沖縄の基地問題や原発問題を、市民目線でとりあげることの多い東京新聞、今日(2012.4.15)の社説にこう書いてありました。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012041502000099.html
----------------------------------------------------
(中略)
「私たちは「原発に頼らない国へ」という主張を続けている。
そこには、原発のリスクを過疎地に押しつけ、電力の大きな恩恵を受けながら、その使用量を右肩上がりに増やし続けてきた、消費者としての自戒が込められている。私たち消費者こそ、原発頼みの電力浪費社会を改める必要に迫られている。
立地地域の人々も、心は揺れているのではないか。原発が危険なことは重々分かっている。原発交付金が、いつまでも続くわけではない。
長年の苦衷を国民全体でくみ取って、共有すべきときである。国策の犠牲者である立地地域だけを、これ以上苦しめ続けていいわけがない。原発に代わ る地域経済の新たな柱を用意し、地元に安心をもたらすことも、政府の責務ではないか。消費地から立地地域へ呼びかけたい。ともに原発依存から脱却し、持続 可能な日本を築こう。協調しよう。
-----------------------------------------------------
これを読んで改めて思ったのは、今度の福島第一原発の事故のずっと前、映画「六ヶ所村ラプソディー」を見たときに思ったことと一緒でした。
それは、原発の問題は、水俣病やダム開発などとおなじような根っこを抱えている、ということでした。
原発も、公害も、ダムという名の国土開発も、皆、近代化や経済成長、便利な生活のために行われます。多くは過疎の地域に負担を強いて、都市の人たちがその成果を根こそぎ持っていきます。
しかし、そのような社会がもたらしたのが、福島第一原発の事故だったのではなかったか。その過ちに気付いて、これまでとは違うパラダイムへ舵を切るべき時ではないのか。
国民全体で負担を共有し、持続可能な日本を築く。そんなシンプルな方向がいいですね。