ART COMMUNICATION IN SHIMANE みるみるの会の活動報告

島根の美術教育関係者が集まって立ち上げた対話型鑑賞の普及に努める「みるみるの会」の活動情報をお知らせするブログです。

平成29年度島根県立石見美術館「みるみると見てみる?」④レポートをお届けします!(2018年2月10日開催)

2018-02-25 20:55:48 | 対話型鑑賞

グラントワ内石見美術館で開かれた「みるみると見てみる?」の第4弾レポートをお届けします。

みるみると見てみる? ナビレポート

日時:平成30年2月10日 14:00~14:30
場所:島根県立石見美術館 展示室A
作品名:「圏谷の残雪」1967 「火の山」1973 「ささやき」1978 「鳥と山男」1983
作 者:畦地梅太郎  
島根県立石見美術館 蔵
ナビゲーター:津室和彦  参加者:15名(内みるみる会員4名)

1 事前の心づもり
①一見わかりやすそうだが,モチーフがかなり単純化されていることと,登山の特性や知識があるとよりわかりやすくなる4作だったので,情報をどこでどの程度出していくかを考えなければならないと思った。
②反面,作者の手による鉛筆書きのタイトル自体が,大きな情報である。
③4作品の流れをどうするか
 自分としては,左上の「圏谷の残雪」から入ろうかと思っていたが,思いの外参加者が多かったので投げかけることにした。雪つながりで,「鳥と山男」へと進み,鳥つながりで下の2作について話す流れを考えていた。

2 トークの流れ
表記:●鑑賞者の発言 『ナビの発言』 ☆ナビの発言・見解 ○振り返り時のメンバーの発言

※各自がじっくりとみた後,参加者の意見から「ささやき」からトークに入った。
●「ささやき」というタイトルから,鳥(鷹)のささやきを男が聞いている。
●続いて,何かを聴いている様子だという意見。鳥と男がともに自然のささやき,たとえば「星のささやき」を聴いている。→うなずき,感嘆の声多数
☆男が鳥のささやきをきいているという考えと,男と鳥が共に自然のささやきをきいているという二通りのとらえ方があったことを確認。作者自身によるタイトルが書いてあることも手がかりになるかもしれないという情報提供をする。
●青い背景と男の服装から,北の方の国の人の暮らしぶりを表している。
●寒いところにすんでいる人。人と鳥は仲がよさそう。そのへんにはいない珍しい(絶滅危惧種のような)鳥で,それを救いに来た人。
●「山男」というタイトルもあるが,4点全部,登山というシチュエーション。ピッケルもある。「火の山」以外の3点は,雪山。「鳥と山男」の鳥は,雷鳥ではないか。自然と人とが身近な存在である世界。雷鳥は,雪の季節は保護色で白くなる。鳥と人間が身近にいる様子
☆他の作品にもシフトしていく機と捉え,全体に呼びかけた。
●「みるみると見てみる」展の作品は全部同じ作家のものなのか。また,今取り上げている4点は同じ作家なのか。
☆迷ったが,サインが同じであり畦地梅太郞作の4点であることを伝えた。
○『なぜ,同じ作家だと思いますか。』『どこから,同じ作家だと思うのですか。』と問い返すのもよかったかもしれない。その上で,情報を示してもよかったのではないか。
(4点それぞれについてのトークとなった)
●厳しい自然の中での人間の意識,命ある者同士(人と鳥)の交わり,生業としての山男など
●「圏谷の残雪」で人物の上にあるものは,テントではないか。
●「ささやき」の人物を木に見立てて表現しているのではないか。肩がなくストレートなこけしのように表しているから。
☆大変興味深く聴いた。この発言をきいたナビの私は,逆に鳥の止まっている木を擬人化したのかもしれないという考えにも至り,みなさんに伝えてみた。
●(最後の発言を促したところ)4作はそれぞれ四季を表しているのではないか。
☆発言の根拠もきちんと話していたのでナビとして価値付け,ただし,解釈は,各人の胸の中にあるということを話しトークを終えた。
※続いて行われたトークも終わった後,それぞれ気になる作品の前に行き,誰彼となくミニトークが再開していたのは,とても嬉しい光景だった。

