさんがそこでしゅぎょうをしていて、位の低いおぼうさんが位の高いおぼうさんにでし入りしようとしたけどだめで、最後の最後に自分の腕まで切って、でし入りをせがんでいるシーンだと思いました。

 今日の鑑賞をして、しっかりと絵を見れてよかったと思いました。そして、人の考えを聞いて、この人はこの絵をこう思ったんだなと深く自分の考えにつなげることができてよかったです。もっと、鑑賞をしたいなと思いました。

また、この授業にはスクールヘルパーさんが参加しておられ、偶然この方は実家が曹洞宗のお寺だということで(このことは実践後に知りましたが)、この鑑賞活動中ずっと驚きの連続だったようです。そして、最後には鳥肌が立ったと、授業の終わりにお話ししてくださいました。そして、そのことについて感想を寄せてくださったので、それも紹介します。

【スクールヘルパー:女性】原文のまま
 予備知識を持たずに作品と対峙することで心の奥の本能に近い部分が垣間見えたように思いました。場所の薄暗さ、奥行き、人を飲み込むような不気味さから魂の宿る場所を感じ、切断された手から示される何事か重大な理由を想像し、達磨大師に「何か(鳥になりたい)を望み、極めようとする姿」を見ることができ、それらを共感する姿に驚きました。
 古来から変わることなく伝わる仏教の教えが、日本人の日々の生活に深く根差し、精神や人格の形成にも影響を与えていると感じました。

 この文章を読ませて頂いて、思いは伝わってくるのですが、誤解があってはいけないと思い、本人にいろいろと確認をさせてもらいました。そのことに触れながら、ヘルパーさんの思いをもう少しわかりやすく伝えたいと思います。

 対話型鑑賞の方策である「情報をあらかじめ与えない」ことで、あの作品に無心で生徒たちは向き合っていました。洞窟の岩の描き方が「顔」に見えるという発言や、そこから「霊力」を感じたり「魂」が宿っているのではないかという推察をする姿を見かけて、宗教説話に基づいて描かれた場面であることを、何の情報も持たないのに感じ取っていることにまず驚きました。
 そして達磨大師が一心に修行する姿を「鳥になりたくて、腕を落とした。」など何かを欲し、極めようとする姿勢であると感じ、それに共感する発言が次々に出てくることにも驚きました。
 何かを求めて修行をする、一心に打ち込む、例えば、部活動でのトレーニングを黙々と行う、などという姿勢は日本人の風土の中に根差しているように感じられます。それは仏教の教えによるものではないかという思いを強く受けました。自分が曹洞宗の寺に育ち、達磨大師の逸話を当たり前のように知っているよりも、もっと深いところで、子どもたちは、この絵の持つ仏教観や宗教観を理解していたように感じ、私は今まで何を見ていたのだろうと、目からうろこでしたし、子どもの発言に鳥肌が立ちました。寺を継いでいる兄にも話して伝えたいです。

 鑑賞会の初めは、作品を見て笑いが起きました。おそらく奇妙な光景だったからだと思います。でも、じっくり静かにみた後に挙手して発言する生徒はすぐにはいませんでした。しばらく待ちました。(昨年の生徒はすぐに挙手がありましたが、今年の生徒は、やや口が重たいので仕方ないかとは思いました。)指名しようかとも思いましたが、最初から指名にすると、ずっと指名に流れるので、沈黙を破る生徒の出現を生徒を見回しながら待ちました。やがて沈黙に耐えられなくなった(?)男子生徒が挙手し、「顔に見える」と言いました。たぶん背景の岩のことだと思いましたが、確認しました。目に見えるところ、口、大きく開けた口が、白い服の男を飲み込もうとしていると語りました。それからも手はポツポツと挙がりました。左下の人は服装からお坊さんだと思うとか、白い服の人は人相やひげの濃さから日本人ではない。などと人物に会話が進んでいきました。
 やがて、手が切れていることに気付いた生徒が出て、場の雰囲気は一気に高まりました。ざわめきも起き、少しひそひそ話しも聞こえてきましたが、手を挙げて話すように促しました。「誰の手か?」「何のために切ったのか?」「何にしようとしている手か?」など「手」にまつわる話しと、そこから二人の関係についての発言も色々と出てきたので、「二人は僧侶」であることを伝えました。でも、「弟子入しようとしているところなので」、二人の関係については「白い服の人の方が位が高い」ことは伝え、でも、「師匠と弟子という関係かどうかはどう思うか?」と話しました。友だち説や師匠・弟子説など色々出ました。そこで時間が来たので、「あの手はどうして切られたのか?」「あの二人の関係は?」「どうしてこの絵が今まで残っているのか」(この絵が室町時代くらいに描かれた水墨画だと発言した生徒がいたので)を、みえているものを根拠に自分の考えを記述するように伝えたところ、上記のような読み取りが生まれたわけです。

