前回のエントリー記事を書いていて、思い出したことがあります。
天体写真が死の光景に見えて気持ち悪いという感覚ですが、若い頃に一度なりかけた離人症が影響しているのではないかということです。
離人症は一度なりかけただけで終わってしまったのですが、あの経験はその後の私の生き方に大きな影響を与えました。
もう45年くらい前のことなので、その経験とそれについての私の考察を書いてみたいと思います。
長いし少し専門的になるので興味のない人は読み飛ばしてください。
まず、それがどんなものだったか書いてみます。
当時、22歳だった私は働きながら一人暮らしをしていました。
仕事で大阪の環状線のガード下沿いの道を歩いていた時のことです。
ふと『物は物にすぎない。そう思う私の意識は絶対である』という認識のようなものが脳裏に降りてきて、ストンと納得しました。
その3日後くらいだったと思います。
一人でアパートの部屋にいると、突然、視界の両端から見えていた物が死に始めたのです。
窓、壁、天井等々が、まるでカーテンを閉めるように両端から死んでいきました。
視界の全部がそうなる前に、私は何とかしてそれを押し戻しました。
驚愕と恐怖のひとときでした。
死に始めたというのは私の主観的な見方で、正確には、完全に生気を無くしていったということです。
当時の私は離人症という言葉も知りませんでしたので、何が起こったのかも分かりません。
ただ思ったのは3日前の私の認識が現実になったのではないかということです。
実際、後に離人症について調べている際、離人症になったある男性が同様の事態に遭遇して『自分は今、物を物自体として見ているなと思った』という記述を読みました。
いずれにしても、自分が見ている世界が一切の生気を無くし、死の相貌を帯び始めるというのは耐え難いことです。
当時の私が考えたことは、私というフィルターを通して物を見る以上、見ている私自身に問題があるということ。
私の心のフィルターに問題がある、要は生き生きと楽しんで生きていないのではないか、だから物が生気を無くして見えるのではないかということです。
その時以降、私は、たとえ顰蹙を買っても、馬鹿にされたり皮肉を言われても、自分を楽しませることを主眼に生きてきたように思います。(今でも緊急事態宣言下に県境をまたいで旅行に行くように)
自分で書くのも何ですが、私は根が真面目だから、少々ハメをはずしても十分にバランスが取れているのです。
根が遊び人の人が同じことをやったら問題かも😜
その後、別の理由で30代から心理学の勉強を始めて、20代の頃の経験が離人症であったと知りました。
それで離人症について色々と調べてみて、事例集を読んで共通する背景があるように思いました。
(今はどうか知りませんが、当時はカウンセリングの事例が書籍として市販されていたのです。)
以下、私の考察です。
記憶に残っている参考になった事例を示すと、ある男子高校生の事例。(記憶だけで書いているので違っている部分もあるかもしれません。)
カウンセラーによると洒脱な雰囲気の高校生だった由。
彼は子供の頃から野球が好きでずっと野球をやってきたのですが、高校生になって父親から大学受験に専念するために野球を止めるように言われ、止めました。
そして言われた通り、勉強に専念していたのですが、ある時、疑問を持ち「こんなに勉強して何になるのか」と父親に聞きました。
すると父親は、勉強して良い大学に入って良い会社に就職し、良い生活を送るためだというようなことを言ったようです。
それを聞いて彼は離人症を発症します。
つまり見える世界が一切の生気をなくしてしまったのでした。
この高校生はカウンセリングを続けて治ったようです。
もう一つの事例は、離人症という疾患を考える上で象徴的なある青年の事例です。
この青年の父親は、青年の母親が彼を身ごもると姿を消しています。
母親は未婚のまま彼を産み、同じく未婚の叔母と共に彼を愛情深く育てたようです。
大人になって彼は就職し、働いている時のこと、その会社の社員旅行の夜、同じ会社の女性と関係を持ってしまいます。
青年はその同僚の女性と付き合っていたわけでも、好きだったわけでもなく、酒を飲んだ上での成り行きだったようです。
結果、その女性は妊娠します。
彼は中絶するように女性に言い、女性は中絶します。
その後、彼は離人症を発症するのです。
この青年の場合、離人症だけでなく、はっきり覚えていないのですが抑うつ症状もあったようです。
この青年の発症に至る心のメカニズムは分かりやす過ぎるものだと私には思えました。
