書制作をしています
みるみるの活動とは直接関係ありませんが、私が最近行っている制作についてお伝えしようと思います。
実は、書道が好きです。あの墨の何とも言えない香りが好きです。習字は5歳(今でいう幼稚園の年長)から近所の習字教室に行き始めて、最初は硬筆をやり、小学校に入学するまでに、かなり綺麗な字で「あいうえお・・・」が書けるようになっていました。若かった母が最初の子どもである私にいろいろな意味で期待をし、教育熱心だったことがわかります。ついでにピアノも習わされましたが、外で遊ぶ方が好きだったお転婆な私は、ピアノの前に座るのが嫌で、練習もせずにレッスンに行き、先生を落胆させ、母親の期待に応えられない結果を招いたのは余談です。
小学校2年生になって硬筆を卒業し、墨汁が使えるようになった時には天にも昇るうれしさでした。半紙に筆で字を書いているお兄さんやお姉さんがとてもカッコよくてうらやましかったからです。自分も早くそんな風になりたいと思いながら、鉛筆ばかりで字を書かされるのにも飽きていたからです。
同じ年の友だちがこの習字教室にはたくさんいて、みんなかなり上手だったので負けじとばかりに練習したのを覚えています。ひとつ年下にすごく上手な男の子がいて、その子にバカにされるのが嫌で、いつも見返してやろうと思って書いていました。おかげでずいぶん上達しました。小学校卒業記念に半切に「心を砕く」と書いた時の気持ちよさを忘れることができずにいました。あの時そのまま続けていればと後で悔みましたが、部活動も始まり、土曜日の午後に通い続けることは困難と思い、中学校進学を機会にやめました。
そして、時は流れに流れ、御年30ん歳になって、再び筆を手に取りました。習字が好きなのは、一発勝負なところです。うまく書けるか、書けないか、書き終わった時にすぐにわかります。気に入らなければ、また、書きます。気に入るまで書き続ければそのうち納得のいきそうなものができます。私が大学時代に専攻したのは染色で、これは、作品が出来上がるまでに長い時間を要します。特に絞り染めなどは、糸を解いた時に泣きが入っていると泣きたくなります。そして、また、一からやり直しです。気が遠くなりそうです。そして、そんな制作は子育てをしながら仕事もそれなりにやりながらだと、はなはだ困難で、やる気もおきません。だけど、何かを造りたい創作意欲はムクムクと湧くので、手っ取り早い習字を再開したわけです。
ここで気になるのが、習字いや、書道は芸術なのか?ということです。お手本のあるようなものは芸術とは言えないとおっしゃる方もありましたが、昨今の様子を見る限り、芸術の仲間入りをさせていただいたような気がしています。本当は、もっと、岡本太郎の「芸術は爆発だ!!」と言うような、前衛書を書きたいとも思っているのですが、基本があっての創作活動であることは書の道にも言えることなので、基本を踏まえながらの、わずかな創作性を漂わせた作品制作に取り組んでいるところです。
私は「島根書道協会」に所属し、1年に1回の協会展に会員として出品しています。会員になると必ず展示されるので、忙しいことを言い訳に、普段まったくお稽古をせず、1点集中で作品を作っています。もっと精進しなければと、協会展中は自己嫌悪に陥りますが、のど元過ぎれば熱さを忘れるのことわざ通り、終わってしまうと、また、次の協会展前に慌てて作品作りに追われるという繰り返しをここ5年くらいしています。師匠に申し訳ない不出来な弟子です。でも、退職後の愉しみに細々とではありますが、続けていこうと思っています。
さて、書道は芸術か?という話題に戻りますが、日本最大の公募展である「日展」に書部門があるということは、書も芸術として認められるのではないかと考えています。テレビ番組のタイトルなどにも筆文字が多く登場するようになっていますし、あいだみつをさんの書作品は美術館もできたほどですから、やはり芸術なのではないかと思います。私は石飛博光さんの書が好きです。NHKの番組などにもよく登場しています。誰にでも読みやすく、でも、この人にしか書けない美しく創作された文字を、古典を踏まえたうえで書いていきたいと思っています。
今回は、松本竣介の「立てる像」にピッタリくる高浜虚子の句を半切に書きました。来年、担当している3年生が卒業する時に、この書を見せて、送り出してやりたいと思っています。
