ART COMMUNICATION IN SHIMANE みるみるの会の活動報告

島根の美術教育関係者が集まって立ち上げた対話型鑑賞の普及に努める「みるみるの会」の活動情報をお知らせするブログです。

浜田市世界こども美術館「橋本弘安展」での鑑賞会レポート②です(2019,6,15開催)

2019-06-30 10:51:52 | 対話型鑑賞
浜田市世界こども美術館 『橋本弘安展』 【2019年6月1日(土)~7月7日(日)】
 
対話型鑑賞会 2019年6月15日(土)
作品:「暮れる頃」 228×138cm  1992年 日本画  
鑑賞者:一般 2名~3名   会員1名
ナビゲーター:房野伸枝    レポート文責:春日美由紀

 今回はいつもとは違い、ナビゲーターとは別の立場でレポートをしようということになり、房野さんのナビの様子を春日がレポートします。

 この作品は、画像をみてもらってもお分かりいただけるように、画面の中心に女性が大きく描かれています。しかし、逆光で暗く沈んだ色調で描かれているので、その表情は判然としません。また、腰かけているベンチと後ろのテーブルには不可思議な物体が存在しています。背景の池?湖?と公園のような景色とこの女性と、不可思議な物体?いったい何をみる者に伝えようとしているのか?謎の多い作品です。
 最初は、親しい関係と思われる女性二人が鑑賞者でした。ナビゲーターと3人で始めるといった感じでしたので、特にルールの確認をされませんでしたが、後ろから参加していた、春日にとっては、どちらが発言されているのかが分かりにくかったので、少数でも、挙手を促すか、どちらが話しているのかが分かるようなアクションがナビゲーターには必要だったように思います。
 最初に背景の景色についてから発言があり、次いで、女性の座っているベンチとテーブルに話題が移っていきました。ただ、その流れは自然でしたので、よいと言えばよいのですが、後になって、背景の景色について、再度詳細な発見が必要だったことを考えると、もっと、背景についてみて、発見して、語っていただいた方がよかったのかな?と思うところです。
 ベンチやテーブルに存在する物体については、誰もが不可思議に感じ、何を表そうとしているのか「見取り」に腐心している様子でした。春日が「人間を表象しているのではないか。」と提言しました。そこから「何が」「何に」「みえる」という見取りの発言が続き、その様子から「人々の生活の営み」を表現したもの、この作品全体が夕暮れ時なので、「夕暮れ時の人々の様子」を表しているのではないかと言う解釈が生まれました。背景には小さな時計塔が描かれ、時刻は5時を指していると言うことからも、これらの解釈は間違いではないという確信が鑑賞者の中に生まれました。これらのことを考慮に入れ、中心の女性についてみていこうということになりました。料理で言うならメインディッシュです。この女性について解釈を促したことは、とても大きな意味があったと思います。ナビ自身が、鑑賞後の振り返りでも、最後に取り上げてよかったと語っていましたが、まさに、それなしにこの作品は語れないだろうと思いました。
 女性については、最初、「誰かを待っている。」とか「誰かと別れて寂しそう」という意見が出ましたが、表情を詳細にみていくと「寂しそうではない」「微笑んでもいない」「無表情なわけでもない」と、多様な解釈が出ましたが、これならだれもが納得できる。という解釈には至りませんでした。しかし、鑑賞者各々に考えることはあって、それぞれの解釈をしているようでした。私(春日)としては、「女性の姿を借りた、この夕暮れ時の、人々の暮らしを象徴した姿ではないか。」と伝えました。女性が、年齢的な事も考慮に入れると、この時刻にあって「焦っていない」ことから、生活を背負っていない存在と感じ、夕暮れ時をある意味のんびりと見過ごせている状況から、上記のように考えると伝えました。また、全体的な色調と、女性が身にまとった衣服から「秋」の夕暮れではないかと最後に伝えて、鑑賞会は終わりました。

 鑑賞会にふりかえりでは、話しやすい雰囲気でよかった。ゆっくり自分のペースでみることができた。言いたいときに言えるという、焦らなくてよいという安心感があった。という、ナビゲーターのナビの心地よさについての評価がありました。みるみるの会員以外は最大時3名と言う極小参加者による鑑賞会でしたが、人数の多寡に関係のない、この鑑賞の奥深さに気付いていただけ、また、自身の作品に対する見方の変化も好印象で、ナビゲーターをやってみたいという意欲につながったのが、大きな収穫でした。
 みるみるの会員として、ナビゲーターのスキルアップにつながることとして気付いたことは文中以外には以下の通りです。

