緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

エッセイとフォト

日々の発見と思いのあれこれなど

人としてどうか

2019年09月12日 | 
みーちゃんが亡くなって1カ月が過ぎました。
まだ四十九日はきていません。
なのに兄は、みーちゃんが亡くなって2週間もしないうちにもう新しい猫を飼おうと言い出しました。
私としては、せめて四十九日が過ぎるまでは猫を飼う話などしたくなかったのですが。

実は以前にも同じようなことがありました。
スズちゃんを飼う前、シロという名の白猫を飼っており、その猫が亡くなって、たいして日も経っていなかったのに新しい猫を飼おうと兄が言い出したのです。それで貰ってきたのがスズちゃんでした。

当時は母の介護がまだ始まる前で、母が呆れていました。
そんなにも簡単に新しい猫を飼おうと言い出せるものかと。
人としてどうかと思えると。

だから今回、兄がその話をし始めた時、その時の話をして、母が呆れていたと伝えました。
再び猫を飼うのは、せめて四十九日が過ぎてからにしようと言いました。
もう一つ、母が呆れていたご近所の人の話もしました。

もうその家族は引っ越していませんが、ご近所に、夫に愛人がいて、その事に気を病んで自殺未遂を繰り返していた奥さんがいました。(夜中に救急車が何度か来ていました。)
ある日とうとう本当に死んでしまいました。自殺です。
そうすると、夫は四十九日もすまないうちに新しい奥さんを家に迎え入れたのでした。(たぶん愛人だった女性)

人の家のことだから、あれこれ言えることではないかも知れませんが「人としてどうかと思う」と母は言っていました。
その話を兄にすると「それとこれとは違うだろう」と言いました。
確かに、兄はみーちゃんがいるのに外に愛猫を作って、みーちゃんがその事に気を病んで自殺したわけではありません。そもそもみーちゃんは自殺なんてしていません。
でも四十九日もすまない内に家に迎え入れようとするところは同じです。
みーちゃんの魂はまだ家の中や周辺にいて見ているかもしれないのに。

私が話をして以降、兄は猫のことは言いださなくなりました。
私の方は気になって、猫の里親サイトなどチェックするようになりました。
里親を探している色んな事情の猫達がいました。
兄と私の年齢を考えれば子猫は飼えません。
高齢者はご遠慮下さいと書いてある猫達も多いのです。

みーちゃんのことは思い出さない日はありません。
新しく飼う猫は焦らず、ゆっくりと探したいと思っています。

元気だった頃のみーちゃんです。








みーちゃん、頑張りました。

2019年08月06日 | 
8月5日早朝、我が家の愛猫みーちゃんが亡くなりました。
悪性腫瘍でした。
先月16日より水以外、口にしなくなり、亡くなる数日前からは水も飲まなくなりました。

猫は水だけで1カ月生きると聞いてはいましたが、悪性腫瘍もあり、もう少し早く逝ってしまうのかなと思っていましたが、みーちゃん頑張りました。

亡くなる前日の夜、呼吸が荒くなり『今夜が山かも』と思い、私はいつもは自分の部屋で寝るのですが、みーちゃんが寝ている床の間のある座敷に、自分の枕とタオルケットを持ち込んで、畳の上で寝ました。

真夜中の2時半くらいまで、時折起きては体をさすってやったりしていましたが、いつの間にか私も寝ており、4時頃、みーちゃんに蹴られて起きました。
みーちゃん、ほとんど動けない状態でしたが、私のすぐ傍まで這う様に来て、私を起したのでした。

口を開けて、苦しそうでしたのでシリンジで口に水を含ませました。
それが結局、末期の水になりました。

5時過ぎ、明るくなってきましたので、庭の水遣りに行き、急いで戻ると亡くなっていました。
まだ温かかったです。

亡くなるまでのみーちゃんの頑張り、凄かったです。
思い出すと辛いので書きません。

医師が勧めた手術を受けさせなかったのが間違っていたのか、正しかったのか、今では分かりません。
ただみーちゃん、最後まで好きなようにお家で暮らすことはできました。
私もできるだけみーちゃんの傍にいるよう努力しました。

寂しがり屋で甘えん坊のみーちゃんの為に、私は通っていた健康講座も茶道もお休みし、友達との約束もキャンセルしました。
亡くなる2日前まで、みーちゃんは私をヨタヨタと追いかけ、私がお風呂に入っていると足ふきマットの上で出てくるのを待っていました。

