緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

エッセイとフォト

日々の発見と思いのあれこれなど

茶室での事故

2024年02月04日 | 茶道
茶道のお稽古で事故など起こるのかと思われそうですが、起こる時は起こります。

元々ちょっと怖いなと思っていたのは、お点前をされていた生徒さんが立ち上がる時、足がこわばって動かなくなることがあること。
皆さん、年齢が年齢で正座で痺れることはあまりないのですが、足腰が弱っている人が多く、スッとは立ち上がれないんです。

変に動こうとするとひっくり返りそうになります。
で、そばにはシュンシュンと音立てて沸いている茶釜があるんです。
もし、つんのめって茶釜の上に倒れたりしたら・・・。
茶釜の下には、もちろん火を熾した炭が並べられているわけですから。
日頃、それは想像して怖いと思ってました。



先日のお稽古ではついに事故に立ち会ってしまいました。
私が想像していたような事故ではないです。
事故が起きたのもお稽古中ではありませんでした。
茶室でのお稽古の、午前の部と午後の部のちょうど生徒さんの入れ替えの時、それは起こりました。

そういう時ですから、茶釜に湯を足したり、炭を整えたりするのに一時的に茶釜を動かした時のことです。
たまたま私は離れた場所から見ていたのですが、熱湯の入った茶釜を移動させようとしたのか、着物を着た一人の生徒さんが環を使って茶釜を持ち上げました。

それが体全体がユラ~とするような持ち上げ方で、見ていて一瞬、私が後輩だったし齢も下だったので『私が動かすべきだったかも・・』と思ったのです。
でも、もう持ち上げてしまっていたからどうしようもない。
次の瞬間、彼女は前に倒れて茶釜ごと大量の熱湯を畳の上にぶちまけてしまったのでした。

後は何が何だかの大騒ぎ。
皆で雑巾やらタオルやら用いて熱湯をふき取り、倒れた生徒さんは手と顔に熱湯がかかったらしくて水道水で冷やしたり。
着物を着ていたので着物にも湯がかかったのですが、そのせいで直接足にかかることは免れたようでした。
それでも足袋が濡れてはき替えてました。

幸運だったのは熱湯が飛び出した先に誰もいなかったこと。
ようやく畳の上の湯を拭き上げて、きれいに逆さになったままの茶釜を先生が元に戻そうと拾い上げた時。
なんと畳で口が塞がれた状態で茶釜の中にはまだ熱湯が残っていたのです。
それを持ち上げたものだから、その湯が先生の方にドバッーっと。
誰もお湯が茶釜に残っていたなんて、考えてもみなかった。

もう一度大騒ぎです。
幸いにも2月の寒い日でしたので、先生は厚着で火傷するほどでもなかった様子でした。
お湯を拭きとって、やっと午後の部のお稽古開始。

お点前のお稽古は順番に行うのですが、最初にやるのは茶釜を落とした生徒さんでした。
でも、動揺しててお点前どころではない。
先生は気を遣って2番目にやるように言いました。
でも彼女は順番がくると「心臓がドキドキしてるので帰らせてもらいます」と言いました。

その気持ちは私でも分かります。
私だったら、しばらく横になりたいくらいのものだったと思います。
ところが先生は「お稽古していき。気分が変わるから」と。

それでお稽古してました。
終わってから先生は「どうや、落ち着いたやろ。ドキドキしたまま帰ったら、ずっとドキドキしたままや。お稽古はした方がいい」

した方が良いのか悪いのか、私には分かりません。
誰だったか、茶道やお点前を禅にたとえた人がいました。
お点前する時、人は息を整え、お茶を点てることに集中し、その結果、無心になるということでしょうか。
私は禅について何も知らないので間違いかもしれません。

先生は茶釜を落とした人をまったく責めず、色々と冗談も交えて励ましていました。
私は着物を着た人に茶釜を持たせたらいけないとか、体調の悪いときは絶対に無理をしてはいけないし、させないとか、心の中で反省しきりでした。
倒れて落としたのは、この日の茶釜は一番寒い時に使う大きくて重いものだったということもあったのでした。

帰ってから、グループラインで茶釜を落とした人から謝罪がありました。
先生はその生徒さんが落ち込まないようにラインでも冗談を交えて励ましてました。
ああいうことがあれば、私でも気を取り直すのは難しいかもしれません。

火傷は痛みもなく、大したことはなかったようです。
誰も大きな怪我がなかったことは幸運でした。
事故はどんな場所でも場面でも起こるものと心得なければならないようです。


おもてなし 天国と地獄

2023年12月15日 | 茶道
茶道のお稽古、コロナもほぼ収まって、色んな事が4年ぶりに元に戻りつつあります。
それで私もお茶関係で結構忙しいです。

近所の神社の祭礼のお献茶も4年ぶりに再開。
副席のお茶席のお手伝いにも行きました。
実は私、5年前に客としてそこでお茶をいただいています。
以下はその時の記録です。

献茶式のことなど - 緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

旅行前のことですが、11月から習い始めることになった公民館の茶道教室の方からお誘いを受けて、近所の神社の秋季大祭の献茶式に行ってきました。10月上旬のことです。公民...

