ART COMMUNICATION IN SHIMANE みるみるの会の活動報告

島根の美術教育関係者が集まって立ち上げた対話型鑑賞の普及に努める「みるみるの会」の活動情報をお知らせするブログです。

出雲文化伝承館「春日裕次展」 鑑賞会レポート 第3弾!

2023-06-19 23:02:20 | 対話型鑑賞

5月28日(日)11:30~11:50   春日裕次展 「みんなで一緒にアートをみてはなそう!」

会場:出雲市文化伝承館

ファシリテーター:房野伸枝

参加者 一般の方 8名・みるみるの会メンバー 2名

鑑賞作品 春日裕次 作  「かいじゅ」

 

 令和5年5月20日~6月25日に開催されている「春日裕次展」には、春日氏の初期のスケッチから、美術展に入賞した大作までたくさんの作品が展示されており、その迫力に圧倒されました。作品の多くは、春日氏が長年追求しておられる「バイク」「人物」などが重厚な筆致で描かれており、鑑賞者はそこからにじみ出る「何か」をおのずと考えさせられます。「何が描かれているのか?」「この色やモチーフの意味は?」「どんな思いが込められているのか?」と考えながら見つめていると、時間の経過を忘れてしまいます。そんな中から1点、鑑賞会のための作品を選ぶにあたって、ひとつの作品が心にひっかかりました。それは、バイクでも、人でもない「かいじゅ」とタイトルのついた他とは作風の異なる作品です。

 会場全体を見渡すと、居並ぶ作品群の中には、バイクが描かれていない作品にも、煙突やチューブなど、バイクのマフラーやエンジンに類似する形状のものが描かれています。また、春日氏の描くバイクと人物からは、バイクが人、人がバイクの象徴のように感じられたり、「エネルギー」「疾走感」「躍動感」「情熱」が感じられたり、「生命」につながる「熱」が発散されているようにも感じます。 画面のところどころに走っている「朱」の色にも強い印象を受けます。

私は海岸に流れ着いたようにみえる大きな流木を描いた「かいじゅ」も一連の作品に通底するものを感じました。他の人はこの作品をどのように鑑賞するのか?という好奇心が高まり、「この作品をみんなで対話しながら鑑賞したい」と強く思い鑑賞作品に選びました。

<鑑賞者からの意見(抜粋)>

・木に見えるが、枝や根が入り組んでいて、かなり大きな木であったことがわかる。

・森の中に生えている木ではなく、奥は湖か何か、水辺に流れてきた木に見える。もう成長が止まっている木。

・台風や何かで、かつて森にあったものが川に流れて、海から漂着した木の根っこ。

・枝に手を伸ばしているように見えるところがあり、何かを訴えているよう。海岸に流れ着いたものやごみが、人間に「これでいいのか」と訴えているのでは。

・タイトルの「かいじゅ」は「怪樹」とも「塊樹」ともとれる。

・流木だから死んでいる木だが、枝ぶりから動き出しそうで、生きている感じがする。血のような赤い色からも木というか、何か生き物のようにも見える。

・奥に海があり、そこからお日様が見える。枝が伸びている先に光があり、それに向かう生命感、躍動感を感じる。

・太陽は朝日だと思う。木の枝の動きから光のほうへ伸びていこうとしているように見えるので、太陽や水を求めてまだ、芽吹くエネルギーがあるのでは。海は生命の源でもあるので、そこへ伸びようとしているようにも見える。

・生きてはいない。死して、なお、エネルギーを感じるのは、燃えている炎のような部分があるから。木は死んでも燃えてエネルギーの形を変える。太陽は生命の源であり、炎が太陽にも通じていて、エネルギーの循環をも感じさせる。

・他のバイクの作品にも通じるフォルムを感じる。枝の管状の形態はバイクの配管にも通じる。管状のものには何かが詰まっている、何かが流れていることを人は連想する。この枝や根っこも、かつてはその筒状のものの中に生命やエネルギーを宿していた。

・朱色はバイクの作品にもあったが、その色からもエネルギーや命を感じる。

 

<ふりかえり>

 流れ着いたように思われる大樹はかつて生えていたところから遠く流され、すでに命は尽きている流木なのに、うごめく生き物のようにも描かれ「生と死という相反するものが同居している」という意見が出されました。しかしなぜかそこに共通して感じるものは「生命力」や「躍動感」でした。水平線に太陽があり、生命の源である海や太陽の光というものが加わっていることからも、様々な解釈が生まれました。

