緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

エッセイとフォト

日々の発見と思いのあれこれなど

祭釜に行ってきました。

2023年07月16日 | 茶道
茶道の先生からお茶席に誘われていました。
二つ返事で「行きます」と言い、昨日総勢8名で行ってまいりました。
連れて行かれたのは大阪の長堀にある茶道具専門店「市田朝芳庵」が主催する祭釜でした。

祭釜というのはお祭にちなんで開かれる茶会みたいです。
祇園祭の真っ最中でしたので、それにちなんでいたのかも。
はっきり分からないので、今度のお稽古で先生に聞いてみます。

「市田朝芳庵」、非常に高級な茶道具しか扱っていないお店みたいです。
ざっと見たところ、一番安くて30万くらいかな。
お金の話はいやらしいのでこれ以上しませんが、扱っているお道具類は皆、品位がある感じ。
そういうものを見て目を養わねばならないみたい。

センスよく、あちこちに美術品を飾っていましたが、お茶席でもお道具類を堪能しました。
お茶をいただいたあと、別室で、床の間に掛けてある滝の掛軸が応挙作だと聞いて、思わず「本物の応挙なんですか?」と聞いてしまった私、失礼にもほどがある。
しっかり畳に手をついて失礼を詫びました。

先生曰く、「ここでは本物以外扱わない」のだそうです。
丸山応挙の掛軸を座敷で目と鼻の先で見られるとはね。
写真はNGでしたので撮っていません。

同じビルの別階で「かが万」さんのランチをいただきました。
それは写真OKでした。











上の写真以外にもお料理はありました。
同行した方々、一様に「こんな美味しいもの食べたなんて、絶対に旦那には言えない」と仰ってました。
確かに、物凄く凝ったお料理の数々でした。

このお茶会、先生から言われたドレスコードは着物でした。
本来、祭釜は浴衣でも構わないそうですが、そこは特別で紗の着物を着ていきました。
暑かったですが、なんだかとても贅沢な一日でした。

付記
当日の祭釜、先生に聞いたところ、生玉さんではないかとのことでした。
生玉さん、つまり生國魂神社の夏祭りにちなんだものらしいです。


一味同心

2023年06月16日 | 茶道
茶道のお稽古、5月から風炉になりました。
風炉は夏秋用の釜を掛ける茶道具の一つです。
冬春は床の一部を四角く切って釜を掛ける炉になります。

左の釜を掛けている炉が風炉です。


茶道で、一つの茶碗で複数の人が回して飲む濃茶のお稽古、コロナで長い間行われませんでした。
濃茶を点てる場合も各服点(かくふくだて)と呼ばれる、一人一人に別の茶碗で点てるやり方が行われてきました。
それで、「濃茶の作法を忘れそう」なんてことも言われてました。

ですが、6月に入ってからは濃茶の稽古も復活。
先日のお稽古では、マスクをしている人は一人もいませんでした。
どうやら茶道の本部の方でもコロナ仕様は止めたようです。
同時にあちこちのお茶会も復活。

私は茶道を習い始めて早いもので足かけ5年目。
濃茶は習い始めてすぐにコロナですから点て方も覚えていません。

久しぶりに点てた濃茶ですが、一服のお茶を皆であーでもない、こーでもないと言い合うことになりました。
濃茶はそれこそ一味同心です。
でも一味同心という言葉は茶道で使われる禅語ではないみたいです。
意味は単純に「同じ心になって力を合わせること。また,その人々」です。

そういえば、高校生の頃、歴史の先生から聞いたことがあります。
昔、鎌倉・室町時代? お茶を栽培しても、茶葉の良い部分は年貢や税の形で取られてしまい、当の農民達は不味いお茶しか飲めないこともあったそうです。