房野さんのナビについて
○途中で、一名が参加し、右端の椅子に座ったのですが、その際の、ナビの立ち位置が、その方と絵を遮る位置にあったので、それは、最初の鑑賞者2名が、やや左寄りに居たので、ナビが、右に立って、その時は、問題なかったのですが、追加の参加者が右端に座っても、そのポジショニングが変わらなかったので、この鑑賞者にとって、右端が見づらかったのではないかと、感じました。
○不可思議な物が存在する、一見、暗い感じのする作品でしたが、共にみることで、深く考え、味わうことが出来ました。最初の見方が大きく変化していくよい作品を選ばれたと思います。


【みるみるの会からのお知らせ】
〇対話型鑑賞会のお知らせ
 「山光会創立70周年事業 第85回記念東光展巡回島根展」(7/31~8/5)
 島根県立美術館(ギャラリー全室)、料金800円

 東光展の巡回島根展にて、対話型鑑賞会をさせていただきます。
 ・8/3(土)14:00~15:00頃まで 
 ・島根県立美術館ギャラリーにて
 ・参加は無料ですが、東光展巡回島根展の入室料が必要です。

 共にみることで、深く考えたり、味わったりと楽しい時間をすごしてみませんか?
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浜田市世界こども美術館 『橋本弘安展』での鑑賞会レポート①です(2019,6,15開催)

2019-06-23 13:41:26 | 対話型鑑賞
浜田市世界こども美術館 『橋本弘安展』 【2019年6月1日(土)~7月7日(日)】
 
対話型鑑賞会 2019年6月15日(土)
作品: 「夢のお話」 1979年 日本画  168cm×215cm
鑑賞者:一般 2名~4名   会員1名
ナビゲーター:春日美由紀      レポート文責:房野伸枝

 今回はいつもとは違い、ナビゲーターとは別の立場でレポートをしようということになり、春日さんのナビの様子を房野がレポートいたします。

 当日は大雨警報の影響か、鑑賞者が少数でした。岩絵の具作りをしていたお父さんと小さな男の子に声をかけ、一般の方はそのお二人と、会員の房野という少人数での鑑賞会がスタート。 途中で男の子一人と女性が加わり、いつもとはかなり違うメンバー構成でした。
 作品は今回の展覧会のフライヤーに大きく印刷されていた「夢のお話」でした。まさに「こども美術館」にふさわしい、子どもやハト、地面の花、背景には緑の風景が描かれており、かわいらしさ、やさしさがあふれる作品です。けれど、どの子も裸で、白い建造物の中に座る子はリンゴを一つ持っていて、単なる人物画や風景画とは違う「象徴的なものを感じさせる作品」という印象を受けました。

 まず、春日さんは、参加してくれた男の子に「あなたは何歳?」と、年齢を尋ね、アイスブレークから始めました。・・・と私は単にそう感じていたのですが、実はこれ、鑑賞者の男の子にどれくらいの<経験値>があり、<語彙>がどれくらいで、鑑賞の<展開>をどのようにするか、どのような<解釈>を引き出せるか、という目算を立てるためのリサーチという意味があったのでした。後の反省会でそのことがわかり、春日さんがあの短い対話の中でそれを判断してナビをしていたということに、「そうだったのか!」と私は感心しきり・・・。
 男の子は保育園の年長さん。来年は小学校になるのを楽しみにしている活発なお子さんで、好奇心旺盛で前向きな様子がうかがえました。鑑賞会に誘った時も、お父さんよりお子さんの方が興味を示して参加してくれたようでした。少し躊躇されているお父さんでしたが、「参加は自由で、途中で終わってもいいんですよ。」との呼びかけにお二人で来てくださいました。

