大阪道頓堀の松竹座に歌舞伎を観に行ってきました。
例によって株主優待で頂いたチケットです。

観たのは昼の部で、春日八郎の歌で有名な「お富さん」=与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)の話がメーンでした。
お富さんの歌が大ヒットしたのは1954年のことだったそうです。実はその年に私は生まれています。
たぶん、その頃に誂えたであろう夏紬を着て、私は歌舞伎に行きました。
(襦袢のエリが見えませんが、ちゃんと着てます(^^;)もう少し見えるように着ないとね。)

一昨年、母が亡くなり、古い箪笥を整理していたら、たくさんの端切れの奥からクルクルと丸めた一枚の着物が出てきました。それがこれです。
多少汚れてはいましたが、特に傷んではいませんでした。
たぶん母のものだろうと思いますが、私の記憶にはなく、母の比較的若い頃(20代後半から30代前半?)の着物のようでした。
母が遺した他の着物の手入れのついでにこの着物もクリーニングに出しました。
業者の人にこの着物のことを聞いてみると、とても古いもので夏紬だということでした。
あまりに古いので、染み抜きはできないと言われました。(どうなるか分からないらしいです。)
夏紬は単衣の時期(6月と9月)と、7月8月の盛夏に着ることができるのだそうです。
今はあまり作られていないとか。柄行きから、おそらく十日町あたりのものではないかという話でした。
生地は薄手で、シャリ感があり、多少透けます。

紬は基本普段着で、この着物も高価なものではなかった筈です。
でも、誰が仕立てたのか、とても丁寧に仕立てられていました。
着たらビリッと破れるのではないかと心配でしたが、全然大丈夫でした。
松竹座では、知らない人から「涼しそうな柄のお着物」と言われましたが、建物の中はともかく外は暑かったです。(何を着ていても暑い日でした。)
大量の汗をかいて帰りました。
60代の私が着るには若すぎる着物かもしれないけれど、夏の太陽の下、こんな着物を着て出掛けるのも、着物遊びの一つです。
例によって株主優待で頂いたチケットです。

観たのは昼の部で、春日八郎の歌で有名な「お富さん」=与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)の話がメーンでした。
お富さんの歌が大ヒットしたのは1954年のことだったそうです。実はその年に私は生まれています。
たぶん、その頃に誂えたであろう夏紬を着て、私は歌舞伎に行きました。
(襦袢のエリが見えませんが、ちゃんと着てます(^^;)もう少し見えるように着ないとね。)

一昨年、母が亡くなり、古い箪笥を整理していたら、たくさんの端切れの奥からクルクルと丸めた一枚の着物が出てきました。それがこれです。
多少汚れてはいましたが、特に傷んではいませんでした。
たぶん母のものだろうと思いますが、私の記憶にはなく、母の比較的若い頃(20代後半から30代前半?)の着物のようでした。
母が遺した他の着物の手入れのついでにこの着物もクリーニングに出しました。
業者の人にこの着物のことを聞いてみると、とても古いもので夏紬だということでした。
あまりに古いので、染み抜きはできないと言われました。(どうなるか分からないらしいです。)
夏紬は単衣の時期(6月と9月)と、7月8月の盛夏に着ることができるのだそうです。
今はあまり作られていないとか。柄行きから、おそらく十日町あたりのものではないかという話でした。
生地は薄手で、シャリ感があり、多少透けます。

紬は基本普段着で、この着物も高価なものではなかった筈です。
でも、誰が仕立てたのか、とても丁寧に仕立てられていました。
着たらビリッと破れるのではないかと心配でしたが、全然大丈夫でした。
松竹座では、知らない人から「涼しそうな柄のお着物」と言われましたが、建物の中はともかく外は暑かったです。(何を着ていても暑い日でした。)
大量の汗をかいて帰りました。
60代の私が着るには若すぎる着物かもしれないけれど、夏の太陽の下、こんな着物を着て出掛けるのも、着物遊びの一つです。