那覇の三重城といえば、
昔は、中国の朝貢船などが那覇の港に入るのを見張る、
港の入り口の要塞だった。
昔の地図を見ると、
那覇の港に細く突き出した半島の先に、
城壁を築いてあるのが見え、三重城と書いてある。
沖縄の習俗を書いた本では、
その昔、宮古・八重山のジュウルクニチー
(一家で墓参して先祖とのつながりを思い返す、最も大切な年中行事の一つ)の日には、宮古・八重山出身者が、那覇の町の中で一番郷里の方角に近い三重城の広場に来て、海の遥か向こうの帰れない故郷を思い手を合わせたという。
今の三重城は、那覇の町の外れでバスのターミナルや湊がある。
さらに、往時の三重城要塞の城壁はかろうじて残り、
小さな祠と鳥居がたっているものの、広場には海上保安庁の灯台が立ち、
城壁も大きなシティホテルにすっぽりと覆われ、目立たない存在になっている。
私も、ふと空いた時間に手元の地図を見ていて、
小さく書いてある「三重城跡」という文字を見逃していたら、
実際に来る事はなかっただろう。
迷いながら来たお陰で、那覇の港の防衛に果たした役割や、
宮古・八重山出身者の心の支えとなっていたという往時に思いを馳せつつ、
美しい夕陽を眺めることができました。
昔は、中国の朝貢船などが那覇の港に入るのを見張る、
港の入り口の要塞だった。
昔の地図を見ると、
那覇の港に細く突き出した半島の先に、
城壁を築いてあるのが見え、三重城と書いてある。
沖縄の習俗を書いた本では、
その昔、宮古・八重山のジュウルクニチー
(一家で墓参して先祖とのつながりを思い返す、最も大切な年中行事の一つ)の日には、宮古・八重山出身者が、那覇の町の中で一番郷里の方角に近い三重城の広場に来て、海の遥か向こうの帰れない故郷を思い手を合わせたという。
今の三重城は、那覇の町の外れでバスのターミナルや湊がある。
さらに、往時の三重城要塞の城壁はかろうじて残り、
小さな祠と鳥居がたっているものの、広場には海上保安庁の灯台が立ち、
城壁も大きなシティホテルにすっぽりと覆われ、目立たない存在になっている。
私も、ふと空いた時間に手元の地図を見ていて、
小さく書いてある「三重城跡」という文字を見逃していたら、
実際に来る事はなかっただろう。
迷いながら来たお陰で、那覇の港の防衛に果たした役割や、
宮古・八重山出身者の心の支えとなっていたという往時に思いを馳せつつ、
美しい夕陽を眺めることができました。