 「何が見えるかな?」という質問に男の子は「ハトがいる!」と即答。ナビが「どこに?」と返すと「えーっとね、あそことあそこと…」と指さして「11匹いる!」と答えてくれました。それをナビは「11羽だね。トリさんはいちわ、にわ、と言うよね。」と、日本語の正しい言い方にパラフレーズしました。子どもを対象にする際には特に「言葉」の使い方を丁寧にすることで、語彙の増加を促す効果があります。感じているけれど、うまく表現できないことを、ナビが適した言葉に言い換えて返すことで、子どもは自分の発言を受け止めてもらえているという満足感とともに「自分が感じたコレ(どう表せばいいかわからないコト)にはそういう言葉や表現ができるのだ」と学び、語彙や表現を増やすことにつながります。だからこそ「11匹」を「11羽」と訂正するという小さなこともきちんと春日さんは押さえているのですね。

 ナビは常に鑑賞者に寄り添って、鑑賞者の感じたことを受け止めつつ、解釈を深めていけるように導くことが肝心です。春日さんは目線を「小さな男の子」である鑑賞者の高さに合わせて、彼が理解しやすい平易な言葉を選び、彼の経験と作品が共鳴できるような共通項を示しながら対話を進めていました。このことが、鑑賞者に信頼感を与えて、話しやすい雰囲気を醸していたと思います。
 春日さんは今回の鑑賞者の構成や様子から今回は「見たモノ探し」を念頭に進めたとのことでしたが、意外にもメインのモチーフでもある「5人の子どもたち」についての言及がなかなかありませんでした。もしかしたら「子どもたちが裸である」ということが発言を躊躇させたのかもしれません。けれど、対話を進めているうちに、なにを言ってもいいということを感じ安心したのか、「男の子が3人、女の子が2人いるけど、みんな裸なのはおかしい」と言ってくれました。素直で素敵な気づきです。しかし、春日さんには「ここでこの子にとって『変な絵』というとらえで終りたくない。」という思いがあったとのことで、この男の子の人生経験の中から同じ体験はないのか、と質問しました。「保育園で水遊びとかして、濡れたらどうする?」には「裸になって着替える」との答え。「おうちでも裸になること、ないかな?」と投げかけると、「お風呂に入る時!」「お風呂はお父さんやお母さんと一緒に入るよ」という答えが返ってきました。ここで、秀逸だなあ~と感じた春日さんの質問が「そういう時って、どうかな?裸でも平気?」というもの。もちろん答えは「うん!」です。すかさず、「お家でお風呂に入るときは裸でも安心していて平気だよね。じゃあ、この絵の中の子たちはどうなんだろ?」「ここでは裸でいても安心していられるってことなんじゃないかなあ」と、春日さんは6歳の男の子の気づきや言葉から、この作品の解釈に通じる言葉を引き出したのでした。

 ここまで対話をしてきて男の子は満足できたのか、「もう終わる」といって鑑賞会から離れました。ナビはあらかじめ「自分のタイミングで参加する・しないを決めていいよ」と伝えていたので「ありがとうね」とお礼を言って、後から加わった別の男の子とも鑑賞を続けました。その子は「落ち着いている」「子どもたちの顔からそう思う」と言い、「この絵のようなところに自分も行ってみたい?」と聞くと「うん」ということでした。春日さんは男の子の横に座り、語り合いながら一緒に鑑賞を楽しんでいるようでした。子どもたちの言葉は拙くとも、この作品から平和で明るい要素を感じていることを表現していました。彼らの発達段階ではこれで十分だったのではないでしょうか。


 裸の子どもたちが自然豊かなところでハトや花に囲まれている様子は「ユートピア」「楽園」「平和」を想起させ、みる者にやさしく幸せな気持ちを抱かせます。中心にはリンゴを持った子どもが玉座のようなところに座っていますが、だからといってその子は特別な存在とは感じられないと男の子は言っていました。それに対して春日さんは「女の子が『ねえ、代わって』と言っているように見えるね。」ともパラフレーズしていました。他の子どもたちともいつでも交代することができるような公平な世界のように感じられたのは、どの子も一糸まとわぬ平等な姿で描かれているからでしょうか。
 アダムとエヴァは「知恵の木の実(=リンゴ)」を食べたために、楽園から追放されましたが、それは、大人が「知恵」を良からぬことにも利用してしまうからかもしれません。無垢な存在としての子どもは、リンゴを持っても追放されることはなく、リンゴを持ったからといってもその恩恵をひとり占めすることもなく…そんな世界を作者は「夢」「理想」として描きたかったのかもしれない、と私は感じたのでした。
 大人同士の鑑賞会であれば、そのような解釈も生まれるかもしれませんが、今回は子どもなりの発想で作品のエッセンスに迫ることができた鑑賞会だったと思います。それは、なにより春日さんのナビゲーションの巧みさゆえです。授業とは違い、美術館での鑑賞会はどのような方が居合わせるかわかりません。春日さんのようにどんな鑑賞者とでも対応できるナビを私も心がけたいと思いました。本当に勉強になりました。

