ART COMMUNICATION IN SHIMANE みるみるの会の活動報告

島根の美術教育関係者が集まって立ち上げた対話型鑑賞の普及に努める「みるみるの会」の活動情報をお知らせするブログです。

「みるみると北斎をみる」第2週目 この美人の心は・・・?

2024-03-21 22:00:05 | 対話型鑑賞

日時:2024年1月21日(日)14:30~15:00(ターン④)   
作品:人を待つ美人 印:北斎 画 島根県立美術館所蔵(永田コレクション) 
画像は「島根県立美術館HP」より
ファシリテーター:房野伸枝
参加者:一般参加者6名 みるみる会員2名 


 

「みるみると北斎をみる」の第1週目は「熊に団子を与える金太郎」「柳の絲」、第2週目の1作品目は「両国夕涼み」と、どれもたくさんのモチーフが描かれている作品だったので、最終回は背景に何もなく、女性が一人座っているという作品にしてみました。様々な要素を見つけて、そこから解釈につなげるという流れは、モチーフの多少にかかわらず同様です。この作品を選んだのは、一見、シンプルにみえる作品でも、人物の表情やポーズを詳細にみていけば、おのずとその状況や心情に迫れると思ったからです。今回の鑑賞者は一般の方6名中初めての方が4名でしたので、多様な作品を鑑賞していただきたいと思い、1作品目とはモチーフの数や表現技法に違いのある北斎の肉筆画を選びました。

<鑑賞の流れ> (発言者やファシリテーターの発言は省略・要約した)
(1)作品からみえたものをあげ、共有する
最初は女性の足のデッサンが狂ってるのでは、という発言から、人物が後ろに倒れてしまいそう、不自然な恰好、三味線があるので、芸者。本があるので長唄をやっていたのでは。三味線や唄の練習をしていた。三味線の師匠の前ではこんな格好はできないので、1人でいるところ。扇があり、夏っぽい着物(白地に青っぽい色で、襟元が空いている)なので、暑い時期、夏では。お座敷では、人を楽しませている華やかな仕事だが、ここでは一息入れて休んでいるところ。等。

(2)文字についての情報提供
書かれた文字について、「月、と読めるので、月でも眺めているのでは」という発言を受けて、ファシリから『弾き倦て 月よりも人 待宵か』と書かれているという情報を伝えた。同じ作品内に書かれていることで文字も作品の一部であり、文字の内容が絵の部分とリンクすると思ったからだが、この情報提供後に人物の置かれている状況や心情についての発言が多くなったことに加え、文字の大きさや形の書かれようにも言及が見られたことは、想定外の読み取りで興味深かった。

(3)女性の心情やどういう状況なのか、という解釈
この人はこの世のことを考えていないような虚無感を感じる。目の様子から特に感情が見えないので、何も見ていない感じ。着物で立膝をして、足の上に教本をバサッと置いている様子から、脱力している感じ。
芸者として人に見られる華やかな職業だけれど、自分は何も見ていない。顔は穏やか、稽古を終えて、何も考えたくない表情では。ポーズも右足を投げ出して、かなりはだけている。かなりリラックスしている様子。左に男性がいて、誘っているのかも。(描かれている外へも想像が広がってきた。)
着物も帯も松の葉っぱの模様に見えるので、人を待つ、とかけている。着物の「松」、帯の「松」、人を「待つ」と、人を待つ気持ちが大きい現れでは。
虚無感の中にも、全くあきらめてしまうのではなく、人を待つ心がある、ということかもしれない。
待っている人は、もう絶対会えない人なのかも。例えば、亡くなってしまったとか、すごく遠くにいる人とか・・・。絶対会えないから、待ちくたびれるしかないけれど、そういう人を待ち続けるということもあるかもしれない。

(4)構図や文字と人物との相関関係からの解釈
「色や線をよく見てみましょう」というファシリの投げかけから。
三角形の構図で、赤い色が非常に効いている。三味線の置き方も右手で引くのなら、このように置かないのでは。北斎の絵師としての構図の工夫では。
上に書かれている「人」という字も、ひときわ大きく書かれている。
人物のポーズも人という字にも見える。「人」という文字と絵とリンクしている。(お~!確かに!と、思わず皆さんの拍手)

(5)まとめ
人を待つ、と言っても、どんな人を待っているかということまで様々な見方ができた。現実に誰かを待つ、ということもあるが、待っても来ない人を待つ心情もあるのでは、という解釈もできた。表情から、虚無感のような、あきらめのような放心したような様子で、遠くを見つめながら、何か考え、思い出しているよう。文字と人物との関係にも気づきがあり、だれもいない所で、ひとりきりで何かを待ちながら座っている女性の姿が表現されているとみんなで作品をみていくことができた。


