茶道のお稽古、コロナもほぼ収まって、色んな事が4年ぶりに元に戻りつつあります。
それで私もお茶関係で結構忙しいです。
近所の神社の祭礼のお献茶も4年ぶりに再開。
副席のお茶席のお手伝いにも行きました。
実は私、5年前に客としてそこでお茶をいただいています。
以下はその時の記録です。
今年はお茶席のお手伝いをする側として行きました。
事前に茶道仲間から「みどりさん、参加したことあった?」と聞かれ、「5年前にお客として行きました」と言うと「おもてなしされる側は天国だけど、おもてなしする側は地獄よ」と言われました。
『怖っ!!』て感じ。
でも、実際にはコロナの4年の間に色々と変化がありました。
以前は同じ副席としてお煎茶席もあったのですが、そのグループの人達が高齢化等の理由でいなくなりました。
結果、以前と比べて準備のための水屋等場所的に余裕をもって使えるようになったらしいです。
お茶席を4年ぶりで設けることになった連絡も積極的にはしなかったみたいです。
先生曰く、「今回は文春もCIAも来ないから緊張しなくていいよ」。
以前は、不首尾があれば後で何を言われるか分からない人達が来ていたのかしら。
それでも準備の日を含め二日間、忙しく立ち回りました。
私はちょうどコロナが治ってすぐの頃でしたから、地獄というほどではないですが、しんどかったです。
5年前はとても暑かった記憶があるのですが、当日は秋らしく涼しくて、着物を着ている身としては助かりました。
次なるイベントは同じく4年ぶりの公民館祭でのお茶席開催です。
これは公民館で茶道を習っている自分達の主催となります。
こちらも規模を縮小しましたが、やはり準備の日を含め二日間かかりました。
立礼でのお茶席です。
設えはこんな感じです。
神社でのお茶席は裏方で、若い人にお点前をしてもらい、自分でお茶を点てることはなかったのですが、公民館の教室には若い人はおらず、着物の人は1回は必ず亭主役になり、お点前することになりました。
立礼でのお点前のやり方を覚えていない人には、半東という亭主を補佐する役の人が側にいて、ささやき女将となって何をすればよいか言ってくれます。
私は亭主役にも半東役にもなったのですが、半東役になって亭主に的確にやることを言うのは難しかったです。
半東はその場の司会役も担い、初めの挨拶やら、掛け軸の説明やら、進行状態に合わせ機転をきかせて客人にお話します。
私が60代を過ぎて茶道を習い始めたのはボケ防止もあったのですが、茶道はお点前の稽古だけでなく、やることが色々とあると知りました。
確かに、こういうことをやっているとボケないかもしれないです。
自分がおもてなしを受けるお茶会もありました。
流派の大阪支部のお茶会です。
こちらは人数も多く、二日間にわたり行われます。
こうした、いわゆる大寄せのお茶会は、多人数なので人数を区切って順番にお茶をいただきます。
濃茶が物凄く濃かったのが印象的でした。
いつもはお稽古で濃茶でも薄めのものばかりいただいていたのかもしれません。
おもてなしを受ける方は確かに天国で、工夫が凝らされた美味しくて綺麗なお菓子を食べ、上等のお抹茶をいただき、珍しいお道具類をたくさん拝見させていただきました。
裏方がどんなに大変だったか、想像にあまりあります。
今年度のお茶の催しは終わりましたが、来年の公民館での初釜、濃茶の担当となりました。
身内ばかりで気楽と言いたいところですが、正座が出来なくなって教室をやめられた方が初釜だけ来られるとか。
あまりいい加減なこともできないのでお正月にかけて練習するしかありません。
それやこれやでボケる暇はなさそうです。
それで私もお茶関係で結構忙しいです。
近所の神社の祭礼のお献茶も4年ぶりに再開。
副席のお茶席のお手伝いにも行きました。
実は私、5年前に客としてそこでお茶をいただいています。
以下はその時の記録です。
今年はお茶席のお手伝いをする側として行きました。
事前に茶道仲間から「みどりさん、参加したことあった?」と聞かれ、「5年前にお客として行きました」と言うと「おもてなしされる側は天国だけど、おもてなしする側は地獄よ」と言われました。
『怖っ!!』て感じ。
でも、実際にはコロナの4年の間に色々と変化がありました。
以前は同じ副席としてお煎茶席もあったのですが、そのグループの人達が高齢化等の理由でいなくなりました。
結果、以前と比べて準備のための水屋等場所的に余裕をもって使えるようになったらしいです。
お茶席を4年ぶりで設けることになった連絡も積極的にはしなかったみたいです。
先生曰く、「今回は文春もCIAも来ないから緊張しなくていいよ」。
