はまぐりの貝殻を手に取り思案にふける参加者の皆さん
「貝体新書」レポート
みるみるの小川です。大野先生の「2枚貝のVTS」を体験しました。以前から「おもしろいよ!」という話は聞いていたのでたのしみにしていた研修でした。レポートします!
まず、大野先生の穏やかな語り口でスタート。二枚貝にまつわる思い出をみんなで出していきます。採った時、調理した時、食べた時、そして二枚貝を使った遊び・・・。
さて、「貝合わせ」という遊びをご存知でしょうか。絵の描いてある蛤の殻を二枚合わせる遊びです。という話題から、必ず対になる貝があることを、本物の貝を触りながら確かめていきます。貝の合わせ目って、凸凹していて、そこが本当にうま~く合わさるんですね。そのフィット感に驚いてしまいます。
でも、外敵から身を守るためにはそれだけでは不十分。貝が開かないようにする役割を貝柱が担っています。では、貝柱はいくつあるのか。貝殻をスケッチしながら「二つだ」「三つだ」という意見が出ましたが、なぜそうなのか、人を説得できる根拠をグループで、ああでもない、こうでもないと話し合います。その間、大野先生は、「誰も本当のことは知らないのだから、そうやと言ってしまったもん勝ちや!」と言っておられて、(えっ!そうなの?大野先生も知らないの?)なんて、素直に受け止めて、「こうじゃないですかね~?」とグループの人に積極的に話かけてしまいました。そして発表。その根拠の中で「貝はこうやって食事をするのでは?」「こうやって生活しているのでは?」という意見が出たことをきっかけに、口、肛門、呼吸器はどのようになっているかを「神様になったつもりでデザインしてみよう。」という課題が出されました。グループでの話し合いはとても盛り上がりました。その後巨大ぬいぐるみの模型(?)で、「自然は人間が考えるより
ももうちょっと賢い!」ことを実感しました。
約二時間の間、こんなに貝殻を見つめたことはありません。そして、蛤についてこんなに話したことも初めてでしたが、あっという間の時間でした。中学校では、「教科の専門性」が時に大きな壁になってしまうことがあります。しかし、この度の研修では教科や校種を超えて「学び方」を学んだように思います。最初は自分の思い出や体験から始まり、実物を見ること、見たことをもとに考えること、想像することと段階を踏んで思考が深まっていく。そうやって得たものは忘れずに生きた知識になっていくと思います。しかし、その過程で大野先生は私達の思考の流れを止めずに情報を与えたり、視点を絞ったりと巧みにファシリテートをされていました。「先生方が自分からどんどん考えていくから、途中から私は必要なくなってしまった。」と言っておられましたが、そういう状態を作ることが大切なんだと思います。
まさにその通りだと思います。
翌日の大野先生の講義でも「教育」と「学習」の違いが語られましたが、我々教師はともすると「教育」(教え育てる)ことに重きを置きがちで「学習」(学び習う)ことをぞんざいに扱っているのではないでしょうか。上から目線の教育ばかりではなく、フラットな目線の学びの場面を戦略的に構築し、自ら学習者となる大人に、これからの時代を切り拓いていく子どもたちを育てる必要があるのではないでしょうか?そのためにも「学び」の楽しさを味わわせることが、何より大切になってくると思います。
大人が夢中になった2時間半。子どもが夢中にならないわけはありません。
ぜひ、今夏、島根県で子ども対象に「貝体新書」実践したいと思います。
「貝体新書」レポート
みるみるの小川です。大野先生の「2枚貝のVTS」を体験しました。以前から「おもしろいよ!」という話は聞いていたのでたのしみにしていた研修でした。レポートします!
まず、大野先生の穏やかな語り口でスタート。二枚貝にまつわる思い出をみんなで出していきます。採った時、調理した時、食べた時、そして二枚貝を使った遊び・・・。
さて、「貝合わせ」という遊びをご存知でしょうか。絵の描いてある蛤の殻を二枚合わせる遊びです。という話題から、必ず対になる貝があることを、本物の貝を触りながら確かめていきます。貝の合わせ目って、凸凹していて、そこが本当にうま~く合わさるんですね。そのフィット感に驚いてしまいます。
でも、外敵から身を守るためにはそれだけでは不十分。貝が開かないようにする役割を貝柱が担っています。では、貝柱はいくつあるのか。貝殻をスケッチしながら「二つだ」「三つだ」という意見が出ましたが、なぜそうなのか、人を説得できる根拠をグループで、ああでもない、こうでもないと話し合います。その間、大野先生は、「誰も本当のことは知らないのだから、そうやと言ってしまったもん勝ちや!」と言っておられて、(えっ!そうなの?大野先生も知らないの?)なんて、素直に受け止めて、「こうじゃないですかね~?」とグループの人に積極的に話かけてしまいました。そして発表。その根拠の中で「貝はこうやって食事をするのでは?」「こうやって生活しているのでは?」という意見が出たことをきっかけに、口、肛門、呼吸器はどのようになっているかを「神様になったつもりでデザインしてみよう。」という課題が出されました。グループでの話し合いはとても盛り上がりました。その後巨大ぬいぐるみの模型(?)で、「自然は人間が考えるより
ももうちょっと賢い!」ことを実感しました。
約二時間の間、こんなに貝殻を見つめたことはありません。そして、蛤についてこんなに話したことも初めてでしたが、あっという間の時間でした。中学校では、「教科の専門性」が時に大きな壁になってしまうことがあります。しかし、この度の研修では教科や校種を超えて「学び方」を学んだように思います。最初は自分の思い出や体験から始まり、実物を見ること、見たことをもとに考えること、想像することと段階を踏んで思考が深まっていく。そうやって得たものは忘れずに生きた知識になっていくと思います。しかし、その過程で大野先生は私達の思考の流れを止めずに情報を与えたり、視点を絞ったりと巧みにファシリテートをされていました。「先生方が自分からどんどん考えていくから、途中から私は必要なくなってしまった。」と言っておられましたが、そういう状態を作ることが大切なんだと思います。
まさにその通りだと思います。
翌日の大野先生の講義でも「教育」と「学習」の違いが語られましたが、我々教師はともすると「教育」(教え育てる)ことに重きを置きがちで「学習」(学び習う)ことをぞんざいに扱っているのではないでしょうか。上から目線の教育ばかりではなく、フラットな目線の学びの場面を戦略的に構築し、自ら学習者となる大人に、これからの時代を切り拓いていく子どもたちを育てる必要があるのではないでしょうか?そのためにも「学び」の楽しさを味わわせることが、何より大切になってくると思います。
大人が夢中になった2時間半。子どもが夢中にならないわけはありません。
ぜひ、今夏、島根県で子ども対象に「貝体新書」実践したいと思います。