ART COMMUNICATION IN SHIMANE みるみるの会の活動報告

島根の美術教育関係者が集まって立ち上げた対話型鑑賞の普及に努める「みるみるの会」の活動情報をお知らせするブログです。

安来市加納美術館にて対話型鑑賞会(写真作品)を行いました!(2018,10,21開催)

2018-10-28 20:25:48 | 対話型鑑賞
 安来市加納美術館で、10月22日まで開催されていた写真展「大石芳野 HIROSHIMA平和への思い/高嶋敏展 SHIMANE戦争の手ざわり」にて、みるみるの会メンバーの春日さんが対話型の鑑賞会を行いました。その様子をお届けします。



安来市加納美術館 10月21日(日)14:00~15:00(1時間2作品)
鑑賞作品 大石芳野作「友保絹枝 20歳で原爆死した娘の八千代さんの写真をベッドの枕元に飾っている」
     高嶋政展作 シリーズタイトル:戦争の手ざわり「松ヤニの採取跡」
鑑賞者 15名程度 ナビゲーター:春日美由紀

 
 最初の作品は展示されていないもので、神館長が対話型鑑賞のために収蔵庫からわざわざ取り出し、イーゼルに立てかけて展示してくださった。当初は高嶋政展氏の作品のみで鑑賞会を行うつもりだったので、鑑賞作品のシークエンスも変更しました。
 鑑賞者はナビがお誘いした方以外にも多数おられ、どんな対話が展開するのかドキドキ・ワクワクでした。



 1作品目は画像でもわかるようにモノクロの写真です。高齢の女性が画面の中央に大きく写っています。目を引くのはその後方にある若い女性の写真です。この写真の主が誰なのかが対話のメインになるのかな?と予想されました。会が始まり、神館長のあいさつ後、鑑賞会を始めました。初めての方が大半だったので、ルール説明を行い、まずはじっくりとみていただきました。
 以下に発言をほぼ順番に記しました。
・自宅ではない。病院でもない。施設のような所にいる。周囲の建物の様子から。
・後ろの写真は、この人の「娘」さんではないか?顔が似ている。着ている物から病院ではないと思う。ワンピースを着ているから。
・年配の女性。ショートカットの髪型は戦後。自分もそうだった。まだ存命では?
・二人の表情が対照的。高齢の女性の表情は硬い。一方写真の表情は明るく溌剌としている。この表情の対比は何なのだろう?
・正座をしている。固そうなベッドの上で。右足の位置からそう思う。
・自宅を離れてここに来るときに、後ろの小物入れと写真を持ってきたのでは?この建物の中で、この二つのものに生活を感じる。大切なものだと思う。
・右手の写り方が不自然。指の先が欠損しているのではないか?
・身寄りがないと思う。それで、この施設に来た。正座をしているのにしてはやや不安定な位置に座っている。左足がどうなっているのか?
・後ろの写真の女性が気になる。娘なのか?自分の若い時の写真なのか?答えを教えてほしい。(答えを教えることがこの鑑賞会の本意ではない。よくみるとみえてきます。)
・自分のこととして考えると、自分の若い頃の写真を飾るとは考えにくい。やはり大切な人ではないか?この人の娘さんだと思う。
 ここまでで、約30分の対話でした。参加者の中に時間を気にして、写真の女性が誰なのかを知りたがられる方がおられましたが、鑑賞自体が「答え探し」ではないので、それぞれの参加者の方に考えていただくことがこの鑑賞法の醍醐味であることをお伝えして、興味が続く方は次作の鑑賞にも参加いただくよう声をかけて、次の展示室に移動しました。ほぼ全員の方が移動してくださいました。



 次の作品は高嶋政展氏の組作品です。松根油を軍事用に使用するために傷を付けた痕のある松がたくさん写されたものです。ひとつの壁面にそのシリーズが展示されているので、それらをまず、全体的にみてもらって鑑賞会を行いました。
 以下に発言をほぼ順番に記しました。
・まだ、松脂が出ている。70年以上も経っているのに…。生きていると感じる。
・よく通る場所なのに、こういうものがあること自体を知らなかった。知らない人がたくさんいると思うので、伝えていくことが重要だ。
・よくみると、道路側ではなくて、裏側を削っている。見えないほうを削っている。だから気付かない人が多いと思う。
・出雲大社の参道の松。でも、境内の松までは手を出していない。(憚られた?)


