ART COMMUNICATION IN SHIMANE みるみるの会の活動報告

島根の美術教育関係者が集まって立ち上げた対話型鑑賞の普及に努める「みるみるの会」の活動情報をお知らせするブログです。

12月 鑑賞例会のレポートが届きました!

2016-12-30 22:08:01 | 対話型鑑賞
12月17日 浜田市世界こども美術館での鑑賞例会のレポートが、津室さんから届きました!


作品「にわか雨」ルイ・レオポール・ボワイ 1804年頃
参加者:6名  ナビゲーター:津室和彦

 作中の人物が多く,それぞれの人物に対応して鑑賞者は多くのことを考えられる作品だと思い,この作品を取り上げました。発言は活発でしたが,ナビとしてはスッキリとまとめられず,苦しい展開となりました。

トークの概要
◇傘が描かれていることから,雨が降り出したか降った後である
◇画面の中央あたりに固まっている人物は,身なりがよく,いわゆる富裕層ではないか
◇これらの人物には日が差し,ハイライト的に目立っている
◇場面は,18~19世紀頃のフランスではないか
◇相対的に周りの人物は,庶民的な服装である
◇身なりのよい一団は,家族のように見える
◇一団の背後に,御者か護衛のような人物がいることから,裕福であるのみならず,身分が高いのではないか
◇しかし,身分が高いとすると,雑多な下町の雰囲気があるここにいることは場違いな感じがする
◇場違いだとすると,この家族は,何かよほどのっぴきならない状況にあるのではないか たとえば,夜逃げや突然の災害など・・・
◇白いドレスの女性が持っている緑の包みの中には,たとえば全財産のような相当な金品があるのではないか
◇左端の手をさしのべた人物と,黒いシルクハットの男性の仕草・視線が気になる
◇帽子の男性の視線の先で,何かが起こっているのではないか
◇家族が乗っている,車輪のついた板のようなものが気になる
◇桟橋かなにかで,画面の手前には,海か川があるのではないか

 ナビとして,考えていたのは,主に以下の4点でした。
①発言をそのままなぞるのではなく,できるだけ何らかの言い換えをするよう心がけること
 これまで,トークの参加者として,他のメンバーのナビをみていて学んだことを生かそうと考えていました。
 発言者の言葉と重ならず,それでいてうまく言い換えられた言葉は,オリジナルの言葉と相まって,参加者の思考をより活性化すると思うからです。

②発言・聴き合いのテンポを損なわないよう,ナビゲーターの発言時間をできるだけ短くすること
 現実にはなかなか難しかったです。根拠を丁寧に問うことや言い換えをしようとすることは,ナビゲーターの発言時間を短縮することとは相反してしまうからです。殊更にテンポアップしようとする考え方自体に問題があったのだろうと思います。

③発言を共感的に受け止めること
 元々少人数でリラックスした雰囲気でしたが,参加者が安心して自分の考えを述べられるように,うなずきや相づちを返すようにしました。

④作品に関する情報を,いつ,どこで,どのように提供するか
 服装から,18~19世紀でフランスかヨーロッパではないかという発言が出た時点で,「そうなんです。19世紀初頭のパリを描いた作品です。」と伝えれば,すっきりと次の思考に移れたのではないかという指摘を振り返りの時間にいただきました。上記の発言は,既にピンポイントで作品の背景を言い当てているわけだから,すぐに情報を開示すべきだったと反省しています。開示せずに,他の参加者の意見を求めるなどして引っ張っればさらに考えさせられる発言が出てきたかというと,疑問だからです。
 裕福な身なりの家族が乗っている板についても,桟橋や乗り物だという考えも示されました。この点は,考え続けても判断ができない内容だったので,ここでも「当時のパリは,舗装もされてなく,一雨で通りはひどいぬかるみになったそうです。そのため,貧しい人の中には,ぬかるみを避ける板などを敷き通行料を得る者もいたそうです。」と情報を示すオプションがあったかもしれません。その上で,家族と板の持ち主とのやりとりを解釈していくようにすれば,人物の視線や表情等をよりよくみていけたとも思えます。
 当時の風俗画であるという事実も大きな情報であるという指摘もいただきました。多分に富裕層への風刺も込められているという視点でみていくと,この絵の場違いな印象も理解できるという発言には,大変納得させられました。情報は,描かれているモチーフそのものだけでなく,その作品を描くにあたっての画家の立場や思想を考える手がかりにもなるということですね。
 

