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日本発祥の美しいスポーツ 男子新体操 ②

2024年11月02日 | 男子新体操とジェンダー
いわゆるジェンダーフリーの流れを受けて、オリンピックでも一方の性だけの競技を無くす気運が高まっています。
結果、今まで男性のスポーツとされていたボクシングや、女性のスポーツとされていたアーティスティックスイミングにも、女子ボクシングや男子がアーティスティックスイミングにMIXとして入るといったことが行われ始めました。

では女性のスポーツとされていた新体操はどうなるのでしょうか。
当然、男子新体操が必要となります。
ジェンダーフリーのこの流れは今までFIG(国際体操連盟)から加盟が認められていない日本の男子新体操にとって、国際的にも認められる追い風になるのでしょうか。

実は、そうはならないみたいです。
それどころか、ジェンダーフリーを推進したい人達にとっては、日本の男子新体操はスポーツにおけるジェンダーフリーをなし崩しにする性差別的な存在として、敵役のようにさえ見られています。⇒ここ

その理由は日本の男子新体操は新体操と言いながら、女子の新体操と同じ内容ではないからです。
日本の男子新体操は、団体では手具を持たないですし、個人の場合も手具が異なります。
(“手具”とは、女子の場合はリボンやフープなど選手が手に持って演技する物のことです)
また日本の男子新体操ではタンブリング(バック転・宙返り等の回転技)が必須ですが、女子の新体操では禁止事項です。

彼らの言い分では、新体操と称するからには女子が行っている新体操と同じ内容でなければならないのです。
もし、日本の男子新体操が、新体操の男性バージョンとして認められるようなことになれば、新体操は名目上はジェンダーフリーを達成したことになりますが、実質的にはジェンダーフリーにはならないというわけです。
むしろ日本の男子新体操は、ジェンダーフリーをなし崩しにする存在だということになります。

当然、日本の男子新体操に対する眼差しは厳しいです。
「何を好き勝手なことをしてるんだ」って感じです。

そのYouTubeのサイトでのネガティブな雰囲気を察知して、日本の男子新体操の応援サイトを立ち上げている「応援!男子新体操」の管理人が、そこのコメント欄で、日本の男子新体操が日本に女子の新体操が入ってくる以前から存在していたこと、新体操という言葉が翻訳上誤解を与えることを書き込んでいます。
それで、ようやく日本の男子新体操が、女子の新体操とはそもそも別物と理解されたようです。

ここで整理するために、もう少し詳しく、日本の新体操の歴史を書いておきます。

日本の新体操には、前身として団体徒手体操というものが戦前からあったそうです。
それはスウェーデン体操、ドイツ体操、デンマーク体操の要素を組み合わせた、団体で行う日本独自の体操競技でした。
1940年代、健康促進のために日本の学校に男女別のその競技の規定演技が導入されています。

団体徒手体操は1949年に開催された国民体育大会で正式に公式種目として採用され、1950年には全日本学生選手権(インターカレッジ)の、1952年には高校総体(インターハイ)の種目ともなり、ずっと続いてきました。

一方、海外に目を転じれば、新体操は女子のみのスポーツとして1963年に最初の世界選手権が行われています。
そして、1967年、団体徒手体操の当事者であった藤島八重子氏と加茂佳子氏が新体操の第3回世界選手権大会(コペンハーゲン)を視察します。

視察した二人は新体操に感動し、その当時の新体操のルールを持ち帰りました。
当時、女子の団体徒手体操の関係者は、国内だけでなく世界で戦いたいと言う希望もあって、新体操を行うことを提案しました。
そしてヨーロッパで行われている「Modern Gymnastics(当時の新体操の洋名)」と、女子の団体徒手体操の競技性の類似点に着目し、日本体操協会内で検討された結果、1968年に女子の団体徒手体操は団体徒手体操からヨーロッパ発祥の「新体操」として新たなスタートを切ったのだそうです。

さらに、早くも翌年の1969年には第4回世界選手権大会(ブルガリア)に参加し、日本は団体で5位に入賞しています。(これは単純に凄いです!)
その大会には先の藤島八重子氏はコーチとして、加茂佳子氏は選手として参加しています。

ところで、ヨーロッパ発祥のModern Gymnasticsは女性のスポーツであり、男性は行われていませんでした。
ですが日本体操協会はこれまで男女共に発展してきた「団体徒手体操」の流れを継承し、国内においては男女共に「新体操」と改名しました。
同時に、女子の新体操との整合性を持たせるためなのか、男子新体操も個人種目を創設し、個人種目のみ手具を持つようになりました。

