ART COMMUNICATION IN SHIMANE みるみるの会の活動報告

島根の美術教育関係者が集まって立ち上げた対話型鑑賞の普及に努める「みるみるの会」の活動情報をお知らせするブログです。

みるみると見てみる?レポート⑤をお届けします(2019,2,17開催)

2019-03-24 22:55:53 | 対話型鑑賞
あなたはどう見る?
2019.2.17(日)14:00~
ナビゲーター 春日美由紀
(石見美術館提供)
 グラントワの石見美術館で対話型鑑賞会を始めて8年目を迎えました。今回は展示室が変わって明るい雰囲気です。前回早めに美術館に到着して、たまたまC室(今回の展示室)に私だけしかいなくて独り占めしてみたときに、展示室全体からみえてくるものがありました。展示者(学芸員 今回の場合は廣田理紗学芸員)の思いというか、展示の意図を垣間見たような気がしました。それで、私のみえているものと、鑑賞する皆さんがみるものは同じなのだろうか、違うのだろうかという疑問?好奇心が湧き、展示自体を鑑賞するという大それたことを思いつきました。


鑑賞は以下のように流れました。※音声録音を文字に起こしたものを一部修正
(〇は鑑賞者 ☆はナビの言葉)
☆今日は、この展示会場自体を鑑賞したいと思います。まずはじっくりみていただいて、気付かれたことや考えたことを何でもお話しいただけたらと思います。
〇真ん中で右半分は赤、左半分が青だと思う。
☆気づかれていた方他におられますか?と、訊ねるとほとんどの方が挙手された。他に発見はありませんか?と、促す。
〇部屋はスクエアで直線的で固い感じがするが、天井は曲線で柔らかい感じで、ここも対称的。赤と青、曲線(円)とスクエア、全体が対称的な気がする。
〇東西と南北で対称。東西の作品は裸婦像は岡本太郎が言ったように「きれいであってはならない。」的な作品で、森英恵のファッションはその対極にある「きれいなもの」。その間はグラデーション的につなげた作品が並んでいるのかな?
〇色が赤と青で対称的なだけでなく、展示されているものの並べられ方も対称的で、しかも、扱っているものについても似ている。しかも色は赤と青。
☆展示されている作品の取り扱っている内容も対称的であるということですね。他に?

〇みる感覚が違った。
☆みる感覚の違いとは?もう少し具体的に。
〇展示室に入った時に正面のファッション作品に引き付けられた。バーンとインパクトがある。でも、順番に壁に沿って作品をみていくと、作品同士が近くて、一つの作品をみることに集中できない。隣の作品が視野に入ってしまう。見づらさがあった。
☆隣の作品が目に入って集中できなかったということですね。
〇昭和的。有福温泉の作品。「雪降るや、昭和は遠くなりにけり」って感じ。
☆どこから?
〇ファッションもコンテンポラリーではない。「昭和の匂い」がプンプンするように思う。
☆昭和は日本が近代化し、ヨーロッパに追いつけ追い越せで、ファッションも森英恵さんは世界に打って出た。それはまさに昭和の日本の出来事ですね。
〇全体が女性的なものの中に異質なものがある。青のテキスタイルデザインの作品は重機がモデルになっているようにみえるので、これは男性的だと思う。これだけ異質。
☆異なるものがある。でも強く男性的ではない?
〇いや、これだけは男性の強さを感じる。
☆異質なものがあるということですね。
☆皆さん、たくさんのことを考えてくださっているが、赤と青の色の意味と、多く女性が描かれていることについて、何か考えられることはないですか?
(※ここで展示の意味に迫りたかったのだが・・・。)

〇特に展示そのものについて展示物の色とか種類とかはあるかも知れないが、精神性は無いのでは?会場の奥と入り口側に俗っぽいものが両方ある。あんまり現実的でないというか、僕らにとっては、リアイリティのないような対象があるというか、そんな気がする。
☆僕らとおっしゃったが、僕らの「ら」は誰を指す?
〇一般大衆。
☆一般大衆ですか?男性?
〇いや、女性だって、こんなドレス着ないでしょ?
☆いや、この前の会の最後の所で、高齢の女性が「着たい。」っておっしゃってましたよ。それくらいな気持ちになる、パワーのある作品かと?
〇「着たい」のと「着る」は違う。でも、「日常的でない」に訂正します。
〇色のパースペクティヴ、蝶々のドレスの赤に色が集約している。展示に使われているマネキンにも顔(頭部)が無い。無駄なものを削ぎ落としていって、1点集中。
☆引き付けられるのはあそこ(蝶の赤いドレスを指す)
(石見美術館提供)
〇無駄なものを削ぎ落として
☆頭部があると
〇ちょっと違う
〇作品の並びが、展示室入口(西側)から、作者の主張➡部屋の中央壁面左右がインダストリアルデザイン➡それらは大衆のもの、そして展示室の奥の中央がオートクチュールのドレスになっている。(※会場画像参照)ファッション自体は大衆のものだけれど、オートクチュールは1点ものなので、個人に戻るということで、個に帰結している。
(石見美術館提供)
(石見美術館提供)
(石見美術館提供)
(石見美術館提供)
(石見美術館提供)