 今回のトーク・ナビについて,以上のように振り返りました。しかし,これは,あくまでこの作品とこのメンバーの間でおこったことであり,決して一般化されるものではないということも確認しておきたいと思います。
 情報の示し方は,トークの参加者の知識・経験や,そこまでのトークの流れなどによって,まったく異なってくることをナビゲーターは承知しておく必要があると思います。
今回,参加者は全員このような形でのトークについての豊富な経験と美術・美術史への関心や知識を持っていました。このことは,いきなり「19世紀のフランス」という見解が出てきたことでもわかります。作品からの読み取りや解釈が多彩になされ,ナビとしては個性的な発言をどうまとめるかに苦心しましたが,前述のように,このような集団だからこそ,情報を示すことで自ずと参加者の考えがまとまっていったのではないかとも考えられます。
 筆者は,以前,小学校6年生を対象に本作品をナビゲートをした経験がありますが,,当然,この度の発言とは違う展開となりました。作品に描かれているひとつひとつのモチーフを児童は熱心に見つけ出しては発表しました。しかし,小学生が19世紀のパリの様子を知るはずもなく,描かれた人物の風体や表情からくる違和感を訴える発言が相次ぎました。そこで,ふみ板の商売の話を示すと,そこからまた人物同士の会話を盛んに想像して語りはじめたのでした。
 今回のトークでは,参加者の力量を知っているが故に情報を示すのが遅れたという側面もあります。

 作品やトークの流れによっては,情報を示さない方が良いとナビが判断することも当然あり得ます。
トークは生き物で,ナビも生き物。同じ作品でもみる人,ナビする人によって微妙に違うトークとなるからこそ,おもしろく価値あるものだと思います。よりよい時間を参加者と共有するために,これからも研鑽を積みたいと思いました。



2017年のみるみるの会は、1月8日(日)14:00~益田市の島根県立石見美術館での「みるみると見てみる?」で活動をスタートします。
津室さんの言葉のとおり、トークもナビも生き物です!
みるみるメンバーと石見美術館の素敵な作品と、一期一会の時間を共有しませんか?

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愛媛県の先生の授業を参観してきました!!その2(中学校 美術科)

2016-12-26 22:14:12 | 対話型鑑賞
愛媛県で取り組んでいる事業にみるみるの会も協力しています。
愛媛県の先生方の授業を参観したレポート(その2)をお届けします!


平成28年度地域の核となる美術館・博物館支援事業
児童・生徒の「思考力」を育むファシリテーター育成事業

「見て、考えて、話して、聴いて」  2年2組 是澤充広教諭 美術科(鑑賞)レポート
2016年11月21日(月)9:40~10:30 西予市立野村中学校 2年2組教室


島根県出雲市立浜山中学校 教頭 春日美由紀
(愛媛県美術館・博物館・小中学校共働による人材育成事業②参与観察調査者)



 早起きをしたその日の朝、車は高速道路を一路南予地区へと向かっていた。愛媛の地理に不案内な私は靄に包まれた山間の風景を眺めながら、「南予って海じゃないの?」という疑問が頭をもたげ、「ずいぶんな山間ですね。海は無いのですか?」と訊ねると「西予は盆地です。ちょっと高原に近い感じなので、冬には雪も積もります。海は昼から行く宇和島方面ですね。」という答えが返ってきて、愛媛の温暖というイメージが間違っていることに気付いた。そういえば四国最高峰の石鎚山もあり、四国山脈があるのだから、高原もあれば雪も降るだろうと思い至った。そうこうしているうちに車は目的地である野村中学校に到着した。


