ART COMMUNICATION IN SHIMANE みるみるの会の活動報告

島根の美術教育関係者が集まって立ち上げた対話型鑑賞の普及に努める「みるみるの会」の活動情報をお知らせするブログです。

日御碕小学校、全校対話型鑑賞会の感想文をお届けします!!

2015-03-30 20:18:38 | 対話型鑑賞


きっと、4月1日からしばらくは怒涛の忙しさだと思われるので、今のうちに、3月に校外で実践させていただいた学校の児童・生徒の記述をまとめて掲載しようと思います。

ご覧になって感じられたことは、ブログのコメントやFBでコメントくださると幸いです!!


日御碕小学校の児童の感想

1年生男子
 ぼくは、えを見ておねえさんに目がいきました。つぎにおかあさんに目がいきました。
このふたりがすごくかわいかったです。あのおかあさんは23さいだとおもいます。

2年生女子
 わたしは、絵を見て、おねえさんに目がいきました。
 6年生くらいに見えました。おねえさんはたのしそうでした。わたしもかごの中にはあかちゃんがいると思ってました。5年生がわたしと同じことを思っていたんだなと思いました。

2年生男子
 ぼくは絵を見て青いようふくをきている子どもに目がいきました。
 四才くらいの子どもでした。お母さんにだっこをしてもらいたくて手をのばしていたと思いました。もう一人の白いようふくをきているこは、うばぐるまの車りんにのって赤ちゃんを見ているんだと思いました。おねえさんはひまわりをもっていて、にこっとしていました。
あかちゃんもおねえさんのほうを見ていると思いました。

3年生男子
 今日、かすが先生とはじめてべんきょうをしました。さいしょはなんのべんきょうかわかりませんでした。でも、5・6年生の発表を聞いてぼくは自信をもちました。だから何こも発表ができたと思います。たとえば、家族がどこにいるかとか、ぼくは、発表しなかったけどきせつのときに秋だと思いました。わけは、かれ葉とかが落ちていたからです。またこういうじゅぎょうをまたしたいです。

3年生男子
 今日、はじめてかすが先生とべんきょうしました。
 なにのべんきょうをしたかとゆうと、絵を見て、しっかり見ることができたか、絵を見てしっかり考えることができたか、手をあげて発表できたかをしました。
 ぼくは、絵を見て、手をあげることができなかったけど、友だちのはなしをしっかりきくことはできました。
 こんど、あったら、手をあげて発表したいです。

3年生女子
 今日はじめて、かすが先生にきてもらって、みてはなそうをしました。
 わたしは、きまりを守ることができました。わたしは、さいしょ絵を見て、いっぱい思いつきました。でも、あれかなあと思って、一つきめました。わたしが一番楽しかったことは、かすが先生と、図工の学習ができたことです。わたしはあの絵を見て、植え木ばちがあるから、外だと思いました。わけは、植え木ばちの中に、なんかはえているからです。

5年生女子
 あのしあわせそうな家族は、ずっとこうなっててほしいという作者の願いの表われではないのかなと思いました。

 私は絵のかん賞をして、絵をみんなでくわしく見ると、たくさんの意見や思った事が出たのでびっくりでした。
 私ははじめのころ、たくさん意見を言っていました。ですが、小さい子の足のうらが少しよごれていた事を言えませんでした。残念でした。
 私はこれから絵をかくのにじっくり物を観察しながら絵をかいていきたいです。

5年生男子
 なぜあの絵をかかれたか考えました。
 いつまでも家族の仲のいい光景が残るといいなあと思ったからです。あの絵が書かれたのは戦前だと思います。なぜなら家がトタン板ぽくなかったし草がはえていてやけていなかったので戦前だと思うし、計算すると1920ごろだったので戦前に書かれたと思います。今日の授業をしていつもより絵を見てそうぞうして見ることができました。これからも絵を見る時はしっかりそうぞうして見ていきたいです。

5年生女子
 あの絵は、たぶん、戦争後で、平和にくらしている家族をかいた絵だと思います。お父さんは、きっと戦争でなくなったんだと思いました。

 絵のかんしょうでは、どんなことをするんだろうと思っていました。かんしょう会が始まって、絵を見たとき、この絵を見てどうするんだろうなあと思いました。意見を言うのが分かったら、色んなことがうかびました。人の意見を聞くと、感じ方がちがうんだなあと思いました。
 これからは絵を見るとき、色んなことを考えながら見たいです。