 雨の中、鑑賞会に参加してくださった皆さま、一生懸命絵を見てお話してくれた男の子たち、本当にありがとうございました。次回、6月29日も同じ展覧会の作品で鑑賞会を行います。どんなお話になるか楽しみな作品がいっぱいです。どうぞ足をお運びください。


【みるみるの会からのお知らせ】

対話型鑑賞のつどい「 “みるみる”とみて話そう 」
今回のレポートと同じく「橋本弘安展」の作品について、語り合いながら鑑賞をします。

6月29日(土) 14:00~15:00 【5階 展示室】

〇当日自由にどなたでもご参加いただけます。
◆展覧会の観覧料が必要です
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安来市加納美術館 「画家加納莞蕾 大回顧展」での対話型鑑賞会の様子④をお届けします(2019,6,2開催)

2019-06-16 07:35:32 | 対話型鑑賞
加納莞蕾大回顧展 対話型鑑賞会 2019.6.2.Sat.

タイトル 「室内」 1930年 油彩
鑑賞者:一般 6名  美術館関係者 1名  会員1名
ナビゲーター:房野伸枝

 私がこの特別展に足を運んだのは今回が初めてでした。前回の鑑賞会で選ばれた2点の作品以外から今回の作品を選ぼうと、展示室をじっくりとみていきました。何しろ、鑑賞が深まるには作品選びが最も重要ですから。「何が描かれているのか?」「それには、どういう意味があるのだろう?」「これらのモチーフからどんな解釈が引き出せそうかな?」などなど、一人で自問自答しながら、何となく心に引っかかりがある作品を数点選び、その中から「室内」と題された人物画を選びました。人物画は誰にとっても親近感があり、話題にしやすいということが理由のひとつ。そして、この作品は窓に背を向けた男性が、逆光の中、ストーブのそばで足を組んで座っているポーズや、斜めに傾いて見えるカップ、曖昧な表情、など、一見くつろいでいるように見えるけれど、よく見ると微妙に違和感をもたせる作品であることが、選んだ決め手になりました。

 鑑賞会の直前に、加納莞蕾氏の四女であり、加納美術館名誉館長の加納佳代子さんから、「この絵はずっと手放さずに家にあったものです。他の作品はすぐに手放したのにねぇ」とお聞きしました。「小さい頃は立てかけてあったこの絵の周りでかくれんぼしたものです。」というお話は前回の鑑賞会の「かくれんぼと魚」という作品を彷彿とさせるほほえましいエピソードでした。この鑑賞会のどこかで紹介できたらいいなと思いつつ、鑑賞会を始めました。以下は鑑賞会の様子です。