 
 野村中学校はグランドが天然芝に覆われて眼にも鮮やかなグリーンだった。冬芝に植え替えたばかりだという。高地のせいか幾分肌寒さを感じる。通された控室の隣の教室からは1時間目の授業を受ける生徒の声が響いていた。2時間目は2年2組の教室で授業があるとのことで早めに向かった。廊下ですれ違う生徒や教室にいる生徒誰もが「こんにちは。」と明るい声であいさつをしてくれる。校舎の外観はやや古びた感が否めないが、教室は明るく清潔で整理整頓が行き届いていた。また、ICT環境が整っており、短焦点プロジェクターが黒板のマグネットタイプのスクリーンに画像を投影していた。この画像は教師の手元にあるタブレットでの操作が可能で授業中の生徒の発言をスクリーン上に反映させることができ、今回の授業でも有効に機能していた。



 さて、チャイムが鳴り、2時間目の授業が始まった。複数人の校外の大人が見守る中で授業を受ける生徒は緊張していたと思うが、誰より緊張していたのは授業者の是澤先生だったようである(後談)。始めに本時の授業の内容について触れ、「黙ってみる」ことを約束させてから作品をスクリーンに投影した。作品はピカソの《ゲルニカ》。黒板に貼られたスクリーンのため画像の大きさには限界があり、後席の生徒からは細かい描写がみえにくいのではないかと懸念していたところ「移動して、前に出てきてみてもいいですよ。」という教師の声掛けがあり、多くの生徒が前に移動して作品をじっくりとみることができた。生徒は教師の指示通り私語することなく静かにみていた。「たっぷりみれたら、席に戻っていいですよ。」という声掛けでしばらくして総ての生徒が自席に戻った。
 さあ、ここからが対話型鑑賞である。先生の初句は何か?(実際、どう問いかけて始めるかというのは重要である。この問いかけにより生徒の手が挙がるか否かで、教師のこの鑑賞に対する不安な気持ちを拭い去れるか増長させられるかの分かれ目となるからである。)と期待していたところ「どんなものがみつけれましたか?(正しくはみつけられましたか?であろう)」という問いかけで始まった。バラバラと手が挙がる(ほぼ男子生徒)。折れた剣を持った人、牛、馬、荷馬車、みつけたものを挙げていく。その中で「牛」と出た時に「どうして牛にみえたの?」と根拠を問う投げかけが是澤先生から出され、「耳があって、角があるから・・・。」と描かれているものの中に根拠を示す発言がなされた。ただ、これ以外のみつけたものに対して根拠を問う「どこから?」という確認が曖昧なのが気になった。個の生徒の発言に対する教師の理解はなされていても、個の生徒以外の他の生徒の納得が得られているのかを確認していくうえでも「どこから?」と問うことはとても重要であると考える。多くのみつけたものにたいして面倒ではあるが根拠を繰り返して問う中で確認がなされその後の作品の読み取りにつながっていくからである。しかし、生徒は、級友の発言を概ね認め、各自でストーリーを紡ぎ始めていた。教師はもっと「新しいみえ方」や「発見」はないかと、よくみて考えることを促し、生徒の発言を認め、励ましていた。当初の発言は男子に偏っていたが、女子生徒の中にもうなずく姿がみられ、教師の受容的な態度に後押しされて、女子生徒からの発言も出てくるようになってきた。その時男子生徒から「上の方にケーキがある。」という発言があり、「それは、どこから?(今回初の根拠を問う投げかけ)」と問うと「丸いのがケーキで上にイチゴが載っている。」と答えた。このものにたいしては「ひらめいたときにピカッと光るマーク。」と話す生徒や「低い位置にある太陽」と話す生徒も出た。また、下方に花が描かれているのに気づく発言もあり、その後の「花は本当は何色なのだろう?」という教師の問いかけにつながっていく。中盤に「原爆の図」(作・丸木伊里:俊)を挟み込んで鑑賞することで鑑賞している作品と戦争を結び付けようとする教師の意図がみられたが、比較してみるという効果は期待ほどではなかったように思う。それより、生徒はゲルニカに惹かれ、よく「みて」「考える」ことを展開していた。終盤になってある生徒から「いろんなものをパーツを合わせて描いている。模様が似ていたりするところが。組み合わせて描いているのか?リアルに描かないことでいろんなことが考えられる。悲しい感じもするが、いろんなところをみるうちに楽しくなる、面白くなる、いろんなみえ方ができる。」という興味深い発言が出た。これはキュビズムというものを絵をよくみることで感じ取った発言かも知れないし、描かれているものが多様であることや描かれているものをみて感じる思いが多様であることに気付いた発言ともとれる非常に重みのある内容ではなかったかと思う。この発言がわずか1回の対話型鑑賞で発せられたことを大切にしていかなければならない。