以前は、不首尾があれば後で何を言われるか分からない人達が来ていたのかしら。
それでも準備の日を含め二日間、忙しく立ち回りました。
私はちょうどコロナが治ってすぐの頃でしたから、地獄というほどではないですが、しんどかったです。
5年前はとても暑かった記憶があるのですが、当日は秋らしく涼しくて、着物を着ている身としては助かりました。
次なるイベントは同じく4年ぶりの公民館祭でのお茶席開催です。
これは公民館で茶道を習っている自分達の主催となります。
こちらも規模を縮小しましたが、やはり準備の日を含め二日間かかりました。
立礼でのお茶席です。
設えはこんな感じです。
神社でのお茶席は裏方で、若い人にお点前をしてもらい、自分でお茶を点てることはなかったのですが、公民館の教室には若い人はおらず、着物の人は1回は必ず亭主役になり、お点前することになりました。
立礼でのお点前のやり方を覚えていない人には、半東という亭主を補佐する役の人が側にいて、ささやき女将となって何をすればよいか言ってくれます。
私は亭主役にも半東役にもなったのですが、半東役になって亭主に的確にやることを言うのは難しかったです。
半東はその場の司会役も担い、初めの挨拶やら、掛け軸の説明やら、進行状態に合わせ機転をきかせて客人にお話します。
私が60代を過ぎて茶道を習い始めたのはボケ防止もあったのですが、茶道はお点前の稽古だけでなく、やることが色々とあると知りました。
確かに、こういうことをやっているとボケないかもしれないです。
自分がおもてなしを受けるお茶会もありました。
流派の大阪支部のお茶会です。
こちらは人数も多く、二日間にわたり行われます。
こうした、いわゆる大寄せのお茶会は、多人数なので人数を区切って順番にお茶をいただきます。
濃茶が物凄く濃かったのが印象的でした。
いつもはお稽古で濃茶でも薄めのものばかりいただいていたのかもしれません。
おもてなしを受ける方は確かに天国で、工夫が凝らされた美味しくて綺麗なお菓子を食べ、上等のお抹茶をいただき、珍しいお道具類をたくさん拝見させていただきました。
裏方がどんなに大変だったか、想像にあまりあります。
今年度のお茶の催しは終わりましたが、来年の公民館での初釜、濃茶の担当となりました。
身内ばかりで気楽と言いたいところですが、正座が出来なくなって教室をやめられた方が初釜だけ来られるとか。
あまりいい加減なこともできないのでお正月にかけて練習するしかありません。
それやこれやでボケる暇はなさそうです。
一定のルールがあり、それを教えてもらうのもお茶のお稽古の一環みたいです。
呼ばれた方は、作法は知らなくてもそれなりの服装とか態度で礼を失しないようにすることでしょうか。
お茶の所作は応用がきくので、若いころにやっていれば、どんな場所に出ても恥ずかしくない態度でいれたかも、なんて思ったりします。
およばれする方も何かと気をつかうと思いますが、それ以上にお招きくださった方への感謝を忘れてはいけないですね。
ようやく日常が戻りつつあり嬉しいことですし、これからお茶を始めようと思っておられる方も多いと思うので、どちらも天国になるようにお招きする側の負担が少しでも軽くなると良いですね。
とってかわりたいグループがいるなんて、むしろ頼もしいですよ。
公民館もかつてはお茶のグループが複数あったそうですが今は一つだけです。
私が関わったお茶会は、神社のお献茶の副席は無料。
公民館祭のお茶席は有料。
それでも収支はトントンでした。
こういうのはほとんどボランティアですね。
また少しやり始めたらお茶の面白さも分かってきます。
結婚やら子育てで離れても機会があれば戻ってくるみたい。
といってもやはり茶道人口は減ってる模様。
というか少子化で若い人の数自体が激減しててあらゆることで支障が出てるみたい。
高等遊民的なシニアが頑張るしかないです。
堺もイベントで お茶会が催されます
なんてったって利久と与謝野晶子さんですから
昔は 主に野点だったので お天気が 心配でしたけど
今は「さかい利晶の杜」と南宗寺の屋内で催されてます
<さかい祭り: 一部野点のお席もあるようです、有料>
フラワーアレンジメントの先生が お煎茶の係りでした
(自分達が取って代わりたいグループが あるから気を抜けないって言ってました)
生徒が集まらなくて苦労していると愚痴っておられたと聞きました。
お花とお茶では事情が異なるのかもしれませんね、若い方もおられるなら。
近所の護国寺では時々お茶会が開かれるようで、和服姿の女性が連れ立った様子でそれがわかります。
次は初釜ですか、徐々に日常が戻ってきている証ですね。