年内最終のみるみるの会を開催しました
年内最終のみるみるの会の報告です。
前回の実践での生徒の感想を報告すると伝えていましたが、学期末で整理がつかず、新年を迎えてからの報告にさせていただきたいと思います。
今回は、21日に浜田市世界子ども美術館で行った定例の実践報告です。
ナビは私、春日でした。様子は画像をご覧ください。
作品は当館のコレクションである橋本明治氏の息子さんである弘安氏の作品で行いました。
参加者はみるみる会員3名とこのスタイルの鑑賞が大好きな中学女子が1名の計4名でスタートしました。途中で親子連れが仲間入りしましたが、これまた途中で退席されました。
では、報告に入ります。
この作品は壁面右手に掲げられ、左手にも弘安氏の大作が展示されています。左手の作品は10月のみるみるの会で取り上げられたものです。その時には今回扱う作品は展示されていなかったので、この作品でやろうと思いました。
タイトルは「息子」です。
小学生高学年か中学1年生くらいの男の子が画面のやや右寄りに大きな鉢植えのサボテンを背に腕を組んでこちらを向いて立っています。サボテンの横には角ばったテーブルがあり、小ぶりのサボテンやパキラなどの果肉植物がプランターや鉢植えにされて載せられています。テーブルの下にはハムスターを飼うときに使うようなかごが半分のぞいています。残り半分は彼の足で隠れています。テーブルの後ろはグランドのような乳褐色の砂地が広がり、テーブルの天板に並ぶような位置から遠景として木立が描かれています。この木立はこんもりとした木々と点々と針葉樹と思われる木々が描かれ、手前のテーブルに載せられた果肉植物と同化しています。この木立は遠くにあるのか低く描かれており、その上に、淡い黄味がかった空が広がっています。彼の立つ位置からやや左上に小さ目なオレンジがかった赤い丸、あたかも太陽のようなものが描かれ、全体が淡いグリーンを基調とした画面に小さいながらも異彩を放つ存在です。
まず、みんなでじっくり見ました。
最初の発言者は中学生です。人物の肌の色に緑色が使われているのに違和感がないことに不思議な感じを受けると話しました。次々に手が挙がり、見えているものについて発言がありました。テーブルに載っている観葉植物と背景の木立の関係、少年の後ろにあるサボテンと少年の関係、描かれているものは少年と関係のあるもの(彼のコレクション、彼の趣味)といった意見から、いや、少年を描きたかった父(多分絵描き)がその辺にあるものを並べ、その前に彼を立たせて描いたのだという意見、ここまでのところで、テーブルの下のかごについての言及がありませんでしたので、もっとみているものでまだ、発言されていないものはないかと促そうとしたときに、ハムスターのかごが話題に出ました。このかごについても、もうハムスターは死んでしまった。とか、いや、夜行性だから今は藁の下で寝ているなど、相反する意見も出ました。しかし、対話を繰り返すうちに描かれているものは、彼(少年)と無関係なものではなさそうという方向に進んだように思います。
そして、彼と関係のあるものを周りに描きながらも、彼がそれに対して背を向けているということは、彼が自立しようとしているのではないか。子どもの世界からの自立、思春期に差し掛かった少年の自立心が、目線や腕組みから読み取れるという発言が出、背景の赤い丸にも話題が及んでいきました。
赤い丸はどう見ても太陽です。そして父性の象徴でもあります。再び、中学生が太陽は植物にとってなくてはならない存在で、それに、お父さん(太陽が)だったら、少年を見守っているし、少年はお父さんに感謝はしているけど、反抗して、大人になろうとしている。と語ってくれました。彼女が赤い丸を何に見立てているのかがあいまいだったので、植物にとっての恵みの存在なのか、少年にとっての父という存在で、感謝の対象であり、自立の対象なのか、どっちとして語っているのかをパラフレーズしながら確認しました。彼女も語りながら整理しきれていない面もあったようで、ナビがパラフレーズして聞き返すことで考えが整理され、どちらの意味も持つ(ダブルミーニング)であることが確認され、ここでまた、参加者の考えが深まって行ったように思います。
この後も発言は繰り返され、30分があっという間に経過しました。語る内容が同意形成されているように感じたので、少し早い気もしましたが、1作品で30分語れば十分かと思いましたので、終了としました。
