「つながり」の旅 in Paris ~ 人と人、自然、地域との「つながり」 ~

人・自然・地域との「つながり」をテーマにした旅や暮らし(エコツーリズム、スローライフ等)について日々の想いを綴ります。

立山黒部アルペンルート

2015年05月12日 | 小さな旅

善光寺に早朝にお参りしたあとは、約17,8年ぶりに立山黒部アルペンルートへ。

まずは、長野駅から特急バスで長野県側の起点・扇沢へ。そこから、トロリーバスに乗って黒部ダムに向かいます。駅から220段のトンネル内の階段を登ると、いきなり黒部ダムと間近に白山を望む絶景を目にすることができます。

そして、黒部ダム駅から急なケーブルカーで黒部平駅へ。だんだんと雪が目の前に見えてきます。 

 

そこからロープウェイに乗ると、赤沢岳、鹿島槍ヶ岳などを一望。先ほどまで畔にいたエメラルドグリーンの黒部湖が遠ざかっていきます。

 

そして、標高1900メートルの大観峰へ。天空散歩しているような山々の絶景が目の前に広がります。しかし、次から次へと大勢の観光客がやってきますが、そのうちの6割ほどは台湾、タイなどの外国人。聞こえてくるのはほとんど外国語です…。

そして、日本に2か所しかないところの、もう一つのトロリーバスへ乗って、クライマックスの室堂へ。

 

ここは標高2350m。目の前には雪原と雪を頂く白山の峰々。真冬の寒さと高山の風景が広がります。さすがに寒くて体が震えます。以前白山山頂にあった白山神社の社殿も、ビジターセンター内に保存されていました。

 

そして、この時期のアルペンルートの目玉は、高さ13mにもなる雪の大谷。

 

これは訪日旅行の目玉にもなっており、特に台湾・香港や南アジアなど、雪に縁がない南国から来ている人たちは、大はしゃぎで写真を撮ったり、雪の壁に線を彫り込んで落書きしたりしています。

雪山のくねくね道を高原バスで美女平へ下りると、雪もだいぶなくなりました。7種類の乗り物の最後は、ケーブルカーで立山へ。

6時間以上に及ぶアルペンルートの旅はようやく終わりです。改めて、山が間近に備える迫力と、外国人観光客の大きさには驚かされました。

 


善光寺御開帳

2015年05月12日 | 小さな旅

高野山開創1200周年の後、巡礼の旅は7年ぶりの善光寺御開帳へ。善光寺は、長野出張の度に境内は訪れるのですが、御開帳に行くのは初めてでしたでしょうか。

行った日は、御開帳期間中最も重要な儀式が行われる日と言うことで、混雑を避けてまずは門前町をぶらぶらしながら行きました。駅で草笛のくるみそばを食べたばかりでしたが、とりあえずおやきもゲット。「おやきで町おこし」が有名な小川の庄のおやき、りんごとシメジが美味しかったです。

 

仁王門をくぐったところで、すや亀の味噌ソフトクリームも。

さて、御開帳。この日は稚児行列を先頭にお坊さんが大勢行列する荘厳な法要があったようです。(夕方のニュースを見て、その行列にドローンが落下、という事件があったようですが)我々が境内に入ったは、その行列がちょうど戻ってきたところでした。浄土宗のお上人様が本拠とする大本願で、その稚児行列の子供たちを見ることができました。

伊勢神宮の式年遷宮に合わせて、摂社もすべて遷宮されるように、善光寺御開帳に合わせて、周囲のお寺でも回向柱が建ち、七色の幕が張られるんですね。

そして、善光寺の山門(拝観料500円)へと向かおうとしたとき、大行列を目にしました。

これは前立本尊と結ばれる回向柱に触るための列でした。さすがにこれは並んでられないと思い、とりあえず山門の上に上りました。はいつくばって登るような急な階段の上には、文殊菩薩と四天王像、弘法大師と四国八十八か所の本尊を模した仏像などが並んでいました。何よりも、この行列に驚きましたが。

ここから本堂までも、回向柱に触る人の大行列が伸び、さらに前立本尊を近くで見るための内陣に入るためにも行列ができています。この行列はパスして、頭に宝印を押しあててもらい、極楽浄土が約束されるというご印文頂戴をしてもらい、この日は宿に入りました。

 