寄りあいなどで皆で不味いお茶を飲んでいて、なぜ自分達が作った美味しいお茶がすべて持って行かれるのか、なぜ税の取りたてがそれほど過酷なのか、このままでは一揆するしかないというような話になり、皆で立ち上がって一揆を起こしたんだそうです。
それが一味同心のそもそもの意味だったそうです。
別に濃茶みたいな上等なお茶を飲みまわしていたわけではなかったのです。
それでは決して禅語的な有難い話でも、ホンワカした話でもないですね。

面白いなと思うのは、その一味同心という言葉がその後二つに分割され、悪いことをするのに集まった集団が一味、悪事を正すための集団が同心になったこと。
取り締まる方と取り締まられる方と、見事に分かれてしまった。

これは今の日本の社会を考えるにも視点として役立つ発想じゃないかと。
というのも、なぜか今、少しでも表立って政治的・社会的な活動をするとネガティブなレッテルが貼られたりするから。

当然の権利であるデモに行っても、ひどい中傷を受けたりする。
要するにお上(権力)には逆らうなという風潮がある事。
特に若い人達にその傾向が大きい。

昔、一揆に立ち上がった農民達は、間違った政治を正す、悪い為政者にはそれなりに実力行使に出なければ改まらないという思いがあったと思う。
でも為政者の側から見れば一揆を起こす農民達こそ秩序を乱す悪い奴だったわけで。(要するに一味)

どちらも一理あるとしても、今、極々真面目で平和的な政治的・社会的な活動でも、あたかも愚かなこと悪いことでもあるかのように叩いている人達は、完全に後者の側の視点しかないみたいです。(ツィッターはそういうので溢れかえっている)

snsの世界は異常ですが、私が世の中を見ていても40代以下の世代にはそういう傾向(批判精神の封殺)を強く感じます。
私の考えでは、それでは社会のダイナミズムが発動しようがなく、結果的に日本の社会の衰退を引き起こしていると思います。

なぜそうなったかについては、私ごときに分かろう筈もないですが、何年か前に読んだこの文春の記事に納得しました。

なぜ日本は自発的に「貧困化」へと向かうのか? 内田樹が語る“日本再建のビジョン” | 文春オンライン

新型コロナウイルスの危機はグローバル資本主義のあり方に急激なブレーキをかけ、疑問符を投げかけた。今後、アンチグローバリズムの流れで地域主義が加速すると分析する思...

文春オンライン

 


濃茶で一味同心から、話は大きく飛んでしまいましたが、老婆心ながら、40代以下の保守的な若い人達にはもっと本を読み、知識を身に付けてほしいものです。
豊かな日本の未来を望むなら、です。


春日大社の献茶祭に行ってきました。

2023年05月20日 | 茶道
イベントが立て込んで忙しい日々がようやく終わりました。
10日に行ったのが春日大社の献茶祭。

献茶祭というのは、神様にお茶を点てて差し上げるお祭りのこと。
1年に一度のことなのですが、コロナで数年ぶりだったらしい。
その日は順番で表千家の家元が点てられました。

本来ならばこの種のお茶会イベントは、今の茶道の先生の場合、何度でも連れて行ってくれるものだったのですが、ここ数年はコロナですべて中止だったのです。
茶道の先生でも、コロナ関係なく、稽古ばかりでどこにも連れて行ってくれない先生もたくさんおられるみたいです。
私とすれば、元気なうちに見聞を広げたいので声を掛けられるのは大歓迎でした。

その日は朝早くに起きて朝食を食べ、大急ぎで着物に着替え、一緒に行くMちゃんの車に駅前まで同乗させてもらいました。
着物着るの、どんだけ焦ったか。
焦れば焦るほど、上手く着られない
Mちゃんも同様だったらしく、家で大騒ぎしたらしい。

駅前からは大きめの車に乗り換え、途中で一人拾って6人で一路奈良の春日大社へ。
先生の所で茶道を習っている男性が運転してくれたのですが、あまり経験したことないスピードで走りました。