だから私は今も出掛けると『早く帰らなくちゃ』と思ってしまいます。
朝起きるとみーちゃんを探してしまいます。
もうみーちゃんはいないのに。
お家にも、心にも、ポッカリと大きな穴が開いてしまいました。

みーちゃん、今までありがとう。そしてさようなら。
ブログで今までみーちゃんのことを気にかけて下さった方々にも、お礼申し上げます。
本当にありがとうございました。



ミーちゃんの病状

2019年07月17日 | 
ミーちゃんですが、昨日から「ちゅーる」も食べなくなりました。
思いの外、病状の進展が早いです。
水だけはたくさん飲み、おしっこをたくさんします。
痩せて、辛そうです。

それでもミーちゃん、私が朝と夕の食事を食べる時は、元気な時と同じように私の隣の座布団に座って寛ぎます。
まるで、そうしないといけないみたいに。

それ以外の時間は、一段高い床の間がミーちゃんのベッドになりました。
畳や木が気持ち良いのかもしれません。

できるだけ、普段通りに日々を過ごすようにしています。
日に何度もミーちゃんに話しかけています。
ミーちゃん、調子の良い時はゴロゴロと喉を鳴らします。
後はそっと寝かしています。

今日、本当はバスツアーで淡路島に鱧料理を食べに行く予定でした。
夕べ、考えて行かないことにしました。
朝早く家を出て、夜遅く帰ることになるからです。
ミーちゃんが寂しがります。

こんなことになるとは思わなかったので、色々と予定を入れていました。
キャンセルできるものはしてしまい、できないものは行っても早く帰るつもりです。
鱧料理のツアー、朝キャンセルの電話を入れたのですが、料金は半額戻るそうです。
助かりました。


ペットのターミナルケア

2019年07月10日 | 
我が家の愛猫、ミーちゃんのことですが、この度、悪性腫瘍が見つかりました。

1カ月くらい前から、早朝、よく吐くことがあり、ジュレタイプのものなら食べていたのですがカリカリは食べなくなっていました。
糖尿病でしたので、以前から血糖値のコントロールの為、1週間に1度は病院に連れて行っていました。
そこで、そのことを訴えてもいたのですが、胃の状態が悪いのかもしれない、餌は何度にも分けて与えてくださいと言われて、その通りにしていました。

ある時、あまりにも酷い吐き方をしたので、これは何かあると思い、すぐ病院に連れて行ったところ、検査の結果、悪性腫瘍とのことでした。
よく吐き、カリカリを嫌がったのは、悪性腫瘍が腸に巻き付くようにあり、食べ物が腸を通過できなくなっていたからでしたが、開腹してみないと詳しい状態は分からないとのことでした。

医師からは手術以外に助かる方法がないと言われました。
手術の方法は、悪性腫瘍の摘出だけでなく、それが巻き付いている腸も切断し繋ぎ合わせるとのことでした。
ただ手術した場合、長期間の入院が必要であり、また腸の繋ぎ合わせた部分から食べ物が腹内に漏れ出ることもあるとのことでした。

帰ってからネットで色々と調べてみました。
すると、ミーちゃんと同じ症状と状態で手術した猫もいましたが、一時期回復したものの直ぐに悪性腫瘍が再発し、死亡したとのことでした。

我が家では、何十年も前から、ほぼ途切れることなく猫を飼っており、その死に行くさまも見てきました。
獣医師から「治療しますか、それとも安楽死をえらびますか」と問われ、治療を選んで一時期元気になったものの半年くらい後に亡くなった猫もいました。
若い猫で、辛い手術を受けさせて死なせてしまった猫もいました。

ミーちゃんの場合、色々な考え方があるでしょうが、若い猫ではなく高齢猫であり、手術の苦痛や長期間の入院によるストレスを考えると、自宅で出来る限りストレスなく過ごさせ、このまま自然に逝かせることを選択しました。

定位置のミーちゃん専用座布団で寛ぐミーちゃんです。


ミーちゃんが通っている病院は設備の整った大きなペット病院で、勤めている獣医師も6,7名はいるみたいです。
主治医は30歳前後の若い医師ですが、今回、話をしていて思うことがあったので、そのことを書いて見ます。

手術を行わない決定は、その獣医師にとって思いがけないことのようでした。
その医師の表情や口ぶりを見ていて、私は30年くらい前のある医師の言葉を思い出しました。

思い出した医師の名前は既に亡くなっていますが河野博臣医師です。
河野医師は動物の医師ではなく人間を診る医師で、日本におけるターミナルケアの先駆者でした。

ミーちゃんの主治医と話していて、私が思い出した河野医師の言葉は「医師にとって患者の死は“敗北”である」でした。
確かに、そのペット病院でも、モットーとして「私たちは全力で動物の命を救います」と掲げられていて、主治医にとっては手術は当然だったのです。