5年生男子
 なぜ、あの絵をかかれたかは、いつまでも、すてきな家族でいられるようにかかれたと思います。あの絵を書かれたのは、戦争前だと思います。なぜなら、戦争が始まるまで家族で楽しい時をすしたという事を残したかったんだと思います。
 今日の授業を通して、いつもより絵をしっかり見て考えることが出来ました。これからも絵をかく時があれば、あの絵のように色々な事を考えてかいていきたいです。

6年生男子
 なぜ、あの絵がかかれたかをあとから考えました。
 あとから考えてみて、今を2015年としてあの絵のモデルになった人の子どもが今65さいだから、2015-65=1950年にモデルになった人の子どもは1950年にうまれたとして、絵のモデルになった人が30さいくらいで子どもをうんで、1950-30=1920年ごろに絵をかいたと思いました。もう一つは建てものがバラックじゃなかったからです。ぼくはこの2つを理由に戦争のおこる前にかかれたと思いました。
 ぼくは今日の授業をして観察力がするどくなりました。今日の授業で学んだことを生かしてこれからふだんの生活に生かしていきたいです。

6年生男子
 なぜ、あの絵がかかれたかは、時は戦前でまだ、町の人たちが平和なときだったと思います。お父さんが絵をかかれたと思います。戦争前で、お父さんが戦争に行ってないから、お父さんがかかれたと思います。
 今日の鑑賞を終えて、しっかり絵を見ること、絵を見てしっかり考えること、友だちの意見をしっかり聞くことができました。みんなが言っているときにしっかり聞けてよかったです。これから絵を見る機会があれば、今日の鑑賞を思い出して見たいです。

6年生男子
 今日は、絵の鑑賞教室で、春日先生に一つの作品を見せてもらいました。そして、春日先生が質問を何問かされて、最後には、こんな質問をされました。「どうしてこの作品をつくられたと思いますか?」と言われました。
 ぼくは、この作品が作られた理由は、戦争で父が、戦争に行ってわかれているけど、母と子どもの6人でがんばっているんだな~と思ったから作品にされたんじゃないかな~と思いました。
 ぼくは今日の、絵の鑑賞教室をして、絵はただかきたいからかいてあるのではなく、ちゃんと意味があると思いました。

鑑賞作品は、草光信成の「四人の子等」です。

全校鑑賞会だったので、担任の先生や校長先生・教頭先生も参加してくださいました。また、幼稚園の園児も2名参加しました。途中で先生にあてたり、校長先生を指名して発言してもらったりもしました。とってもアットホームな雰囲気で鑑賞ができました。

担任の先生方は、児童が発言をあまりしなかったことに心配しておられたそうですが、その後の記述になると、真剣に書く様子や、書いている内容を読まれて、感動しておられたようです。「学力をのばす美術鑑賞」で、アメリカの小学校の先生たちの実践事例が紹介されていますが、それと同じような状況が日本の極小規模校でも起きていたと言えます。今年度の活動は終わりましたが、来年度も校区内の幼稚園や小学校で、この鑑賞法を普及していきたいです。
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光中の生徒から対話型鑑賞についての振り返りが届きました!!

2015-03-29 21:37:32 | 対話型鑑賞


今年度、出雲市立光中学校3年生と6回の対話型鑑賞の授業を行いました。6回の鑑賞の授業で鑑賞した作品は8点。すべての鑑賞活動が終了した時点で、「対話型鑑賞を終えて」ということで、アンケートと振り返りをしてもらいました。そのワークシートのまとめをお届けします。

対話型鑑賞作品 8作品の中から、「MY BEST 3」を決めてもらいました。1位に選んだ作品に3点、2位は2点、3位は1点として、17名の生徒の投票結果をまとめてみました。

第1位は33点GET「ひまわり」ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ
第2位は22点GET「四人の子等」草光信成
第3位は12点GET「道」東山魁夷
第4位は11点GET「切通しの坂」岸田劉生
以下
9点「椅子」ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ
9点「解放」ベン・シャーン
4点「慧可断臂図」雪舟
2点「立てる像」松本竣介
という結果でした。
6回目の最終回は「切通しの坂」「道」「立てる像」と3点を一挙に鑑賞したのですが、印象深かったようで上位に入りました。意外だったのが「ひまわり」です。対話型鑑賞の入門作品として鑑賞しましたが、初めてだったことと、友だちのコメントが新鮮だったようです。作品選定の理由も記述してもらいましたが、全員しっかりと理由が書かれていて、どの作品も記憶に残っていることが垣間見えました。