〇いや、このころのロシアアバンギャルドは大衆から離れて、すでに廃れている年代なので大衆化は違うのではないか?
〇反論します。
☆友好的にお願いします。
〇これには、ソビエトの国旗が描かれている。共産主義は一般化、大衆が平等、公共性への思考があったのではないか?だから、展示室の入口から奥に向かって、個➡大衆、で、また個に帰るという流れだと思う。
〇さっき、「昭和の匂い」と言われて、この作品(東郷の女性像)が皇后さまに見えてきた。
☆美智子様ですか?
〇はい。清楚なイメージで、帽子に手袋。「昭和」と聞いてそうイメージした。平成ももう終わりですね。
☆皇后美智子様、昭和のこの部屋にぴったり。ということですかね。
☆まだ、お話になられていない方で、発言のある方いらっしゃいませんか?
〇女性の絵や写真がたくさんある中で、この二つ、風景画。どうしてここに来る?分からない。何か意味がある?
☆あちらのタケノコやリンゴは?
〇いや、あれも。
☆波の絵はいいですか?
〇ああ、これは、隣の作品と、つながっているのが分かるので・・・。
☆じゃあ、波とこれは、水つながり、で、隣のとは、山つながりでは?
〇言われたら何だかそんな気が・・・。
☆でも、違和感を感じた。ひっかかるものがあって、分かりにくい。から、考えてみよう!と思った?
〇それはない。
☆ああそうですか・・・。
☆(時計を見る)だいたいこれで30分くらいが経過しました。最後にどなたかお話になりたい方いらっしゃいますか?

〇この3点(展示室向かって左の壁面のほぼ中央に位置する作品)は中休み的な存在。有福温泉(島根県江津市)で一服して、銭湯の壁に描かれたような作品をみて、次に浜田(島根県江津市と浜田市に隣接する海岸)千畳苑から海を見た。って感じかな?
☆このように、物語をご自分でつくりながらみていただいている方もおられたようです。
☆初めて作品から離れて、展示室で展示されているものを全体を俯瞰しながら、作品としてみていただくという試みをしてみましたけれど、皆さんそれぞれ色々とお考えになられながらみておられるということがとてもよく分かりました。私も最初にみたときの展示室向かって右側が赤で反対側が青だなあって思いました。で、何で赤と青なんかなあ?と。今日その話は皆さんからは出なかったのですけど、考えたりなどして、扱っているものはおおよそ女性のもの。ということは「女性」、女の人の内面、女性って、華やかなところと氷の様に冷たいところ、両面を持っていますよね?それを象徴するなら赤と青の対比なのかな?と連想しました。でも作品をみると赤の中に青があったり青の中に赤があったりと2色が同居していることで、それぞれがより引き立つなあってことも、色の取り合わせをみていて思ったりしました。奇しくも天井にカーブが描かれているということを発言された方もおられました。たまたま展示室の構造自体がそうだったんだろうとは思いますが、四角いものだけではなくて、曲線的な柔らかさがあることで人間はほっとしたりするのかなあ。人間の中にある美しさや、女性の中にある美しさを、無意識に感じていたりするのかなあと、今日皆さんのお話を聞かせていただきながら感じていました。短い時間でしたが、たくさんのお話を皆さんからきかせていただきました。ありがとうございました。

みるみるメンバーからの振り返り
〇空間が広いので、全体的な印象が話題になるのは仕方のないことかもしれない。
〇対称的、性質の対比、時代の流れが話題になり、ナビの意図する方向に行かなかった。
〇ナビが解釈の方向を提案できないくらい意見(手)が挙がった。
〇「たいしょう」という言葉を「対称」と思っていたのか「対照」と思っていたのか、シンメトリーは「対称」だが、「比較対照」だと「対照」になるので、話している時には違和感はなかったが、レポートを見て気付いた。

展示を担当した学芸員でみるみる会員の発言
〇展示については作品の間隔を狭くしたので一つ一つを鑑賞できない仕掛けにしたので、見にくさを感じたという意見があったが、それは敢えてそうしたのであって、意図通りといえる。けれど、不快感を与えることは想定していなかった。
〇赤と青は表明していないけれど暖色と寒色という裏テーマだった。


振り返り(ナビゲーター自身)(☆こうすればよかったという提案 ★反省)
☆多くの鑑賞者が「対称的」という見取りをしていたので、小まとめをすればよかった。
☆左右の作品を対で観ていくことをして、作品の確認をしても良かった。その中で違和感のある作品について注目して対話しても良かった。
☆そうしてから並べられている「もの」や「こと」について考えていくと、「無駄」なものは展示されないという解釈に行きつくのではないか?そうすれば、この展示によって何を伝えようとしているのか?何を考えればよいのかといった「意味」を問うことができたのではないかと思う。
☆考えるきっかけとして、『展覧会の「テーマ」「タイトル」を付けるとしたら?』という提案も面白かったかもしれない。
★ただ、鑑賞者が絶え間なく挙手して発言をしようとされる雰囲気を壊したくないという思いもあり、逡巡しているうちに時間切れとなった。
★対話は深まったのか?という側面からみると、対話の内容につながりはみられたものの、深まるまでには至らなかった。
★今回の「展示自体を鑑賞する」という試みにおいては、時間がもっと必要だったのかもしれない。鑑賞者の一通りの意見を拾っただけで30分が経過していたからだ。もう少し時間があれば、この後、それらを踏まえて、この展示をどうみるかといった話題に流すこともできたかも知れない。あと10分でもあれば最後にナビが話したことが鑑賞者から出たかも知れないと思うと、ちょっと、30分の尺では厳しい対話の内容だったと反省する。
★「たいしょう」という語句についての提言があった。話している時にはシンメトリーの意味の「対称」だとナビ自身が思い込んでいたところがあるので、確認が必要だった。この言葉一つの捉えで解釈が大きく異なっていくことになりかねない。おおきなミスだったと反省。