<鑑賞会の内容>  
A~H 鑑賞者  
(ナ)ナビゲーターの発言(途中のパラフレーズは省略している部分あり)   
(学芸)学芸員の方からの情報提供

A 季節はいつかな、と思ってみると、ストーブの煙突が見えるところから、冬で、窓の外が白く見えるので雪景色。窓の内側が結露で曇っているけれど、中心部分だけ手でこすって外が見えるようになっている。
B 画面の半分に人物が斜めに配置されている。人物の前にテーブルを置くと半分の画面でよいのでは。
C 手が不自然に大きい。テーブルが小さくて斜めになっている。フォービズムの影響で不自然に描かれているのでは。壁の線が曲がっていたりしていることからもそう思う。
(ナ) 見たままというよりはディフォルメしているということでしょうか。(ここではあえてフォービズム(野獣派)には触れなかった。画壇の流派について今後も意見や質問が出て、解説が必要であれば、その時に触れようと思ったので。この場に重要性を感じない場合はスルーすることも必要だと判断した。)
C 深刻な話をしているのか、聞いているのか、わからないが、緊張感がある。
(ナ) どこから?(根拠が曖昧な意見へは「どこからそう思ったのか」を丁寧に聞くことを心がけた。)
C 目つきから。くつろいでいるようではない。別れ話のような、政治的に難しい話か、深刻な話をしている のでは。
D 私は口から。
(ナ) 口のどこから?
D 力が入っているのかな‥?いえ、私が勝手に考えたんです。
(ナ) いえ、いいんですよ。感じられたことをおっしゃってください。(Dさん、思わず口をついて出た意見だったけれど、気後れされたようなので、ナビが支援)口元がきゅっと結ばれているところからでしょうか? 
D はい、私にはそう見えました。
A 斜めの構図、背景が冬じゃないか、ということから、この人物を通して、莞蕾さんは何を表現したかったのかな、と考えると、他の作品をみてきたら、ここには戦争の絵もあって、この作品でも斜めの構図の人物に影が落としてあるようで、戦争の影が作品に影響して、冬の時代を表現されているのでは、と思う。
(ナ) なるほど。この作品が制作されたのは、1930年。第2次世界大戦の足音が聞こえ、不穏な空気が流れて、そういう時代背景が構図や冬ということに影を落としているのではないか、と感じたんですね。
C 着ている服が中国の服ではないか。
(ナ) どこから?
C 襟や、見えにくいけれど前のボタンのところとか。この時代に莞蕾さんが(中国に)行っていたかどうかはわからないが。
(ナ) それはどうなんでしょうか。私もわからないです。
D 満州移民のあった頃なんですかね?
(ナ) すみません、私もその辺の知識がなくて。・・・千葉さん、わかりますか?(学芸員の方にヘルプをお願いした。)
(学芸) 1930年は昭和5年なので、満州事変の1年前です。満州国はまだ作られていないです。
C 日本人は頻繁に行っていた時代ですよね。
(学芸) そうですね。大恐慌があって大変なことも・・・。
(ナ) 1929年が世界恐慌の年なので、社会的にも厳しい状況があったということですが、そういう時代背景があったとして、この作品の中から何か感じることがあれば、お願いします。(年代の情報を与えたことから作品を離れて、時代背景のことに話が流れていきつつあったので、これは、マズイ!と感じ、話題を作品に戻すことにした。)中国の服のような形をしているので、大陸に関係があったのでは、というご意見でしたが、その他にもこの作品の隅々までよくご覧になって、気づいたこと、発見したことがあれば、どうぞ。

E この人はハッピーなのか、ハッピーじゃないのか、ということを考えると、私にはこの人の表情がよくわからない。窓の外を見ると、この人がいる空間よりもいない空間の方が明るいので、ということはこの人はハッピーじゃないのではないかという印象を受けました。
F 私は真逆で、背中に光が当たっていて、暖かいほうに背を向けて、飲み物の器の中にも何も入っていないので、お茶も飲み終わり、外は寒いんだけれど、カップが乗っているのはテーブルじゃなく、椅子だと思うんだけれど、前のストーブが温めてくれて、午後の光が背中に注いで、お茶も飲み終わっているという、私はこの人はとてもリラックスしているんじゃないかと受け止めました。
C これが椅子だとしたらテーブルがないのか?
A テーブルを置くスペースがここにない、ということでは?  
C と、いうことは、狭いスペースで話し込んでいる。
(ナ) 話し込んでいる、というのはどこから?
C 目がこちらを見ているじゃないですか。見ているということは、こちらに別の人物がいるということではないか、手が大きいのはこの人が肉体労働をしている人で、労働問題について話をしているのでは。
G 表情がないので、そんなに厳しい話をしているようには私には思えない。私は、一人なんじゃないかと思う。ストーブに人も椅子も近すぎて、熱そう、燃えそうだな、と思うと、外が明るいので、屋根に雪が積もっているようには見えるけれどその周りが明るい色も使われているので、すごく厳しい冬というよりは春がくるのかな、と、ほのかに明るい期待をもたされて癒されるというか、静かで心が落ち着く気持ちになります。
(ナ) 人物のまわりに置かれているものや状況からこの人物の心情の読み取りができるではないか、というご意見でした。室内の暗さに比べて外の明るさや色などから、春へむかってぬるんできたように感じ、この人物の心情もリラックスしているような、ほっこりとまどろんでいるような(ここまで言って、しまった、「まどろむ」は失言だったと思いました。)
G まどろんでいるということではないです。
(ナ) はい。「まどろむ」は眠い感じなので、違いますね。すみません!
H 非常に質素な部屋だけど、いすなど頑丈で、食器などもがっちり作ってある。手ががっちりしているので、全体としてどっしりとした、量感をうけ、上の明るい色と下の暗い色とで色の軽重がつけてある。
E イスに深く座っている態勢で、落ち着いている感じ。リラックスしている。
G 人物の構図が斜めといっても、頭を頂点に三角形の構図で、安定感を感じるし、量感を感じる。よく考えて描かれているけれど、色面でシンプルに表現している。何か、やり遂げて、コーヒーブレイク、というか、一人で思いふけっているのでは。
(ナ) ピラミッド型の構図と、色面で上は明るく、軽く、下は暗く量感を感じさせるということから落ち着いた雰囲気を醸しているという意見でした。いろんな意見が出ましたね。
C労働者階級といっても、顔はそう見えない。相談役、のような雰囲気。深刻な話も解決してひと仕事終えてホッとしているのかな。
(ナ) ひと仕事終えてホッとしているというのはどこから?
C外の明るさや春が近づいている、ということから。ストーブもガンガン焚いていないのかも。
(ナ) 緊張感がある、という話から始まりましたが、いろんなところを見ていくと、落ち着いた静かな気持ちで、冬から春に近づいて少しずつ明るくなって、構図や色からリラックスしているように感じる、という意見に変わってきたように思います。
私自身はこの作品をシンプルな絵なんだけれどほっこりするように感じたり、逆に不安定な感じがするのはどうしてなんだろうと思いながらみてきましたが、皆さんのご意見を聞いて、それぞれにいろんな見方があるなとわかり、楽しかったです。ありがとうございました。