 是澤先生は、授業後の自評で
 ・いろんな意見が出てきた。こんな風に意見が出てくるとは思わなかった。
 ・時間が足りないくらいだった。
 ・限られた生徒からではあったが、たくさん意見が出た。
 ・うれしかったし、驚いた。
と話され、対話型鑑賞に対する不安がいくらか和らいだようだった。ただ、作品に関する一般常識的な解釈から外れることとして、上方に描かれたランプが誕生日ケーキで終わってはまずいと感じられていたようだし、知識を与えないことにも不安を感じているようだった。しかし、戦争の悲惨さを描いた作品ではあるが、生徒の発言からは、白という色に「明るさ」を感じていたり、ろうそくの灯りに「希望の光」を見出したりもしていた。戦争がもたらす「死」は暗く不幸な出来事ではあるが、「希望の」「明るさ」も秘めていると捉えられるこの作品には「再生」「誕生」の意味も込められていると捉えれば誕生日ケーキと解釈したとしても許されるのではないだろうか。



 生徒は最後の振り返りのワークシートの記述に真剣に取り組んでいた。どんな記述がなされているのかが楽しみなところである。評価の研修会で生徒の記述をみさせていただきたいと思う。
 協議の最後に「滅茶苦茶緊張しました。こんなに緊張するのは新採以来だと思います。」と正直な心情を吐露されたが、授業の初めに生徒に向かって緊張している自分を自己開示されていた姿からもありのままの自然体で普段から生徒に接しておられることが伝わり、情感豊かな是澤先生の人柄に触れている生徒は今日の初めての対話型鑑賞の授業でも安心して発言することができたのだなと得心することができた。
 最後に、生徒を信頼し、生徒とともに対話を楽しみながら「みる・考える・話す・聴く」活動を愛媛の推進教員として今後も取り組んでいってほしいと願う。
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ACOPオーディションのレポートが房野さんから届きました!

2016-12-18 13:34:19 | 対話型鑑賞
12月3日、京都造形芸術大学 ACOP オーディションに参加させていただきました!
今回は愛媛県美術館の鈴木さん、みるみるの春日さん、金谷さん、房野、の4人です。

近年、師走に入ってすぐの週末、ACOPオーディションに行くことを楽しみにしています。この時期は京都造形芸術大学のアートプロデュース学科の必修科目としてACOP(Art Communication Project)の「鑑賞会」が行われます。この鑑賞会のナビゲーターとなるには、オーディションを通過しなくてはなりません。鑑賞者という「お客様」を「リッチな対話」でおもてなしをし、満足させられるだけのスキルを身につけていることがオーディション合格につながります。
これは大学生にとってはかなりのハードルです(大学生のみならず、ナビゲーターを務めるとなると、もちろん私たちにとっても)。皆、子どもの頃からゲストとしてサービスを享受することには慣れていても、ホストとしてサービスする側の経験はあまりないですから。芸術をはじめ、様々な知識はもとより、語彙力、他者理解力、礼儀、などなど高度なコミュニケーション能力が問われるのです。私たちが教室に入って、学生さんたちに紹介をしていただくそばから「こちらが立って挨拶してんのに、なんや、座ったままで!そんなんやから上手くいかへんねん!」と、さっそく学科長の福のり子先生の𠮟咤が飛び、慌てて立つ大学生。う~む…なるほど。

