書き始めていて、途中でしんどくなって、そのままになっていた記事を書いてみます。私がかつて1か月ほどやって辞めたボランティアのことです。
ある意味、挫折体験なのですが、当時、私でもできるようなボランティア活動を探していて、幾つか行った一つです。
私がやっていたのは総合病院に入院中の高齢者を相手にしたボランティアでした。
その病院は先進的な試みを行っていて、それもその一つでした。
そうした試みは先進国の病院でも行われているもので、日本でも幾つかの病院で行われているものです。
最初に、午前と午後のほぼ一日かけて、そのボランティアのレクチャーを受けました。
病院の担当者の話によれば、高齢者が病気で入院すると、入院の原因となった病気は治っても、身体や精神の様々な機能が低下してしまうことがよくあるのだそうです。
たとえば、よく聞く話ですが、入院前はそうでなくても退院する頃には認知症を発症もしくは悪化してしまうというような。
そのボランティアは、ボランティアする人が患者に働きかけを行うことで入院中の高齢者の様々な機能低下を防ぐものだったのです。
具体的にはお話相手になったり、その日の新聞や雑誌を読んであげたり、カセットを流して唱歌や童謡などを一緒に歌ったり、あるいは車いすに乗せて病院内を散歩に行ったりです。
病院の看護師さん達は忙しくて、とてもそこまでは手が回らないので、ボランティアがやるわけです。
もちろん、ボランティアは介護や看護に類する行為は一切やりません。
一日かけてのレクチャーはそれ自体、とても勉強になり、細かい事なので書きませんが納得できることばかりでした。
ただ、その日のプログラムの中にはリーダー格の先輩ボランティアの話を聞くこともあったのですが、それには引っ掛かりました。
話をされた女性は、絵に描いたように典型的な下町のおばちゃんタイプの人でした。
その女性曰く、自分はおしゃべりが大好きで、このボランティアではおしゃべりがいっぱいできる、楽しくて楽しくてしかたがない。うんぬんかんぬん・・・。
聞いていて私は『???!!!』でした。
私だっておしゃべりは嫌いではないのです。
でもそれは気の置けない友人相手の話。
入院中の高齢者相手にくっちゃべって楽しんで、それってどうなんだと。
今さっき聞いたレクチャーでは自分本位のおしゃべりはNGだった筈なのに・・・。
その日のプログラムは、実際に病院内を移動する車いすの扱い方やロールプレイもあって、てんこ盛りだったので、引っ掛かったことは、それはそれで終わりました。
そしていよいよ実践です。(もちろんレクチャーを受けた日とは別日)
最初の3回(3日間)は先輩ボランティアが付きますが、それ以降は一人でやってもらうという話でした。
看護師さんが選んだ6人くらいの患者さんの所に順番にお伺いします。
選ばれている患者さん全員を相手にする必要はありません。
患者さんの情報も最初に頂きます。
それを見ると最初の患者さんは私と同じ齢でアルコール依存症の人。
その時点で『ええーっ!?』って感じ。
このボランティアはアルコール依存症の人も対象にするの??
病室に行ってもその人はいません。
病院の人に居場所を聞くと「〇×さんならさっき向こうで看護師さんに殴りかかっていたよ」という返事。
私は
先輩ボランティア(レクチャーで話した人とは別人)に「大丈夫なんでしょうか」と聞くと「大丈夫。私の亭主もアルコール依存症だったから」と
確かに、会った時には興奮から覚めて反省していたのか妙に大人しかったですが。
そういうわけで、私は最初からイメージと違うことにモヤモヤ。
少しやってみて、分かったことは、高齢者へのアプローチの仕方が一緒に歌を歌うということにパターン化されていること。
人によっては、「足浴しませんか」と誘って、足を洗ってあげながらお話することもあるのですが、それって介護・看護に類することになるのでは、とそれもモヤモヤ。
もちろん、一緒に歌を歌うと、とても喜んでくれる患者さんもいました。
一方、明らかに不快そうで断る人もいました。
3回目から自分一人でやり始めたのですが、私が一番困ったのは、一回で6名くらいの患者さんが選ばれているのですが、内4、5名が眠っている事。
それも普通の眠り方ではなく、文字通り爆睡している事です。
少しくらい声を掛けても起きません。
仕方なく次の患者さんに移るのですが、それで良いのか悶々としました。
というのも、高齢の患者さんの場合、昼間寝てしまって夜眠れずに起きている人が多いのだそうです。
そうなると「ここはどこなの?」といった感じの譫妄状態に陥って、騒ぐ人もいるとか。