<ふりかえり>
〇鑑賞者から
・相反する意見が出た鑑賞会は初めてだったが、それぞれが自由に話せる雰囲気があった。
・作品をみるとき、時代背景を知ったうえで見るほうがいいのか、そうではなく、先入観を持たずに見るほうがいいのか?
→どちらもあり得るが、知識や情報が作品とは関係なく独り歩きするようではよくない。今回、そうなりそうな場面があったので、作品に戻すことを心がけた。
・時代背景から作品に話を戻したのは良かった。
・莞蕾のこの時代の絵はあまり描きこまれておらず、表情が曖昧だが、見るものに任せているような作品が多い。
・この作品が描かれたころの作者は25歳で3児の父。前年までは東京に住んでいて、まだ東京で勉強したくても地元に帰らなくてはならなかった頃。悩みもあったのだろう。それで、その重い気持ちが三角形の構図の下の暗い色に反映されているのでは。明るい窓の外に背を向けて暗い室内に向いているのも、内省しているように感じる。
・不自然にモチーフが狭い空間に詰め込まれて描かれているのも、作者の心情を表しているのかもしれない。地元で悶々としている心情が、外の世界に背を向けて狭い空間に身を置いている様子に込められているのかもしれない。

〇ナビゲーターとして
 自分が「落ち着いた雰囲気」「思いにふけっている」と感じていた作品に対して、「緊張感」「戦争」「労働問題」のように、相反する意見が出たことで最初は戸惑いがありました。けれど、そういう時こそ「どこからそう思いましたか?」と丁寧に根拠を尋ねてパラフレーズすることで、それぞれの鑑賞者の感じていることを拾い上げることができたのではないかと思います。この作品も曖昧な表現や一見違和感を覚える作品だからこそ、様々な感じ方ができる多義性のある作品なのだとわかりました。どの意見もまずは受け止め、そうするうちに鑑賞者同士の化学反応で鑑賞者Cさんのように見方が変わっていったのは興味深かったです。
 途中、鑑賞者の思いとは違うパラフレーズをしてしまい、「まどろんでいる」といった瞬間、慌てて訂正する場面がありました。しっかり聞き取ることの大切さが身に沁みました。
また、情報を考慮しながらも、作品そのものの中に根拠を見つけ、解釈していくことの大切さを実感することができました。鑑賞者の質問に答えられない場面は学芸員の方に助けていただきました。そこで得た情報をどう生かしていくかも、ナビゲーターの力量にかかっています。また、せっかく作品に関する加納館長さんのエピソードを伝え忘れていたことは本当に残念!あれを伝えることで、「ずっとそばに置いていたということは思い入れの強い、大切な作品なのではないか」という、「そこからどう思う?」というさらに深い解釈へのヒントになったかもしれません。
 鑑賞後の反省会の中で、さらに解釈が深まる瞬間があり、対話することでさらに作品の見方が変わる、という体験を重ねることができました。そのような体験を鑑賞会の中でも展開することができたら、もっと深い解釈ができたのでは、とナビの力不足を感じます。これは次への目標とします!
 参加してくださった方々、反省会にお付き合いくださった方々、本当にありがとうございました。