駐車場に車を置き、本殿へと歩きます。

鹿を見るとなぜか興奮するMちゃん。



今回の写真はほぼスマホです。
同行した人とラインで共有したものもあります。
ですからいつもと写真の雰囲気が違うと思います。

春日大社の社殿の中を歩きます。
先生とMちゃんと私。


吊り下げられている金属製の灯籠など、たくさんあるのですが、先生によれば万灯籠の時には、すべてに明かりがともされるそうです。
万灯籠は年に何度かあるので、奈良観光に興味のある人はその時期に行くのもいいかも。

献茶祭では参加者は濃茶を一服、薄茶を二服、それと点心とよばれるお弁当をいただけます。
点心といっても内容は中華料理ではなく、柿の葉寿司でした。
三服のお茶はすべて別の場所でいただきます。
その度ごとにお道具を拝見したり掛け軸やお花を見たり。

もちろんメーンイベントは自分達がいただくお茶ではなく、献茶の儀式です。
私やMちゃんは初めてのことだったので、家元のお点前がよく見えるように一番前に座らされました。
その場面は撮影禁止でしたので写真はありません。
ただNHKが取材に来ていて、奈良のニュースとして家元はもちろんのこと、参加者の私達もアップで写っていました。
(YouTubeで確認しました。💦)

巫女さんの舞もありました。
これは準備中。

これは本番。


三服のお茶をいただく場所がすべて違うので、春日大社の中をずいぶんウロウロしました。
足元が悪く、着物だし、草履だし、おまけに緑内障で地面の遠近感が分からないし、危なっかしいのか「気をつけてくださいね」と何度も声をかけられながら歩きました。

点心は普段であれば建物の中でいただけるそうですが、今回はコロナのせいか持って帰る形になりました。
持って帰るといってもお腹がすくので、そばの万葉植物園の中でいただきました。

本来ならば藤の季節なのですが、今年は暖かくて藤はすべて終わっていました。
あるのはイチハツかアヤメか、よく分かりません。
黄色いのはキショウブ?




いただいた点心、量が多くて、3分の一は持って帰りました。

お天気も良く、良い見聞をさせていただいた一日でした。


いちま人形は恐い?

2022年03月05日 | 茶道
ちょうど3月3日、雛の節句の日に茶道の稽古が先生のお宅でありました。

3月はいつも長板に皆具のお点前を習います。

長板というのは黒い板のことで、皆具と言うのは水指・杓立・建水・蓋置の4つのセットを指すらしいです。
写真のは九谷焼とのことです。

お茶碗も、使ったうちの一つは皆具と揃いの物を使いました。
他はひな祭りらしくお雛様の模様の入ったものでした。


茶釜は羽釜と呼ばれるもの。
釜の横に二つの金属製の羽を差し込めるようになっていて、それを炉縁に引っかけて置けるようになってます。
3月にもなると炉に灰が溜まり、五徳の上に茶釜を置くのではなく羽釜を使うんだそうです。
羽の下に板を置いて釜の位置を高くしています。
もちろん、羽釜を使うのは絶対ではありません。

先生の家では、4月になると釣釜といって、天井から吊り下げるタイプの茶釜になります。
釣釜はユラユラ揺れて扱いにくいんですけど、そこに風情を感じるのが茶人というものらしいです。
私には一生到達することのない境地でしょうけど。

皆でお稽古しながらのおしゃべりで、3月3日らしくお雛様の話になりました。
雛段を飾ったとか、それはもうしないとか。
古いのをやっと処分したとか。

私が幼い頃、母方の祖父母から貰ったガラスケースに入った3段ほどのお雛様は天袋にしまったままです。
あれも処分しないといけないです。(それとも、私が忘れているだけでもう処分しているか・・)