さて、このアンケートの次に

Q1.この鑑賞を行って、自分にどんな力がついたと思いますか?という質問をしました。全生徒の記述を掲載します。

◆初めは苦手でみんなの意見を聞いているだけでしたが、少しずつ自分の意見を言えるようになったし、みんなの意見を聞いてさらに自分の意見を考えることが出来ました。さらに、絵から感じることも考えれるようになり、絵を細かく見れるようにもなりました。
◆想像力と鑑賞するとき観察する力です。この絵は、どんな絵なのか、この絵にはどんな思いが込められているのか、想像したり考えたりすることは今までしたことがなかったし、考えたこともなかったのに、想像力が豊かになり、たくさんのことを考えられるようになりました。
◆一つのものを色々な視点からできるようになったと思います。
◆やはり一番は、深く考えるようになったと思います。今まで一度も春日先生と授業をするまで対話型鑑賞をしたことが無く、絵をじっくり見て考えることなどしてもみなかったです。鑑賞を始めてから、作者の考えや想いを考えるようになって、少し考えていけば、また疑問が生まれ、見つけたと思ったら、じゃあこれはどういう意味だ?と、どんどんつながっていって、たくさん考えさせられました。「分からない」と言って投げ出さず、考えていけるようになったと思います。
◆何回も書いているんですが、やっぱり「どこからそう思うのか?なんでそう思ったのか?」を自分から考えていけるようになったと思います。今まで自分にはなかった力がついたような気がしているし、それがこれからの自信になると思います。
◆対話型鑑賞の授業を行うまでは対話型鑑賞というもの自体を知らなかったし、美術の授業は自分が何かを作りあげるものだと思っていた。でも、この授業を受けているうちに絵画を見る目が変わっていったと思う。この絵はどんな状況なんだろうとか作家はどのような気持ちでこの絵を描いたんだろうなどとても考えさせられた。対話型鑑賞というあまりないことを体験させてもらって、絵に込められたメッセージを頭ではなく心で考える力がついたと思う。
◆絵を細かい所まで見て、こうだからこう思うというふうに根拠を立てて考えることができるようになりました。また、椅子を見たときに物はどのように読み取ればいいのか最初は分かりませんでしたが、古いことやまわりの景色などから色々なことが読み取れて良かったです。人物以外の物からも色々読み取ることができるとわかって、とても自分自身が成長したように思えました。鑑賞をしていろいろな力がついたと思いました。
◆この鑑賞法は、これまで自分たちが体験した絵を見て感じたり、考えたりするだけでなく、みんなで個人で考えたことや考えたことをシェアしあって考えを深めるというものでした。始めは自分の考えを言い辛かったですが、回数を重ねるうちに正解はないことが分かり少しずつでも発言できるようになりました。また、絵には何が描かれていて、それがどこからどんなところから分かるかや絵から感じる思いなど細かいところまで見て考えたり、感じたりすることができるようになりました。だから僕はこの鑑賞をして、発言力・思考力・感じる力・見る力などの鑑賞力がついたと思います。
◆絵を見て考える力がすごくついたと思います。絵を見て想像したりするのは、全然したことがなかったけど、授業をするにつれ、だんだんついてきました。
◆今までは絵になにも関心がなかったけれども、この学習をして少しずつ絵に関心をもつことができるようになっていって、とても良かったし、物を観察して見ることができるようになったので観察眼がついたと思う。
◆私は観察力がついたと思います。観察力があると絵を見るのが楽しくなります。私が特に好きなのはただリアルに描いたようなものではなく、パブロ・ピカソさんやゴッホ巨匠のようなものです。ただリアルに描くのは誰でも出来ますが、ボヤかしたり、何が何なのか分からなかったりするのは、描く本人しか表現できないからです。
◆約8回の対話型鑑賞の活動を行いましたが、自分にはものを見極める力と観察力がついたと思います。
◆今まで絵を見るというと色合いや絵柄しか私は見なかったのですが、鑑賞の授業をして、より細かいところまで見ることができるようになりました。また、今まで絵を描くときは雰囲気で好きなように描いていたのですが、意味を考えながら描くようになりました。
◆絵に関して最初、何も言われないので、見えるものから想像していったり、人の言ったことを聞いて違う視点からその絵を見てみたりして、これと同じように日ごろの物事をいろいろな視点で見ることができるようになったと思います。
◆普通の授業と違って、答えがないので、自分の意見が言いやすかったです。なので、発表することができて良かったです。あと、自分で想像したり考える力がついたような気がしました。私はふだん、あまり絵に興味をもって見ることがなかったけど、この授業を通して考えることができたので良かったです。
◆絵に限らず、古着などにでも、ここにくるまでに、前の持ち主に大切に使われてきたのかな、こういう思いが込められたりするのかなといった風な、想像力が身についたと思います。
◆見る力と感じる力が身についたと思う。