次の日の早朝、善光寺から徒歩10分ほどの宿をとったので、早朝に行けば空いているだろうと思ったのですが、朝5時半前に数百人が行列を作っていました。目当ては、朝のお勤めのために本堂へ向かうお上人様に数珠で頭をなでてもらう御数珠頂戴。こんな大勢でできるのかと思いましたが、きちんと露払いの人が「もっとも前に詰めて、合掌して頭を下げて」と案内してくれて、その通りに人混みの隙間に入り込んで頭を下げていると、一人一人の頭を数珠で撫でてくれました。(赤い傘の下がお上人様)

そして、お上人様が通過した後は、皆一斉に回向柱へ向かい、手や額を押し当てて、五色の糸で結ばれた前立本尊とのご縁を願っていました。

 

その後は、内陣観覧券(500円)を購入して内陣へ。ここでも、朝5時半からの朝のお勤めを見るのに大勢の人がすでに行列しています。行列をしながら、和尚さんが大勢でお経を唱えるのを聞いてありがたい気持ちになり、前立本尊の扉が開かれると、いよいよ内陣へ。読経の声を聴きながら、煌びやかな一光三尊阿弥陀如来像を拝観するのは、なかなか恭しい気持ちになりました。

2週間ほどの間に、開創1200周年の高野山、式年遷宮を終えた直後の伊勢神宮、御開帳の善光寺と周り、後厄の年になんだかありがたい気持ちになりました。


伊勢神宮へ

2015年05月09日 | 小さな旅

高野山を後にして巡礼の旅は伊勢神宮へ。こちらも、以前内宮にはお参りしたのですが、遷宮も終わったので、外宮と合わせておかげ参りすることにしました。

まずは内宮の入り口の鳥居をくぐり、右側通行で五十鈴川にかかる宇治橋を渡ります。

 

今回は子連れのためベビーカーを持って行ったのですが、砂利道の表参道の裏に、車いす等の方でも通れる舗装道路(宮内庁や業者の方が使う道)も途中まであるんですね。案内されたとおりにその道を行ったら、安産・子授けにご利益のあるという子安神社を偶然に発見。お参りしたら、奈良では神様の使いとされる野生の鹿も山肌におり、図らずも自然観察できました。

さて、新緑に覆われた参道をのんびりと歩きながら内宮へ向かいます。遷宮後、平日なのに結構な人出です。天照大御神を祀る内宮前の階段下から遥拝してパチリ。

社殿が初々しい生木で造られているのが印象的。帰りに境内にあるいくつかの摂社にお参りしましたが、これもすべて遷宮されており、新しい社の隣に、旧社があったエリアが更地となって残っていました。下の写真は、天照大御神の荒ぶる魂を祀るという、第一の別宮、荒祭宮。

その後、帰り際に、風日祈宮(かざひのみのみや)にもお参り。「風の人」としては、風雨をつかさどる神様にはお参りしたい気持ちになります。こちらも、川に架かる橋を渡っていくので、なんとなく厳かな気持ちになります。こちらも、手前が遷宮前の社の敷地、奥が真新しい新しい社です。

  

内宮のお参りを終えたら、鳥居のすぐ目の前にあるおはらい町・おかげ横丁へ。様々なお土産屋さんが整然と立ち並び、ここを歩いているだけでも旅の楽しさに浸れます。ファミリーマートも周囲の景観に配慮して町家風・・・。マンホールにも、江戸時代のお伊勢参りの旅の風景が描かれています。

  

歩いていると、五十鈴川に面した古民家風の素敵なカフェを発見。この川べりでコーヒーを飲みながら本を読んだら気持ちよさそう。

そこから五十鈴川沿いに降りて歩いていくと、立派なお屋敷の前に鯉のぼりが建てられていて、保育園で鯉のぼりの歌を覚えたばかりの息子は大興奮。

しばらくここで遊んでいました。ふと振り向くと、この鯉のぼりの脇には立派な和風のお屋敷が。表に回ってみると、伊勢銘菓として有名な赤福の本店でした。せっかくなので、川に面した座席で赤福餅とほうじ茶をいただきました。

そして、車で10分ほど移動して外宮へ。本来は外宮から内宮へお参りするようですが、旅の経路上こうなってしまいました。まあ、日本の神様は寛大だから大丈夫でしょう。たぶん。

外宮の橋は、内宮とは反対の左側通行なんですね。

境内を歩いて6,7分で外宮へ。神々へ奉る食べ物(御饌=みけつ)を司る豊受大神宮を祀る外宮は、衣食住・産業の守護神とされているようです。こちらも、新しい社の隣は、旧社があった更地となっています。