4 参加者の感想文より
・宮沢賢治の詩のような絵だと思いました。自然と共存し自給自足の生活をしているような絵だなと思いました。
・人がいて地があって人以外の生物がいて,何を伝えたいかなどを考えていて,人の意見や感じたことを聞いて,なんていうか絵っておもしろいなぁと思いました。
・学生さんは,見る事から現実にあるところに接地点を持っていくのだと知りました。やはり内面性を見,考える力はすごいなと思いました。(若いことの感受性はすごいです。)新たな点を知るきっかけとなってよかったです。枠をはずしていく世界はすばらしい。心を柔和にすることの大切さに気づく時となりました。

5 振り返り
自身の振り返り
ナビとしては,積極的な発言が多いからこそ,発言の真意をくみ取り,わかりやすくパラフレーズして皆さんに返していくことが大切だと感じた。特に今回は高校生の発言も多く,直感的でストレートな表現が多かったので,ナビ自身が傾聴し,瞬時に咀嚼して返せるように心がけた。また,パラフレーズが,発言者の意図とずれていないかを,本人に確認しながら進めるようにもした。
登山の世界ならではのモチーフもあり,抽象化されていることから,情報をどの程度示していくかについて悩んだ。たとえば,圏谷という言葉の意味を参加者に問いかけて引き出せなければ解説をするパターンも考えられた。具体的には,テントの話が出たときにも穂高連峰の涸沢の様子などを話してもよかったと思う。

みるみるメンバーの意見
○4点が固めて展示してあるので,入り口になる作品を募るのもいいなと思った。参加者が多い今回のようなときにはおもしろい入り方。
○「ささやき」のみでこれ以上時間を使うのかと心配したが,男性の発言で登山・雪山・鳥などのつながりが示され,他の3点にうまく移っていった。
○「作者は同じ人ですか?」に対して,すぐに応えずに,「どうして作者が(同じと)思ったのですか。」と問い返すとよかったのではないか。
○パラフレーズが丁寧で,参加者は聴いてもらえている感じがしたと思う。
○4作の配置は,縦長のまとまりだったが,たとえば横一列に並べていたら違った見方をされたかもしれない。
○今日は山男でまとまったが,単体で見たら,ファンシーさや,孤独感など,違った見方ができたかもしれない。



 トークの最後に、ナビゲーター津室さんからサプライズが!
Tシャツの胸にプリントされていたのは、なんと畦地梅太郎さんの作品!アウトドア・ブランドのTシャツだそうです。


<お知らせ>
 みるみるの会の鑑賞会は、3・4月はお休みです。5月から再開の予定です。日時・場所等について、またこちらでお知らせいたします。

「みるみると見てみる?」のレポートは、これからも順次お届けしていきます。お楽しみに!

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平成29年度島根県立石見美術館「みるみると見てみる?」③レポートをお届けします!(2018,1,27開催)

2018-02-18 22:39:24 | 対話型鑑賞

日時:平成30年1月27日(土) 14:40~15:00
場所:(グラントワ内)島根県立石見美術館 A室
作品①:「裸体」中村不折 1903~04(明治36-37)年  
作品②「裸体」黒田清輝 1889(明治22)年     ともにカンヴァス・油彩
 ナビゲーター:房野伸枝   参加者:6名(内みるみる会員5名)