そういう考え方は特に変なものではなさそうですが、河野医師によればその結果、様々な弊害が現れるというのでした。
何がなんでも助けるという姿勢は、その結果、患者に苦痛を強いて当然にもなります。
無意味な治療を際限もなく続けることにもなります。

河野医師自身、元々は腕に覚えがあり、人を手術するのが大好きな外科医であったということです。
ところがある日、河野医師の2歳になる娘さんが、家の近くの阪急電車の線路で、特急にはねられて亡くなられるという経験をします。
河野医師はバラバラになった娘さんの肉片を拾ったということです。

その事故がきっかけで河野医師は変わったそうです。
(もちろん直ぐに変わったのではなく一時は相当に荒れたそうですが。)
それまではメスを体に入れられる患者の心身の痛みなど考えたこともなかったそうです。

河野医師は当時も、それ以降も一介の開業医でしたが、その傍ら患者中心医療の活動を始め、ターミナルケアの先駆者となり、日本におけるサイコオンコロジーの発起人となります。
私は当時、ある事情から河野医師に私淑しており、神戸市垂水にある河野医師の病院で開かれていた研究会にも月1回3年間ほど通っていました。
それは30年くらい前の話ですので、今では社会全体で終末期医療に関しては格段の理解があります。

ですがミーちゃんの主治医と話していて感じたのは、ことペットに関しては、30年前の人間の医療の問題点がそのままペット医療の現場にあるのではないかということでした。
それは動物の医療の進歩の結果、生かす為に色んなことが可能であることの弊害でもあるのかもしれません。
また高額な先進医療設備を病院が据えることによる病院の経営上の問題もあるのだと思います。

私としてはミーちゃんの今後の生活をできる限り苦痛の少ない穏やかなものにしたいので、そのことでのサポートを医師にはお願いしたかったのです。
ただそれは無理かもしれないと思いました。

ミーちゃんは今はちゅーるのみ食べている状態ですが、病状が進めばそれも食べられなくなるかもしれません。
強制給餌や栄養点滴は安らかな死と相反するものですので、そういうことをされても困るのです。

河野医師は当時「昔は癌患者は食べられなくなって枯れるように死んだが今は最後まで点滴するものだから妙に元気に苦しんで死ぬしかない」と語っていました。
現在では終末期の癌患者にやたら点滴しないようにガイドラインがあるようです。⇒ココ

このガイドラインについて医師が語る「人の体には苦しみを回避するうまいシステムが組み込まれているのかもしれないですね」という言葉は、私は猫や犬も同じだと思うのです。
それが「自然に逝かせる」ということでもあるのです。

ペットのターミナルケアは、動物を飼う人には避けて通れない問題だと思います。
私としてはミーちゃんが最後まで穏やかに過ごせるよう努めていきたいです。


みーちゃん、その後

2018年10月29日 | 
みーちゃんの糖尿病のその後です。
当初、みーちゃんは毎日インシュリンを2回打ち、1週間ごとに病院に行って血糖値を測ってもらっていました。

インシュリンのせいで血糖値の値は改善。
インシュリンの量も0.4mlが0.3、さらに0.2、0.1と改善傾向。
ついには毎日1回だけで0.1mlまでいきましたが、その先が良くならない。

猫の場合、一時的に血糖値が高くなり、インシュリンの治療によってだんだん血糖値が下がり、最終的に寛解に至ってインシュリンも不要になることがあるのだそうです。
みーちゃんもそうなるかと思いきや、どうしても血糖値が高め。
日に一回、0.1mlのインシュリンを打って、もう少し様子を見ることになりました。

みーちゃんもストレスですが飼い主も大変。
でもみーちゃん、とても元気です。

日向ぼっこが大好きで、ベランダでよく寛いでいます。
誰ですか、爺むさそうな猫だと思ったのは。

よっこいしょと身づくろいです。


まぶしくて目が開かない・・・。


お股を開いて・・・


年寄りは身ぎれいにしなくちゃね。





顔も洗っとく。








あ~、のびのび。


よっこらしょとストレッチ。


運動も疲れる。


見て、これが糖尿の猫のお腹。


みーちゃん、お腹のタプタプは気にしないから長生きしてね!!