ただし、手具は女子のそれに倣わず(リボンやフープを用いず)、新たにスティックやクラブ(女子のそれとは大きさが異なる)といった種目を作っています。
もちろんルールも、女子のそれは参照したと思われますが異なっており、元々あった団体徒手体操のルールを個人競技用に敷衍化したものです。
ですから個人種目でも徒手体操の動作が重視され、タンブリングも必須なのです。

日本の新体操の場合、団体徒手体操の時代から男女が共に行うという意識は強いようで、実際、日本の新体操の公的な競技会(全日本・インカレ・インハイ等)では、女子用のマットと男子用のマットが並べて敷かれ、男女交互に演技が行われることが多いのです。

男子新体操が個人競技を創設したのは、女子のみ個人種目が加わると、競技としての多彩さの上でも、また競技会においては時間的にも演技数の上でも、著しく男女不均衡になるということがあったのかもしれません。
いずれにしても、手具を持った個人種目の創設は女子の新体操の影響と思われます。

そのようにして今日の日本の男子新体操が競技として出来上がったようです。
今から54年前、1968年、おそらく男性が新体操するなど欧米の関係者が発想すらしなかった頃の話です。(発想しなかった、その理由については後述)
以上、私が調べた限りですが、間違いがあればコメント欄にてお知らせください。訂正します。

そして現在です。
日本の男子新体操は、国内より国外の方が認知度が高いと言えるほど、You Tube 等のsnsを通じて、世界各地で視聴されています。
きっかけとなったのは、一人のドイツ人が、自分のFacebookに井原高校男子新体操部の演技を載せたことだったようです。

先の日本の男子新体操の応援サイトを立ち上げている「応援!男子新体操」によれば、それは文字通りバズったのですが、同時に「これは新体操ではない」というコメントが最も賛同を集めていたということです。⇒ここ

当初は「日本ではそうなんだ」と、そのFacebookの管理者を含め、何度説明しても理解は得られなかったそうです。

ところが、その「応援!男子新体操」の記事は2019年のものですが、【「これは、新体操じゃない」から2年半】と題されているように、2年半で急速に理解され始めています。
私の推測ですが、その背景には視聴者の属する文化圏が西ヨーロッパから世界へと広がったことがあると思います。
中南米やアジア、とりわけ東欧の視聴者は、そんなことはあまり気にしないみたいです。

西欧以外、新体操には馴染がないからという理由ではないようです。
ロシアを含む東欧は、新体操の本場であり、世界で最も盛んで、かつ強い国々で、思い入れもあると思われますが、それでも私が読む限り「これは、新体操じゃない」というコメントはほとんど見かけなかったように思います。(東欧かどうかはキリル文字なので私にも分かります)
むしろ絶賛していますし、特にロシアは事実として日本の男子新体操の強力な推進者です。
目の肥えた彼ら(東欧)は芸術スポーツとしての価値を第一義に置くようです。

西欧の場合、「新体操とは」という理屈が先に立っています。
特に、先のジェンダーフリーを推進するサイトの場合、ジェンダーを巡る政治的な思惑が優先されています。

特にコメント欄では、スポーツに対する愛も、アスリートファーストの姿勢も、アスリートへのリスペクトも、私には感じられません。
時代は古いですが、1968年当時の、「世界を舞台に戦いたい」という女性アスリートの熱い思いを受けて、彼女たちが国際舞台で活躍できるように尽力した日本体操協会の方がずっとアスリートファーストだったように思います。

というわけで、FIGが最終的にどう判断するか分かりませんが、日本の男子新体操を一つの正当なスポーツとして認めようという世界的な気運は確実にあるようです。
それでも様々な問題が片付いたわけではないです。
一つはMen's Rhythmic Gymnastics として表記される名称の問題です。

実は、新体操の名称は日本では1968年からずっと「新体操」ですが、国際的には何度も名称変更しています。
日本の男子新体操は女子の新体操に合わせて、その時々の新体操の名称に訳されてしまうことになっているようです。
私は、国外向けには、男子新体操のみ、冒頭にJapaneseを必ず付けるように名称変更しても良いのではないかと思います。

そしてもう一つ、重大な問題があります。
そもそも私がこのテーマで記事を書きたいと思ったのは、スマホで徒然なるままに男子新体操の演技に寄せられるコメントを読んでいて、一部欧米系のコメントに奇妙な違和感を覚えたからです。
それは文化の違いと言ってしまえば簡単ですが、先のジェンダーフリーの推進とは別次元の、欧米文化に内在する性差別の実態であり、LGBTQの問題です。

一番書きたかった所にやっと辿り着いたのですが、長くなりそうなので③に続きます。

<付記>
私がこの記事を書いた2年後、記事内で上げたサイトここに大きな変更が加えられていることが分かりました。
よって、そのサイトについての、この記事の内容も正確ではなくなりましたが、とりあえずそのまま残しておくことにします。





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