【みるみるの会からのお知らせ】
浜田市世界こども美術館「橋本弘安展」にて鑑賞会を行います。

対話型鑑賞のつどい「 “みるみる”とみて話そう 」

6月29日(土) 14:00~15:00 【5階 展示室】
展覧会の作品について、語り合いながら鑑賞します。

〇当日自由にどなたでもご参加いただけます。
◆展覧会の観覧料が必要です

対話することで解釈が深まったり、作品の見方が変わったりするかも!こども美術館で、みるみるメンバーと一緒に体験してみませんか。
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安来市加納美術館 画家加納莞蕾 大回顧展での対話型鑑賞会の様子③をお届けします(2019,6,2開催)

2019-06-09 11:02:14 | 対話型鑑賞
加納莞蕾大回顧展 対話型鑑賞会 2019.6.2.Sat.
河岸 1933年 
鑑賞者 10名
ナビゲーター:春日美由紀

 A室に展示されているこの作品は100号ほどの大きさがあり、大作です。参加者が10名を超えると予想されたので、大きな作品の方が「みて語る」のに相応しいと考えて選びました。今回2回目の対話型鑑賞会だったので、2Fにある墨画も視野に入れていましたが、この日は団体の来館者が多く、大人数の鑑賞者が2Fまで移動するリスクを回避し、1作品目と同じ展示室にあるこの作品にしました。また、1作品目が「人物」が描かれているものなので、2作品目は「風景画」と描く対象物の異なる作品にしました。

 画像をご覧いただければお分かりのように、断崖のある海岸風景です。太い筆で一見大胆に描かれているようにみえるこの作品から鑑賞者の皆さんはどんなことを語ってくださるのか、楽しみに鑑賞会を始めました。

  最初にじっくりとみていただき、その後、作品から受けた印象や感じたこと、考えたことを自由に話していただくよう、声をかけました。
「勢いがある」タッチの大胆さから。
「色づかいのコントラスト、赤茶と緑」エネルギーを感じる。力強さ。補色配色から。
「崖の勢いと海の繊細さの対比」タッチの違い。海は丁寧に塗り重ねられている。
「構図が循環している」崖から湾のカーブのラインまでが連続してみえる。
など、描かれ方や色づかいから、力強さや勢い、エネルギーを感じる発言が出ました。
 また、そこから
 「季節はいつなのか?」
 「湾の奥にある白く四角く塗られているものは何なのか?」
 「崖の上の黒い四角く見えるものは何なのか?」
 などの疑問も生まれました。
 そこで、皆さんなりの見解をお話ししていただきました。
 
季節は
 「色(緑・赤茶・黄色)から秋」
 「家の屋根が白いから、冬」
 「でも、屋根が白くて、冬みたいだけど、海の色は冬っぽくない」
 「初冬?秋の終わりから、冬の初め。風が強くて、雪は吹き飛ばされている」
 などの意見が出ました。そんな中
 「特定の季節の場面を描いたものでは無いのではないか。」という意見が出ました。「この絵を描いた画家は、この景色が好きで、描いていたら、画家のイメージの中にある風景になったのではないか。だから、春夏秋冬が混在しているようにもみえるのでは?」という意見で、この発言を聴いた、他の鑑賞者が「なんだか、もやもやして、自分の中で、この景色について統合できずにいたけれど、今の話を聞いて、何だか胸のつかえが下りたようで、すっきりした。」という発言が出ました。