総括
今回の鑑賞会はまさにチャレンジでした。しかし、鑑賞者の皆さんは初めて参加された方、ベテランの参加者関係なく、ほぼ全員が発言されたことは、ナビゲーターとしてうれしい出来事でした。初回から連続して参加している方や、前回と今回と続けて参加の方がいたことが大きかったように思います。特に8年間にわたって参加してくださっている鑑賞者の方はこの鑑賞法にも慣れ、他の鑑賞者に話しやすい雰囲気を与えてくださっていることに感謝したいです。そして、このような大胆な取組に楽しんで付き合ってくださった鑑賞者の皆様に謝意を表します。そして、また、このようなチャンスがあれば、飛躍できる鑑賞会を開催したいと思います。


【みるみるの会からのお知らせ】
3月の末に安来で対話型鑑賞会を行います。
一人でじっくり作品をみるのもいいですが、多くの方と意見を交わしながらみることで得られるよろこびもありますよ。
いかがですか?

加納美術館(安来市広瀬町)企画展「愛しき島根」にて
 3月31日(日)13:30~

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H30年度みるみると見てみる?レポート④をお届けします(2019,2,3開催)

2019-03-17 20:52:23 | 対話型鑑賞
日時:平成31年2月3日(日) 14:30~14:50
場所:(グラントワ内)島根県立石見美術館 C室 

画像向かって右より
作品12:「イブニングコート・ショートドレス」森 英恵 1964年 
    (純金帯地(西陣織)のイブニングコート。絹サテンと帯地のトップスでできたショートドレス)
作品13:「イブニングドレス『赤い蝶のドレス』」森 英恵 1990年
    (赤い絹クレープのワンピースドレス。胸に蝶のモチーフをかたどった装飾)
作品14:「ドレス」森 英恵 1976年春夏
    (蝶をプリントした絹シフォンと彩絹)
作品15:「イブニングドレス」森 英恵 1976年春夏
    (蝶をプリントした絹シフォンと彩絹。ネックにビーズ刺しゅう)

 ナビゲーター:房野伸枝   参加者:一般の方13名 みるみる会員4名 美術館関係者3名

 今回は石見美術館のコレクションの柱の一つである「ファッション」に関わる作品に取り組もうと考えていました。とはいえ、私自身、ファッションには疎いのですが 実際に服で対話型鑑賞をするのも3回目。「写真やファッションでの鑑賞はちょっと…」と気が進まないという常連さんの声を事前に聞いていました。けれど、以前この美術館収蔵のファッションで対話型鑑賞をした時は、思いのほかたくさんの意見が出て、私自身とても楽しく、様々なことを知って充実したという経験がありましたし、苦手意識がある方や、初めての方にも「服でも鑑賞できるんだ!」という思いを味わっていただきたい、と考えました。ジャンルや先入観にとらわれない姿勢こそが、この対話型鑑賞の醍醐味でもあり、鑑賞の楽しみの幅が広がるという思いもあります。さて、どんな鑑賞になるのやら…とワクワクして臨みました。

 前半の写真作品で「装い」というキーワードが出たので、それに続いて、6点のドレスのうち、4点の<森 英恵>デザインのドレスを取り上げることに。4点とも「HANAE MORI」ブランドの象徴である「蝶」がモチーフとなっているという共通点があり、色も右の2点が赤を基調に、左の2点が青を基調にしている、と見えたことから語ることができそうだと考えました。鑑賞直前にみるみる会員の春日さんと話した際、「デティールをよく見て、制作された年代を考えることで、より深く鑑賞できそう」というアドバイスももらいました。「そこからどう考える?」にシフトチェンジするキーワードになりそうだと感じながらスタートしました。

