最近、介護についての報道が多いです。
介護についての報道も年金の報道と同じで、やたら不安を掻き立てて、その結果、制度をより不安定にさせているような、そんな気がしないでもないです。(にしてはメディアは、リスク一杯の年金積立金の株での運用については無関心なようですが。)
私は一昨年母を亡くしました。そこで、介護についてのささやかな経験を記しておこうと思います。
自分の経験は限られているので絶対的なことは言えないのですが、7年間、介護保険制度を利用しての母の自宅介護を経験して、私は介護でさほど困りませんでした。
だから、今現在、将来の介護について不安にかられている人の話を聞いて、疑問に思うことが多々あります。
まず第一に、心配している人は介護保険制度について知らなさすぎること。というか、介護保険制度というものがあって、それを利用する介護のイメージが無いこと。
言い方を変えると、いまだに介護は家族の誰かが全面的に引き受けるもんだと思っていること。
高知東生が「介護に専念するために俳優を辞める」といった時の、その介護イメージの奇妙さに気づかないのはそこだと思います。
介護は、施設に入ってもらうか、でなければ家族の誰かが犠牲になるというイメージなのではないでしょうか。
実際には、私が介護保険制度を利用して知ったことは、驚くほどの多くの人が私の母の介護に関わったということでした。当時、私も兄もフルタイムで働いていましたので、家族が留守の時、ヘルパーさん達に来ていただいていました。
ただ、他人が家に入ること自体を嫌がる人もいるみたいなのです。
ある番組で、24時間介護について説明していて、視聴者の真っ先の質問は、家族が不在の時に、介護の為に他人が自分の家の中に入ってくることに抵抗があると言っていました。
抵抗があるのなら、自宅での介護で介護保険制度の利用は限定的で、結局、施設に入所させるしかないです。
でなければ家族が仕事を辞めて自宅介護することになります。
介護は家族が中心になってやるのではなく、いろんな分野の専門家とチームワークで行うもんだと認識を改めなくてはならないと思います。
確かに、一時期、私の家は家族抜きで他人ばかりがウロウロしていたと思います。
来ていただいていたのはヘルパーさん、ケアマネさん、訪問看護師さん、訪問医師、訪問薬剤師、訪問入浴の方々です。
目が見えなかった母の為に、デイサービスの行き帰り、そこのスタッフさんが自宅に入ることもありました。玄関前に母を置いておくわけにはいかなかったのです。
もちろん、常時たくさんの人が家に来ていたわけではなく、母のその時々の体調や、要介護度に応じて来られる方は変化しました。家族が家にいる土日は誰も来られない場合がほとんどでした。
鍵はどうしたかというと、合鍵を作って誰彼かまわず渡したりはしません。
玄関近くの分かりづらい所に暗証番号で開けることができる南京錠を掛けて置き、そこから鍵を取り出して入ってもらっていました。
この南京錠は中に物(玄関の鍵)が入れられるようになっていて、暗証番号で開けると錠が外れ、また中にある鍵も取り出せるのです。
このようなやり方をするように教えてもらったのはケアマネさんからでした。
ケアマネさんはチームワークで行う介護の、いわば総監督でありコンダクターでした。
他人が自分の家の中に入ることが嫌だとか心配だとかは、その当時、全く考えませんでした。
むろん、最低限の注意はしていました。
貴重品や現金をその辺りに置いておかないとかです。
介護に限らず、人と何かを一緒にする場合、最初から無条件に相手を信頼はしないけれど、最初から疑うということもしないと思います。
まずは信頼関係の構築から入ると思います。介護の場合、それは前提条件なのではないかと思います。
続きます。
介護についての報道も年金の報道と同じで、やたら不安を掻き立てて、その結果、制度をより不安定にさせているような、そんな気がしないでもないです。(にしてはメディアは、リスク一杯の年金積立金の株での運用については無関心なようですが。)
私は一昨年母を亡くしました。そこで、介護についてのささやかな経験を記しておこうと思います。
自分の経験は限られているので絶対的なことは言えないのですが、7年間、介護保険制度を利用しての母の自宅介護を経験して、私は介護でさほど困りませんでした。
だから、今現在、将来の介護について不安にかられている人の話を聞いて、疑問に思うことが多々あります。
まず第一に、心配している人は介護保険制度について知らなさすぎること。というか、介護保険制度というものがあって、それを利用する介護のイメージが無いこと。
言い方を変えると、いまだに介護は家族の誰かが全面的に引き受けるもんだと思っていること。
高知東生が「介護に専念するために俳優を辞める」といった時の、その介護イメージの奇妙さに気づかないのはそこだと思います。
介護は、施設に入ってもらうか、でなければ家族の誰かが犠牲になるというイメージなのではないでしょうか。
実際には、私が介護保険制度を利用して知ったことは、驚くほどの多くの人が私の母の介護に関わったということでした。当時、私も兄もフルタイムで働いていましたので、家族が留守の時、ヘルパーさん達に来ていただいていました。
ただ、他人が家に入ること自体を嫌がる人もいるみたいなのです。
ある番組で、24時間介護について説明していて、視聴者の真っ先の質問は、家族が不在の時に、介護の為に他人が自分の家の中に入ってくることに抵抗があると言っていました。
抵抗があるのなら、自宅での介護で介護保険制度の利用は限定的で、結局、施設に入所させるしかないです。
でなければ家族が仕事を辞めて自宅介護することになります。
介護は家族が中心になってやるのではなく、いろんな分野の専門家とチームワークで行うもんだと認識を改めなくてはならないと思います。
確かに、一時期、私の家は家族抜きで他人ばかりがウロウロしていたと思います。
来ていただいていたのはヘルパーさん、ケアマネさん、訪問看護師さん、訪問医師、訪問薬剤師、訪問入浴の方々です。
目が見えなかった母の為に、デイサービスの行き帰り、そこのスタッフさんが自宅に入ることもありました。玄関前に母を置いておくわけにはいかなかったのです。
もちろん、常時たくさんの人が家に来ていたわけではなく、母のその時々の体調や、要介護度に応じて来られる方は変化しました。家族が家にいる土日は誰も来られない場合がほとんどでした。
鍵はどうしたかというと、合鍵を作って誰彼かまわず渡したりはしません。
玄関近くの分かりづらい所に暗証番号で開けることができる南京錠を掛けて置き、そこから鍵を取り出して入ってもらっていました。
この南京錠は中に物(玄関の鍵)が入れられるようになっていて、暗証番号で開けると錠が外れ、また中にある鍵も取り出せるのです。
このようなやり方をするように教えてもらったのはケアマネさんからでした。
ケアマネさんはチームワークで行う介護の、いわば総監督でありコンダクターでした。
他人が自分の家の中に入ることが嫌だとか心配だとかは、その当時、全く考えませんでした。
むろん、最低限の注意はしていました。
貴重品や現金をその辺りに置いておかないとかです。
介護に限らず、人と何かを一緒にする場合、最初から無条件に相手を信頼はしないけれど、最初から疑うということもしないと思います。
まずは信頼関係の構築から入ると思います。介護の場合、それは前提条件なのではないかと思います。
続きます。