 鑑賞者は他の作品にも通じる一貫した力を感じ、対話を交わすことでどんどん作品の見方が変化していくダイナミズムを共有できたように思います。ひとりの画家による作品展では、鑑賞者はおのずと並んだ作品の関係性について考え、それが鑑賞する際に作品の共通項やテーマへの意識につながるということが実感できました。

 

ワクワクしながらも多くを学んだ鑑賞会となりました。この機会を提供してくださった春日裕次氏、その夫人の美由紀さん、出雲文化伝承館のスタッフのみなさま、鑑賞会に来てくださった方々のおかげです。本当にありがとうございました。

 

 

 

 

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5月28日に対面での初ファシリテーターを務めた2名からのレポートです。

2023-06-11 20:38:56 | 対話型鑑賞

5月28日に出雲市文化伝承館で開催中の「春日裕次展」で初めて対面でのファシリテーションを行った2名の方の感想が届きました。

 

初対面でのファシリテーターをしてみての感想 レポーター:吉澤敬士

 実物作品・対面でのファシリテーション(以下 ファシリ)どちらもが初めての経験をさせていただき、ありがとうございます。

 そのような状況の中、午前の部で春日さんと房野さんのファシリ後の午後の番であったことは私にとって有益でした。 今一度、ファシリが鑑賞会で何をなすのかを『ファシリの役割は、交通整理役です。』この春日さんの一言で、再認識できたからです。そして鑑賞者に向けたこの役割の言葉がけが、今回の鑑賞会で一番印象に残り、今も考えている部分になります。

 午後の部の鑑賞会も終わり、総ての会の振り返りで春日さんから私のファシリでの手の動かし方についての指摘がありました。主体は「鑑賞者」「発言者」でファシリは発言している鑑賞者に対しての立ち位置が大事だということで『発言している鑑賞者と作品の間に立って、鑑賞者に対してファシリは身体を開くように立ち、話されていることを一方の手で作品の中を指し示しながら、もう一方の手で「話者」の話を促すように動かすことで、「話者」の話を全身を使って受け取っているように心がける。そうすることで鑑賞者はさらに作品についてよくみて考えるようになる』ということが理解できました。

 そして役割が交通整理役であるとしたら、

〇動いているもの(鑑賞者の意識や思考の流れ)がそこにはある

〇どこか向かっていく方向性があるのだろう【コンセプト】

〇衝突を避けるのか?合流を促すのか?そこから動くことや立ち止まることを促すのか

これらのことを考えられるファシリテーションとは?を今も考え中です。

 対面での鑑賞の感想です。

3つのシークエンス作品の最後

春日さんがファシリの時に年配の男性が『作家は、どうしてこんなもの描いたのだろう。不思議だ。鉄くずのように見える。・・・ 働いてきた な・れ・の・は・て』記憶なので全部は定かではないのですが、最後の言葉 「成れの果て」この発言の仕方が何ともいえないニュアンスを含んでいるように聞こえたんのです愁いや嘲りを含んだような・・・。春日さんがパラフレーズでの確認の最後に『有終の美のように見ていただいているんですかね?』発言者はうなずく。このやり取りに鑑賞者の私は、ホッと救われる感じを受けました。どこから?鑑賞者とファシリのやりとりを『みて』『きいて』この場にいたことからだと考えます。つまり、これがLiveならではの感覚だと思いました。

 鑑賞者の表現も『ほれ、あれやんか、それああやんか、わかるやろ?』等々、夫が長く連れ添った奥さんに対して表現するような『アレ、ソレ』など、日常の中に埋もれてしまいやすい言葉が使われがちです。ファシリとしては、どんな世代にも伝わるような言語表現を意識していくことが大切であると思いました。

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対面での対話型鑑賞を体験してみた所感 レポーター:貞岡陽子

2021年に京都芸術大学の対話型鑑賞ファシリテーション講座を受講してから、鑑賞ファシリテーションの練習はずっとオンラインでした。対面での対話型鑑賞は、その様子を聞いていて全く想像できないものではなかったのですが、実践も参加する機会もありませんでした。対面での対話型鑑賞に参加できたのは、昨年茨木市で5回にわたって、春日さんがファシリテーターとして開催された市民向け鑑賞プログラム「アートでおしゃべり」でした。ここでファシリテーターのふるまい、鑑賞者との向き合い方が体感できました。