7~8名の学生さんたちを鑑賞者に、ナビゲーターが画像を前に対話型鑑賞を行います。飛び入りの私たちも一緒に鑑賞者に混ぜてもらいました。何度か通ううちに、おなじみの作品も多いのですが、毎回同じ対話の流れになることはなく、いつも新鮮な驚きに出会えます。房野は鈴木さんと一緒に、あるグループに参加しましたが、今回は特にエドゥアール・マネの作品について興味深い対話を共有することができました。

マネ作「オランピア」1863年
19世紀パリでは生身の女性の裸体を描くことはタブーであり、女性のヌードといえば「女神」でなければならない。この作品、女神のステレオタイプともいえるポーズなのに、ここで描かれているのはパリの娼婦。花を捧げ持つのはキューピッドではなく黒人の召使、従順や貞節の比喩でもある犬ではなく、魔女の使い魔でもある黒猫、と、当時のアカデミックな風潮に真っ向から挑戦しているかのようです。当時は物議を醸し、攻撃の対象にもなったとか。だから、展示場所を人の手の届かない高さに移したとのナビのインフォメーションがありました。そこで「美術館では、神仏を描いた作品は必ず人が見上げるような高さに展示します。」と学芸員ならではの鈴木さんの発言。皆から蔑まれた娼婦の絵が、大衆を見下ろすように掲げられ、それを鑑賞者は見上げることになるとは、なんという皮肉!痛快!この作品の魅力をさらに知ることができました。

マネ作「フォリー・ベルジェールのバー」1882年
 同じくマネの19世紀パリの大衆社会を描いた作品。最初に鑑賞者の男性が「二重の大きな瞳でぷっくりした唇、柔らかそうで大きな胸、ウエストがキュッとくびれていてとても魅力的…。でも、話しかけても答えてくれそうにはない感じ」と異性としての魅力を感じたけれど、彼女の気持ちはここにあらず…というコメントをしました。思えば、これがこの鑑賞会の全てを語っていたようにも感じます。この女性の後ろは大きな鏡で、彼女の後ろに広がっていると思っていたショーや観衆は、実はこちら側にあるものだとわかったとたん、「そうか!」とこの女性が置かれた状況(酒瓶と同じように並べられ、娼婦としても扱われる)や(鏡の中という)虚像の中のパリの狂乱、この女性を見る男性の視線、を一気に感じました。そして作品を見る私たちもその大衆の一人なのだと。視点が入れ替わるたびに、既成概念が崩されるような快感があり、もっと見ていたい、もっと対話したい、とあとを引く作品でした。

悩みながらナビをしている大学生の姿はそのまま自分に重なりました。頭を抱えて固まっている大学生の心のうちは、私がナビをするときにも感じる感情そのままです。実際に自分がやっていてうまくいかないときには、それを客観視する余裕なんて吹っ飛んでしまいますから。鑑賞者のコメントが理解できず、冷や汗をかき、「どうにかしなきゃ!」といい言葉を探そうと沈黙すれば、それがまたプレッシャーになって…。
鑑賞会後のミーティングで、「そんな時は、もう一度鑑賞者に返して、納得できるまで説明をしてもらう。」「みんなが共通理解しながら進んでいるか、常によく鑑賞者をみること。」など、自分ではみとれなかった部分を教え合います。この作業を通して、“人はどうしても自分中心に物事を把握しがちで、自分を客観視することは難しい”ということを自覚することができます。これは、わかっているつもりでも、年齢を重ねても、払拭しがたい本能のようなものでしょうか。「みる 考える 話す きく」は作品に対してと同様に、鑑賞者に対しても言えることなんですね!私自身、それを再認識することができたオーディションでした。

今年も笑顔で私たちを迎えてくださった、福先生をはじめ、スタッフの皆さま、本当にありがとうございました!たくさんの学びをいただきました。来年8月には<島根県 隠岐の島>に福先生をお招きして、対話型鑑賞についてご指導いただく予定です。今後もどうぞよろしくお願いいたします!