みるみるの活動とは直接関係ありませんが、私が最近行っている制作についてお伝えしようと思います。
実は、書道が好きです。あの墨の何とも言えない香りが好きです。習字は5歳(今でいう幼稚園の年長)から近所の習字教室に行き始めて、最初は硬筆をやり、小学校に入学するまでに、かなり綺麗な字で「あいうえお・・・」が書けるようになっていました。若かった母が最初の子どもである私にいろいろな意味で期待をし、教育熱心だったことがわかります。ついでにピアノも習わされましたが、外で遊ぶ方が好きだったお転婆な私は、ピアノの前に座るのが嫌で、練習もせずにレッスンに行き、先生を落胆させ、母親の期待に応えられない結果を招いたのは余談です。
小学校2年生になって硬筆を卒業し、墨汁が使えるようになった時には天にも昇るうれしさでした。半紙に筆で字を書いているお兄さんやお姉さんがとてもカッコよくてうらやましかったからです。自分も早くそんな風になりたいと思いながら、鉛筆ばかりで字を書かされるのにも飽きていたからです。
同じ年の友だちがこの習字教室にはたくさんいて、みんなかなり上手だったので負けじとばかりに練習したのを覚えています。ひとつ年下にすごく上手な男の子がいて、その子にバカにされるのが嫌で、いつも見返してやろうと思って書いていました。おかげでずいぶん上達しました。小学校卒業記念に半切に「心を砕く」と書いた時の気持ちよさを忘れることができずにいました。あの時そのまま続けていればと後で悔みましたが、部活動も始まり、土曜日の午後に通い続けることは困難と思い、中学校進学を機会にやめました。
そして、時は流れに流れ、御年30ん歳になって、再び筆を手に取りました。習字が好きなのは、一発勝負なところです。うまく書けるか、書けないか、書き終わった時にすぐにわかります。気に入らなければ、また、書きます。気に入るまで書き続ければそのうち納得のいきそうなものができます。私が大学時代に専攻したのは染色で、これは、作品が出来上がるまでに長い時間を要します。特に絞り染めなどは、糸を解いた時に泣きが入っていると泣きたくなります。そして、また、一からやり直しです。気が遠くなりそうです。そして、そんな制作は子育てをしながら仕事もそれなりにやりながらだと、はなはだ困難で、やる気もおきません。だけど、何かを造りたい創作意欲はムクムクと湧くので、手っ取り早い習字を再開したわけです。
ここで気になるのが、習字いや、書道は芸術なのか?ということです。お手本のあるようなものは芸術とは言えないとおっしゃる方もありましたが、昨今の様子を見る限り、芸術の仲間入りをさせていただいたような気がしています。本当は、もっと、岡本太郎の「芸術は爆発だ!!」と言うような、前衛書を書きたいとも思っているのですが、基本があっての創作活動であることは書の道にも言えることなので、基本を踏まえながらの、わずかな創作性を漂わせた作品制作に取り組んでいるところです。
私は「島根書道協会」に所属し、1年に1回の協会展に会員として出品しています。会員になると必ず展示されるので、忙しいことを言い訳に、普段まったくお稽古をせず、1点集中で作品を作っています。もっと精進しなければと、協会展中は自己嫌悪に陥りますが、のど元過ぎれば熱さを忘れるのことわざ通り、終わってしまうと、また、次の協会展前に慌てて作品作りに追われるという繰り返しをここ5年くらいしています。師匠に申し訳ない不出来な弟子です。でも、退職後の愉しみに細々とではありますが、続けていこうと思っています。
さて、書道は芸術か?という話題に戻りますが、日本最大の公募展である「日展」に書部門があるということは、書も芸術として認められるのではないかと考えています。テレビ番組のタイトルなどにも筆文字が多く登場するようになっていますし、あいだみつをさんの書作品は美術館もできたほどですから、やはり芸術なのではないかと思います。私は石飛博光さんの書が好きです。NHKの番組などにもよく登場しています。誰にでも読みやすく、でも、この人にしか書けない美しく創作された文字を、古典を踏まえたうえで書いていきたいと思っています。
今回は、松本竣介の「立てる像」にピッタリくる高浜虚子の句を半切に書きました。来年、担当している3年生が卒業する時に、この書を見せて、送り出してやりたいと思っています。