次に
Q2.すべての鑑賞を終えて、思ったことを自由に書いてください。ということで記述をしてもらっていますが、このまとめは次回にしたいと思います。

では、久々のブログUPでした!!
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グラントワでの最終実践のレポートです!!

2015-03-15 23:15:38 | 対話型鑑賞


3月8日(日)島根県立石見美術館
あなたはどう見る? ~よく見て話そう、美術について~ みるみると見てみる?
最終回
作品 森村泰昌「女優になった私シリーズ」8作品:写真モノクロ
参加者 一般成人男性2名 女性3名 みるみる会員6名
ナビゲーター:春日美由紀

 この作品は画像でも分かるように、8枚が一列に並べられて展示してあるので、1枚1枚を詳しくみて話すことは困難であると判断した。対話の中で、細かくみる必要のある場面が出たときに、その作品を参加者でよくみていけばよいと考えていた。
 この作家の作品はこの美術館に多数収蔵されており、何度も展示されているので、作家の名前や作風については、成人であれば、多少の知識はあると捉えていた。
 参加者が何名で、どのような年齢層なのかも未確定な時に、どのようにナビしていくのかをあまり深く考えすぎるのはよくないと、私は考えている。参加者の発言を聴きながら、どんな対話を参加者でつなげていけばよいのかは、その場の空気を読むのが自然であると思う。
 作品は、森村泰昌が外国人女優、いわゆる銀幕の女王と呼ばれた頃の映画女優に扮したセルフポートレイトである。今回並べられている作品はどれもモノクロで、作品の大きさも額装も統一された8枚である。ちょっと映画に詳しい人なら、モリムラが誰に扮装しているのか分かると思う。扮装した女優たち総ての映画を私は観たことはないが、有名女優であったこと、トレードマークのコスチュームや仕草は私も一部を除いて見知っていた。
 この作品で対話することになると「どうして、こんなこと(女優に扮装すること)をするのだろう?」という疑問がわくことになるだろうと想定されるし、そこについて考えることが、この作品を深く味わうことになるだろうと思っていたが、参加者の自発的な問いかけなしには、そこへもっていく(誘導する)のはまずいのではないかと考えていた。
 さて、参加者は3名の女性が初参加。単独の1名と2名の知人同士の組み合わせで、「参加されませんか?」と声をかけると、固辞する様子もなくベンチに腰掛けられたので、最初から参加しようと思っていた様子だった。1名の男性は何度か参加してくださったことのある方で、中学生の子どものいるお父さんである。もう1名は石見美術館のボランティアガイドの方である。
 さて、実践開始。作品が小さいし、モノクロなので、近づいてよくみてもらうように促し、対話が始まった。