しかし、皆、話したいことがまだまだあったようで、いつまでも絵の前から離れず、自分の思いを思い思いに語っていました。こんな風に、対話が終わった後も近くの人と話が尽きないというのが作品とじっくり対話できた証拠ではないかと私は思っています。まだまだ話したい。こんな風にみえない?ここはどう?と、作品との対話を飽くことなく続けることの楽しさが味わえたなら、この鑑賞活動は成功したと言えるのではないかと思います。
この作品の隣に掛けてある作品の男の子(1歳くらい)がこの成長した彼ではないかと私は思っています。そして、画面全体を覆うオレンジの色調が「少年」の赤い丸ではないかと思います。この2作が並べて掛けてあることにも意味があるのではないかと思います。
この後、会員で反省会をしました。
話題はパラフレーズでした。今回の参加者は中学生がいるものの、彼女は作品に対して自分の読み取りができるので、大人と対等にやりあえます。あとの参加者は皆美術関係者ですから、みる目を持っているので、発言が長くなります。根拠も示しながら話してくれるのであまり確認も必要ありませんから、ざっくりとパラフレーズしました。しかし、ざっくりすぎて意味を取り違えているといけないので、そこの確認は忘れないようにしました。皆、私のざっくりパラフレーズに異を唱えることなく対話が進んだので、短い時間でしたが濃密な会話が繰り返されたのではないかと思います。ざっくりパラフレーズするにはやはり経験というか、ナビの回数が必要だと思います。何度も経験を重ねることで、話す人の話したいこと伝えたいことが聞き取れるようになると思います。話し手と同じ気持ちになって作品がみれるようになってくると思います。ナビが自分の思いや考えを消し、話し手に寄り添うことができるようになると、話し手の言わんとすることを掴むことができるように思います。今回の作品は私にとっても初見で、情報もタイトルしかありませんでしたが、皆さんの発言に耳を傾けて聴くことで、作品に深く入り込めたと思いました。
また、参加者の感想を聞きたいと思います。
以上で、年内の活動報告は終わりです。次回は年明けとなります。
皆さん、よいお年をお迎えください。来年もみるみるの会をよろしくお願いいたします。
年内最終のみるみるの会の報告です。
前回の実践での生徒の感想を報告すると伝えていましたが、学期末で整理がつかず、新年を迎えてからの報告にさせていただきたいと思います。
今回は、21日に浜田市世界子ども美術館で行った定例の実践報告です。
ナビは私、春日でした。様子は画像をご覧ください。
作品は当館のコレクションである橋本明治氏の息子さんである弘安氏の作品で行いました。
参加者はみるみる会員3名とこのスタイルの鑑賞が大好きな中学女子が1名の計4名でスタートしました。途中で親子連れが仲間入りしましたが、これまた途中で退席されました。
では、報告に入ります。
この作品は壁面右手に掲げられ、左手にも弘安氏の大作が展示されています。左手の作品は10月のみるみるの会で取り上げられたものです。その時には今回扱う作品は展示されていなかったので、この作品でやろうと思いました。
タイトルは「息子」です。
小学生高学年か中学1年生くらいの男の子が画面のやや右寄りに大きな鉢植えのサボテンを背に腕を組んでこちらを向いて立っています。サボテンの横には角ばったテーブルがあり、小ぶりのサボテンやパキラなどの果肉植物がプランターや鉢植えにされて載せられています。テーブルの下にはハムスターを飼うときに使うようなかごが半分のぞいています。残り半分は彼の足で隠れています。テーブルの後ろはグランドのような乳褐色の砂地が広がり、テーブルの天板に並ぶような位置から遠景として木立が描かれています。この木立はこんもりとした木々と点々と針葉樹と思われる木々が描かれ、手前のテーブルに載せられた果肉植物と同化しています。この木立は遠くにあるのか低く描かれており、その上に、淡い黄味がかった空が広がっています。彼の立つ位置からやや左上に小さ目なオレンジがかった赤い丸、あたかも太陽のようなものが描かれ、全体が淡いグリーンを基調とした画面に小さいながらも異彩を放つ存在です。
まず、みんなでじっくり見ました。