<トークの大まかな流れ>
 (〇)・・・参加者の発言 (ナ)・・・ナビの発言  (☆)・・・ナビの見解

〇亡霊が立っているよう。
☆第一声から衝撃的な意見で始まりました!予想外の意見で動揺しました。
(ナ)それはどこから感じましたか?
〇服を着る主体は中の人間であるはずなのに、服本来の役目を終えてマネキンに着せている服を見るということは、亡霊を見ているかのよう。
 それを並べたここはまるで納骨堂のようだとも言える。
 どういうところで誰が着たものかということがわかればもっと現実的なものに感じる。
 美術館では無理だと思うが、実際に人が着ていれば生活感が感じられ、本来の服の役目を果たすのでは。
(ナ)なかなかユニークな視点のご意見ですね。本来服を着る主体は人なのに、ここにはその「人」がいない。
 そこから亡霊や納骨堂のようなイメージを持たれたのですね。
☆服を「人が着るもの」という視点で見るか、「服そのものをアート作品としてみるのか」ということに関わるスルドイ指摘でもありました。
 しかし、ここではナビがそこまで整理して考えていなかったのが反省点です。
〇13,14、15は柔らかなドレープが美しく、12は直線的。
(ナ)13、14、15はひだが美しく、柔らかい曲線で体に沿うようなドレスで、
 12は直線的な形のものという、性質の違いを感じてくださいました。
〇上品でエレガント。露出しすぎず、女性らしさが出ている。
〇4点とも装飾として蝶がモチーフになっている。
 その中で、13の赤いドレスだけは、蝶のプリントではなく、体の中心にあしらったモチーフが
 蝶そのものであり、人が蝶をまとっているというよりは、着る人が蝶そのものになっているよう。
 先ほど幽霊のようだという意見もあったが、13の赤いドレスは最も自信をもって身につけているように見えて
 「私が蝶よ」と言っているように見える。
(ナ)なるほど!皆さんお気づきでしたか。この4点、実はどれにも蝶がモチーフになっています。
 その中でも13は蝶をまとっているというよりは、着る人が蝶と同化しているように見えるということでしょうか。
〇これは森英恵でしょう?
(ナ)はい。森英恵さんは島根県の六日市町のご出身です。
 幼い頃暮らした六日市町の自然の中での蝶の思い出を、モチーフにされたという話を聞いたことがあります。
☆ここで作者の情報を少し入れ、蝶のモチーフとの関連を伝えました。
〇前の鑑賞会の赤いルージュのように赤い色が女性の魅力を引き立てている。
(ナ)先ほどは形についての話が出ましたが、色についても話してくださいました。
☆サマライズ(こまとめ)したつもりが、次につながらないナビでした。

〇12だけ着物の帯地。直線的なのは、きっと森英恵がヨーロッパに打って出た時に日本の伝統的な美しい素材を使ったのだと思う。
 この日本的なデザインでヨーロッパにおいて評価を得て、その後、森英恵のブランドを確立して、13の赤い主張の強いドレスを作ったのでは。
 13は蝶が胸にとまってメインになっていて、「私が蝶よ、私が森英恵よ」と言っているよう。
(ナ)形と素材についての話でした。
 13だけ異質だというご意見でしたが、これは日本の西陣織の帯の素材を使い、着物のように直線的に裁断して着る
 キモノのようにデザインされ、世界に打って出る時の森英恵の日本人としてのアイデンティティーをここに入れていたのかもしれません。
 13以外はその後の作品で、13の作品が最も自信をもって発表したものではないかということでした。
☆ここで森英恵がオートクチュールの世界で日本人として初めて認められたデザイナーだということを伝えたくて「アイデンティティー」という
 言いかえをしましたが、もっと時代背景など説明をしておくべきだったと思います。
〇いやいや、どれも自信をもって発表したと思います。
☆ナビが前の意見と勝手に結びつけて解釈を間違えてパラフレーズしてしまい、それを指摘されました!反省!
〇でも多分、勝負がかけられるくらいのキャリアを積んだから13は蝶イコール森英恵であり、
 女性の美しさを際立たせるドレスができた、ということだと思う。
〇石見神楽の衣装のよう。
(ナ)金糸などを使ってきらびやかな和柄を表現しているところに共通点がありますね。
〇アイデンティティーと聞いて、自分は森英恵が六日市町出身だとは知らなかったんだけど、あの辺は「ミヤマカラスアゲハ」という
 すごくきれいな蝶がたくさんいて、「ああ、そうなんだ!」と思った。蝶がモチーフになったのもうなずける。
☆前の情報を受けて納得して下さったのがうれしいです。
(ナ)森英恵といえば、「蝶」がシンボルですね。
☆ここで蝶に絞って話を深めたほうが良かったのですが絞り切れず。
 それを感じてか、学芸員の廣田さんが質問を投げてくれました。
(学芸員)今回の4点すべてに蝶のモチーフがありますが、皆さんの蝶の感じ方をうかがいたいです。
 どうでしょう?
〇やっぱり13の赤いドレスは蝶そのものって感じがする。
(ナ)蝶そのものと感じるのはどこからそう感じますか?
〇プリントじゃなく、胸に大きく蝶の形がついているところがやっぱり、「私が蝶よ」という感じ。
〇右から左にかけて赤から青に変わっている。14あたりから赤と青が混ざって、青に変わっている。
〇ドレスだけではなくて、会場全体が蝶でつなぎながら赤と青の色の対比の美しさを感じる。
(ナ)4点の服のみならず、色に注目して、会場全体の仕掛けについて気づかれたことを言ってくださいました。
〇蝶についていえば、15のドレスは薄い布に蝶がプリントされて重なり合っていて蝶と戯れているようで幸せな気分になる。
〇15の裾の広げ方も蝶の羽を広げた形になっている。
(ナ)見せ方の妙ですね。台に広げた裾も蝶の羽を演出している。
〇プリントの蝶はどれも羽ばたいているっていうか、羽を広げた形で、飛んでいる。
(ナ)なるほど。蝶が空中を飛翔しているイメージですね。
〇(年配の女性が赤いドレスを指して)私も若い頃にこれを着てみたかった。
(ナ)それはいいですね!一番印象的で着てみたかったということですね。
☆ここで、予定の20分経過。時代背景やオートクチュールについての話に広げると時間がかかりそうだと判断し、終わることにした。
(ナ)森英恵さんの4点のドレスで鑑賞会をさせていただきました。
 私自身、専門的な知識もないままでしたが、一つ一つの作品に対しての見方が最初と変わって楽しいひと時でした。
 どうもありがとうございました。