 この鑑賞をしていつも思うことは、作品の持つ力です。「絵力」と言ってもいいでしょうか。よくみて考えていくと作品の本質に迫っていけること。そういう作品だけがやはり後生に残っているのだと強く感じます。そしてその力がみる者の心を強く惹き付けるのだと思います。そして、無心に向き合う生徒の姿にも感動です。
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3月2日の実践レポートが届きました

2014-03-18 21:12:35 | 対話型鑑賞
3月2日の「みるみると見てみる?」でナビをした小川さんのレポートが届きましたのでUPします。

3月2日(日)「みるみると見てみる?」in グラントワ

3月2日の担当は小川でした。大変遅くなりましたが、振り返りレポートを提出します!
今回の参加者は男性が10名ほど。どの方も「対話による鑑賞」のリピーターの方たちで、このグラントワの鑑賞会では「皆勤賞を目指す!」と言っておられる方もおられます。ですから最初から意欲的な雰囲気が漂っていました。私も、何度かお会いしている方々だったのでなんとなく安心し、油断する気持ちもあったのかもしれません。
この日は、池田輝方作「多賀朝湖流さる」という作品を選びました。登場人物が多く、それぞれの動きがあり、流罪になった多賀朝湖は画面の中には描かれていないのですが、登場人物をじっくり見ていくことで、どんな人物が想像してみるのも面白いと思ったこと、また、服装も色彩や柄が洗練されており、粋で洒落た雰囲気があり、そのことについても味わえたらいいと思いました。
ナビを終えての感想は、自分自身が始終フワフワしていたな~ということです。参加者の発言に振り回されるというか、ナビができていなかったというか。発言は途切れることなく続いたのですが、それぞれが自分の言いたいことを言って、全体で同じ視点をもってみること、考えることができなかったと思います。振り返りレコーダーを聞いていると「では、○○について考えてみましょう。」「○○について見てみましょう。」と発言している場面が一回もない!ということに気がつきます。だから、何度も同じ内容の発言が繰り返され、思考が積み上げられなかったのだと思います。
反省会では、①全体的に正解を求めることに終始し、作品を味わうことに至らなかったこと②誰もが自分の言いたいことを発言し、全体で同じ視点をもって見ることができていなかったことを指摘されました。
①については「流罪」という文字を見つけた時点で、情報を提供し、その上で何をみるか、なにを考えるかを示すことができたのではないかと思います。②については、ルールを明確にすることの重要性が確認されました。確かに、始める時に私の頭の中にそのことはほとんど意識されていませんでした。普段学校で行う時には、必ずすることなのに…。今回は、大人でリピーターの方が相手ということで、「言わなくても大丈夫」という油断(甘え?)があったのだと思います。しかし、大人が相手であればこそ、他者の発言を聴くこと、発言の際は挙手をして、指名されたら話すことは、始める前にきちんと伝えるべきことでした。話し始められてから、遮ったり、注意したりすることはちょっと難しいので尚更・・・。(ちなみに、その後「挙手をして、指名されたら話してね」という言い方を、学校で生徒相手にしたところ、私語がぐんと減り、発言が整理しやすくなりました。)そして、ナビが発言をつないで、どこに視点をもっていくかを明確にする(小まとめ)こと、そのためには、発言をよく聴くこと。基本なのに、忘れてしまっていたな、と思いました。その場や鑑賞者の雰囲気に左右されることなく、基本はしっかり腹に据えてナビをしないといけないなと思いました。
また、後半、鑑賞者から「この作品はいつ、どういう目的で作られ、どこに飾られたのか」という質問が出され、自分が考えていないことだったために、慌ててなんとか答えようとして、その問いをはぐらかすような言い方をしていた場面もありました。そういう時は「質問には質問返し」。「どう思われますか?」と逆に問い返すことができたら、全体でこの作品を味わうことにつながっていったかもしれません。

以上、反省ばかりのナビでしたが、「発言がどんどん出た時に、それをどうナビゲーションしていくか」ということを考える貴重な体験ができました。

小川さんは、昨年浜田市世界こども美術館での実践レポートも同時に送ってくださっていますので、また、お伝えしたいと思います。
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