 

外宮の敷地内には、風宮、土宮という別宮がありました。風と土、「風土」にちなむこのお宮さんにもお参りしました。風、というのは、蒙古襲来を救った神風にあやかり、古来崇められていたんですね。こちらも真新しい社と、その奥の更地(=旧社の地)がはっきり見て取れます。

約10年ぶりくらいの伊勢神宮訪問を終え、伊勢の旅の終わりはやはり伊勢うどん。観光案内所で紹介された、近くの中村屋さんでいただきます。

 

おなじみの太くて柔らかいめんに、濃い色の甘い出汁でいただきます。今回は暑かったので、冷やしうどんも注文。こちらはいくぶん麺も硬めですし、生姜入りのつけダレでさっぱりといただくので、私は冷やしの方を美味しくいただきました。

 

 

 

 


高野山奥の院にて

2015年05月08日 | 小さな旅

宿坊に泊まった翌日、いよいよ高野山もクライマックスです。弘法大師が永遠の祈りを今も捧げているという御廟までの約2kmの参道に、20万基を超える諸大名の墓石や記念碑・慰霊塔が立ち並ぶ聖地・奥の院へと向かいます。

奥の院の駐車場に近い中の橋入り口では、4月末だというのに枝垂桜が参拝者を出迎えていました。

広い参道の両側に、石灯篭や記念碑が立ち並んでいます。よくみると、シロアリ協会のシロアリ供養塔、足袋の福助による「福助」の石碑が建つ像など、企業によるPRと思われるものも並んでいます。

  

変わったところでは、ヤクルトの飲料容器の形をした石碑が建つもの、コーヒーカップが目立つようにどーんとおいてあるUCCの石碑があります。

 

もちろん、企業のCMだけでなく、無数のお地蔵さんや歴代の大名や有力者の供養塔なども並んでいます。

こちらは豊臣秀吉の墓。天下人らしく立派です。

織田信長の供養塔は、石自体はデカいですが、敷地自体はあまり広々としたものではありません。

ちなみに、こちらの立派なのは、初代越前福井藩主・結城秀康のもの。以前来た時は気づかず通り過ぎていましたが、福井在住の今となってはピンときて目に留まりました。

そして、この御廟橋から奥は、弘法大師が今も祈りをささげている御廟があるため、脱帽・撮影禁止とされています。

橋から見る川面にも、卒塔婆の様なものがたくさん建てられていました。

開創1200周年ということで、遠方からの檀家による団体参拝も多く御廟前では、大勢の人が読経をしていました。また、帰り際には、御大師様に食事を運ぶ光景も見ることができ、畏れ多くもありがたい気持ちになりました。

 


高野山の宿坊にて

2015年05月07日 | 小さな旅

高野山の夜、何とか空いていた宿坊(恵光院)に泊まることができました。

16時頃に宿に入り、落ち着いた和室に案内してもらいます。廊下の調度品も、さりげなく仏像が置いてあったり、お経の掛け軸が掛けてあったり、ちょっと独特の雰囲気です。

 

16時半からは阿字観体験。道場に行ってみたら、我々家族以外の15人ほどは、全員外国の方でした。お寺の方も慣れているようで、流暢な英語でやり方を説明されていました。「阿字観」とは、密教の修行のひとつで、無心に自己の心を見つめることだそうで、禅宗の座禅のように「無」になろうとしなくてもよい、とのこと。座禅体験もそうですが、静かな山の中で、自然との一体感を感じつつ無心になる、というのは清々しいものです。

その後、17時半から夕食。お膳の数が二つか三つ、値段が1万円~1.4万円まで3段階ありましたが、うちは真ん中にしました。2の膳まで、ちょっとずついろいろな味が楽しめます。思ったほど薄味でもなく、美味しかったです。

その後、開創1200年記念のライトアップもやっているとのことでしたので、車で一回り見てきました。まずは、今年170年ぶりに再建された中門。夜空に浮かび上がる根本大塔もふくめ、大勢人がいた壇上伽藍も、夜間はしっとりした雰囲気です。

 

 大門も、青白く浮かび上がっていました。

そして、翌朝は朝のお勤め体験で焼香し、その後毘沙門堂で護摩供養の見学。・和尚さんの間近で太鼓を聴き、祈祷も目の前で見ることができ、3歳の息子も食い入るように見つめていました。

   