みるみるの会は、12月17日の月例会で2016年の活動納めをしました。
参加してくださった皆さま、ありがとうございました。 
2017年は1月8日(日)14:00~益田市の島根県立石見美術館での「みるみると見てみる?」で活動をスタートします。
みるみるメンバーと一緒に2017年の鑑賞初めをしませんか?


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愛媛県の先生の授業を参観してきました!!

2016-12-07 19:50:51 | 対話型鑑賞



愛媛県で取り組んでいる事業にみるみるの会も協力しています。
愛媛県の先生方の授業を参観したレポートをお届けします。

平成28年度地域の核となる美術館・博物館支援事業
児童・生徒の「思考力」を育むファシリテーター育成事業

「ごちそうパーティーをはじめよう!」  1年1組 西川章子教諭 図画工作科(鑑賞)レポート
2018年11月2日(水)13:50~14:35 松山市立堀江小学校 ふれあい教室

島根県出雲市立浜山中学校 教頭 春日美由紀
(愛媛県美術館・博物館・小中学校共働による人材育成事業②参与観察調査者)

 堀江小学校を訪れたのは明るい日差しに包まれたポカポカ陽気の昼休み後の掃除の時間だった。校舎のあちこちで静かに掃除に取り組む児童の姿が見られた。「こんにちは。」「こんにちは。」どの児童も明るい声であいさつをしてくれる。廊下の掲示板には児童の絵画作品や、さすが俳人正岡子規のふるさと、児童の作った俳句も数多く展示されている。児童が様々な場面で自分を表現し、それが認められる風土が醸成されていると感じた。
 通された校長室では校長先生と児童の暮らす地域の話や学校での教育活動について聞かせていただいた。来年松山市の教育研究会の会場校となっており、研究を進めていることが話題になった。
 さて、1年生の5校時の授業である。給食後のポカポカ陽気。大人でも眠気に襲われる時間帯である。果たして、1年生の授業やいかに???と思いながら会場に歩を進めた。
 が、杞憂であった。廊下側の窓を大きく開け放ったふれあい教室からは、児童の元気な声が響いており、教室には一面に児童の作品が並べられていた。
 「ごちそうパーティーをはじめよう!」とは、『紙粘土で児童が思い思いに作成した「ごちそう」をビュッフェ方式で選ぶ』学習である。(紙粘土の扱いについては1学期の既習事項であり今回の学習はその発展的なものとなっていた。)児童たちは紙粘土をベースに、自分が食べたいと思う「ごちそう」をまず本物そっくりに作る。「形」や「色」にこだわり、友達から「おいしそう」と思ってもらえる工夫を凝らす。絵具で色を作り彩色した後に、ビーズやラメをトッピングしているもの。飲み物は透明カップの中にシュレッダーした色紙や綿を詰めて液体に見立てるなど、1年生とは思えないような工夫がみられた。「ごちそう」も焼き肉や串焼き、お寿司、などの食事のできそうなものから、クッキー、ケーキ、パフェなどのスイーツまでバリエーションも豊富だった。自分たちが「食べたい」と思う「ごちそう」づくりに励んだ作品が勢揃いしていた。
 授業者の西川先生は教室内に静かにBGMを流されており、音楽が止まると、気づいた児童から静かに着座するという習慣がついていた。この姿ひとつをみても西川先生が児童と日頃からどのように接しておられるかがうかがえた。黒板には図工科が大事にしている「色」「形」「イメージ」が示されており、今日の学習内容や学習のめあても「見える化」されていた。文科省が学力向上に向けて大切にするべきと示している授業のあり方や図工科の重点項目などが十分に配慮され、展開されていた。さて、児童は西川先生の話に耳を傾け、今日の学習内容を伝えられた後、グループに分かれてごちそうを並べる活動に入った。この活動で目を引いたのは「寿司コーナー」である。回転寿司屋さんをイメージしたものか、段ボールでベルトコンベアーが作られ、その上においしそうなお寿司が並べられていった。