湾の奥の白く塗られているものは何なのか?
「船小屋」
「人家」
などの意見が出されましたが、ナビ(※1)の確認があいまいで、特定しきれなかったのが悔やまれます。キャプションには「河岸」とあるので、「人家」ではなく「船小屋」だったかもしれませんし、「人家」も「船小屋」もあったのかも知れません。鑑賞者の皆さんがどのように考えていたのかをフォーカシング(※2)(焦点化)して鑑賞し、確認していく過程を怠ったのはナビの不手際と反省するところです。
※1 ナビゲーターの省略。以下同様に表記。
※2 一か所にスポットライトを当てたように、そこをみんなでみていくこと。

崖の上の黒い四角のようにみえるものは何なのか?
「向こうにも入り江があって、崖がある。」という山陰海岸独特の地形として捉えた発言が出ました。この意見に同調する方もいらっしゃいました。
「お気に入りの風景を遊び心も加えながら描いたのではないか?作品として完成させていくにあたって、全体のバランスを見ながら、あそこに何かあった方が落ち着くといった感じで描いてみたのではないか。」
という意見も出ました。
 また、この時には出なかったのですが
 「描かれた時期が、太平洋戦争に突入する前だったので、日本海の守りも大事だったと思うので、監視施設のようなものがあったのではないか?あまりにきれいな四角形なので、建物のようにみえる。」
という意見もありました。

 最後に、ナビも鑑賞者の一人として、自分の考えたこと「自然の大きな力と、そこにささやかに暮らしているであろう人々の家々を、雲間から差す一筋の光が照らしていることから、この光景を、画家が好ましく感じていたように思います。」と話して締めくくりました。

振り返り
参加者の感想
〇鑑賞する側が、それぞれに自分なりの見方で、こう見える、実はこうではないか?とか、これは何を意味するものなのか?とか、自分の思いや疑問を自由に話したり、また別の人の考えを聞いたりと、決めつけのない自由な対話をすることで、お互いが自分にない見方や思いを学べる実に画期的な鑑賞会でした。なるほど!!と感心しきり。これは、癖になりそうです。
〇描かれているものから受け取るイメージが、誰も大きくブレることはなかったので、そのことについて自由に話すことができました。
〇自分がモヤモヤしていた時、ほかの人の発言(意見)で、スッキリできて、こういう鑑賞もよいなと思いました。
○風景画からあそこまで各自が思い思いに解釈をできたのは、話しやすいムード作りや、作品の「フォーヴィズム(※3)(野獣派)」に呼応するようなナビのジェスチャーが効果的だったのでは?と思います。端的にいえば、楽しく、迫力のあるナビだったと思います。解釈を深める「そこからどう思う?」については、最後にナビ自身の解釈を述べたことが、鑑賞者が色々出した意見を深めるパラフレーズとなっていたと思います。
※3 20世紀初頭の絵画運動のひとつ。フォーヴィズム(野獣派)。1905年、パリのサロン・ドートンヌに出品された一群の作品の、原色を多用した強烈な色彩と激しいタッチから「あたかも野獣(フォーヴ)の檻の中にいるようだ。」と批評家ルイ・ボークセルが評したことから命名された。

ナビ自身の振り返り
〇白いものは何か?について、「人家」「船小屋」などの意見が出た時に、フォーカシングして確認できなかったのは、本当に残念でした。
〇意見が、次から次へと出たので、フォーカシング(焦点化)したり小まとめしたりのタイミングを逃してしまったので、対話が散漫になったような気がしています。大きな絵だったので、背景からみて、空の様子や、海の様子、陸にあるものについて、など、区分けしながらよくみていくと、また違った解釈が生まれたかもしれません。そこが、ナビとして不十分だったかな?と悔やまれるところです。
しかし、参加してくださった皆様に1回以上、語っていただけたことは、この鑑賞会のめざすところで、何よりの収穫でした。
 参加いただきました皆様、ありがとうございました。
 次回の加納美術館での実践は安部さんの人形展です。お楽しみに!!


【みるみるの会からのお知らせ】
浜田市世界こども美術館「橋本弘安展」にて鑑賞会を行います。

対話型鑑賞のつどい「 “みるみる”とみて話そう 」

6月15日(土)、29日(土) 14:00~15:00 【5階 展示室】
展覧会の作品について、語り合いながら鑑賞します。

〇当日自由にどなたでもご参加いただけます。
◆展覧会の観覧料が必要です

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