そして、チェックアウトまでの時間で、般若心経の写経体験もできるんですね。意外と難しかったです。

なんといっても、こちらの宿坊では、阿字観体験、朝のお勤め参加、護摩法要、写経などが全て宿泊料に組み込まれているのがいいですね。


永平寺で花祭り

2015年05月07日 | 福井でのすろーらいふ

お釈迦様の誕生日を稚児行列で祝う花まつり。神社仏閣の多い福井ではあちこちの寺社でやっています。お釈迦様のお母さんが、夢で白い象を見たらお釈迦様が生まれたという言い伝えに基づいて、白い象を引いて、きれいな衣装を着た子供たちが行列するやつですね。

せっかく幼い子を連れて福井にいるので、せっかくなので体験しよう、どうせやるなら永平寺で、ということで、永平寺の花まつりに参加しました。

まずは11時頃に集合して、化粧をしてもらい、衣装に着替えます。子供にしてみれば何をされているのかさっぱりわからないと思いますが、うちの息子は気が弱いからかこういう時はおとなしくされるがままになっていました。

女の子は頭に煌びやかな冠を乗せ、蝶々のような羽もつけてきれいに着飾っています。男の子も、昔の貴族のような烏帽子をもらうのですが、歩きにくくて息子は諦めました。


白い象を引いた行列は、門前商店街から永平寺境内までの約500mくらいでしょうか。それまでに散歩もしたので結構へとへとのはずですが、みんな歩いているので息子も頑張って歩きました。
    

最後は、永平寺境内の、なかなか外からは入れない山門で、修行僧が40人くらいお経をあげてくださっている中、くらいの高い和尚さんが洒水(霊力を持ったお清めの水をつけること)をしてくれます。
 

甘茶もいただきました。お釈迦様の誕生後、天から甘い水が降って来て産湯にしたという言い伝えに基づくそうです。この甘茶、お茶を甘くしているのかと思っ たら、アマチャというガクアジサイのような木の葉を発酵させてつくるようで、ノンカロリー、ノンカフェイン、歯周病に利くなどの効果もあるようです。

3歳の息子も無事頑張って歩いたし、ありがたい気分になりました。合掌。


高野山上にて

2015年05月07日 | 小さな旅

いよいよ高野山へ上り、中心部へ。まずは、世界遺産・大門の脇にある「つくも食堂」で名物の釜めしを食べて腹ごしらえ。

  

そして、奥の院と並ぶ2大聖地のひとつ、壇上伽藍へ。弘法大師が真言密教の根本道場を開くにあたり最初に整備した場所だそうで、色鮮やかな立体曼荼羅を内陣に持つシンボルとしての根本大塔

高野山の総本堂として重要な行事が行われる金堂など19の建造物が並んでいます。麓で祀られている、丹生明神、高野明神という地元の神様の御社も祀られており、神仏習合の習わしがわかります。私たちが訪れた時は、開創1200周年の御開帳を祝って根本大塔の内陣も公開されていたほか、秘仏とされる金堂の本尊薬師如来像も開帳されていました(写真撮影不可)。

金堂の前には、秘仏と紐でつながれた回向柱が建っていたほか、この日は京都の醍醐寺の層による特別法会もあり、くらいの高そうなお坊さんたちが金堂の前で念仏を唱え、また金剛峰寺の方へ行列をしていきました。

  

また、開創1200周年に合わせて、1843年に焼失した中門も伝統工法で再建され、その門に建つ仁王像も、二体が新たに創られて四天王となっていました。真新しい増長天、広目天の胸には、よくみるとトンボや蝉がついています。これは、トンボ=後ろに退かない姿勢、セミ=遠くに音を届ける威嚇を示しているそうです。

   

そして、高野山の国宝級の文化遺産が多数収蔵されている霊宝館へ。開創1200周年の今しか見られないものとして、弘法大師が中国から帰る際に投げたら高野山の松に引っかかっていてこの地に本拠を定める決め手となったという飛行三鈷杵や、運慶作の八大童子などが展示されています。

そして、見どころ満載の一日を締めくくるのは、金剛峯寺。こちらでも、本尊・弘法大師座像が開帳され、5色の糸と結ばれて回向柱が建てられています。

    

こちらは、日本最大の石庭・蟋龍庭の脇で茶菓のふるまいもいただけます。

  

となみに、「総本山金剛峯寺」と言ったら、お寺のみならず高野山全体を指すそうです。

「開創1200周年記念〇〇」や「特別開帳」などをあまりにたくさんに拝見したので、非常に中身の濃い一日となりました。合掌。