※最後にこの展示を企画したメンバーの廣田学芸員から以下のような話がありました。
 『みるみるの会との鑑賞会も8年目となり、毎回4~5回のトークイベントをしていますが、この8年間の中でも服を取り上げたのは2回目。
 いかにファッションがみるみるの会のメンバーにとってもちょっと難しいかなーと思われているということをこの回数からもお分かりいただけたかと思います。
 今日は皆さんのおかげで鑑賞者が服を美術館で見るということをどんな風に思っておられるかがわかったのが私にとっても収穫でした。
 また、今回の作品は色が作品の性格と結びついていますが、それが鑑賞の助けになることが良くわかりました。
 蝶を代表作にしている森英恵さんですが、六日市の自然と結びつけて語られることがあります。
 13の作品のように「蝶そのものになっている」といったことは私自身も考えたことがなかったので大きな発見となりました。」

<ふりかえり・メンバーからの意見>
・ドレスそれぞれについての細かい発見はできたものの、鑑賞者の中には「ファッションをしっかり鑑賞した」という満足感を得られなかった方もおられた。
 特に大人の方を対象に美術館で鑑賞会をする場合は最後に「鑑賞会で何かを学んだ」「得るものがあった」と感じていただきたい。
 そのためにはオープンエンドより、ある程度の情報を伝え、最初と最後では作品の見え方や解釈が深まるほうが良い。
・ナビが方向を決めすぎるのも良くないが、みんなで見たいポイントをナビが心づもりをして臨むことが大切。
 日本人が初めて世界のオートクチュール界でアジア人として認められた、森英恵がその人である、ということも共有したほうが良かった。
 「蝶が羽ばたくのを自分になぞらえていた」「日本人としての美意識」「生き様と蝶のシンボルがリンクしている」など、構築していけたらさらに深まったのでは。
・ファッションの変遷を見るのか、女性が身につけるものとしてみるのか、デザインとしてみるのか、芸術作品としてみるのか、整理していく必要がある。

<最後に>
 ファッションは生活に根差したものであると同時に、美術館に収蔵されているものは量産品ではないデザイナーの「作品」であるという面もあり、
 難しくも興味の尽きないアートであると再認識することができました。
 それをナビゲートするには情報を伝えるタイミングや作品にまつわる事柄を踏まえながら、進めて行くことが大切であることを痛感しました。
 反省点はぜひ次につなげて、また挑戦してみたいと思います!



【みるみるの会からのお知らせ】
3月は松江と安来で対話型鑑賞会を行います。
一人でじっくり作品をみるのもいいですが、多くの方と意見を交わしながらみることで得られるよろこびもありますよ。
いかがですか?

旧村松邸(松江市新雑賀町)「まちとアートと古い家と」にて
 3月21日(木・春分の日)14:00~
 3月24日(日)14:00~

加納美術館(安来市広瀬町)企画展「愛しき島根」にて
 3月31日(日)13:30~



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昨年度の「あなたはどう見る?ーよく見て話そう美術について」のレポートをお届けします(2018,12,17開催)

2019-03-11 21:38:15 | 対話型鑑賞

みるみるレポート                            廣田理紗

現在展示室Cにて開催中の「あなたはどう見る? -よく見て話そう美術について」※ですが、この展示は今年で8年目。毎年随分展示内容がガラリと変わってきました。
ここで昨年の展示とトークを、ひとつ振り返ってみたいと思います。
(※3/4にて終了いたしました)

昨年度は展示室A、石見美術館の赤い色の展示室で開催しました。
部屋を大きく2つのエリアに仕切り、一方は版画作品を、もう一方は「人体」に関係する作品を展示しました。
トークはその「人体」のエリアで実施しました。

***
日時:平成29年12月17日 14:00~14:40
場所:島根県立石見美術館 展示室A (コレクション展「あなたはどう見る? -よく見て話そう美術について」内)
作品名:マネキン(MINT)
原型制作:山下美代子
制作年:2001(平成13)年 
ナビゲーター:廣田      参加者:10名(内みるみる会員4名)



今回トークの対象にしたのは、3体のマネキンです。
石見美術館は「ファッション」を活動の柱の一つとしており、衣装の展示も頻繁になされています。
マネキンの周囲には、籔内佐斗司の初期の木彫、《どこかものたりない不可思議な人物たち》