一人が騒ぐと周囲も起きてしまいます。
ただでさへ夜間は看護師さんが少ないのに、対応が大変な患者さんが何人も出てくることになります。
もちろん昼夜逆転は認知症の発症や重症化の契機にもなります。
このプログラムの何よりの目的は、高齢の患者さんの意識レベルが低下して譫妄状態に陥ることを阻止することなのです。
睡眠薬を使って夜眠らせるという方法もあるのでしょうが、睡眠薬は逆に酷い状態をもたらすこともあるようです。
(母の介護で経験がありますし、私は若い頃入院していて同室の高齢女性が睡眠薬の副作用で再入院したのも見ています)
私のやっていたボランティアは、昼間、そうした高齢者に介入して刺激を与えることで、夜に眠れるようにする意味が大きかったのです。
では実際に爆睡している高齢の患者さんを揺り起こして「さあ、一緒に歌を歌いましょう」と言えるかというと、少なくとも私は言えなかったのです。
爆睡している高齢者を顔も知らない他人が揺り起こしても、かえって混乱させることになりかねないし、そもそもボランティアを受け入れるかどうかは認知症であってもなくても本人の自由で、押し付けられることではないと考えるからです。
たとえば私が看護師で、患者に注射を打たなければならない立場なら、なんの躊躇いもなく叩き起こして注射するでしょうけど。
他の先輩ボランティアはどうしているか活動記録のノートを見ると、寝ている患者さんの傍で楽器を弾いて「聞いてくれてるようでした」などと書いています。
それに対する担当看護師のコメントは「きっと喜ばれていますよ」みたいな文面。
正直『ほんまかいな』です。要するにボランティアの自己満足ではないかと思えたのです。
その病院には、昼間ちゃんと起きていて、意識レベルもしっかりとした高齢の入院患者はいないのかというと、そういう患者さんももちろんいました。
ただ、そういう患者さんは夜間に問題行動を起こすこともないので、看護師さんはボランティアの働きかけの対象には選ばないみたいなのです。
実は最初のレクチャーの時にもらった冊子によれば、ボランティアの介入は早ければ早いほど良いとも書いてあったのですが、実際には状態が悪化してからでないと介入はされないようでした。
理由として、介入できるボランティアの数の問題もあったのでしょう。
私は寝ている患者さんにどう働きかけするのが良いのか、本当に悩んでしまいました。
先輩ボランティアのやり方には疑問がありましたし、私自身新参者で、あれこれ言える立場でもありませんでした。
考え続けて、その結果、私自身が夜眠れなくなりました。
ボランティアで眠れなくなるほど悩むなんて、私の本意ではありませんでした。
そこまで無理して続けるべきではないと思い、結局、そのボランティアをやめることにしたのです。
現金なもので、やめると決めると途端によく眠れるようになりました。
ではそこでは、自分がレクチャーを受けて、納得して思い描いていたような活動はできなかったのかというと、一度だけ当初のイメージ通りの活動ができたことがありました。
それはホスピス病棟の患者さんへの働きかけを頼まれた時です。
(ホスピス病棟の患者さんを相手にすることが稀にあることは最初に聞かされていました。)
ホスピス病棟の気持ちの良い応接室で、私が「若い頃、どんなお仕事をなさっておられたんですか」とお聞きすると、その方は生き生きとした様子で若い頃の仕事の話をされました。
私は時折相槌をうって聞くだけでした。
その方のお話や様子は今でも私の脳裏に残っています。
後にこの話を友人にしたところ、「みどりさんは〝傾聴〟のボランティアの方が向いていたんじゃない?」と言われました。
そうだったのか、たまたまの偶然だったのか分かりません。
その病院でのボランティアは、私には荷の重すぎたボランティアだったとしか言いようがありません。
入院中の高齢者への働きかけ自体は、とても重要なことだと思います。
このボランティアの後に兄が難病で入院しました。(私がボランティアに行った病院ではありません。)
その時につくづく働きかけの重要性を感じました。
働きかけをするのが家族では、患者がわがままになったり遠慮なしに感情を出してしまったりであまり良くはないのです。
ボランティアでなくても患者の友人や知人のお見舞いでも良いのです。
普通に気を遣うくらいの関係の人とのやり取りが、社会性を目覚めさせ、患者の意識レベルの低下を防ぐ助けになります。
兄の時は、同じ病室の入院患者全員がカーテンを締めきっていたこともあって、半数くらいの見舞客が来た事をメモ書きで残すこともなしに帰っていたことを後に知って閉口しました。