本物の回転寿司屋さんさながらに品名が掲示されていたり、子どもの好きなスイーツも並んでいたりで、児童たちが家庭で回転寿司屋さんに訪れて回転寿司を食べているという生活体験もうかがい知れた。また、「焼き焼きコーナー」では串に刺された焼き鳥がおいしそうに焼かれていた。特に注目したのはコンロである。赤い毛糸や綿を使って炭が燃えているように見せ、その上に焼き網を載せて焼いているところは、回転寿司にも負けないリアルさである。焼き網にも本当は焦げ目を付けたかったそうだが、時間切れでかなわなかったとのこと・・・。小学1年生と侮ることなかれ!!と言いたくなるような本物に迫るこだわりがそこにはあり、児童が創る喜びを十分に味わっていることもうかがえた。この「おいしそうにみえるように並べるという活動」は作品をよりよくみせるという取組であり、鑑賞活動につながっていると捉えられる。そうして、おいしそうに並べ終えた後は、いよいよごちそうを選ぶ活動になる。この時、選べる数が「3つ」となっていることが、この学習活動の「肝」である。気に入ったものはいくつでもよいのではなく、「3つ」に限定されるからこそ子どもは真剣なまなざしで選ぼうとする。児童は並べられたごちそうをよく「みて」どれにしようか「考え」て選んでいく。そこに「3つ」という制限がかかることは有効だ。そして、その選択眼のものさしは「色」「形」「イメージ」であることを西川先生は繰り返し伝えている。児童は真剣に品定めしていた。そして、並べるときには1番人気だった回転寿司に殺到するのかと思いきや、そうでもなく、また、自分の作った作品を誰もひとつは選ぶのだろうと思っていたが、実際には、ほとんどの児童が自分の作品以外の、つまり、友達の作った作品を選んでいた。これも、よく「みた」結果なのだろう。子どもたちは私語することも無く静かに選んでいた。1年生なのに!である!!この活動中にも静かに流れていたBGMが消えると、また、子どもたちは先生に指示されることも無く自分の場所に戻っていった。
選び終わった後の活動は、小グループで「なぜ、それをえらんだのか?」という意見交換だった。そして、「どこからそう思ったのか?」を語り合っていた。発表の場面で、ある児童は「マカロンが好きだから、これを選んだ。」と話し、西川先生が「どうして、それにしたのか?」と尋ねると「ブドウとソーダの味だと思ったから。」と答え、さらに先生が「それは、どこからそう思ったの?」と訊くと「紫色がブドウで、水色がソーダだと思ったから。」と色から得たイメージを味覚に照らして(根拠として)話すことができていた。私たちの大切にする「みる」「考える」「話す」「きく」の活動の中で繰り返し問われる「どこからそう思ったのか?」が、わずか小学1年生でも具現化できているという事実がこの授業にはあった。
 この学習に際しては、学校近くの海岸にビーチコーミングに出かけてビーチグラスや流木を拾う活動を行い、家庭からごちそう作りに使えそうな包装紙やビーズ、毛糸、布などを持ち寄っていた。また、このごちそうパーティーで使う「マイ皿」も作成していた。これらの活動を通して児童の学習に対する興味・関心は喚起され、制作意欲につながっていったと考えられる。また、どんなごちそうが食べたいかを話し合い、食べたいもの(作りたいもの)に応じて小グループに分かれて活動する中で、協力やアドバイスが繰り返されたのだろうということが拝察できる。同時に本物に近づくようによく「みる」ことも繰り返され、「みる」力も養われていった。また、この活動を通して友達の作品も自分の作品同様に大切に思う気持ちが醸成されていったとみることもできる。これらの多くの仕掛けが仕組まれたこの学習の最終場面で作品をよりよく「みて」選ぶ活動は「鑑賞」と呼ぶにふさわしいものであった。
週末(金曜日)に行われたこの授業後の翌週月曜日の給食時に児童が「授業の成功を祝して乾杯しよう!」と口々に西川先生に提案し、牛乳で乾杯したことを最後に付記し、児童が学習に手ごたえを感じ、心に残る活動であったことを伝えて授業報告の終わりとしたい。
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11月の鑑賞会レポート その2が届きました!