 
 次に、最後に展示してある作品にフォーカスして鑑賞してもらいました。これは、一番メッセージ性が高い作品だとナビが捉えたからです。今日の「戦争」に関する一連の作品鑑賞の締め括りにふさわしいのではないかと考えました。
・ここは、一畑電車の出雲大社前の駅の所だと思う。
・綺麗な着物を着ていて、平和な感じ。誰も傷つけられた松を見ていない。
・松の影が敷石の道路に映っていて、初めて松の姿が分かる。松の全体の姿が写ったものが無いので。(枝ぶりの立派な松ですね。)
・右の男の人が半袖の服なので、夏、もしかしたら、8月15日の終戦記念日か何かに撮影したのではないか?(実はあとで高嶋さんからドンピシャだとネタバレがありました。)
・画面の中央に傷つけられた痕のある松がバンと写っていて、でも、晴れ着を着た人も、旅人も誰も松をみていなくて、松は「私をみなさいよ。70年以上も傷つけられて、私はまだ、痛いわよ!!みんな晴れ着を着て、観光して、バカ!!平和ボケしてるんじゃないわよ!!」
ナビ)なるほど、平和ボケしている現代人に、松が怒っている訳ですね。あの、知ってますか?NHKのチコちゃん…「ボ~~~ッと生きてんじゃねえよ!!」って感じですかね?
 気持ちよく切り上がったように感じたので、この作品を最後にみていただいた意味も考えてほしいことを伝えて終了しました。参加者は誰もが「楽しかった」と評価してくださいました。

 
 参加者にアンケートを取ることをしなかったので、後日感想を寄せてくださった方のものを以下に掲載します。

・今回は高嶋敏展さんの写真展がある事を知り、山陰にもこんな感性で活動されている人が!と嬉しくてぜひ、作品を鑑賞、ご本人にも会って話してみたいとお邪魔しました。ちょうど、大石芳野さんの展示会場で「対話型鑑賞」が始まったところで、来場者がそれぞれに感じた事を話されていて、ひとつの作品についてもっと深く考えたり、気づきをもらったりとても有意義な鑑賞法だと思いました。高嶋さんの作品はとてもユニークで、出雲大社の神門通りにある松の木がこのような姿をさらしているとは全く知らなかったし、ましてや戦争末期、航空燃料の代替えに松ヤニを採取していたなんて…知りませんでした。旧海軍大社基地とか、山陰にも強制連行で連れてこられて工事させられた人とかいたのかも、と思ってしまう。アート表現を通して、今や過去の戦争について見つめたり、考えたりする、こうした切り口での伝え方やアピールがあるのだと感動しました。

・美術館では、対話式鑑賞のワークショップ(対話型鑑賞会)がありました。作品解説なしに読み解くもの。
その人その人の視点というものはあるので、自分が気づかなかったことを他の方が指摘されます。
自分の見方はちょっと個性的でした。
何が描かれているかを述べる人の方が多いかなー。今回は写真だから、何が映っているかということを見る人が多かった。
シチュエーションは、写っているものを分析すれば明らかになるんだけど、こちらが見ているのは構図。同じ形の繰り返し、垂直線と水平線がどこにあり、どう交差して、リアリティを作るかなどの方が気にかかる。

・初めて参加しました。しかも写真が題材という変化球からの入りでした。知らない方もおられましたが、見たままから発言すればよいとのことなので、不安よりワクワクの方が強かったです。ナビゲーターの方と親しいということも大きかったのでしょう。感じたり思った事を躊躇なく発言できました。気持ちよかったのは、誰かが自分の発言にうなづいてくれたり、新たな発見をされた様子が感じられたことです。少人数でほどほどのスペースだったのも良かったのでしょう。ナビゲーターの方に上手に意を汲んでもらったのも安心して言葉に出せた要因です。作品のテーマが戦争や原爆、平和というちょっと重い感じではありましたが、一つの作品に集中して鑑賞できたのはほかの作品につながりを生むものでありました。正直言って作品の背景を知らずして、真の鑑賞などできないのだろうと思っていた一素人には、芸術へのハードルが低くなった、いや、自分の感性をぶつけて素直に味わえば良いのだと、ハードル自体が消えていくような体験でした。次の鑑賞も楽しみになっています。