最初の発言者は中学生です。人物の肌の色に緑色が使われているのに違和感がないことに不思議な感じを受けると話しました。次々に手が挙がり、見えているものについて発言がありました。テーブルに載っている観葉植物と背景の木立の関係、少年の後ろにあるサボテンと少年の関係、描かれているものは少年と関係のあるもの(彼のコレクション、彼の趣味)といった意見から、いや、少年を描きたかった父(多分絵描き)がその辺にあるものを並べ、その前に彼を立たせて描いたのだという意見、ここまでのところで、テーブルの下のかごについての言及がありませんでしたので、もっとみているものでまだ、発言されていないものはないかと促そうとしたときに、ハムスターのかごが話題に出ました。このかごについても、もうハムスターは死んでしまった。とか、いや、夜行性だから今は藁の下で寝ているなど、相反する意見も出ました。しかし、対話を繰り返すうちに描かれているものは、彼(少年)と無関係なものではなさそうという方向に進んだように思います。
そして、彼と関係のあるものを周りに描きながらも、彼がそれに対して背を向けているということは、彼が自立しようとしているのではないか。子どもの世界からの自立、思春期に差し掛かった少年の自立心が、目線や腕組みから読み取れるという発言が出、背景の赤い丸にも話題が及んでいきました。
赤い丸はどう見ても太陽です。そして父性の象徴でもあります。再び、中学生が太陽は植物にとってなくてはならない存在で、それに、お父さん(太陽が)だったら、少年を見守っているし、少年はお父さんに感謝はしているけど、反抗して、大人になろうとしている。と語ってくれました。彼女が赤い丸を何に見立てているのかがあいまいだったので、植物にとっての恵みの存在なのか、少年にとっての父という存在で、感謝の対象であり、自立の対象なのか、どっちとして語っているのかをパラフレーズしながら確認しました。彼女も語りながら整理しきれていない面もあったようで、ナビがパラフレーズして聞き返すことで考えが整理され、どちらの意味も持つ(ダブルミーニング)であることが確認され、ここでまた、参加者の考えが深まって行ったように思います。
この後も発言は繰り返され、30分があっという間に経過しました。語る内容が同意形成されているように感じたので、少し早い気もしましたが、1作品で30分語れば十分かと思いましたので、終了としました。
しかし、皆、話したいことがまだまだあったようで、いつまでも絵の前から離れず、自分の思いを思い思いに語っていました。こんな風に、対話が終わった後も近くの人と話が尽きないというのが作品とじっくり対話できた証拠ではないかと私は思っています。まだまだ話したい。こんな風にみえない?ここはどう?と、作品との対話を飽くことなく続けることの楽しさが味わえたなら、この鑑賞活動は成功したと言えるのではないかと思います。
この作品の隣に掛けてある作品の男の子(1歳くらい)がこの成長した彼ではないかと私は思っています。そして、画面全体を覆うオレンジの色調が「少年」の赤い丸ではないかと思います。この2作が並べて掛けてあることにも意味があるのではないかと思います。
この後、会員で反省会をしました。
話題はパラフレーズでした。今回の参加者は中学生がいるものの、彼女は作品に対して自分の読み取りができるので、大人と対等にやりあえます。あとの参加者は皆美術関係者ですから、みる目を持っているので、発言が長くなります。根拠も示しながら話してくれるのであまり確認も必要ありませんから、ざっくりとパラフレーズしました。しかし、ざっくりすぎて意味を取り違えているといけないので、そこの確認は忘れないようにしました。皆、私のざっくりパラフレーズに異を唱えることなく対話が進んだので、短い時間でしたが濃密な会話が繰り返されたのではないかと思います。ざっくりパラフレーズするにはやはり経験というか、ナビの回数が必要だと思います。何度も経験を重ねることで、話す人の話したいこと伝えたいことが聞き取れるようになると思います。話し手と同じ気持ちになって作品がみれるようになってくると思います。ナビが自分の思いや考えを消し、話し手に寄り添うことができるようになると、話し手の言わんとすることを掴むことができるように思います。今回の作品は私にとっても初見で、情報もタイトルしかありませんでしたが、皆さんの発言に耳を傾けて聴くことで、作品に深く入り込めたと思いました。
また、参加者の感想を聞きたいと思います。
以上で、年内の活動報告は終わりです。次回は年明けとなります。
皆さん、よいお年をお迎えください。来年もみるみるの会をよろしくお願いいたします。