こんにちは。11月19日に浜田市世界こども美術館(1階図書室)で行われた鑑賞会のレポートをお届けします。
定例鑑賞会レポート(2016.11.19) 参加者7名(内5名みるみるの会会員)
鑑賞作品:「クォ・ヴァディス」(北脇昇 1949年)
ナビゲーター:澄川由紀
■はじめに
今回の定例会の鑑賞作品は、北脇昇が1949年に描いた「クォ・ヴァディス」である。画面中央にはくたびれた上下茶色の背広と思しき洋服を着た(おそらく)男性、右手には荷物、左小脇には大事そうに厚い本を抱えている。遠景には赤い旗を掲げた集団、嵐の中の街並みが見える。人物の左にあるのは蝸牛か巻貝か。口が上を向いているので中は空っぽと想像できる。右には方向を指す道標のようなものがあり、その足元には花が咲いている。道標からも、この題名である「クォ・ヴァディス(ラテン語で“どこへ行き給うか”)」を示唆される。中央の人物が人生の帰路に立っている様子なのか、描かれたモチーフと関連させて観ることで様々な想像を掻き立て、いつしか鑑賞者は中央の人物に自分を重ねながら(自分の人生とも重ねながら)対象と対峙する、そんな作品ではないだろうか。何度見ても不思議な感覚にさせてくれる一枚である。また、描かれているモチーフが見えやすく、モチーフとモチーフをつなげて考えると想像することが多分にあると考え、本作品を選定した。
■ナビゲートする中で
今回は意見と意見を「つなぐ」こと、途中で意見を適宜まとめ、鑑賞者に整理して提供することを意識した。また、本作品は戦後4年を経て描かれたという背景も重要だと考えている。描かれた年代から作品に迫ることを想定し制作年を明かすことを準備して臨んだ。
本作品鑑賞には中央人物と遠景に見える二つの世界に話題の主眼を置き、それらをより深く見つめる媒体として貝や道標と関連させて考えていただくことを目指した。よって、はじめに描かれているものを整理する必要があると考え一つ一つ鑑賞する流れとした。しかし、丁寧に鑑賞するあまり、自身が事前に鑑賞の主として置きたかった部分が、鑑賞時間としては薄くなってしまった。落とし所をどこに設定れば良いのか、そのためにどのような展開を予想するのかは大切である。鑑賞時間のことも考慮し、どこで盛り上げ終わりにするか、見通しを持つことは今後の課題としたい。ただ、鑑賞集団によってどのような方向に話題が導かれるかは予測できない部分もある。ここがナビゲーターとしての技量を問われるところだと考える。
定例会後の振り返りでは次のような意見をいただいた。
・要所要所で「整理しますね」の一言とともに「こまとめ」がなされて分かりやすかった。また、繰り広げられている話の筋が見えやすかった。
・鑑賞者の戦後の実体験を踏まえた発言は、当時の時代背景を加味しながら作品をより見つめるきっかけとなった。
・背景と人物との関係を対話の中心にするためには、鑑賞者の話は端的に整理し、次の視点に移行する必要があったのではないか。
・途中で制作年と題名の情報提供を行った。このことでスッキリして観ることができた。ただし、情報提供は対象者によって必要でないこともある。
・希望だけではない、人がいるから幸せだと限らない、そういった内容を、当時を知る人が鑑賞者にいたことで想像を膨らませ観ることができた。
・もっと話したい、聞きたいと思える作品だった。赤い旗と花の、色と色との関係など、ありすぎて黙っていたところもある。言ってしまうと話が終わらない感じがした。
■終わりに
今回も貴重な時間を参加者と共に共有できたことに、感謝!感謝!である。しかし、時間が短い!終了後の率直な感想だ。もっと見ていきたい、さらに意見を聞きたい、そういう思いの終了となった。後の振り返りで「そう思うのはいい作品だったのでは?」という感想もいただいたが、時間が長ければ良いというものでもない。また、今回「どこまで丁寧に意見を拾っていけば良いか」と、戸惑うところが多々もあった。いつも着地点・終了する場面に迷う。何かしらゴールを持ち、明確でリズムのあるナビゲーションとリレーションを心がけていきたい。
次の月例会は、12月17日(土)14:00~ 浜田市世界こども美術館です。みなさまのご参加をお待ちしています。