・今回このような企画に参加させていただき感じたことは、何人かで対話することにより、自分では気づかなかったことに気づけ、もっと想像がふくらむということです。しかし、そこには「みるみるの会」さんの見事な誘導があるから、想像がふくらんでいくのでは…と思いました。一枚の写真にも写真家さんの思いや意図があるのだなあ…と感じました。それと同時に今回は私の知らない戦争の頃のことがほんの少し分かって勉強になりました。それから、知らない人の前でも自分の意見が言える勇気がほしい…と思いました。でも、聴いているだけでも楽しい!!

 
 作家の高嶋さんからのコメントです。
・作品っていうのは作者の意思を超えて人に訴えたり、思いを伝えたりするものです。 あの松や空港のシリーズは長くテーマを自分の中に持っていた作品で、どんな風に見えているのかわからなくなっています。 歴史的に貴重だとの指摘をよく頂くのですが、僕としてはあまり意識した事はないので す。 自分のやりたい事を表現する手段としてテーマに選んでいるわけでそれ以上でもそれ以下でもないんです。そういう意味では作者の意思を超えて様々な事を訴えている作品などだと感じました。僕は映画が好きなので右から左にクローズアップからだんだん全体が見えるように引いていくズームアウトの技法を展示で使ったわけです。この効果かわかりませんが、非常に松の木というものに心象を投影してもらえたのだと思いました。あの松が擬人化されて見えるというのは全く予想をしなかった事で作者としては不思議というか嬉しいというか戸惑うというか、想像していない反応に驚きました。


 ナビの振り返り
 1作品目は、原爆の被害者であることは自明なのだが、そのことに触れる発言が無かったこと。それと、中央の女性について迫り切れなかったことが悔やまれる。もっと迫れていたら、後方の写真が中央の女性の「娘」で、その「娘」の若い頃の写真を飾っていることの意味と、その重さをもっと共有できたのではないかと思う。中央の女性についてもっとフォーカスして読み取りを小まとめしながら積み上げるべきだった。
 2作品目は、1作品目を踏まえていたことと、たくさんの作品をざっくりとみてからの対話だったので、発言の難度が下がったように思う。作品を身近に感じる方が多かったのだが、中には県外の方もいて、アウエー感(疎外感)を感じておられたようなので、地域色の強い作品に対しての扱い(知っていること前提)は慎重さも必要であると反省した。当初は高嶋さんの作品のみでシークエンスを組んでいた。弾薬を入れていた箱のインスタレーションと飛行場跡地の組作品を鑑賞しようと思っていたが、大石さんの作品が飛び入り(うれしい悲鳴)となったので高嶋さんの作品を変更した。展示室で独立している作品は2点あり、出入り口に一番近い作品は最後にみるべき作品と捉え、締め括りの意味で鑑賞しようと考えた。目論見は当たり、高嶋さんがこの展覧会に合わせて新しく撮影した作品と分かり、取り上げてよかったと感じた。
 参加者の感想は概ね良好なもので、この鑑賞法が未体験な方が多いことと、この鑑賞法が新鮮で、有意義なものと捉えてくださっていたので、やはり普及していく必要性を強く感じた。参加者の方の感想の中に「誘導」という言葉が使われていて、意識して誘導しているつもりはないのだが、参加者が導かれていると感じられたのだとしたら、そのあり方については検討していかなければならないのかと思う。
 多くの参加者に恵まれ、充実したひとときを過ごせましたことに感謝します。ありがとうございました。




 次回のみるみるの会の鑑賞会は…
11月17日(土)14:00~15:00 浜田市世界こども美術館にて開催します。
あなたの素直な感性で作品を味わってみませんか?
浜田市世界こども美術館で、楽しいひと時を一緒に過ごしましょう!
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浜田市世界こども美術館での9月の月例鑑賞会のレポート②をお届けします(2018,9,8開催)

