勝山左義長祭りに行きました。
左義長とは、正月の松飾りを燃やす「どんどやき」のことですが、勝山では、各町内のやぐらで赤襦袢を来た大人や子供が酔っぱらったような仕草(=「浮く」と言われます)で太鼓を打ち鳴らすことが二日間にわたって行われ、最終日の夜に、各町内から持ち寄らよられた松飾りが一斉に燃やされる「どんどやき」が盛大に行われます。
そのおどけた仕草で太鼓を打ち鳴らす独特の調子が「奇祭」と呼ばれ、10万人もの人出で賑わいます。この祭りのときは、普段は人気のない勝山の街も、12地区のやぐらを見て歩く人々でごった返します。また、通りに掲げられる、川柳と絵行燈も見物の一つです。
本町通りには、屋台も立ち並び大勢の人で賑わいます。中には、誰のか分からないブロマイドを売る平面パチンコ屋も・・・。懐かしい昭和の香りがします。
また勝山には、いくつか伝統的な古民家も建っていますが、その一つでは道行く人の休憩場所となり、立派な雛人形が飾られていました。
左義長が終わると、奥越前にも春が訪れます。
昨日、今日と、雪の中を若狭へ向かいました。連日往復200Km以上の移動距離。こうなると、仕事中の楽しみはランチです。
昨日は、小浜市役所近くの「かねまつ」へ。昔ながらの食堂・居酒屋ですが、店内に干物が広げられ、ハタハタの干物15個100円、カレイの干物2枚100円、アジの干物5枚100円などで買うことができます。土産で家に買って帰りたいくらいですが、仕事中でほかの人の目もあるので我慢しておきます。
こちらの刺身丼、大盛800円。マグロとかイクラとかは入っていませんが、地元でとれた雑魚がたっぷり入ってご飯より魚が多いくらい。あら汁もお代わり自由。かなり「魚食った~」という気になります。
今日は、敦賀の日本海さかな街でランチ。海産物を扱う店が数十軒ならび、大型観光バスも買い物や食事で訪れます。ここで食べたことがなかったので、どんなものかトライしました。海鮮丼の店が多いのですが、昨日たらふく食べたので、趣向を変えて・・・
海鮮焼きにしました。牡蠣、ホタテ、サザエを目の前で炭火で焼いて、みそ汁・ご飯付きで1300円。まあ、観光客値段ですが、それなりに美味しかったです。地元産だとなおよいのですが。
舞鶴に隣接し、福井市より京都市の方が近い福井の西端・高浜町は、夏は近畿・東海地方からの海水浴客でにぎわいます。その高浜町で、「若狭高浜ひな祭り」が行われています。
これは、地域の家に眠るひな人形を家々の通り沿いの縁側や玄関に飾り、道行く人に見てもらおうというイベントで、9年前に始まった時は、地域の有志の方々16軒による手作りで始め、今や街中の100軒ほどで行われる街ぐるみのイベントとなっています。
雛飾りを展示する家々は、軒先にピンク色の幟をかかげ、統一したポスターが張られています。中には、通りからは見えにくい位置に飾っているようで、「一声かけてお入りください」というお家もあります。
スーパーの前にも幟があり、店の入り口に雛飾りが置かれ、雛あられなどの関連商品が一緒に売られていました。
なんと、大きなソテツがあるお寺の前にも幟があり、本堂の一角に、かわいらしい雛飾りがありました。
町役場にも幟があり、入口に雛飾りが飾られていました。どこの家も、「昭和●年初節句」など、いつ頃の雛飾りが書かれているのですが、役場の雛飾りにも名前入りで書かれていたので、職員のどなたかが持って来られたのでしょう。
そして、役場の窓口カウンターにも、かわいらしいミニチュアが置かれていました。
「ちょっと見せてください」、と声をかけることで地域住民の方と会話が生まれるし、休憩所なども用意されています。街歩きをしながらほんわかした気分になれる、心温かいひな祭りです。
福井弁は、抑揚がないのが特徴だそうです。なので、「雨」と「飴」、「柿」と「牡蠣」は、どちらも同じ発音で、文脈に応じて判断しないと、発音だけでは区別できないそうです。
それはともかく、抑揚のない福井弁のために、福井の人の接客がぶっきらぼうに感じられる場合があるのではないか と感じています。
たとえば、病院やお店に入ると、「~される?」、「~の?」という感じでよく質問されます。「です」「ます」を使わなくても、語尾が柔らかく上がったり、笑顔が伴えば、聞かれたほうの印象は良いのですが、福井では、にこりともせず、抑揚のない声でこれを発するので、言われた方にしたら、「とっつきにくい」、「不愛想」、と感じるかもしれません。
