「つながり」の旅 in Paris ~ 人と人、自然、地域との「つながり」 ~

人・自然・地域との「つながり」をテーマにした旅や暮らし(エコツーリズム、スローライフ等)について日々の想いを綴ります。

渡嘉敷ブルー

2008年03月31日 | 沖縄の旅案内
渡嘉敷島に子ども達40人を連れてキャンプに行った。国立青年の家のキャンプ場は、島の中ほど、渡嘉敷久集落(といっても、殆どキャンプ場と宿泊施設のみ)にある。さすが国立だけあって、テントや温水シャワー、マリンスポーツなどが充実しているほか、二人以上なら誰でも利用可能ということで、なかなか人気があるらしい。

座間味の島影をバックにした海は、晴れると透き通るようなブルー。やはり、強い日差しに映える沖縄の海は最高だなーと思う。さらに、昼間のワイワイキャアキャアが過ぎ去った、夕暮れ時の静かな海の表情も情緒があり、ボーっとたたずむのが気持ちよい。

3月末の海は、晴天でも水に入るとまだヒヤッとしたが久々に見る青く透明な海に、再び近づいてくる夏への期待が高まった。

スローツアー

2008年03月25日 | 沖縄の旅案内
環境文化NGO・ナマケモノ倶楽部のメンバーが沖縄に来たのに合わせ、スローツアーを行った。

テーマは、
・沖縄の現実(基地問題・開発と自然保護)に触れる
・沖縄の自然と文化に触れる

まず、那覇を出て高速道路の伊芸SAで、金武湾を眺める。青い海と背後のヤンバルの新緑を眺め、沖縄らしい雰囲気に浸るが、目の前に見える平安座、宮城、伊計島は、石油備蓄基地建設と引き換えに本島と陸続きになったことを説明。

その後、辺野古で座り込みを続ける方からお話を伺い、東京では想像もつかない、沖縄にいてもなかなか実感を持って感じ得ない、基地と隣り合わせに暮らす現実に触れる。

住民の合意もなく、暴力的に基地建設を進める政府に対し、
「このような世の中のおかしい状況をなくさない限り、
 ホントのスローライフはあり得ない」
という言葉が重い。

その後は、億首川河口でマングローブ林を眺め、
さらに特産の田芋の田んぼが広がる風景を見てのんびり。

豊かで恵み多い自然と、その自然を壊して作る基地という現実。
「リゾート」や「青い海」、「癒しの島」という作られた観光イメージでは現れない沖縄。こういった部分を人に伝えたりして、なんとかするのも、沖縄社会に縁あっていさせてもらっている自分の役割だと思う。

その後は、開発と保護で揺れる泡瀬干潟を訪れる。
丁度潮が引いて、旬のアーサ(あおさのり)をおじいとおばあが
仲良く採っていた。

さらに、那覇に戻り、まちぐわー(市場)を見学。沖縄の珍しい野菜や肉、カラフルな魚達と元気なおばあに接した。

一日だと時間は十分ではありませんが、沖縄のいろいろな面を垣間見て、
何かの行動のきっかけになればと思います。


首里の湧水めぐり

2008年03月23日 | 沖縄の旅案内
首里の湧水めぐりのガイドウォークに参加した。

首里城、瑞泉門の脇にある龍樋から出る湧き水からスタート。首里城の脇のこの湧き水は、王宮の飲料水として利用され、古代中国から派遣された役人が来た時に国中で一番美味いと褒めたので、「中山第一」という石碑が隣にあるそうな。

その湧き水から流れ出た水は、弁財天堂を囲む円鑑池へ、円鑑池の水位が高くなったら石門を通って龍譚へ、龍譚からはさらに水路を通ってジーブ(儀保)川へと至るように設計されていたとのこと。当時の設計技術の高さを物語る。

山がなく、強い雨が降ってもすぐに海へ流れ出てしまう琉球王国では、水を貴重なものとしてきたが、琉球石灰岩とその下の粘土層の境目から湧き出る水の場所を大切に崇め、その泉(カー)や、周りを石積みで固め樋をつけた樋川(ヒージャー)などを崇高なものとして祀ってきた。そのため、今でも、樋川(ヒージャー)の周りには立派な石積みと拝所の跡が残る。宝口樋川などには、お札まで祀られている。

自然を人間が敬いながらうまく利用してきた文化をうかがい知ることのできる湧水散歩だった。

ムーンビーチの夕暮れ

2008年03月21日 | 沖縄の旅案内
恩納村にあるムーンビーチに行った。
といっても、リゾートホテルに泊まったわけではなく、
ホテルでやっていたやちむん(焼き物)市をドライブがてら覗いてみた。

