8月は暑くてどこにも出掛けませんでした。
たまに予定のあった日は台風が来たり雨が降ったりで中止。
当然、カメラの方もご無沙汰。
そんな中、先日、市の文化財収蔵館の昔の暮らし体験ボランティアの研修に行ってきました。
その日の研修は藍染。
暑さのせいか2人しか参加者がいません。(実際は、ずいぶん涼しく感じられる日でしたが誰もが出不精になってる?)
この日私が作った藍染のハンカチです。
もう一人の参加者は今年ボランティアに入った人なのですが、一方で個人的に市の許可をもらって公園で藍を育て、市民を対象に藍染体験をしてもらう企画を持っていらっしゃる。
ですから、学芸員に対し、レベルの高い質問を幾つも投げかけていました。
おかげで、藍染の知識の復習になりました。
ボランティアスタッフはイベントでよく質問を受けるので、ある程度の知識が必要です。
まして自分が主催者で企画するとなると失敗できないので万全の準備が必要です。
当然何でも知っていないといけないのです。
私は単なるスタッフなので、これまで、付け焼刃の知識をあたかも何でも知っているかの如く応えてきました。
参加者の中にはそういう疑問を持つのかと、ちょっと驚く質問をされる方もおられます。
たとえば藍染については。
藍染を体験してもらうには大きくわけて二つの方法があるのです。
一つは藍の染液の中に布を漬けて染めてもらう方法。
もう一つは藍の生葉を使う方法です。
具体的には、白や生成りの布の上に、摘んだばかりの藍の葉を置き、その上に透明なビニールかラップを敷いて、木づちで叩いて直接布の上にワンポイントの葉っぱの模様を染める方法。叩き染めと言います。
後者の方法は葉っぱの模様しかできませんが、藍の生葉さへあれば可能な、お手軽な藍染です。
多少やり方が違いますが、詳しく載っているサイトもありますね。⇒ここ
藍染の親子体験教室で後者をやった時のこと、一人の参加者に「藍以外のどんな葉っぱでも染まるのですか?」と聞かれました。
『いやいや、それでは藍染にならないでしょ』と思ったのですが、お手軽な方法でやるとそんな疑問も抱かれるみたい。
「いえ、他の植物の葉で同じことをしても染まらないです。藍の葉で青く染まるのは藍の葉の中にインジゴという成分が含まれているからなんです。インジゴというのは・・・」と説明しなくてはなりません。
実は藍の葉の中に含まれているのがインジゴというのも正確な言い回しではないのですが。(-_-;)
藍染って単純ではないので、詳しく説明するのは大変。
その人は、私がちょっと説明するとインディゴブルーという言葉を思い出したみたいで、それで納得されました。
自分では当たり前のように思っていても、人にとっては全然当たり前じゃないことがあるんだと思い知らされました。
今まで受けた質問の中で、どう答えようかと、一番パニクッたのは子供からの質問でした。
それは昔の暮らし体験でも藍染めではなく、弥生時代の暮らし体験の出張授業の時のこと。
小学5年生の子供達に、弥生時代の衣服の貫頭衣を着てもらったり、火熾ししてもらったり、市内で出土した土器を見せたり触ってもらったりします。
土器については最初に、収蔵館の学芸員が持ってきた土器が約2000年前の弥生時代中期のものだと説明しています。
私が土器の前にいると二人の女の子が寄ってきて私に質問しました。
「西暦は何年から始まるのですか?」
私は『ええーっ???』
そ、その質問の意味は・・・?? なんかヒネリのある質問なのか。
まるで三角形は何角か聞かれているみたいな・・・。
西暦ならゼロから始まるに決まっているじゃん。
いやいや、紀元前もあるから・・・。
それとも西洋以外の別の文明の暦(たとえばマヤ暦)で何年かという意味なのか・・・。
でも私は平凡に「ゼロから始まる」と答えました。
すると二人は顔を見合わせ、すぐに2人して私に「ありがとうございました」といって去っていきました。
でも去り際、聞こえてきた2人の会話は「やっばり西暦18年に作られた土器なんだ」で。
「君達、それは違う」と叫びたいところだったんだけど、私は土器の傍にいなくてはいけなかったのでそのまま。
学芸員は約2000年前と言った筈ですが、2人には「約」という言葉が消えて「2000年」という言葉だけが残っていたみたいなのです。
それで西暦18年と。
なんというデジタル思考!!