観光客のアンケートを見ても、地元の人が不愛想、などと指摘する声もあります。実際、私自身も、客としてあちこちのお店に入った際、ぶっきらぼうな対応に閉口することが多々あります。
職場の人曰く、「福井の人は人見知りだから…」とのこと。人の出入りが少ないという県民性の裏返しなのかもしれません。
しかし、話すほうからみればそんなつもりはないのに、話し方一つで「感じ悪い」、と思われてしまうこともあるので、残念なことです。
福井弁は、抑揚がないのが特徴だそうです。なので、「雨」と「飴」、「柿」と「牡蠣」は、どちらも同じ発音で、文脈に応じて判断しないと、発音だけでは区別できないそうです。
それはともかく、抑揚のない福井弁のために、福井の人の接客がぶっきらぼうに感じられる場合があるのではないか と感じています。
たとえば、病院やお店に入ると、「~される?」、「~の?」という感じでよく質問されます。「です」「ます」を使わなくても、語尾が柔らかく上がったり、笑顔が伴えば、聞かれたほうの印象は良いのですが、福井では、にこりともせず、抑揚のない声でこれを発するので、言われた方にしたら、「とっつきにくい」、「不愛想」、と感じるかもしれません。
観光客のアンケートを見ても、地元の人が不愛想、などと指摘する声もあります。実際、私自身も、客としてあちこちのお店に入った際、ぶっきらぼうな対応に閉口することが多々あります。
職場の人曰く、「福井の人は人見知りだから…」とのこと。人の出入りが少ないという県民性の裏返しなのかもしれません。
しかし、話すほうからみればそんなつもりはないのに、話し方一つで「感じ悪い」、と思われてしまうこともあるので、残念なことです。
厳冬の2月15日、福井県の山間の静かな農村、池田町で750年ほど続く神事が執り行われます。一年に一回だけということで、無理を押してちょっと見に行ってきました。
すっかり雪も目立たなくなった福井市街から車で40分ほど走ると、池田町の水海地区鵜甘神社に到着します。周りは一面の銀世界で、雪国いることを思い出させてくれます。
2/15に行われるその神社の春季例大祭で奉納されるのが、国の重要無形民俗文化財「水海の田楽能舞」です。
鎌倉時代に執権の北条時頼が諸国行脚の途中、この地で冬を越すことになったので、村人が時頼を慰めるために「田楽」を舞って歓待し、時頼はこれに報いるため、「能舞」を教えたのが始まりだそうです。以来、田楽と能の両方を併せ持つ、古い型を現在も継承するものとして、貴重なものだそうです。
また、地域の保存会の人々は、2月3日から練習したり、神事を執り行ったり、前日は冷たい川で禊をして身を清めたりして準備するそうです。
13時からの神事の後、いよいよ神社の拝殿にて、田楽が始まります。ゆったりとした〆太鼓や節回しに合わせて、厳かに田楽が行われました。
時間の都合上、能舞は見られませんでしたが、大勢の方が厳かに見入っていました。このような芸能と神事がひっそりと山里で続いていることが、福井の魅力だと思います。
決して大勢でわいわい楽しむ種類の祭り事ではなく、ひっそりと雪に囲まれた集落の小さな神社で素朴におこなれるところが魅力なのだと思いますが、写真やビデオで見られるようにして、地域のシンボル的な芸能として保存・活用していければよいと思いました。
福井県には、県が主催で、企業等で働く次世代のリーダーたる女性の能力を高めようというプログラムがあり、各社・各組織から推薦された女性30-40名が、セミナーを聴講したり、グループワークをしたりしながら、一つの課題についてプレゼンテーションを行う、ということをしています。
仕事でそのプレゼンの審査に立ち会うという機会があったので、なかなか面白い取り組みと思い聞いてみたところ、他県ではあまり例がないそうです。なぜ福井でやっているかというと、共働きが日本でもトップクラスの福井では、女性の就業率は高いものの、女性の管理職の割合は著しく低く、働く女性の地位の向上やさらなる能力の向上が必要だから、とのことでした。へえ~。
論点は多少ずれますが、「福井に来て驚いたことの一つとして、駅の立ち食いそばで食べる女性の割合が高いことが挙げられます。たしかに、福井駅の立ち食いそばには、いつ見ても女性のお客さんが一人は常にいます。これも、女性の就業率が高く、女性が忙しいことの表れでしょうか。。。