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今年はお茶席のお手伝いをする側として行きました。
事前に茶道仲間から「みどりさん、参加したことあった?」と聞かれ、「5年前にお客として行きました」と言うと「おもてなしされる側は天国だけど、おもてなしする側は地獄よ」と言われました。
『怖っ!!』て感じ。

でも、実際にはコロナの4年の間に色々と変化がありました。
以前は同じ副席としてお煎茶席もあったのですが、そのグループの人達が高齢化等の理由でいなくなりました。
結果、以前と比べて準備のための水屋等場所的に余裕をもって使えるようになったらしいです。

お茶席を4年ぶりで設けることになった連絡も積極的にはしなかったみたいです。
先生曰く、「今回は文春もCIAも来ないから緊張しなくていいよ」。
以前は、不首尾があれば後で何を言われるか分からない人達が来ていたのかしら。

それでも準備の日を含め二日間、忙しく立ち回りました。
私はちょうどコロナが治ってすぐの頃でしたから、地獄というほどではないですが、しんどかったです。
5年前はとても暑かった記憶があるのですが、当日は秋らしく涼しくて、着物を着ている身としては助かりました。

次なるイベントは同じく4年ぶりの公民館祭でのお茶席開催です。
これは公民館で茶道を習っている自分達の主催となります。
こちらも規模を縮小しましたが、やはり準備の日を含め二日間かかりました。
立礼でのお茶席です。

設えはこんな感じです。


神社でのお茶席は裏方で、若い人にお点前をしてもらい、自分でお茶を点てることはなかったのですが、公民館の教室には若い人はおらず、着物の人は1回は必ず亭主役になり、お点前することになりました。

立礼でのお点前のやり方を覚えていない人には、半東という亭主を補佐する役の人が側にいて、ささやき女将となって何をすればよいか言ってくれます。
私は亭主役にも半東役にもなったのですが、半東役になって亭主に的確にやることを言うのは難しかったです。

半東はその場の司会役も担い、初めの挨拶やら、掛け軸の説明やら、進行状態に合わせ機転をきかせて客人にお話します。
私が60代を過ぎて茶道を習い始めたのはボケ防止もあったのですが、茶道はお点前の稽古だけでなく、やることが色々とあると知りました。
確かに、こういうことをやっているとボケないかもしれないです。

自分がおもてなしを受けるお茶会もありました。
流派の大阪支部のお茶会です。
こちらは人数も多く、二日間にわたり行われます。
こうした、いわゆる大寄せのお茶会は、多人数なので人数を区切って順番にお茶をいただきます。
濃茶が物凄く濃かったのが印象的でした。
いつもはお稽古で濃茶でも薄めのものばかりいただいていたのかもしれません。

おもてなしを受ける方は確かに天国で、工夫が凝らされた美味しくて綺麗なお菓子を食べ、上等のお抹茶をいただき、珍しいお道具類をたくさん拝見させていただきました。
裏方がどんなに大変だったか、想像にあまりあります。

今年度のお茶の催しは終わりましたが、来年の公民館での初釜、濃茶の担当となりました。
身内ばかりで気楽と言いたいところですが、正座が出来なくなって教室をやめられた方が初釜だけ来られるとか。
あまりいい加減なこともできないのでお正月にかけて練習するしかありません。
それやこれやでボケる暇はなさそうです。


祭釜に行ってきました。

2023年07月16日 | 茶道
茶道の先生からお茶席に誘われていました。
二つ返事で「行きます」と言い、昨日総勢8名で行ってまいりました。
連れて行かれたのは大阪の長堀にある茶道具専門店「市田朝芳庵」が主催する祭釜でした。

祭釜というのはお祭にちなんで開かれる茶会みたいです。
祇園祭の真っ最中でしたので、それにちなんでいたのかも。
はっきり分からないので、今度のお稽古で先生に聞いてみます。