キャプション:籔内佐斗司《どこかものたりない不可思議な人物たち》昭和57年 島根県立石見美術館蔵

その背後には中村不折や黒田清輝の裸体を描いた油彩画を展示していました。

キャプション:右:中村不折《裸体》明治36-37年、左:黒田清輝《裸体》明治22年 いずれも島根県立石見美術館蔵

こうした中でマネキンを改めて眺めると見た方はどんなことを思うのか、聞いてみたかった、という動機からトークの対象とすることを決めました。


トークの参加者からは、
・展示されているのは「マネキン」。服を着せて見せるためのもので、展示の補助的な役割をするものだと思う。
 だけど、こうして服を着ないで展示されていることになにか意図を感じる。
・3体展示してあって、左のには服を着せてある。右端のは胸がすごく高い位置に、不自然なまでに上がっているし、腰の細さもすごい。
 真ん中のは細いけれどバランスのとれた体という感じがする。三体とも違う体のかたちなのかな?と思った。
・石見美術館で展示している衣装はオートクチュールと言って一点ものの服が多いとききました。
 だから、そういうのを展示するために右の胸の高いマネキンはあるのでしょうか?

などと意見が出ました。それを受けて、
ではここにある三点(マネキン)は、「作品」でしょうか「備品」でしょうか?
という問いかけをしました。

すると、
・「作品」ではないと思う。マネキンは工業製品で、量産品だから。
・ステージに乗せられて、照明がされて綺麗に見えるようにしてあるようだ。展示してあるから、今日は「作品」だと思う。
・右の胸が高いやつはあんまり他で見たことがない体型をしている。これは量産品ではないのではないか?
・工業製品のデザインの良さを見せる展覧会もある。量産品だから「作品」じゃないということはないのではないかな。

などと意見が交わされました。そこで
  ではどうなったら作品でしょうか?
  量産品か、一点ものか、という視点が一つ出ましたが、そのほかはどうですか?
  この展示には体を表現対象とした作品が他にもたくさんあります。
  マネキンと言っていますが、人体彫刻との違いは?
などと問いかけました。

すると、少しトークがトーンダウンした感じがありました。
・マネキンは服を見せる役割のもので、そのものを見せる目的で作られたのではない。だから人体彫刻ではないと思う。
 人体彫刻には、人体そのものの美しさを見せようとする意図があると思う。
などの意見が出ました。


***
今回の展示では、通常備品として展示に「登場」するだけの、脇役であるマネキンを「作品」として主役にし、他の主役(作品)たちと混ぜて展示し、鑑賞者にある種の混乱や違和感を感じてもらう意図がありました。
その違和感を通し、「作品」とはなにかについて、あるいは美しさをものの中に見出す行為について考えたり想像したりする機会になるといいなぁ、と思っていました。

トークでは、私のそうした思いが滲んだのか、反省会の際にはこの試みをポジティヴに評価してくださる声があった一方で
「なにか言わされそうな感じがして、気構えた。怖かった…。」という意見もありました。
おっと、これでは大失敗。
質問が方向性を持ちすぎていたのかもしれません。
鑑賞者の主体的な観察や思考を妨げてしまうことになってしまったとしたら、ナビの失敗です。
この失敗を活かして、次は意図を持っていても、もう少し黙って、鑑賞者の皆さんの視点とともにあろうと思います。
学びの多い時間でした。                         (おわり)



<みるみるの会からのお知らせ>
3月は松江と安来で対話型鑑賞会を行います。
一人でじっくり作品をみるのもいいですが、多くの方と意見を交わしながらみることで得られるよろこびもありますよ。
いかがですか?

旧村松邸(松江市新雑賀町)「まちとアートと古い家と」にて
 3月21日(木・春分の日)14:00~
 3月24日(日)14:00~

加納美術館(安来市広瀬町)企画展「愛しき島根」にて
 3月31日(日)13:30~

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H30年度みるみると見てみる?レポート③をお届けします(2019,2,3開催)

2019-03-03 14:14:02 | 対話型鑑賞

日時:平成31年2月3日 14:00~14:30

場所:島根県立石見美術館
   コレクション展「あなたはどう見る?よく見て話そう美術について」

作品名:展示ナンバー1:アーヴィン・ブリューメンフェルド
    エリザベス・アーデンの広告写真のための習作「エイジ・オブ・エレガンス」
    (10点組)1948年頃(1984年) ダイ・トランスファー・プリント
    
    展示ナンバー2:アーヴィン・ブリューメンフェルド
    キュビズムで表現された紫のヌード「エイジ・オブ・エレガンス」
    (10点組)1949年(1984年) ダイ・トランスファー・プリント
    
    展示ナンバー3:アーヴィン・ブリューメンフェルド
    モデルとマネキン,表紙のための習作「エイジ・オブ・エレガンス」
    (10点組)1945年(1984年) ダイ・トランスファー・プリント

ナビゲーター:津室          

参加者:20名(内みるみる会員4名)

<作品選択の理由>
 展覧会のトップを飾る1から,大変気になる作品群だった。
1週間前の前回,4~6の作品を扱ったときにも,
この3作が展示の一連の流れとして気になっている参加者もいたようだったこともあり,取り上げることとした。
女性や女性のマネキンが入り交じっていて,一見しただけで不思議な印象の作品群である。
鑑賞者がそこをどのように解釈し,話し合っていくのか,おもしろい展開が期待できそうだと思った。