 最初の発言者はボランティアガイドの方で、裸婦の画像だけが背景があると指摘し、その背景から仏像を連想すると話された。
 次は、同じく男性の参加者で、裸婦の乳房(おっぱいと発言)が目についた。フィギュアのようで作られたものという感じがして、見るのに恥ずかしくないと言われたので、「どこからそう感じるのか?」と突っ込んで訊ねた。「写真?のようなので、しかもモノクロなので、リアルでない。モノクロのあいまいさのなせる業?」と写真の技法から感じられることを話された。「もし、カラーなら色の違いで、本物と偽物の違いが分かる。左端の画像を見ると、肌が荒れているみたいなので、そこからも、おっぱいは本物じゃない気がする。」と他の作品とも比較して、「どこからそう思うか?」について語ってくださった。
 複数の作品が並べてあり、「どこからそう思う?」について、2作品を比較した発言が出たことによって、8枚の作品を連作として捉える発言が起きる。
 「同じカメラマンの作品ではないか?時系列はどうなっているのか?新しい物と古い物は?」という発言があり、「新しい、古いとは、写した時のことですか?写り込んでいるものの時代のことですか?」と訊き返し、「写りこんでいるもの。」と答えられたので、「どう思いますか?」と訊き返したところ「新しい(時代)のものは左端で、古い(時代)のいものは右端。」と答えられた。ここで、「どうしてそう思うか?」と訊き返すと、この方ばかりとのやり取りになってしまうので、参加者に、「並んでいることにも意味があるのかもしれない。異なる時代のものが一緒に並んでるのかも?」という疑問を投げかけて、次の発言を促した。
 一人の女性の方が、話したそうにしていたので、指名した。「多分、同じ方が写っている。」と言われたので、「どこからそう思うのか?」と訊いたところ「多分、モリムラさんで、この作品が今回並べられた時から、ずっと気になっていて、どんな魅力があるのか、みなさんの意見をききたくて、今日は来た。」とおっしゃられた。
この作品にまつわる情報が発言者から提示されたので、参加者に確認をした。「同じ方が扮しているという意見が出ましたが、みなさんいかがですか?異論のある方おられますか?」「シ~~~ン」どうやら、参加者は、みなさんこの作品が「モリムラ」であることをご存知。ということで、「この作品は、みなさんもご存知のように、森村泰昌氏の作品です。」と情報の確認を行い、そして「森村氏がどうしてこんなことをしているのか知りたい。ということを話してくださったので、そこのところを皆さんで、この後、話し合っていけるといいと思います。」とつないだ。
この女性の発言が、今回の鑑賞の方向を決めたといってもいい。もちろん、ナビの望む発言であったことも言うまでもない。そして、モリムラの作品をみる人ならおそらく誰しもが抱く疑問だろうと思われる。「どうして、こんな(人に扮する)ことをモリムラはするのか?」参加者が成人だけだったので、会話はかなり深いところまで進んでいく・・・。
しかし、まだ、「どうしてこんなことをするのか?」について語り合うには、作品に関する読み取りが足りないと思っていたし、参加しているすべての方に1度は発言してほしいと考えているので、「他に、話したいことのある方はおられませんか?」と発言を促した。そうすると、知っていることを話してもよいということに安心した方が、
「24番の作品は誰に扮しているのか分からないのですが、右から順に、ライザ・ミネリ、オードリー・ヘップバーン、・・・・。」と扮装している女優の名前を挙げた。扮装している女優の名前は分からないが、裸婦像は「エマニュエル婦人」という映画である。ということも話してくださった。そこで、参加者のみなさんに、扮している女優を知りたいか尋ねたところ、みなさん、うなずかれたので、学芸員でみるみる会員で、今回の作品展の企画者である廣田会員に情報の提供を求めた。そして、すべての扮装している女優の名前が分かったところで、今回の対話の核心である「どうして、こんなことをモリムラはするのか?」について語り合っていくことにした。