寝ている患者に話しかけることは本当に難しいらしいのです。
ある意味、挫折体験なのですが、当時、私でもできるようなボランティア活動を探していて、幾つか行った一つです。
私がやっていたのは総合病院に入院中の高齢者を相手にしたボランティアでした。
その病院は先進的な試みを行っていて、それもその一つでした。
そうした試みは先進国の病院でも行われているもので、日本でも幾つかの病院で行われているものです。
最初に、午前と午後のほぼ一日かけて、そのボランティアのレクチャーを受けました。
病院の担当者の話によれば、高齢者が病気で入院すると、入院の原因となった病気は治っても、身体や精神の様々な機能が低下してしまうことがよくあるのだそうです。
たとえば、よく聞く話ですが、入院前はそうでなくても退院する頃には認知症を発症もしくは悪化してしまうというような。
そのボランティアは、ボランティアする人が患者に働きかけを行うことで入院中の高齢者の様々な機能低下を防ぐものだったのです。
具体的にはお話相手になったり、その日の新聞や雑誌を読んであげたり、カセットを流して唱歌や童謡などを一緒に歌ったり、あるいは車いすに乗せて病院内を散歩に行ったりです。
病院の看護師さん達は忙しくて、とてもそこまでは手が回らないので、ボランティアがやるわけです。
もちろん、ボランティアは介護や看護に類する行為は一切やりません。
一日かけてのレクチャーはそれ自体、とても勉強になり、細かい事なので書きませんが納得できることばかりでした。
ただ、その日のプログラムの中にはリーダー格の先輩ボランティアの話を聞くこともあったのですが、それには引っ掛かりました。
話をされた女性は、絵に描いたように典型的な下町のおばちゃんタイプの人でした。
その女性曰く、自分はおしゃべりが大好きで、このボランティアではおしゃべりがいっぱいできる、楽しくて楽しくてしかたがない。うんぬんかんぬん・・・。
聞いていて私は『???!!!』でした。
私だっておしゃべりは嫌いではないのです。
でもそれは気の置けない友人相手の話。
入院中の高齢者相手にくっちゃべって楽しんで、それってどうなんだと。
今さっき聞いたレクチャーでは自分本位のおしゃべりはNGだった筈なのに・・・。
その日のプログラムは、実際に病院内を移動する車いすの扱い方やロールプレイもあって、てんこ盛りだったので、引っ掛かったことは、それはそれで終わりました。
そしていよいよ実践です。(もちろんレクチャーを受けた日とは別日)
最初の3回(3日間)は先輩ボランティアが付きますが、それ以降は一人でやってもらうという話でした。
看護師さんが選んだ6人くらいの患者さんの所に順番にお伺いします。
選ばれている患者さん全員を相手にする必要はありません。
患者さんの情報も最初に頂きます。
それを見ると最初の患者さんは私と同じ齢でアルコール依存症の人。
その時点で『ええーっ!?』って感じ。
このボランティアはアルコール依存症の人も対象にするの??
病室に行ってもその人はいません。
病院の人に居場所を聞くと「〇×さんならさっき向こうで看護師さんに殴りかかっていたよ」という返事。
私は
先輩ボランティア(レクチャーで話した人とは別人)に「大丈夫なんでしょうか」と聞くと「大丈夫。私の亭主もアルコール依存症だったから」と
確かに、会った時には興奮から覚めて反省していたのか妙に大人しかったですが。
そういうわけで、私は最初からイメージと違うことにモヤモヤ。
少しやってみて、分かったことは、高齢者へのアプローチの仕方が一緒に歌を歌うということにパターン化されていること。
人によっては、「足浴しませんか」と誘って、足を洗ってあげながらお話することもあるのですが、それって介護・看護に類することになるのでは、とそれもモヤモヤ。
もちろん、一緒に歌を歌うと、とても喜んでくれる患者さんもいました。
一方、明らかに不快そうで断る人もいました。
3回目から自分一人でやり始めたのですが、私が一番困ったのは、一回で6名くらいの患者さんが選ばれているのですが、内4、5名が眠っている事。
それも普通の眠り方ではなく、文字通り爆睡している事です。
少しくらい声を掛けても起きません。
仕方なく次の患者さんに移るのですが、それで良いのか悶々としました。
というのも、高齢の患者さんの場合、昼間寝てしまって夜眠れずに起きている人が多いのだそうです。
そうなると「ここはどこなの?」といった感じの譫妄状態に陥って、騒ぐ人もいるとか。