<トークの大まかな流れ>
 (参)・・・参加者の発言
 (ナ)・・・ナビの発言 
 (☆)・・・ナビの見解やみるみるメンバーの振り返りを踏まえての解説

(参)3点はシリーズものなのか?2だけ違う。シリーズもののようだが。
  1の手は人間らしいが,顔がセルロイドでできているよう。
  3の右側は生身の人間だが,左側は等身大の人形の顔のように見える。どう見たらいいのか。
(ナ)生身の女性と人形と,迷わせるような印象がある。
(参)赤が印象的だと思った。
(ナ)どこの赤?
(参)1は,爪のマニキュアとかルージュ。口紅とか,塗っているもの。
  3のいちばん左側のも唇が真っ赤っかなので印象的。
  真ん中は全体的に赤が入っている。
(ナ)3つとも赤い色が印象的だというお話。
(参)2は,装う前。どうして,あっち向いたりこっち向いたりしているのか。
(ナ)服装というより,化粧で装う。装う前だと感じたのはなぜ?方向についても不思議。
(ナ)2だけちょっと違うという意見だったが,3点の類似性についてどう思うか。
(参)左右の2点は似た感じ。赤い口紅が印象的。
  左右の2点は芸術作品というよりも,ファッション誌の1ページに使われるようなもの。
  また,商品,口紅の宣伝のために使われるファッションの写真のよう。
  真ん中は芸術性が高い。写真の作品。
(ナ)1,3は商品の広告,2は芸術作品。2に広告のような商品性がないのはなぜ?
(参)売り出すものが出てこない。ルージュとか洋服とか。
(ナ)先ほど装う前という発言があったが,2からは,装うような要素(髪型・服・化粧)が見受けられない。
(参)2だけ,ボディがわかる。3は頭部。1は,上半身。2は女性,バストがある。
  左右ふたつのものを,真ん中で肉体を見せることでつなげている。
  具体的なものはないけれど,2で体を見せることで,女性の美しさを意識させてつなげている。
(ナ)真ん中は,あえて装いを排して,ヌード・・素の状態をつくることで左右の女性の美しさにつないでいる。
(参)3つとも女性の美しさがテーマだと思う。
  体の線の美しさが真ん中であれば,左は女性をより美しくするための化粧。
  ただし,右側は人工的な感じがして,ちょっと気持ちが悪い。
(ナ)みなさん,1は,どう見られたか。
(参)宣伝。化粧品を訴えたくて,あえて人物を意識から外さんがために,
  アンドロイドのようなセルロイドのようなふうにしている。
(ナ)あえて,人間らしくないようにされている?それは,どこから?
(参)不自然な表情,無表情で無機質な感じ。
  こってり塗った赤いルージュが,「これを使ったら,きれいになりますよ。」という感じ。
(ナ)ルージュを使った唇に焦点化させるためにあえて,無表情。
  アンドロイドという言葉があったが,人間に似ているけど人間じゃない。
  人間に似せられた人工物。それは,化粧品を際だたせるためである。
(参)真ん中は素の自分,左の絵の怒ってるような表情の人も素の自分,
  右のお化粧してる人と左の絵の不気味なほほえみの人は,つくった自分。
  本当は真ん中の絵のように素の自分はこうなんだけども,
  あえて塗ったり無理に笑顔をつくったりしている。
  「本当の私とそうじゃない私がいるんです。」というような。

(ナ)3枚全部から感じたということか。
(参)並び方に意味があるのかわからないが,
  たとえば,真ん中のを外に出すと一つだけ異質で仲間はずれになる。
  3枚に共通するのは,虚と実の状態。
  真ん中のは二重像だが,うっすらした方が実に見える。
  左右のものも,本物と偽物が入り交じる。
  何が虚と実かというと,女が写っているから,女の虚と実かもしれない。
(ナ)うなずいている人がたくさんいる。一人の女性なんだけれどいろいろな顔がある。
  「虚と実」ということは,先の生身の人間なのか作り物なのかということも含めて,
  いろいろな見方ができる。
(参)一番右の作品は,ルージュが話題になったが,
  爪も赤いのでマニキュアが赤いのもあるし,目にアイラインを入れようとしている。
  それって,女性を美しく見せるための大事なところをきちんと押さえている。
  口紅塗って,目力つけて,爪の先まで赤くするという。女が勝負をかけるみたいなところ。
  左が,できた!みたいな。だが,そこになぜ人工的なマネキンを一緒に撮ったのかというと,
  やっぱり生身の女の方がきれいでしょ,みたいな。
  つくっても,作り物よりやっぱり生身の女の方がきれいでしょみたいなものがあって,
  見せつけるためにあえて比較の対象としている。
  美しいとして作られたマネキンより,さらに本物の人間の女の方がきれいよというのがあると思う。
  真ん中はヌードだから,やっぱり女ってきれいでしょということを強調するように配してある。
  この並びが,私は好きです。
(参)逆のことも考えられる。
  右の作品は,頭の回りに包帯みたいなものが巻いてある。整形した後のようなイメージ。
  胸のとこのバラが,ばらばらっと枯れて散乱してるんだけど,年を経て劣化していくけれども,
  整形とかお化粧によって若さとか美っていうのはいくらでも作れるよ。
  でも,最終的にはマネキンのようになってしまうけれど,
  でも女性が美を追究する気持ちなり情熱には,果てはない。
(ナ)どんなにつくっても,生身の女性勝るものはないという先ほどのお話と,
  でもやっぱり生身だからこそ劣化するけど,
  女心でなんとかそれを補って美しくありたいという気持ちが表れているということですね。
(参)アイラインに関して,女性は眉毛で今日の自分をどのように見せるか決めていると聞いたことがある。
  柔らかい自分にするかちょっときつい自分にするのか。1は無表情な眉毛をしている。
(ナ)ほかの作品の眉毛と比べて,どうですか。視線は3にも向いていらっしゃったが。
(参)1のように,口紅とアイラインを同時にかくことはない。
(ナ)一応まとめ,3点はみなさん,関連を感じられた。生身の女性とつくりものの女性。
  整形をしているかもしれない,ちょっと手を加えた女性。
  逆に自分の美しさを保とうとしているような,
  つくりものには負けないという女性の意志や気持ちが感じ取られたのではないか。
  赤が印象的で,女性のイメージに重なると思う。
 (☆)「この3点について話すことで,化粧など外側を装う事ともに,美しくありたい,
   老いてもなお美しくありたいという内面のことも,皆さんの発言からわかってきましたね。」
   のようなサマライズ(まとめ)もあったのではないかと意見をもらった。