<鑑賞を終えて>
 初めて体験される80代の男性の発言で印象的だったことがあります。その方は女性の表情から「虚無」を感じられたのですが、他の方の意見を聞くうちに鑑賞の半ばで「自分の解釈が間違っていました」と発言されました。この時には、まだ、みんなで答えを見つけているように感じておられたようです。その時は「一つの答えを見つけるのではなく、それぞれが感じられたことが答えでいいんです」とファシリがフォローしました。後半の「着物の松」と「待つ」がリンクし、待っている人は来ない人なのかも…という流れの中で「人というのは虚無感の中にも人を待ってしまうものなんだな・・・」「哲学的な意味を感じた」と発言されました。当初、ギャラリートークのように学術的な情報を得る会だと思って参加されたようですが、30分間の鑑賞会で自由に発言してもよい、ということが分かり、他の方の意見を聞いて自分の解釈が変化することも是とし、自分なりの作品解釈に至ったということが伝わってきました。
この方のように、複数人での対話を介した鑑賞が多様な見方や深い解釈につながっていくことを感じていただけたことがとても嬉しかったです。ファシリテーションしながら、鑑賞者の皆さんの様子を毎回新鮮に感じることができるのも、対話型鑑賞の醍醐味でもあります。

 振り返りで、ディスクリプションの間でも「不自然な恰好ということから、どのようなことが考えられますか?」などの返しもあると、さらに解釈へつなげることができたのでは、とアドバイスをいただきました。確かに、見つけたことを列挙するだけではなく、「そこからどう思う?」という投げかけから、さらに見て考えることを促し続けることが必要だと思いました。鑑賞会は一期一会、その場その場の臨機応変さを身につけられるようにしていきたいと思います。
 久しぶりの対面での鑑賞会は、やっぱり臨場感があって楽しいことこの上なし!です。しかも、今回は、もともと小さい作品をプロジェクターで画像を写しながら鑑賞し、時折、部分を拡大して細かいところも確認しながらみることができたところがちょっと、オンラインの時とハイブリッドな感じも新鮮でした。

 この機会を作ってくださった島根県立石見美術館と、画像を提供してくださった島根県立美術館に心から感謝申しあげます。島根県の宝である、県外不出の北斎の「永田コレクション」は今後も特別展を企画されています。また、皆さんと一緒に鑑賞できる日を楽しみにしています!

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「みるみると北斎をみる」2週目! 不思議なアレはなに??!

2024-03-03 22:03:16 | 対話型鑑賞

第2週の鑑賞会 「みるみると北斎をみる」
日時:2024年1月21日(日)14:00~14:30(ターン③)   
作品:両国夕涼 印:画狂人(葛飾北斎)作 (島根県立美術館所蔵 永田コレクション)
ファシリテーター:津室和彦
参加者:一般参加者6名 みるみる会員2名 
 図版は島根県立美術館のHPより引用した

 

 第2週は,県内外から集まられた6名の方々と鑑賞しました。うち5名は男性で,様々な方向からの発言が飛び出し,大変盛り上がりました。


 

今回は,作品の構成を生かすために,発言そのものを画面に配置した図に表してみました。

 対話は,空にある赤い不思議な形から始まりました。花火という見方と稲光という見方の二通りがあり,それぞれそう考えたのはどこからかを問いながら,しばらくやり取りをしました。
 その後,人物について話し合いました。遊んでいるらしい男の子二人と,右の着物姿の女性3人は,ちょっと属性が違うのではないかという話になり,お太鼓結びの帯から,遊女という見方が出ました。それに関連して,当時のファッションリーダーであり,身に着けている着物や団扇もおしゃれで高級なものではないかという考えが共有されました。
背景については,太鼓橋のようなシルエットや水面に浮かぶ屋形船なども細かく見ていきました。
このようなディスクリプションを経て,次第にそれぞれの要素の関連が語られ始めました。
〇女の子は,稲光に気づいて指さした→雷鳴は遅れてくるので男の子二人は気づいていない→遅れて鳴り響く雷鳴に「たまげて」落水するかも=雷光と雷鳴の間の刹那を描いたのかも
〇稲光がピカっと辺り一帯を照らした瞬間で,向こうの景色はシルエットになって浮かび上がっている→空も水面も今の一瞬は雷光で明るい,本当は暗いので屋形船は提灯をともしている
〇女性は遊女→囲われていて出歩く自由はないはず→屋形船上のお座敷に呼ばれて船を待っている
〇材木屋か何かの私有地→所有者の関係者ではないか→特別なイベントがあるからここにいる→花火大会?
 宗理美人という言葉がありますが,この作品の中の女性の様子を詳しく見て考えてくださった鑑賞者のおかげで,単なる夕涼みにとどまらず,水上のお座敷を控えているプロフェッショナルであるとか,遊女は当時のファッションリーダーなんだろうというような部分にも迫ることができました。
 また,子どもも得意とした北斎が生き生きと描いた子供たちからは,空の赤いものが雷光だとすると,この絵に描かれている次の瞬間,雷鳴が轟いて驚いて水の中に落ちていくのではないかという想像ができました。遊び心のある北斎なら,そんな含みを持たせているかもしれないとか,もしかしたら男の子が落ちた場面もえがいているかもしれないという楽しい空想を皆さんと一緒に広げることができました。一緒に鑑賞することで,若い北斎のエネルギーや遊び心を感じられるひと時となりました。

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