今回、出雲で2回の対面の対話型鑑賞ファシリテーションの機会に恵まれました。5月27日に、出雲市駅近くのオトナキチコーヒーでの大人向けの対話型鑑賞会「みんなでアートを見てみよう」において、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの「女占い師」の鑑賞をファシリテートしました。女性6人が参加されました。初めて対話型鑑賞に参加された方が多かったです。まず作品をじっくりみてもらいました。作品に登場する5人の人物の顔つきや服装、装飾品から、「険悪な感じがする、使用人が何かを訴えているように見える」という発言から始まりました。それを聞いて、「私は制圧しているように見える」など、参加者からそれぞれの発言があふれ出てきて、最初はパラフレーズするのが追い付かないくらいでした。ソファに座りくつろいだ雰囲気のせいか、参加者の皆さんは人間模様をいろいろと想像され、話はつきなかったのですが、描かれているそれぞれの人物の役割についてもっと話を広げられるようにできていたら話が少し整理されたのではないかと思いました。

振り返りで、場の流れをつくれるよう「一人ずつ手を挙げて発言してほしい」などの言葉も、ファシリテーターが頭に入れておかないといけないと反省しました。

5月28日は、出雲文化伝承館の春日裕次展で、ファシリテーター3人が連続で行う対話型鑑賞をしました。私は2番目のファシリテーションを担当しました。事前に、他の2作品のテーマを念頭に入れつつ、ファシリテーションを考えるという練習もしていました。「扉」の作品を私が選んだのは、バイクをテーマした作品が先に選ばれていたので、今回の出展作品を見せてもらう中、違うモチーフの作品にすると、鑑賞の世界が広がるのではないかと思ったからです。展示会場で実際の作品で鑑賞会をするのは初めてで、会場で作品を見たときに、オンラインでみていた作品とは感じるものが少し違いました。オンラインでは、男性の後ろに鉄の扉がそびえたつように見えていたのですが、男性と扉が対峙しているように見えました。鑑賞会は午後だったので、午前中に実際に作品をじっくり見ることができてよかったです。

前日よりも鑑賞者が多く、鑑賞者と作品との距離があり、仕事でプレゼンするのと同じく、鑑賞する場所によって、場の雰囲気は変わるのだなと感じました。作品自体が大きいのと鑑賞者に顔を向けておくため、ポインティングの仕方には気を遣うということと、それに慣れないといけないと思いました。オンラインでは今回の人数ぐらいだと全員の顔を見ることができ、発言していない鑑賞者に発言を促したりできなくはないのですが、対面で全員に発言を促す工夫も考えおくことが必要だと感じました。今回の鑑賞では、男性の落ち着いた顔の表情、シンプルな服装から現在の心境を考えていただき、また扉のさびやNOの文字、外れている掛け金などからの男性の過去の様子や未来の予兆と紐づけた発言をしていただき、これから男性が扉を開けるのか、別の方向へ行くのかという発展的な問いを残して終わりました。3人で回していくので鑑賞時間が気になり、時間感覚を養う必要もあると感じました。

対面での対話型鑑賞をやってみて、作品と鑑賞者からの刺激を身体感覚で受けて、ファシリテーターというよりも一緒に楽しめたように思います。機会を作って修練していきたいです。

春日裕次先生、春日さん、房野さん、2つの鑑賞会で出会った方々、練習会メンバーには大変お世話になりました。

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出雲市文化伝承館で開催中の「春日裕次展」で対話型鑑賞会を行いました

2023-06-06 16:41:26 | 対話型鑑賞

5月28日(日)春日裕次展 「みんなで一緒にアートをみてはなそう!」

会場:出雲市文化伝承館

午後の部 13:30~14:30

ファシリテーター:①吉澤敬士 ②貞岡陽子 ③春日美由紀

参加者 一般の方 8名・みるみるの会メンバー 2名

鑑賞作品 ①胎動 ②扉 ③スクラップ

レポーター:春日美由紀

 

今回は「鑑賞作品のシークエンスについて」レポートします。

※シークエンスとはVTS(Visual thinking strategies)で言うところの、複数のアート作品を連続して鑑賞する場合に、作品を脈絡なく鑑賞するのではなく、鑑賞者が順序にもとづいて鑑賞していくとことで連続して鑑賞していく作品の中に包含される解釈にある種の通底するものが見い出せ、そのことによってより深く作品を味わうことができるように、あらかじめ仕組まれた作品群のこと。(シークエンスはファシリテーターが構成する。)

 

