みるみるの会 12月例会(オンライン開催) レポート
津室和彦
日時:12月12日(土)
13:30~ Zoom接続確認・打ち合わせ
14:20~14:50実践
作品:「アトリエの芸術家」 19世紀初頭 テオドール・ジェリコー(帰属)
ナビゲーター:津室
進行:房野さん
ホスト:春日さん
参加者:上記3名の他7名 計10名 (みるみる会員1名,津室紹介の2名,春日さん紹介の3名,ACOP道場を運営しているちょなんさんの10名でした。
みるみるの会として,第1回目のオンライン例会でした。オンライン鑑賞会を数多く経験しているメンバーの春日さん,房野さん,さらにはACOP道場を運営しているちょなんさんや全国の多様な方々を鑑賞者として迎え,ナビをさせていただく大変貴重な機会となりました。
何度やっても反省点だらけのナビゲーションですが,今回もまた大いに凹みました。だからこそ挑戦しがいがあるのですが・・・。
作品の特性とナビの方向性,オンラインならではのナビの留意点についてなど,考えたことを述べます。
① 鑑賞者firstというナビとしての姿勢
② 作品の情報とその扱い
③ オンライン開催におけるナビの留意点
① 鑑賞者firstというナビとしての姿勢
一番の反省は,鑑賞者の思考を第一に,全員の思考を丁寧に問い,理解していこうとするナビの姿勢です。今回,私は,描かれた人物について早い段階で「作家の自画像でしょうか,それともモデルを描いたものでしょうか。」と絞って問うてしまいました。参加者9名の中には,ほかの考えもあるという前提に立ち,もっと広く考えを引き出す必要がありました。「二つの見方が示されましたが,ほかの意見はありませんか。」とまずは問うべきでした。ナビとしては,この二項対立をきっかけにしてさらに深くみて,考えてもらえるのではないかとそのとき考えていました。しかし,いきなりナビが二項を示すことはその後の思考に大きく影響を与えるという認識が必要で,これは甘い対応と言わざるを得ません。9名全員の発言を待ったり,自画像・モデル・それ以外の可能性を語ってもらえるよう粘り強く働きかけたりするべきだったと思います。その結果として,皆さんの思考が二項に絞られた場合であれば,そこを踏まえてナビが問いを発することはあり得るのでしょうが。
解釈の多様性を保障するには,発言として発現した言葉以外の可能性,参加者の内言を活性化させ発言につないでいかなければいけません。これはつまり,鑑賞者firstでナビをするということで,ナビとしての根本的な心構えにやはりつながります。
今回は,鑑賞者の力量の高さによって,その後自画像・様々な可能性のあるモデルと多様な考えが共有されましたが,これはナビゲーションによるものではなかったかもしれません。
出てきた考えをまとめてみます。
○作家自身を描いている
・人物の周りにあるものが,パレット,石膏像,髑髏などであり,画家という生業を表している 髑髏やデスマスクのような石膏像はヴァニタス画的
・壁と天井の境目の造作や椅子以外の家具等もないことから,屋根裏部屋などのアトリエではないか
・頑張っているけど売れない画家である自分を自虐的に描いているので,虚ろで生気が感じられない メランコリック
○モデルである
・画家にしては服装が整いすぎている 画家なら作業に適した服装だろう
・こちらにまっすぐ目を向け正対しているところから,友人等描き手と近しい人物だろう
・表情が怖いことと裕福そうな服装から,(借金等の)取り立て屋ではないか
・服装が整っていることと,筋肉質な体から,出征前の兵士ではないか
・兵士だとしたら,髑髏や苦悶しているようなマスクは,死を連想させる また,手前左の像は軍神マルスではないか
・現存している人物ではなく,例えば後ろの髑髏に肉付けを施したような,死者の生前の姿を描いているのではないかとも考えられる
② 作品の情報とその扱い
タイトルから読み取れるように,一応は画家の自画像であるという位置づけです。しかし,展覧会カタログの解説によるとモデルと作者が一致するかどうかは研究者の間でも様々な議論があり,見解は一致していないということです。
情報として示すならば,鑑賞者が作中の人物について様々に語り,膠着状態になったときに,「タイトルからは自画像と読めますが,研究者の間でも意見が分かれていて,みなさんと同じように惑わされる作品なのですね。さらに,作者についても,サインの研究などから所蔵しているルーブル美術館では,『テオドール・ジェリコー(帰属)』という表現としています。」と伝えればよかったと思っています。
③ オンライン開催におけるナビの留意点
鑑賞者firstの姿勢は,オンラインという鑑賞会の形態でも大切です。対面との大きな違いは,参加者の表情がリアルには見られないことで,このことを踏まえた注意が必要です。使用している機器や環境によって,ある人の顔は見えるけれどある人は見えないという状況が生じます。環境設定は致し方ないとして,ここでもなるべく見落とさない工夫や配慮は大切であると感じました。誰かの話を聞きながら同時にパソコンの操作をして,ほかの参加者の表情を読み取ることは大変難しいです。けれでも,自分の環境設定と,ナビゲーションの進行状況の中で,リアルの場と同様に鑑賞者に気を配ることができるようになる心構えが必要だと感じました。
また,今回ナビゲーターとして,共有している画像を,拡大・復元・書き込みによるポインティングなどいじりすぎてしまい,鑑賞者を不快にさせてしまったと反省しています。自分が鑑賞者として関わったオンライン研修でもこのようなもどかしさを体験済みだったにも関わらず,初めてネット上で集う人たちに対しての余計な配慮が先に立ち,過剰な操作をしてしまいました。
美術館での実物を前にしてのナビや,プロジェクター等で大きく映している場合を想定してみると,自ずとわかる問題でした。このような場合,鑑賞者は各自好きなタイミングで作品に寄ったり離れたりしますし,気になる部分を注視することもあります。つまり,同じ場にはいますが,鑑賞者の行動はあくまで自由なのです。
ところが,オンラインで共有している者が操作をすると,鑑賞者の操作とかぶってしまい,鑑賞者にとって不自由になる,それで快適な鑑賞ができなくなってしまうのですね。皆さんにご指摘いただいたように,ナビの操作はポインターで示すか作品の半分程度を大まかに示す位にとどめておいた方がよさそうです。また,「拡大しますね。」などの声かけをしてから操作すれば,鑑賞者も構えができてよいというアドバイスもいただきました。
日頃,勤務先の小学生といっしょに対話型鑑賞を行うときには,大型のタッチセンサー式液晶ディスプレイに画像を映しています。これはA1サイズくらいには作品を示せますが,細部は拡大した方がよいこともあるので,発言に合わせてナビがピンチで拡大・縮小を行います。ただし,全体像が見える状態にその都度戻しています。この場合は,鑑賞者はその場に集まってはいても,作品はバーチャルなので,リアルな美術館での鑑賞とオンラインとの中間のようなイメージです。子供たちは,拡大してほしければ「大きくして」戻してほしければ「元にもどして」とナビに伝えます。このことから考えてみても,やはり,みることの主役は鑑賞者なのだと,当たり前の事ですが,わかります。
自分を振り返り,次に生かす対策と努力が必要だと,今回も学ばせてもらいました。オンライン開催などの環境の変化はあれど,鑑賞者firstをとにかく肝に銘じ,そこをベースに臨機応変に対応しなければなりません。もともとギャラリーでも投影画像でもオンラインでも,鑑賞は生き物なので,基本姿勢を大切にしていきたいと思います。