彼がやったことは自分殺しです。
彼の父親は身ごもった母親を捨てて消えています。
彼は父親と同じこと以上のことをやってしまっています。
相手の女性に中絶するように言い、相手は中絶していますので。
闇に消えた子供はかつての彼自身に他ならなかった。
自分の中の子供を彼は父親として殺してしまった。
かくして世界は死の相貌を帯び・・・。
事例集の読んだ限り、青年の行為の意味合いとその結果は明白なように思えます。
ですが青年自身は象徴的な“自分殺し”を自覚していたようには書かれていません。
このような場合、カウンセリングは彼自身に行為の意味合いを自覚するよう持っていくことなのではないかと思うのですが、事例集を読む限り、カウンセラーもまた彼の行為の隠れた意味合いに気がついていなかったみたいです。
カウンセラーだけでなく、その事例を論評するコメンテーターがいるのですが、その人物もまた気が付いたように見えません。
そこでカウンセラーがやったことは、青年の問題を男女関係として捉え、青年と相手の女性を結婚させて男としての責任を取らせるよう仕向けることでした。
コメンテーターもまたこの事例のテーマを“自分殺し”とは捉えず、“結婚”だと論評しています。
結局青年は好きでもない女性と結婚することになるのですが精神的な不調はダラダラと続いていたようです。
ですがカウンセラーは結婚したことでカウンセリングを終了しています。
これは余談ですが、私が過去において心理学を学ぶ過程で知りえた限り、当時(40年位前)のカウンセリングの価値観は、当時の一般社会以上に保守的でした。(今はどうかは知りません。)
だからクライアント(相談者)の社会化ともいうべき社会への常識的な適応が、ともすればカウンセリングの目的になってしまっているのです。
結果、この事例の場合でも、結婚させて男としての責任を取らせて終了したのかもしれません。
それはさておき、離人症です。
先の男子高校生の場合もそうなのですが、離人症は内面化した父親が自分の中の子供を殺してしまうと発症しているように思います。
男子高校生の場合、父親の言うことを聞いて、大好きだった野球を止め、彼の内なる子供にとっては何の意味もない良い大学とか良い会社とか良い生活が彼の生きる意味になった時、彼の目に見える世界の一切が生気を失ったのです。
男子高校生と青年は、家庭的な背景も、性格も、抱えている問題も、立場も、まるで異なります。
でも内面化した父親による内なる子供の死という意味だけは共通しているのです。
事例集から離れて有名なフロイトの例からみてみます。
精神分析学の創始者であるジグムント・フロイトもまた、離人症を経験しています。
それはイタリア旅行でのことでした。
ローマ時代の遺跡を見て、その光景が生気を失ったのです。
そしてフロイトの場合も父親との関係に原因があったようです。
というのもフロイトの父親はイタリアに観光に行くことが生涯の夢だったのですが、それを果たせずに亡くなっています。
フロイトはもちろんそのことを知っています。
遺跡を見た時、フロイトは父親の夢を自分が果たしたと思ったことでしょう。
果たすことができたのは彼が作り上げた精神分析学の社会的な成功の結果でしょう。
フロイトだけではないのですが、何か困難な仕事を達成した人は、達成したその時、離人症を経験することが多いのだそうです。(大抵は一過性で病気とはいえない。)
もっとも先の男子高校生は達成する前に、父親の予言のような言葉をきっかけに離人症を発症していますが。
困難な仕事を達成したのなら世界が輝いて見えてもいい筈ですが逆なのはなぜか。
たぶん、達成に支払った犠牲の大きさが原因でしょう。
おそらく内なる子供の息の根を止めるくらいのことはやってしまっているのではないかと推測します。
そして達成した仕事の内実もまた、父性的・父権的な意味合いを持つものであるのかもしれません。
少なくともフロイトの精神分析学はかなり父権的です。
以上で私の離人症についての考察は終わりです。
考察自体は随分昔に行ったのですが、文章にすることはありませんでした。
ここで覚え書とします。
付記
ここで書いた離人症は古典的なタイプと言えるものかもしれないです。
現在、離人症は私が定義を読んでもピンと来るものがないくらい雑多な症状を呈しています。
人によっては、それこそ前に書いた「脳の霧」ではないかと思えるようなものまで離人症と称しています。
正確なことはそれこそ専門家の判断を待たねばならないでしょう。
離人症について知りたい人、調べている人は、このエントリーは離人症についての、あくまで素人の考察として参考にしてください。