「市田朝芳庵」、非常に高級な茶道具しか扱っていないお店みたいです。
ざっと見たところ、一番安くて30万くらいかな。
お金の話はいやらしいのでこれ以上しませんが、扱っているお道具類は皆、品位がある感じ。
そういうものを見て目を養わねばならないみたい。

センスよく、あちこちに美術品を飾っていましたが、お茶席でもお道具類を堪能しました。
お茶をいただいたあと、別室で、床の間に掛けてある滝の掛軸が応挙作だと聞いて、思わず「本物の応挙なんですか?」と聞いてしまった私、失礼にもほどがある。
しっかり畳に手をついて失礼を詫びました。

先生曰く、「ここでは本物以外扱わない」のだそうです。
丸山応挙の掛軸を座敷で目と鼻の先で見られるとはね。
写真はNGでしたので撮っていません。

同じビルの別階で「かが万」さんのランチをいただきました。
それは写真OKでした。











上の写真以外にもお料理はありました。
同行した方々、一様に「こんな美味しいもの食べたなんて、絶対に旦那には言えない」と仰ってました。
確かに、物凄く凝ったお料理の数々でした。

このお茶会、先生から言われたドレスコードは着物でした。
本来、祭釜は浴衣でも構わないそうですが、そこは特別で紗の着物を着ていきました。
暑かったですが、なんだかとても贅沢な一日でした。

付記
当日の祭釜、先生に聞いたところ、生玉さんではないかとのことでした。
生玉さん、つまり生國魂神社の夏祭りにちなんだものらしいです。


一味同心

2023年06月16日 | 茶道
茶道のお稽古、5月から風炉になりました。
風炉は夏秋用の釜を掛ける茶道具の一つです。
冬春は床の一部を四角く切って釜を掛ける炉になります。

左の釜を掛けている炉が風炉です。


茶道で、一つの茶碗で複数の人が回して飲む濃茶のお稽古、コロナで長い間行われませんでした。
濃茶を点てる場合も各服点(かくふくだて)と呼ばれる、一人一人に別の茶碗で点てるやり方が行われてきました。
それで、「濃茶の作法を忘れそう」なんてことも言われてました。

ですが、6月に入ってからは濃茶の稽古も復活。
先日のお稽古では、マスクをしている人は一人もいませんでした。
どうやら茶道の本部の方でもコロナ仕様は止めたようです。
同時にあちこちのお茶会も復活。

私は茶道を習い始めて早いもので足かけ5年目。
濃茶は習い始めてすぐにコロナですから点て方も覚えていません。

久しぶりに点てた濃茶ですが、一服のお茶を皆であーでもない、こーでもないと言い合うことになりました。
濃茶はそれこそ一味同心です。
でも一味同心という言葉は茶道で使われる禅語ではないみたいです。
意味は単純に「同じ心になって力を合わせること。また,その人々」です。

そういえば、高校生の頃、歴史の先生から聞いたことがあります。
昔、鎌倉・室町時代? お茶を栽培しても、茶葉の良い部分は年貢や税の形で取られてしまい、当の農民達は不味いお茶しか飲めないこともあったそうです。

寄りあいなどで皆で不味いお茶を飲んでいて、なぜ自分達が作った美味しいお茶がすべて持って行かれるのか、なぜ税の取りたてがそれほど過酷なのか、このままでは一揆するしかないというような話になり、皆で立ち上がって一揆を起こしたんだそうです。
それが一味同心のそもそもの意味だったそうです。
別に濃茶みたいな上等なお茶を飲みまわしていたわけではなかったのです。
それでは決して禅語的な有難い話でも、ホンワカした話でもないですね。

面白いなと思うのは、その一味同心という言葉がその後二つに分割され、悪いことをするのに集まった集団が一味、悪事を正すための集団が同心になったこと。
取り締まる方と取り締まられる方と、見事に分かれてしまった。

これは今の日本の社会を考えるにも視点として役立つ発想じゃないかと。
というのも、なぜか今、少しでも表立って政治的・社会的な活動をするとネガティブなレッテルが貼られたりするから。

当然の権利であるデモに行っても、ひどい中傷を受けたりする。
要するにお上(権力)には逆らうなという風潮がある事。
特に若い人達にその傾向が大きい。

昔、一揆に立ち上がった農民達は、間違った政治を正す、悪い為政者にはそれなりに実力行使に出なければ改まらないという思いがあったと思う。
でも為政者の側から見れば一揆を起こす農民達こそ秩序を乱す悪い奴だったわけで。(要するに一味)