全島から40ほどの焼き物屋さんが出店し、茶碗や皿など、いろいろな焼き物を売っているのは圧巻。

西海岸のリゾートホテルの中で老舗のホテル・ムーンビーチは、
施設も陳腐化しているかと思いきや、なかなかゆったりした雰囲気だった。

丁度夕暮れ時だったので、ホテルの目の前のビーチに降りる。
岩や海岸線の曲線の関係でプライベートビーチのように区切られており、
夕暮れ時の海岸がリゾート気分でいい感じだった。

西海岸のリゾートホテルから見る夕日。
なかなかよい気分です。

うりずんの沖縄~春の読谷散歩

2008年03月20日 | 沖縄の旅案内
今の時期の沖縄は「うりずん」と呼ばれ、
冬が終わって日差しが温かくなり、野山に新芽が芽吹くころ。

そのさわやかな日差しの中、今日は久々に中北部にドライブに出かけた。
まずは、読谷の漁港として有名な都屋漁港に向かう。
途中、あちこーこーのかまぼこやと、魚や天ぷらの直売所があり、
港から見る青い海を見ながら、揚げたてをつまみぐい。

その後、海産物食堂で、
ガチュンの煮つけとマチの塩焼きを食べました。魚三昧。

観光地化されておらず、どれも目立たないスポットですが、
目の前の青い海とのんびりとした時間をゆったりと味わえました。
贅沢な一日。

辺野古で考えるスローライフ

2008年03月17日 | Slow Life
普天間基地代替施設を建設しようとする政府と、反対派の住民が11年間座り込みを続ける沖縄本島北部・辺野古を訪れた。

ここは、ジュゴンの貴重な棲息地として、様々な国際環境保護団体も中止を訴えており、開発と自然保護に揺れ、米軍基地と隣合わせに生きる沖縄を象徴している場所と言える。

お話してくれた富田晋さんによると、悲惨な沖縄戦を生き抜いた70、80歳代のおじいやおばあは、子孫に悲惨な経験を繰り返させたくないとして、時には病床に臥せりながらも、反基地・反戦平和の運動を続けてきたらしい。

おじいやおばあが反基地運動の中心になる背景には、手中堅世代は生計を立てるための仕事=公共工事に依存せざるをえず、基地建設に反対するなら仕事を奪うぞ、という状況に置かれてきたこともあるようだ。

富田さんは、若干23歳というが、反戦・反基地を叫び続けてきたおじいやおばあに、15歳の時から様々な人生訓を受けてきたうえに、強引に建設を進めようとする防衛施設局や海上保安庁とのギリギリの攻防の第一線に立ってきたからか、とてもしっかりと、説得力のある話をしてくれる。

「この運動をすることによって、政府の理不尽さが身に染みた」と富田さん。
・普天間基地は安全だ、と防衛施設局職員が答弁した翌日に起きた
 2004年の沖縄国際大学の米軍ヘリ墜落事故
・カネとヒトを送り込んで国が基地建設反対派の切り崩しを図った
 1997年の名護市長選挙。選挙に敗れたのに経済振興策をチラつかせながら、
 なしくずし的に進められる基地建設
・国民を守るはずが、反対派のボートに銃口を向ける海上保安庁の巡視船
など、民主主義国家でこんなことがあっていいのか、
と思うようなことは枚挙に暇がないらしい。

そんな富田さんは、強引に基地建設を進めようとする政府側に、船からの抗議行動に出る際、死を覚悟したことも何度かあったらしい。

「死を覚悟して顔面蒼白なっていた僕に、おじいやおばあが、
『生きろ!最後まで生きろ。俺の前で死にそうな顔をするな!
 海から生きて帰ってこい』
『お前みたいな未来ある若者に、死を覚悟しないといけない状況を作り出して、
 本当に済まない』
と泣きながら言ってくれたのが忘れられません。」
と富田さんは語る。

辺野古に来てた若者達が、各地で反戦への運動を展開してくれていることに
希望を見出しているという富田さん。

このような理不尽な政府のやり方を、自らの行動を通して変えない限り、本当のスローライフなんてない、と語るその言葉には、ギリギリの状況を乗り越えて今なお第一線に立つ、迫力と熱い思いがこもっていた。

富田さんの言葉はここでも見られます↓
http://tu-ta.at.webry.info/200705/article_25.html

やんばるで山菜!