天体写真が死の光景に見えて気持ち悪いという感覚ですが、若い頃に一度なりかけた離人症が影響しているのではないかということです。
離人症は一度なりかけただけで終わってしまったのですが、あの経験はその後の私の生き方に大きな影響を与えました。
もう45年くらい前のことなので、その経験とそれについての私の考察を書いてみたいと思います。
長いし少し専門的になるので興味のない人は読み飛ばしてください。
まず、それがどんなものだったか書いてみます。
当時、22歳だった私は働きながら一人暮らしをしていました。
仕事で大阪の環状線のガード下沿いの道を歩いていた時のことです。
ふと『物は物にすぎない。そう思う私の意識は絶対である』という認識のようなものが脳裏に降りてきて、ストンと納得しました。
その3日後くらいだったと思います。
一人でアパートの部屋にいると、突然、視界の両端から見えていた物が死に始めたのです。
窓、壁、天井等々が、まるでカーテンを閉めるように両端から死んでいきました。
視界の全部がそうなる前に、私は何とかしてそれを押し戻しました。
驚愕と恐怖のひとときでした。
死に始めたというのは私の主観的な見方で、正確には、完全に生気を無くしていったということです。
当時の私は離人症という言葉も知りませんでしたので、何が起こったのかも分かりません。
ただ思ったのは3日前の私の認識が現実になったのではないかということです。
実際、後に離人症について調べている際、離人症になったある男性が同様の事態に遭遇して『自分は今、物を物自体として見ているなと思った』という記述を読みました。
いずれにしても、自分が見ている世界が一切の生気を無くし、死の相貌を帯び始めるというのは耐え難いことです。
当時の私が考えたことは、私というフィルターを通して物を見る以上、見ている私自身に問題があるということ。
私の心のフィルターに問題がある、要は生き生きと楽しんで生きていないのではないか、だから物が生気を無くして見えるのではないかということです。
その時以降、私は、たとえ顰蹙を買っても、馬鹿にされたり皮肉を言われても、自分を楽しませることを主眼に生きてきたように思います。(今でも緊急事態宣言下に県境をまたいで旅行に行くように)
自分で書くのも何ですが、私は根が真面目だから、少々ハメをはずしても十分にバランスが取れているのです。
根が遊び人の人が同じことをやったら問題かも😜
その後、別の理由で30代から心理学の勉強を始めて、20代の頃の経験が離人症であったと知りました。
それで離人症について色々と調べてみて、事例集を読んで共通する背景があるように思いました。
(今はどうか知りませんが、当時はカウンセリングの事例が書籍として市販されていたのです。)
以下、私の考察です。
記憶に残っている参考になった事例を示すと、ある男子高校生の事例。(記憶だけで書いているので違っている部分もあるかもしれません。)
カウンセラーによると洒脱な雰囲気の高校生だった由。
彼は子供の頃から野球が好きでずっと野球をやってきたのですが、高校生になって父親から大学受験に専念するために野球を止めるように言われ、止めました。
そして言われた通り、勉強に専念していたのですが、ある時、疑問を持ち「こんなに勉強して何になるのか」と父親に聞きました。
すると父親は、勉強して良い大学に入って良い会社に就職し、良い生活を送るためだというようなことを言ったようです。
それを聞いて彼は離人症を発症します。
つまり見える世界が一切の生気をなくしてしまったのでした。
この高校生はカウンセリングを続けて治ったようです。
もう一つの事例は、離人症という疾患を考える上で象徴的なある青年の事例です。
この青年の父親は、青年の母親が彼を身ごもると姿を消しています。
母親は未婚のまま彼を産み、同じく未婚の叔母と共に彼を愛情深く育てたようです。
大人になって彼は就職し、働いている時のこと、その会社の社員旅行の夜、同じ会社の女性と関係を持ってしまいます。
青年はその同僚の女性と付き合っていたわけでも、好きだったわけでもなく、酒を飲んだ上での成り行きだったようです。
結果、その女性は妊娠します。
彼は中絶するように女性に言い、女性は中絶します。
その後、彼は離人症を発症するのです。
この青年の場合、離人症だけでなく、はっきり覚えていないのですが抑うつ症状もあったようです。
この青年の発症に至る心のメカニズムは分かりやす過ぎるものだと私には思えました。
彼がやったことは自分殺しです。