参「モリムラ作品をみたとき、わっ、おもしろい。なんで?という驚きと感動とともに、気持ち悪いなあ。とい思いも同時におきる。そこに魅力がある。」
ナ「扮している女優のことはよくわからなくても、扮していることによる気持ち悪さと好奇心を掻き立てられるのですね。」
参「シリーズと言われたので、何かを求めて制作されたのか?エマニュエル婦人の画像の作品だけは、脚まで写っていて、それがゴツくて、男性的なのに、おっぱいがある。」
参「手がきれい。」
ナ「脚が写っていなかったら、女性に扮しきれている。この作品(エマニュエル婦人)に違和感を感じる。女性を演じているのに、男性を感じさせるところがある。手や肩のあたりはきれいで女性的なのに・・・。」
ナ「シリーズではないか。そこにも意味があるのではないかと考えている。」
廣田「シリーズと捉えた先ほどの私の説明には、少し、足りないところがありました。8作品で完成された作品というわけではなく、一連の作品群の中の8枚が当館に収蔵されているので、今回それをすべて並べたということです。」と補足があった。
参「ほくろまでつけて、メイクで女優本人になりきろうとしている。」
ナ「女優を知っている方からは、よく似ていて、扮しているモリムラの作品から何を受け取るか?」
参「変身願望、新しい自分の発見」
ナ「モリムラに変身願望がある?」
参「結構、楽しんでやっているのでは?」
ナ「どこからそう思いますか?」
参「手にポーズをつけたり、仕草から、女性らしさを演出している。」
ナ「女性らしさをアピール。男性なのに?」
参「全部、映画女優。映画の時系列はどうなっているのか?銀幕の女王というのがふさわしい時代では?映画のポスターの様だと思った。カメラ目線から・・・。」
ナ「映画が特定できる扮装である。それをみられた時、モリムラはどんな気持ちでやっている?」
ナ「初めの頃の発言に却って、モリムラはなぜ、このような作品を提供している?」
参「自分がキャンバス。新しいものをつくるたびに人が驚く。それで続けている。」
ナ「同じことを繰り返しているが、人目を惹きつける新しさがある。」
参「ある意味気持ち悪い。」
ナ「珍しいものみたさ。怖いものみたさ。ということですかね。」
参「誰もやっていないこと。」
参「元の女優について自分は知らない。全部モリムラだ!!自分には前面にモリムラが出ている。」
ナ「女優を知っている人は、女優になりきっている。知らない人にはモリムラにしか見えない。このふたつの受け止めの違い。同じ作品なのに違う受け止めが起きていることがおもしろい。」
参「みられることにイキイキいている。左側を写した作品が多いのは、そちら側がキメ顔かも?モリムラが青春時代、当時の銀幕のスター。雲の上の存在。あこがれ。美しくなってみたい。それが、作品に表れているのでは?」
ナ「自分のあこがれの存在に扮することで自己表現している。」
ナ「では、何で、男なのに、女優なんでしょう?乳房まで演出して、その辺りはどうですか?」
参「なぜ、ライザ?キャバレー?自らをキャンバスにして変身?女性の造形美。女性は化粧をして美しさを作る。素の状態から作り上げていった美しさ。キャバレーやティファニーは。でも、一番左の人は自然な感じがする。」
ナ「作り上げた女性の美しさ。自分も演じることで再確認できた。そういうことでよろしいですか?」
参「はい。」
参「ガルボが2作あることについて考えたこともなかった。女性=作り上げた美。女優は時代が作る像として消費される存在。社会的役割も担っている存在。でもそれは、私たちも同じ。自分たちにも役割がある。ということも示唆しているのではないか?」
ナ「示唆深いお話をありがとうございました。」
※この発言は廣田さんで、あまりに哲学的で、ナビが言いたいことを理解しきれていない。が、時間もこの時点で40分経過しており、そろそろ切り上げ時と判断し、ざっくりパラフレーズするにとどまる。
ナ「最後にどなたか?」
参「森村さんは自分でメイクしているんですかね?」
ナ「どう思いますか?」
参「このくらいの人になったら、チームとかでやってるんじゃないかな?」
参「自分でやっていたら、作品という感じがする・・・。」
ナ「初めの頃は自分でメイクしていたと思う。NHKの特集で観たことがある。ただ、今はメジャーになったので、チームでやっているかもしれない。アトリエはガード下、高架の下の電車が通るとガタガタ揺れるような狭くてとても汚い所だったように記憶している。ただし、この作品については?なので、興味があれば、インターネットで検索されてもよいのでは?」
参「森村さんはお茶屋さんの息子さんで、自己演出していった。とてもおもしろい。」
ナ「今日は、モリムラ作品の、ざっくりまとめると、なりきり女優シリーズについて皆さんと語り合いました。女優を知っている人とそうでない人とで作品の捉え方に違いがあることが分かりました。女優を記号化した美と捉え、大量消費社会で消費されていった職業であることをモリムラが提示したのではないかというお話になったと思います。皆さんにとって今日の対話が意義のあるものになっていたら幸いです。ありがとうございました。」(45分)

締めくくり
廣田「第1回目から気になっていた作品。満を持してやっていただきました。今回出された意見が総てではありません。また、違うときにみると違った見え方をするかも知れません。今回の体験を次の機会につなげてくださればと思います。」