2008年03月16日 | 沖縄の旅案内
3月のやんばる(沖縄本島北部の森林地帯)。本土より2ヶ月早く、既に新緑の季節です。

「ブロッコリーの森」と呼ばれるイタジイを中心とする森では、既に黄緑の新芽が盛んに出ており、咲き終わったヒカンザクラの新芽と共に、亜熱帯の山を様々な緑が鮮やかに輝いています。

今回は、樹木医の方や、生物の先生をやっていた研究家の方、学芸員の方などともに、森の奥深くの山小屋に泊まり、春の山野草を食べながら森を歩きました。

タブノキ、カツモウイノデ、アカメガシワなど、今まで「ただの山に生えている木」としか分からなかったものが、名前や生態の特徴について教えてもらった上に、「この時期の新芽がウマい」とか言われると、いっそう興味を持って周りを眺められるようになります。

もちろん食用じゃなくても、ヒリュウシダの新芽、エゴノキの花、シロダモの新芽など、この時期特有の彩りを見るだけでもワクワクします。

結局、10種類以上の山野草をいただき、森の中をのんびりとおしゃべりしながら歩いて、やんばるの新緑を存分に楽しみました。

※補足
帰りに、やんばるの森を削ってダムを作っている現場を通りました。
これまで見てきた緑の森から赤土がむき出しになり、山が痛々しく見えます。

さんしんの日

2008年03月13日 | Slow Life
3月4日はサンシンの日、ということで、沖縄各地でサンシンの演奏会が行われました。

有名なのは、読谷村の鳳ホールで行われる「ゆかる日まさる日サンシンの日」。大きなコンサートホールに、3000人が集まり、壇上に掲げられた大きな楽譜を見ながら、おめでたいときに歌う「かぎやで風節」を演奏します。主催するラジオ局でも、午後から夜までこれにまつわる番組が流れます。

私の事務所の前、那覇のメインストリートである国際どおりテンブス館前でも寒風が吹く中行われました。

ここから500mほど離れたパレット久茂地前でも行われています。
きっと、県内各地でこういうこじんまりとした演奏会が開かれているんだろうな~。

と思っていたら、翌日の新聞を見ると、沖縄からの移民が多いブラジルでも、県系人によるサンシンの日演奏大会があったそうです。

さすが、移民と芸能の島、沖縄。その社会に根付く三線の重要性を実感します。

サンゴが練りこまれたそば

2008年03月07日 | 沖縄の旅案内
那覇の住宅街の沖縄そば屋 わらび
那覇市古島にある住宅街の中のそば屋「わらび」に行った。

サンゴのカルシウムを練りこんだ手打ち麺、あぐーの骨でだしをとったコクがあるのにあっさりとしたスープ、大東寿司などがウリらしい。

住宅街のふつーの家のような店に入ると、意外にも食券制でセルフサービス。どうやら、店のおばちゃんの足が悪いらしく、客にも協力を求めているところがなんとなく素朴で好感が持てる。中身そば(680円)を頼むと、大根とタコのサラダやポテトサラダ、タクアンまでついてくる。家庭的食堂、という感じで心が休まる。

肝心のそばの味は、麺がもうちょっと歯ごたえが欲しいという感じだが、スープは味がしっかりとして上品。味が抜群、というよりは、家庭的な感じに惹かれた。次は、大東寿司がつくそばセット(750円)を食べてみたい。

末吉公園・・・侮れず

2008年03月03日 | 沖縄の旅案内
末吉宮は15世紀半ばに熊野三社を勧請して設立され、明治以前まで琉球八社の一つとして信奉された由緒ある神社で、もともとの社殿は沖縄戦で焼けるまで国宝に指定されていたらしい。かなり立派だった往時を偲ばせるように、宮社への道の脇には数多くの石碑や御嶽(拝所)が残り、今でも拝みの対象となっている雰囲気を残している。

下りは足元が慎重になるほどの急な坂道を登ると展望が開け、立派な石段とその上の拝殿、さらにアーチ上の石段でつながれた本殿がある。今に残るこれらの建物は本土復帰の1972年に、残っていた資材と礎石を使って復元したらしい。

私が行ったときは、ちょうど石段の上の拝殿の前におばあがちょこんと座って、うーとーとー(拝み)している。傍に座っている娘らしきおばちゃんは、階段下の私たちも一応は気になるようだが、拝み中のおばあをとめるでもなく傍らに寄り添っている。この石段の下から首里城や新都心方向を一望する景色はなかなか圧巻。しかし、ふと目をやると、拝所のすぐ脇に、目を疑うほどのゴミが捨てられている。これはある意味ものすごいギャップというか、罰当たりというか。。。

ともかく、那覇の住宅地の真ん中で、深い緑と歴史と文化が味わえるなかなか素晴らしい末吉公園。
なかなか侮れません。