<振り返り>
 参加者の発言後の対応に常に悩んでしまうことをメンバー振り返りで話した。
発言をなぞるような形で,参加者全員にその発言内容を示し確認をしていくのがよいのか,
発言の意欲やトークのテンポを保つため,ナビはあまりしゃべらず,
参加者がつぎつぎに話せる状態をつくるのがよいのか,ということである。
それに対し,「津室のパラフレーズは,おうむ返しが多い。
参加者皆が聞いてすんなりわかっていることは,繰り返さずにとばしてもよい。
発言をもっと端的に,きゅっと絞って返すようにすべき。」という意見をメンバーからもらった。
“皆がすんなりわかっている”状況がどのようなもので,パラフレーズが必要な場面とはどのようなものなのか
瞬時に見極めることが自分にはできていないという反省がある。

 写真作品は,「敷居が高い」と感じる参加者の空気があったならば,
「見えているものから確認していきましょうか。」「なにが一番最初に目につきましたか。」
「印象でもいいですが。」など,発言しやすい問いかけでスタートしていくことも大切だという話になった。

 参加者の沈黙についても話した。相手が質問の意図を汲んでいると思ったら,待つこともあり。
だが,ナビの質問が伝わっていないが故に発言がないとわかれば,質問を変える(ハードルを下げる)こともある。
投げたら(ナビが質問したら)必ず,返させる(応えさせる)ことが大切。
だから,「沈黙を怖がらない」という構えも大切である。
全員が沈黙している状態は,各自がじっくり考えている結果であることもある。
ナビが焦ってすぐに発言してしまうと,せっかくの思考を妨げることになるかもしれないということである。

 指名の仕方は状況次第,ということも話題になった。
どんどん手が挙がって発言が続く場面でも,発言者は必ずしも直前の発言を受けている訳ではない。
全体の流れにより,自分の言いたいことが言えない状況になれば,意欲を失い挙げていた手を下ろすこともある。
そのような動きを見逃さず,話の流れがその人の思いに沿い始めたところで
改めてナビの方から発言を促すような配慮があるとよいということも学んだ。
話の流れも水の流れのように,量や方向をもつもので,なかなか思うようにはいかないのであるが・・・。

 ナビの最終発言として,「最後にまとめると」とは言わない方がよいのではないかという意見ももらった。
トークの締めとして,「みなさんでこんな話をしましたね」「こんな話題で盛り上がりましたね。」
「こんなふうに見方が変わってきましたね。」「みなさんの話を聞いて,私は~のように考えました」などと
サマライズ(まとめる)できるとよい,ということである。
対話型鑑賞では,最初から最後まで自分の見方が変わらなかったということは,普通ない。
自分の見方が変わったと実感するとうれしい気持ちや得した気持ちになる。
そのためにも,鑑賞したぞという満足感や鑑賞者各自の“納得解”があると安心できるのではないか,ということも教わった。

 一人でじっくりみるのもよいが,大勢の人と意見を交わしながらみることで,一人では到達し得なかった解釈ができたり,
変容する自分を感じることも,対話型鑑賞の大きなよろこびである。
参加してくださったみなさんに,すこしでもよろこびを得てもらえるよう,ナビ修行をしていきたい。


<みるみるの会からのお知らせ>
3月は松江と安来で対話型鑑賞会を行います。
一人でじっくり作品をみるのもいいですが、多くの方と意見を交わしながらみることで得られるよろこびもありますよ。
いかがですか?

旧村松邸(松江市新雑賀町)
 3月21日(木・春分の日)14:00~
 3月24日(日)14:00~

加納美術館(安来市広瀬町)企画展「愛しき島根」にて
 3月31日(日)13:30~

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