 今回は参加者が一般の方おひとり…。私と同じ職場の方で、日ごろから、小学校で読み聞かせのボランティアをしてらっしゃる女性のHさんです。お誘いしたところ、初めてこうした鑑賞会に参加されたとのこと。ありがたいです!せっかくなので、ご本人に作品を選んでいただきました。選ばれたのは、明治の洋画界をリードした二人の画家の「裸体」でした。一つは若い女性の後ろ姿の全身像。もう一つは壮年男性の上半身像。二つ並べられていて、裸体であるという共通項があるだけに、見比べるとそれぞれの違いが際立つような作品なので、一つずつ鑑賞するのではなく、最初から二つを比べながら、その違いについて語ってもらおうと思いました。そうすることで、より一層それぞれの作品を深く読み取れるのでは、と考えたのです。
 みるみるメンバーは私の意図を感じてか、すぐに2つの作品の相違点を語り始めました。反省会で今回はこの方法が適していたとの意見をいただきました。「明るい室内の中、逆光で描かれた女性と、闇に浮かび上がる男性」「若い女性と年老いた男性」「年を取ってはいるけれど、その腕や手から、この男性が肉体労働をしてきたような力強さ、年齢を重ねてきたことからにじみ出るやさしさ、人生の重みを感じる」などなど。だんだん女性よりも男性の絵のほうにエネルギーや魅力を感じる、何か物語を感じるという意見が多くなり、後半は男性像の方に話が深まっていきました。その中で、Hさんが「この老人は、自分を描いた画家を気遣いながらモデルをしている」と語り始めました。私は、なぜ、ここには描かれていない画家を気遣っていると感じたのか、その根拠を知りたいと思いました。そこで「どこからそう思いましたか?」と聞き返したところ、「目のあたり…」とのことでした。それが、画家とどう結びつくのか、根拠が曖昧だと感じながら進めていくと、Hさんは「以前、読んだことのある『木を植えた男』という絵本に出てくる老人に似ていると感じて、そこから、画家との関係を想像した」と言われました。なるほど!そこで、腑に落ちました。その絵本には、実直に木を植え続けた老人と、それを見守った若い男性が出てきます。絵本の老人も絵の老人も豊かなひげをたくわえ、節くれだった大きな手がよく似ています。きっと、Hさんの中で、絵本の老人と絵の老人とがオーバーラップしたのでしょう。だから絵本に出てきた若い男性の存在が、画家に通じ、絵を鑑賞するときに「老人と青年画家」という物語を紡いだのだと考えられます。これはあくまでHさん個人の解釈で、作品の中に根拠を得て解釈するというよりは、個人的な経験や情報が作品とは離れた物語を創造したということです。
 対話型鑑賞では、見えたものを根拠に作品を読み取り、味わうことを大事にしますが、それが「fact」ファクト=客観的事実を根拠にしているのか、「truth」トゥルース=鑑賞者が主観的に感じた事実を根拠にしているのか、ナビは理解し、整理することが重要です。Hさんが語った「老人と青年画家」の物語は、彼女が絵本を読んだという個人的な経験や情報から想像されたものだとわかりました。画家が<若い男>だと断定していたことはfactとは言えないけれど、Hさんにとってはイメージの中の一つのtruthであったという訳です。Hさんの鑑賞は作品をfactから読み解くという味わい方ではありませんが、自分なりに自由に連想を広げて物語を作るという味わい方であったことがわかります。
 後日、Hさんが私に「みんなで話しながら鑑賞すると、いろんな見方があることがわかってとても楽しかった。自分はどうしても『木を植えた男』の老人に見えてしまったけれど、画家が若い男だとは限らない、という意見を聞いて、画家といえば男性だと決めつけた自分の既成概念に気付くこともできた。この鑑賞は価値観を広げるのにもとてもいいですね。」と感想を言ってくれました。絵本とオーバーラップして自分なりに作品を味わえたことや、自分の感じたことを伝えられたことに、とても満足されている様子でした。
 鑑賞に正解も不正解もありません。見た人がそれまでの経験を踏まえて想像を広げ、自由に味わい楽しみながら作品の解釈をしていく。そういう鑑賞もあるのだと再認識させてくれたHさんとの鑑賞会でした。対話型鑑賞も一期一会。その時、そのメンバーで語り合う喜びを感じたひと時でした。

参考:「木を植えた男」ジャン・ジオノ原作 フレデリック・バック 絵



※29年度のみるみるの会の活動(鑑賞会)は先日2月10日(土)の「みるみると見てみる?」をもって終了いたしました。
 30年度の活動予定については、またこちらでお伝えします。

 29年度の「みるみると見てみる?」レポートは④、⑤・・・とお届けする予定です。お楽しみに!
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