2016-12-02 20:52:57 | 対話型鑑賞


11月19日(土)浜田市世界こども美術館 図書室
作品名:「カントリースクール」(1871年 ウィンスロー・ホーマー)
鑑賞者:7名(内みるみるメンバー5名)
ナビゲーター:金谷直美

<はじめに>
この作品を選んだ理由として
・小学校低学年での鑑賞の授業をしたい作品。
・様々な年齢の子どもたちが、一つの部屋で一緒に勉強をしている。先生らしき女性の方を向いている子どももいれば、窓の方を向いて書き物か何かをしている子どももいる。様々な年齢、服装、たたずまいの子どもたちが、何かを学ぼうと一つの部屋で過ごしている姿があたたかく印象的だった。
現在私が、小規模の小学校で勤務していることもあり、このホーマーの作品は、自然豊かな地で異学年の子どもたちがお互いに関わりながら学んでいる、勤務校の子どもたちに通じるものがあります。
作品をゆっくりとよくみて、描かれているものや起こっていることを聴きあいながら、考える楽しさのある作品だと思い選びました。

<鑑賞会をふりかえって>
・ナビゲーターとしての基本の役割、特に話をよく聴いてかえすことを意識した。
・鑑賞者の発言の中の一番大切な所をとらえて、かえしたりまとめたりできるように心がけた。
・「靴を履いていない子どもがいる」という意見が出たときに、「子どもたちの足元や服装に注目してみていきましょう」と、みるところを焦点化したが、そのあとはほとんど焦点化をすることなくみていったが、鑑賞者にとってみやすさ、考えやすさ等はどうだっただろうか。

<みるみるの会メンバーから>
・ナビが準備した画像が幾分暗かった。もう少し全体的に明るい作品ではなかったか?もう少し明るい画像であれば、鑑賞者が子どもたちの様子ももっとよくみることができたのではないか。
・描かれている要素が多い作品なので、「向かって右側にいる子どもたち」「左側の子どもたち」と焦点を絞ってみることで、それぞれの子どもたちの違いやそこから想像できる背景などについても、より深く考えることができたのではないだろうか。
・アメリカの幼稚園や学校の様子など、実際に住んでおられた方の話も聴けて面白かった。
・人物の服装、建物、室内の様子など全体をみていく中で、子どもたちの間に貧富の差がありそうなことに気が付いた。話を総合的に考えて気づいたので、納得した。
・学校が舞台となっているので、もしかすると教員と一般の方とでは、みる視点など違いがあるのかもしれない。また、(学校に通っている)子どもたちがみると、どんな発見をするのか楽しみな作品。
・話には出てこなかったが、黒板の上にある白っぽい物が何なのか気になった。たくさんの発見ができる作品。

<おわりに>
 ナビをするたびに、「聴くこと」の難しさを痛感します。でも、鑑賞者の方が(大人でも、子どもでも)自分が思ってもみなかったことを発言されると、それがとても面白く、凝り固まっている自分がふっとゆるむ感じがします。ことばの「キモ」をつかみ、かえし、つなぐ…作品を通して鑑賞者のみなさんと楽しい「ラリー」を続けることができるよう精進していきます。
 鑑賞会に参加してくださったみなさま、ありがとうございました。


 12月の鑑賞会は、17日(土)14:00~浜田市世界こども美術館にて
 みるみるメンバーといっしょに、作品を通して「みる・考える・話す・きく」時間を楽しみましょう!
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