お雛様は女の子が生まれると母方の実家から贈られるのが通例なのでしょうが、二人目の女の子とか、場所をとるから要らない場合にいちま人形が贈られることもあるようです。
ところが皆さんが言うには、娘さんからいちま人形は要らないから返すと言われるんだそうです。
その理由が、恐いし、気持ち悪いから。

髪が伸びてくる、血の涙を流す・・・。
もう笑ってしまいました。
変なテレビ番組の見過ぎですね。
意外と気にする人がいるみたいですが、なんだかお人形さんがかえって可哀想な感じです。





足運び、注意されました。

2022年02月28日 | 茶道
先日、茶道のお稽古で、私のお稽古の番が終わってから、先生に足運びを注意されました。

茶道の場合、あらゆる手順が決まっていて、その通りやるのですが、それが一応正しくても動きの幅が大きすぎたり小さすぎたりすることがあります。
私の場合、体を反転させる時のある一歩の幅が10センチ超大きすぎるということでした。

茶道の先生も心得たもので、最初から細かいことは言いません。
一つ注意しただけでも不機嫌になって辞めてしまう人もいます。
変な癖がつく前に注意したいのはやまやまなのでしょうが、眼につくところすべて注意しても、された方は出来ないし覚えることさえ無理です。
という訳で徐々に徐々に注意されます。

基本、注意されて腹が立つ人は茶道には向きません。
そういう人はあらゆることに向かないかも知れません。
私もよほどうるさく言われない限り『そっかー』と思うだけです。

先生だけでなく、先輩達も注意したくて仕方ないみたいです。
私も後輩に注意したくて仕方ない時はありますが、たいていは黙っています。
先輩の方々は30年40年と茶道をされている大ベテランばかりですので、その人達が黙っていることを私が言うのはダメだろうと思うからです。
こっそりと「こうしたら良いよ」と耳打ちするくらいです。(言っているやないか!!)

先生の注意を受けて、私が足運びをあれこれ試していると、大先輩の一人がつつと近づいて「みどりさんの歩き方・・・」と言って気になる処を教えてくれました。
自分ではまったく気が付かないのですが、歩き方に癖があったようです。
それは足指を床につけず、浮かすように歩くことでした。

なるほど、そんな歩き方をしているから片足立ちのテストをすると、結果が70代だの80代だのと言われるのですね。
片足で立つ時も足指を浮かせていましたから。
こういうことに気が付くので、色々と言われるのは有難いです。

ただ足指を浮かして歩く癖をいまさら直せるかというと難しいです。
私の足は左足は指に繋がる腱が2本ほど切れているし、右足は足首の軸が正しく乗っていないんだそうです。
そういう足だから痛みを避けて足指を浮かしているとも言えるのです。

私の場合、腱はウィークポイントで、若い頃から腕は腱鞘炎だし、両手はCM関節症で菜箸で重い物を摘まむと腱がユルユルなものだから親指の付け根が亜脱臼になります。
骨や筋肉は運動や食事や薬で何とかなりますが、腱だけはどうしようもないです。

とは言いつつも、私はまだましみたいです。
茶道は結構体育会系みたいなところがあり、年寄りにはきつい動作があるんです。
最近はコロナフレイルで特に年配者は足腰が弱っています。
正座がすでに出来なくなっている人が多いですし、お点前が終わって立ち上がることが困難な人もいます。
私は、それは平気ですから。

と言っても、表千家で推奨されている一足立ちは出来ません。
一足立ちとは、正座の状態から膝を起こし、足指を畳につけて、そのまま一気に立ち上がる立ち方です。
一足立ちは足にそれなりの筋力がないと出来ないです。
私は両足を揃えず、4センチほどずらして立ちます。

茶道では流派によって歩き方も大きな違いがあります。
裏千家はきびきびと、表千家は静々と歩きます。

先生によれば、かつてマーチングバンドをやっていた女性がお稽古に来たことがあったそうです。
その女性の歩き方はマーチングバンドのそれだったそうで、一度それは私も見たかったなと思います。