出土した土器に18年くらいの年月は意味がないんですけどね。
私はアバウトなおばさんでアナログ思考なもんで、デジタル思考にはついていけない。
子供達の感性には、それ以外にも時代の影響を感じさせることは色々あります。
子育て経験のある他のボランティアも驚いているので、私だけの思いではないみたいです。
というわけで、どんな質問にも答えられるように日々研鑽(?)です。
最後に、最近ご無沙汰のみーちゃんの写真です。
哀愁漂う後ろ姿のみーちゃんです。
たまに予定のあった日は台風が来たり雨が降ったりで中止。
当然、カメラの方もご無沙汰。
そんな中、先日、市の文化財収蔵館の昔の暮らし体験ボランティアの研修に行ってきました。
その日の研修は藍染。
暑さのせいか2人しか参加者がいません。(実際は、ずいぶん涼しく感じられる日でしたが誰もが出不精になってる?)
この日私が作った藍染のハンカチです。
もう一人の参加者は今年ボランティアに入った人なのですが、一方で個人的に市の許可をもらって公園で藍を育て、市民を対象に藍染体験をしてもらう企画を持っていらっしゃる。
ですから、学芸員に対し、レベルの高い質問を幾つも投げかけていました。
おかげで、藍染の知識の復習になりました。
ボランティアスタッフはイベントでよく質問を受けるので、ある程度の知識が必要です。
まして自分が主催者で企画するとなると失敗できないので万全の準備が必要です。
当然何でも知っていないといけないのです。
私は単なるスタッフなので、これまで、付け焼刃の知識をあたかも何でも知っているかの如く応えてきました。
参加者の中にはそういう疑問を持つのかと、ちょっと驚く質問をされる方もおられます。
たとえば藍染については。
藍染を体験してもらうには大きくわけて二つの方法があるのです。
一つは藍の染液の中に布を漬けて染めてもらう方法。
もう一つは藍の生葉を使う方法です。
具体的には、白や生成りの布の上に、摘んだばかりの藍の葉を置き、その上に透明なビニールかラップを敷いて、木づちで叩いて直接布の上にワンポイントの葉っぱの模様を染める方法。叩き染めと言います。
後者の方法は葉っぱの模様しかできませんが、藍の生葉さへあれば可能な、お手軽な藍染です。
多少やり方が違いますが、詳しく載っているサイトもありますね。⇒ここ
藍染の親子体験教室で後者をやった時のこと、一人の参加者に「藍以外のどんな葉っぱでも染まるのですか?」と聞かれました。
『いやいや、それでは藍染にならないでしょ』と思ったのですが、お手軽な方法でやるとそんな疑問も抱かれるみたい。
「いえ、他の植物の葉で同じことをしても染まらないです。藍の葉で青く染まるのは藍の葉の中にインジゴという成分が含まれているからなんです。インジゴというのは・・・」と説明しなくてはなりません。
実は藍の葉の中に含まれているのがインジゴというのも正確な言い回しではないのですが。(-_-;)
藍染って単純ではないので、詳しく説明するのは大変。
その人は、私がちょっと説明するとインディゴブルーという言葉を思い出したみたいで、それで納得されました。
自分では当たり前のように思っていても、人にとっては全然当たり前じゃないことがあるんだと思い知らされました。
今まで受けた質問の中で、どう答えようかと、一番パニクッたのは子供からの質問でした。
それは昔の暮らし体験でも藍染めではなく、弥生時代の暮らし体験の出張授業の時のこと。
小学5年生の子供達に、弥生時代の衣服の貫頭衣を着てもらったり、火熾ししてもらったり、市内で出土した土器を見せたり触ってもらったりします。
土器については最初に、収蔵館の学芸員が持ってきた土器が約2000年前の弥生時代中期のものだと説明しています。