 実践の振り返り
 自評
 〇対話の進め方については、頭書に記したとおり。参加者の中から「この作品が伝えたいことについて語り合いたい。」という発言があったので、うまく進められると感じた。作品についての解釈をパラフレーズするのは長いので、かなりざっくりとしたものにしたが、それがどうだったか、聴いていて違和感がなかったか知りたい。
 会員の意見
 〇最後にまとめる時に「記号化」という言葉を使ったが、「記号化」という言い回しは理解できるが、対話の中で使用された言葉ではなかったので、違和感を感じた。
ナ:ご指摘の通り。自分の中では「記号化」という言葉を使いたかったが、使う場面がなく、まとめの場面でつい使ってしまった。違和感を感じたのは当然だと思う。
 〇途中で、パラフレーズが???の場面があったが・・・。
ナ:聴くことを怠ってしまっていた。どうつなぐかを思案していて、聴きそびれた場面があった。
 〇廣田さんの最後のあたりの発言を「示唆深い・・・」でまとめていた。ある意味、上手いまとめ方だが、それでよかったのか?
ナ:哲学的で、やや難解?自分がきちんと理解できているか不安だったし、時間も結構経過していた(1作品で40分は長いのではないかと焦っていたことも事実)ので、端折ってしまった。理解できないのであれば、さらに説明を求めればよかった。上記※印部分にも説明有。

 この後は、作品自体の読み取りを会員相互で行う展開となった。
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ひさびさのブログUPです。小学校の実践紹介です。

2015-03-09 09:24:27 | 対話型鑑賞


勤務する中学校区の日御碕小学校(今年度末で閉校)に対話型鑑賞の実践に行ってきました。この学校に勤務する先生からの要請です。この方は前任校でも私の勤務する中学校区(河南中学校)の小学校(神西小学校)におられて、小学校1年生のクラスで、同様に対話型鑑賞を実践させてくださった方です。この時の様子もブログにUPしてあると思いますので、興味のある方はそちらもCHECKしてみてください。

鑑賞作品は出雲が誇る草光信成の「四人の子等」です。幼稚園児(3歳)から小学校6年生までの幅広い年齢層が一堂に会しての鑑賞会でした。うしろでみている先生方も巻き込んで(校長先生にも話していただきました)の楽しいひと時を過ごしました。

最後に教室にもどって、授業の感想等を書いてもらったものが届きましたので、みなさんにもお伝えしたいと思います。手書き文をそのまま披露できないのが残念ですが、心温まる内容で、また、こんなに書けることに、担任の先生方もびっくりされていた様です。

日御碕小学校の児童の感想

1年生男子
 ぼくは、えを見ておねえさんに目がいきました。つぎにおかあさんに目がいきました。
このふたりがすごくかわいかったです。あのおかあさんは23さいだとおもいます。

2年生女子
 わたしは、絵を見て、おねえさんに目がいきました。
 6年生くらいに見えました。おねえさんはたのしそうでした。わたしもかごの中にはあかちゃんがいると思ってました。5年生がわたしと同じことを思っていたんだなと思いました。

2年生男子
 ぼくは絵を見て青いようふくをきている子どもに目がいきました。
 四才くらいの子どもでした。お母さんにだっこをしてもらいたくて手をのばしていたと思いました。もう一人の白いようふくをきているこは、うばぐるまの車りんにのって赤ちゃんを見ているんだと思いました。おねえさんはひまわりをもっていて、にこっとしていました。
あかちゃんもおねえさんのほうを見ていると思いました。

3年生男子
 今日、かすが先生とはじめてべんきょうをしました。さいしょはなんのべんきょうかわかりませんでした。でも、5・6年生の発表を聞いてぼくは自信をもちました。だから何こも発表ができたと思います。たとえば、家族がどこにいるかとか、ぼくは、発表しなかったけどきせつのときに秋だと思いました。わけは、かれ葉とかが落ちていたからです。またこういうじゅぎょうをまたしたいです。

3年生男子
 今日、はじめてかすが先生とべんきょうしました。
 なにのべんきょうをしたかとゆうと、絵を見て、しっかり見ることができたか、絵を見てしっかり考えることができたか、手をあげて発表できたかをしました。
 ぼくは、絵を見て、手をあげることができなかったけど、友だちのはなしをしっかりきくことはできました。
 こんど、あったら、手をあげて発表したいです。