2018-10-07 22:55:23 | 対話型鑑賞
浜田市世界こども美術館 コレクション展示 「海と日本」
鑑賞作品 「魚」 山本佐香恵(制作年不詳)油彩
ナビゲーター 房野伸枝

 月に一回の「みるみるの会」の定例会は、発足当時から「浜田市世界こども美術館」のコレクション室を会場としてお借りしています。会を重ねるにつれて、鑑賞をしたことのある作品が増えてきました。同じ作品を鑑賞しても、ナビゲーターや鑑賞者が異なれば違う鑑賞になるのが、対話型鑑賞の醍醐味です。今回展示されていた作品は、みるみるメンバーでは鑑賞済みの作品ばかりでしたので、あえてナビゲーターが作品を選ぶことをせず、参加者の方から鑑賞作品を選んでいただき、鑑賞会を行うことにしました。
 今回の作品は鑑賞者に選んでいただきましたが、もしも私が選んだらこの作品は取り上げなかったかもしれません。「魚」と題された油絵は、魚、カニ、エビが緑色のテーブルの上にある静物画です。ぱっと見はテーブルに置かれたモチーフに何らかの物語性やメタファーがあるようには見えません。画家が描きたいモチーフを並べて、ラフな筆致で描いたこの作品で、対話が弾むのかなぁ…と一抹の不安を抱えながらスタートしたのですが、ナビの意に反して対話は途切れることなく続いたのでした!

 鑑賞者はご自身が絵を描かれる男性3名、数回目の女性1名、みるみる会員2名でした。
 今回の鑑賞者の第一声が「静物画は作者の意図がよく反映される。」というものでした。その後もこの言葉の通り、構図、色、などに話題が集中し、挙手が止むことなく対話が続きました。下記は鑑賞者の意見です。

・下の床の線に見える連続した線は、実際よりもかなり歪んでいるが、これは右上に視線を集めさせるためのものではないか。
・遠近法に沿っていない形で描かれていて、テーブルからモチーフがずり落ちそう。それを左に大きく描かれた魚でバランスをとっている。
・テーブルの緑色はその上に置かれているエビなどのモチーフの補色であり、引き立て合っている。
・魚にはピンクや緑など、固有色ではない様々な色が使われているが、それはリアルさというより、他とのバランスをとり、周りの緑色が映り込んでいる様子を表そうとしたのではないか。
・バックを黒くしているが、テーブルや床とのコントラストが強く、その境にv字の形を生じさせ、絶妙にバランスをとっている。
・テーブルの脚が少しだけ描かれているが、この画面で垂直な線はここだけ。ゆがんだモチーフとのバランスをとるために重要なものとなっている。

 この作品がリアルさを追求するよりも、画面のどこに視線を集めたいのか、バランスをとるためにどのような色面や線を意図的に入れているのか、ということが語られました。

<ふりかえりより>
・静物画でこれほど話が弾むということがおもしろかった。
・構成→色彩→モチーフと視点が移り変わり、スムーズに流れた。
・構成が話題になることで「見えるもの」を中心に語っていたが、「生きているものと死んでいるもの」という、読み取りも生まれていた。
・構図や色彩について論理的に構築的な対話を好む人が多かったが、中にはそうではなく、物語性を見出したい人もいる。そのような鑑賞者には「批評よりも鑑賞、ということで、絵そのものの話をもう少しできたらうれしいです」という感想があった。今回は鑑賞者が少人数だったことと、鑑賞の傾向に偏りがあったことが要因であったと思われる。しかし、今回のように異なる価値観が出会うことで、普段の自分の鑑賞のスタイルとは違う見方があることを知るよい機会となったのではないか。

 後から調べてみたら、この魚は「マトウダイ(バトウ)」という山陰でよく採れて食される島根ではおなじみのものだということがわかりました。そこから「この地域の海の幸」という話題になる可能性もあったのですが、今回は構成上の話題で盛り上がり、時間切れとなりました。鑑賞会終了後もさらにこの作品の前で対話が続いていたことからも、小作品であっても話の尽きない作品であり、今回鑑賞することができて本当に良かったと思いました。静物画に込められた作者の視点や仕掛けを読み解くという、私にとっても普段とは違う刺激的な鑑賞となりました。
 鑑賞会に集まってくださった皆様、本当にありがとうございました!
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