私が土器の前にいると二人の女の子が寄ってきて私に質問しました。
「西暦は何年から始まるのですか?」
私は『ええーっ???』
そ、その質問の意味は・・・?? なんかヒネリのある質問なのか。
まるで三角形は何角か聞かれているみたいな・・・。
西暦ならゼロから始まるに決まっているじゃん。
いやいや、紀元前もあるから・・・。
それとも西洋以外の別の文明の暦(たとえばマヤ暦)で何年かという意味なのか・・・。
でも私は平凡に「ゼロから始まる」と答えました。
すると二人は顔を見合わせ、すぐに2人して私に「ありがとうございました」といって去っていきました。
でも去り際、聞こえてきた2人の会話は「やっばり西暦18年に作られた土器なんだ」で。
「君達、それは違う」と叫びたいところだったんだけど、私は土器の傍にいなくてはいけなかったのでそのまま。
学芸員は約2000年前と言った筈ですが、2人には「約」という言葉が消えて「2000年」という言葉だけが残っていたみたいなのです。
それで西暦18年と。
なんというデジタル思考!!
出土した土器に18年くらいの年月は意味がないんですけどね。
私はアバウトなおばさんでアナログ思考なもんで、デジタル思考にはついていけない。
子供達の感性には、それ以外にも時代の影響を感じさせることは色々あります。
子育て経験のある他のボランティアも驚いているので、私だけの思いではないみたいです。
というわけで、どんな質問にも答えられるように日々研鑽(?)です。
最後に、最近ご無沙汰のみーちゃんの写真です。
哀愁漂う後ろ姿のみーちゃんです。
算数と歴史は違うのですが、その点の理解がないのかも。
日常生活はアバウトばかりなので、いずれ理解するのでしょうね。
質問に答えるって、結構難しいです。
約2000年前、ですよね。
だいたい・・とか、〜ぐらいを伝える表現って難しいですね。
質問に答えるボランティア、勉強になりますね〜
私もあたふたしちゃいそうです。
日常生活の中では、だいたいとか、
〜ぐらいという言い方が多いから、
そのお子さんもだんだんにわかってくるでしようね。
藍染めのハンカチ、良い色に染まって模様も素敵です♪
土器の場合、その値段を聞いたり。
「チコちゃんに叱られる」、私も時々見ています。
「ボーっと生きてんじゃねえよ」というフレーズが面白くて良いですね。
答えに窮するというか・・・。
みーちゃん、お尻は立派です。
お腹のたるんだ皮は見ないでやってください。
西暦18年という発想に笑いました。
たしかに0からスタートして1年ずつ増えてはいくんですけどね。
中学生になれば理解するでしょうかね。
みーちゃんは立派なお尻です。うちの猫(6.3Kg)といい勝負かも。
アナログ時計の場合、一連の流れの中での一瞬を捉えるので、結果的に全体を見ていることになると思う。
デジタル時計だとそうではないような。
デジタル思考が行き過ぎると、ものの見方として、前後がない一瞬だけしか見られないのかもしれない。
kebaさん、不肖の娘ではないですよ。
きっとご自慢の娘だった筈ですよ。
みーちゃん、ゆく夏を惜しんでおられるのでしょうかね〜
デジタル式の時計が出回り始めた頃のことです。
デジタル式の時計は自分は嫌いだ、と珍しく父が否定的な話をしたんです。
理由は、アナログ時計だと「45分」という数字だけじゃなくて
「15分前」という印象も目から入るよさがある、とのことでした。
「印象」でものを理解することって
「約」というニュアンスを理解することと通じると思うのですが、
そういうのが大事っていうのがメッセージだったんだろうなぁと
不肖な娘は今頃気付きましたぁ〜、えへへ