彼の父親は身ごもった母親を捨てて消えています。
彼は父親と同じこと以上のことをやってしまっています。
相手の女性に中絶するように言い、相手は中絶していますので。
闇に消えた子供はかつての彼自身に他ならなかった。
自分の中の子供を彼は父親として殺してしまった。
かくして世界は死の相貌を帯び・・・。
事例集の読んだ限り、青年の行為の意味合いとその結果は明白なように思えます。
ですが青年自身は象徴的な“自分殺し”を自覚していたようには書かれていません。
このような場合、カウンセリングは彼自身に行為の意味合いを自覚するよう持っていくことなのではないかと思うのですが、事例集を読む限り、カウンセラーもまた彼の行為の隠れた意味合いに気がついていなかったみたいです。
カウンセラーだけでなく、その事例を論評するコメンテーターがいるのですが、その人物もまた気が付いたように見えません。
そこでカウンセラーがやったことは、青年の問題を男女関係として捉え、青年と相手の女性を結婚させて男としての責任を取らせるよう仕向けることでした。
コメンテーターもまたこの事例のテーマを“自分殺し”とは捉えず、“結婚”だと論評しています。
結局青年は好きでもない女性と結婚することになるのですが精神的な不調はダラダラと続いていたようです。
ですがカウンセラーは結婚したことでカウンセリングを終了しています。
これは余談ですが、私が過去において心理学を学ぶ過程で知りえた限り、当時(40年位前)のカウンセリングの価値観は、当時の一般社会以上に保守的でした。(今はどうかは知りません。)
だからクライアント(相談者)の社会化ともいうべき社会への常識的な適応が、ともすればカウンセリングの目的になってしまっているのです。
結果、この事例の場合でも、結婚させて男としての責任を取らせて終了したのかもしれません。
それはさておき、離人症です。
先の男子高校生の場合もそうなのですが、離人症は内面化した父親が自分の中の子供を殺してしまうと発症しているように思います。
男子高校生の場合、父親の言うことを聞いて、大好きだった野球を止め、彼の内なる子供にとっては何の意味もない良い大学とか良い会社とか良い生活が彼の生きる意味になった時、彼の目に見える世界の一切が生気を失ったのです。
男子高校生と青年は、家庭的な背景も、性格も、抱えている問題も、立場も、まるで異なります。
でも内面化した父親による内なる子供の死という意味だけは共通しているのです。
事例集から離れて有名なフロイトの例からみてみます。
精神分析学の創始者であるジグムント・フロイトもまた、離人症を経験しています。
それはイタリア旅行でのことでした。
ローマ時代の遺跡を見て、その光景が生気を失ったのです。
そしてフロイトの場合も父親との関係に原因があったようです。
というのもフロイトの父親はイタリアに観光に行くことが生涯の夢だったのですが、それを果たせずに亡くなっています。
フロイトはもちろんそのことを知っています。
遺跡を見た時、フロイトは父親の夢を自分が果たしたと思ったことでしょう。
果たすことができたのは彼が作り上げた精神分析学の社会的な成功の結果でしょう。
フロイトだけではないのですが、何か困難な仕事を達成した人は、達成したその時、離人症を経験することが多いのだそうです。(大抵は一過性で病気とはいえない。)
もっとも先の男子高校生は達成する前に、父親の予言のような言葉をきっかけに離人症を発症していますが。
困難な仕事を達成したのなら世界が輝いて見えてもいい筈ですが逆なのはなぜか。
たぶん、達成に支払った犠牲の大きさが原因でしょう。
おそらく内なる子供の息の根を止めるくらいのことはやってしまっているのではないかと推測します。
そして達成した仕事の内実もまた、父性的・父権的な意味合いを持つものであるのかもしれません。
少なくともフロイトの精神分析学はかなり父権的です。
以上で私の離人症についての考察は終わりです。
考察自体は随分昔に行ったのですが、文章にすることはありませんでした。
ここで覚え書とします。
付記
ここで書いた離人症は古典的なタイプと言えるものかもしれないです。
現在、離人症は私が定義を読んでもピンと来るものがないくらい雑多な症状を呈しています。
人によっては、それこそ前に書いた「脳の霧」ではないかと思えるようなものまで離人症と称しています。
正確なことはそれこそ専門家の判断を待たねばならないでしょう。
離人症について知りたい人、調べている人は、このエントリーは離人症についての、あくまで素人の考察として参考にしてください。