 私以外の2名のファシリテーターは、対面で実物の作品を前にしての鑑賞会が初めてだったので事前に画集に収められることになっている作品画像を提供し、フリーに選んでもらうところから始めました。

 吉澤さんが「胎動」を貞岡さんが「扉」を選ばれたので、私は「スクラップ」にしました。この「スクラップ」は2作品あって、私は当初、画集の「13.スクラップ 2000年」を選んでいたのですが、この作品が展覧会では展示されていないことが判明し、「12.スクラップ 制作年不詳」に変更しました。それは、初対面・初実物・初ファシリテーションのお二人と共に28日の本番に向けてオンラインでファシリテーション練習を行うためでした。鑑賞会に参加してくださった皆様に有意義なひと時を過ごしていただくためには「事前練習」は欠かせません。また、3作品を1時間の時間内に収めるのはかなりな難度です。お客様はファシリテーターが初なのかそうでないのかはご存知ないですし、そのようなことは関知しないところですが、開催者としては、鑑賞者満足度を上げて帰っていただかないと「対話型鑑賞」ってこんなものだったのね・・・。という評価になりかねません。それを最大限避けるためにも2週間に渡って連夜練習を行いました。

 初対面・初実物・初ファシリテーションを行ったお二人の感想も次回にアップしますのでご覧ください。

 

 さて、前置きが長くなりましたが、今回の鑑賞会の3作品のシークエンスについてです。

 鑑賞順は制作年と逆行するものになりました。

 最初は「胎動」です。この作家のテーマともいえる人物とバイクが描かれた作品。今回の展覧会でも多数展示されています。作家のメインテーマと言えるものですので、この作品から始めるのが鑑賞者にとっても受け入れやすいと考えました。また、人物が描かれていることから、鑑賞者にとって親しみやすさもあると思われるからです。「胎動」を鑑賞することで、他の「人物とバイクを描いた作品」の鑑賞の手助けになればとも期待しました。

 次作は「扉」です。こちらも人物が描かれています。しかし、バイクのようなはっきりとした具体物ではなく「扉」のようには見えるけれども「どこの扉?」「何が入っている?」「鍵がかかっていない」「開くの?」などの問いが自然に起こる作品です。「扉」の前に立つ人物も結構意味深です。最初の「胎動」で「どこからそう思ったのか?」と考えることに少し慣れてきた鑑賞者は「みる・考える・話す・きく」ことを他の鑑賞者と行う中で、「この扉の前に立っている人物」の意味を考えることになりました。

 こうして、1作品➡2作品と作品を続けてみて行く中で「人とモノ(バイク➡扉)との関係」について考えるようになります。

 そうして最終作品は人物のいない「モノ」のみの描かれた「スクラップ」へと移行していきます。3つ目の作品ですので鑑賞者は作品をみることにずいぶん慣れてきていますから「モノ」だけでもみることや考えることができるようになっています。でも、この作品を最初にみていたらおそらく「何をどうみればよいのか」と、戸惑いが生じていたのではないかと思います。今回のように連続して作品を鑑賞していく場合は作品の難度を徐々に上げていくのが鑑賞者には受け入れやすいと考えます。

 「人物」の消えた(鑑賞者は消えたとは思っていないでしょうが)「モノ」だけの作品ですが、そこに「人」の存在を感じるとともに、廃材とも思える機械部品に思いを寄せ、「再利用」とか「再生」といった言葉が生まれました。

 これは最初の作品からずっと「人」と「機械(バイク)」や「扉(人の作ったもの)」との関係について考えるようにファシリテーターがファシリテーションしているからです。それは「誘導」とは違うと思います。だからこそ最後の廃材(スクラップ)にさえも、もう使えないかもしれない機械の塊であっても、「人」と「機械」の関係について考えていくことができたのだと思います。

 

 この3作品を鑑賞者はどのようにみるのでしょう。最後にみた「スクラップ」は彼の愛するバイクの最期かも知れませんし、この「スクラップ」の中の部品から新たな命が吹き込まれて「胎動」したかも知れません。あるいはかの「扉」の中にこの「スクラップ」があったのかも、「バイク」が置かれていたのかも知れません。このように3作品をつなげて物語を紡いでいく、今回はそのようなねらいのシークエンスを組みました。

 

 今回初めて対面での実物作品を前にしてのファシリテーションを行った2名の感想については後日アップします。

 

 最後に

 2週間にわたり夜の練習会に鑑賞者として参加くださった「アートな会」の皆様のご協力に感謝します。お陰様で、実に楽しく充実した鑑賞会となりました。

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