どちらも一理あるとしても、今、極々真面目で平和的な政治的・社会的な活動でも、あたかも愚かなこと悪いことでもあるかのように叩いている人達は、完全に後者の側の視点しかないみたいです。(ツィッターはそういうので溢れかえっている)

snsの世界は異常ですが、私が世の中を見ていても40代以下の世代にはそういう傾向(批判精神の封殺)を強く感じます。
私の考えでは、それでは社会のダイナミズムが発動しようがなく、結果的に日本の社会の衰退を引き起こしていると思います。

なぜそうなったかについては、私ごときに分かろう筈もないですが、何年か前に読んだこの文春の記事に納得しました。

なぜ日本は自発的に「貧困化」へと向かうのか? 内田樹が語る“日本再建のビジョン” | 文春オンライン

新型コロナウイルスの危機はグローバル資本主義のあり方に急激なブレーキをかけ、疑問符を投げかけた。今後、アンチグローバリズムの流れで地域主義が加速すると分析する思...

文春オンライン

 


濃茶で一味同心から、話は大きく飛んでしまいましたが、老婆心ながら、40代以下の保守的な若い人達にはもっと本を読み、知識を身に付けてほしいものです。
豊かな日本の未来を望むなら、です。


春日大社の献茶祭に行ってきました。

2023年05月20日 | 茶道
イベントが立て込んで忙しい日々がようやく終わりました。
10日に行ったのが春日大社の献茶祭。

献茶祭というのは、神様にお茶を点てて差し上げるお祭りのこと。
1年に一度のことなのですが、コロナで数年ぶりだったらしい。
その日は順番で表千家の家元が点てられました。

本来ならばこの種のお茶会イベントは、今の茶道の先生の場合、何度でも連れて行ってくれるものだったのですが、ここ数年はコロナですべて中止だったのです。
茶道の先生でも、コロナ関係なく、稽古ばかりでどこにも連れて行ってくれない先生もたくさんおられるみたいです。
私とすれば、元気なうちに見聞を広げたいので声を掛けられるのは大歓迎でした。

その日は朝早くに起きて朝食を食べ、大急ぎで着物に着替え、一緒に行くMちゃんの車に駅前まで同乗させてもらいました。
着物着るの、どんだけ焦ったか。
焦れば焦るほど、上手く着られない
Mちゃんも同様だったらしく、家で大騒ぎしたらしい。

駅前からは大きめの車に乗り換え、途中で一人拾って6人で一路奈良の春日大社へ。
先生の所で茶道を習っている男性が運転してくれたのですが、あまり経験したことないスピードで走りました。

駐車場に車を置き、本殿へと歩きます。

鹿を見るとなぜか興奮するMちゃん。



今回の写真はほぼスマホです。
同行した人とラインで共有したものもあります。
ですからいつもと写真の雰囲気が違うと思います。

春日大社の社殿の中を歩きます。
先生とMちゃんと私。


吊り下げられている金属製の灯籠など、たくさんあるのですが、先生によれば万灯籠の時には、すべてに明かりがともされるそうです。
万灯籠は年に何度かあるので、奈良観光に興味のある人はその時期に行くのもいいかも。

献茶祭では参加者は濃茶を一服、薄茶を二服、それと点心とよばれるお弁当をいただけます。
点心といっても内容は中華料理ではなく、柿の葉寿司でした。
三服のお茶はすべて別の場所でいただきます。
その度ごとにお道具を拝見したり掛け軸やお花を見たり。

もちろんメーンイベントは自分達がいただくお茶ではなく、献茶の儀式です。
私やMちゃんは初めてのことだったので、家元のお点前がよく見えるように一番前に座らされました。
その場面は撮影禁止でしたので写真はありません。
ただNHKが取材に来ていて、奈良のニュースとして家元はもちろんのこと、参加者の私達もアップで写っていました。
(YouTubeで確認しました。💦)

巫女さんの舞もありました。
これは準備中。

これは本番。


三服のお茶をいただく場所がすべて違うので、春日大社の中をずいぶんウロウロしました。
足元が悪く、着物だし、草履だし、おまけに緑内障で地面の遠近感が分からないし、危なっかしいのか「気をつけてくださいね」と何度も声をかけられながら歩きました。

点心は普段であれば建物の中でいただけるそうですが、今回はコロナのせいか持って帰る形になりました。
持って帰るといってもお腹がすくので、そばの万葉植物園の中でいただきました。

本来ならば藤の季節なのですが、今年は暖かくて藤はすべて終わっていました。
あるのはイチハツかアヤメか、よく分かりません。
黄色いのはキショウブ?




いただいた点心、量が多くて、3分の一は持って帰りました。

お天気も良く、良い見聞をさせていただいた一日でした。