3年生女子
 今日はじめて、かすが先生にきてもらって、みてはなそうをしました。
 わたしは、きまりを守ることができました。わたしは、さいしょ絵を見て、いっぱい思いつきました。でも、あれかなあと思って、一つきめました。わたしが一番楽しかったことは、かすが先生と、図工の学習ができたことです。わたしはあの絵を見て、植え木ばちがあるから、外だと思いました。わけは、植え木ばちの中に、なんかはえているからです。

5年生女子
 あのしあわせそうな家族は、ずっとこうなっててほしいという作者の願いの表われではないのかなと思いました。

 私は絵のかん賞をして、絵をみんなでくわしく見ると、たくさんの意見や思った事が出たのでびっくりでした。
 私ははじめのころ、たくさん意見を言っていました。ですが、小さい子の足のうらが少しよごれていた事を言えませんでした。残念でした。
 私はこれから絵をかくのにじっくり物を観察しながら絵をかいていきたいです。

5年生男子
 なぜあの絵をかかれたか考えました。
 いつまでも家族の仲のいい光景が残るといいなあと思ったからです。あの絵が書かれたのは戦前だと思います。なぜなら家がトタン板ぽくなかったし草がはえていてやけていなかったので戦前だと思うし、計算すると1920ごろだったので戦前に書かれたと思います。今日の授業をしていつもより絵を見てそうぞうして見ることができました。これからも絵を見る時はしっかりそうぞうして見ていきたいです。

5年生女子
 あの絵は、たぶん、戦争後で、平和にくらしている家族をかいた絵だと思います。お父さんは、きっと戦争でなくなったんだと思いました。

 絵のかんしょうでは、どんなことをするんだろうと思っていました。かんしょう会が始まって、絵を見たとき、この絵を見てどうするんだろうなあと思いました。意見を言うのが分かったら、色んなことがうかびました。人の意見を聞くと、感じ方がちがうんだなあと思いました。
 これからは絵を見るとき、色んなことを考えながら見たいです。

5年生男子
 なぜ、あの絵をかかれたかは、いつまでも、すてきな家族でいられるようにかかれたと思います。あの絵を書かれたのは、戦争前だと思います。なぜなら、戦争が始まるまで家族で楽しい時をすしたという事を残したかったんだと思います。
 今日の授業を通して、いつもより絵をしっかり見て考えることが出来ました。これからも絵をかく時があれば、あの絵のように色々な事を考えてかいていきたいです。

6年生男子
 なぜ、あの絵がかかれたかをあとから考えました。
 あとから考えてみて、今を2015年としてあの絵のモデルになった人の子どもが今65さいだから、2015-65=1950年にモデルになった人の子どもは1950年にうまれたとして、絵のモデルになった人が30さいくらいで子どもをうんで、1950-30=1920年ごろに絵をかいたと思いました。もう一つは建てものがバラックじゃなかったからです。ぼくはこの2つを理由に戦争のおこる前にかかれたと思いました。
 ぼくは今日の授業をして観察力がするどくなりました。今日の授業で学んだことを生かしてこれからふだんの生活に生かしていきたいです。

6年生男子
 なぜ、あの絵がかかれたかは、時は戦前でまだ、町の人たちが平和なときだったと思います。お父さんが絵をかかれたと思います。戦争前で、お父さんが戦争に行ってないから、お父さんがかかれたと思います。
 今日の鑑賞を終えて、しっかり絵を見ること、絵を見てしっかり考えること、友だちの意見をしっかり聞くことができました。みんなが言っているときにしっかり聞けてよかったです。これから絵を見る機会があれば、今日の鑑賞を思い出して見たいです。

6年生男子
 今日は、絵の鑑賞教室で、春日先生に一つの作品を見せてもらいました。そして、春日先生が質問を何問かされて、最後には、こんな質問をされました。「どうしてこの作品をつくられたと思いますか?」と言われました。
 ぼくは、この作品が作られた理由は、戦争で父が、戦争に行ってわかれているけど、母と子どもの6人でがんばっているんだな~と思ったから作品にされたんじゃないかな~と思いました。
 ぼくは今日の、絵の鑑賞教室をして、絵はただかきたいからかいてあるのではなく、ちゃんと意味があると思いました。
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