一人が騒ぐと周囲も起きてしまいます。
ただでさへ夜間は看護師さんが少ないのに、対応が大変な患者さんが何人も出てくることになります。
もちろん昼夜逆転は認知症の発症や重症化の契機にもなります。
このプログラムの何よりの目的は、高齢の患者さんの意識レベルが低下して譫妄状態に陥ることを阻止することなのです。
睡眠薬を使って夜眠らせるという方法もあるのでしょうが、睡眠薬は逆に酷い状態をもたらすこともあるようです。
(母の介護で経験がありますし、私は若い頃入院していて同室の高齢女性が睡眠薬の副作用で再入院したのも見ています)
私のやっていたボランティアは、昼間、そうした高齢者に介入して刺激を与えることで、夜に眠れるようにする意味が大きかったのです。
では実際に爆睡している高齢の患者さんを揺り起こして「さあ、一緒に歌を歌いましょう」と言えるかというと、少なくとも私は言えなかったのです。
爆睡している高齢者を顔も知らない他人が揺り起こしても、かえって混乱させることになりかねないし、そもそもボランティアを受け入れるかどうかは認知症であってもなくても本人の自由で、押し付けられることではないと考えるからです。
たとえば私が看護師で、患者に注射を打たなければならない立場なら、なんの躊躇いもなく叩き起こして注射するでしょうけど。
他の先輩ボランティアはどうしているか活動記録のノートを見ると、寝ている患者さんの傍で楽器を弾いて「聞いてくれてるようでした」などと書いています。
それに対する担当看護師のコメントは「きっと喜ばれていますよ」みたいな文面。
正直『ほんまかいな』です。要するにボランティアの自己満足ではないかと思えたのです。
その病院には、昼間ちゃんと起きていて、意識レベルもしっかりとした高齢の入院患者はいないのかというと、そういう患者さんももちろんいました。
ただ、そういう患者さんは夜間に問題行動を起こすこともないので、看護師さんはボランティアの働きかけの対象には選ばないみたいなのです。
実は最初のレクチャーの時にもらった冊子によれば、ボランティアの介入は早ければ早いほど良いとも書いてあったのですが、実際には状態が悪化してからでないと介入はされないようでした。
理由として、介入できるボランティアの数の問題もあったのでしょう。
私は寝ている患者さんにどう働きかけするのが良いのか、本当に悩んでしまいました。
先輩ボランティアのやり方には疑問がありましたし、私自身新参者で、あれこれ言える立場でもありませんでした。
考え続けて、その結果、私自身が夜眠れなくなりました。
ボランティアで眠れなくなるほど悩むなんて、私の本意ではありませんでした。
そこまで無理して続けるべきではないと思い、結局、そのボランティアをやめることにしたのです。
現金なもので、やめると決めると途端によく眠れるようになりました。
ではそこでは、自分がレクチャーを受けて、納得して思い描いていたような活動はできなかったのかというと、一度だけ当初のイメージ通りの活動ができたことがありました。
それはホスピス病棟の患者さんへの働きかけを頼まれた時です。
(ホスピス病棟の患者さんを相手にすることが稀にあることは最初に聞かされていました。)
ホスピス病棟の気持ちの良い応接室で、私が「若い頃、どんなお仕事をなさっておられたんですか」とお聞きすると、その方は生き生きとした様子で若い頃の仕事の話をされました。
私は時折相槌をうって聞くだけでした。
その方のお話や様子は今でも私の脳裏に残っています。
後にこの話を友人にしたところ、「みどりさんは〝傾聴〟のボランティアの方が向いていたんじゃない?」と言われました。
そうだったのか、たまたまの偶然だったのか分かりません。
その病院でのボランティアは、私には荷の重すぎたボランティアだったとしか言いようがありません。
入院中の高齢者への働きかけ自体は、とても重要なことだと思います。
このボランティアの後に兄が難病で入院しました。(私がボランティアに行った病院ではありません。)
その時につくづく働きかけの重要性を感じました。
働きかけをするのが家族では、患者がわがままになったり遠慮なしに感情を出してしまったりであまり良くはないのです。
ボランティアでなくても患者の友人や知人のお見舞いでも良いのです。
普通に気を遣うくらいの関係の人とのやり取りが、社会性を目覚めさせ、患者の意識レベルの低下を防ぐ助けになります。
兄の時は、同じ病室の入院患者全員がカーテンを締めきっていたこともあって、半数くらいの見舞客が来た事をメモ書きで残すこともなしに帰っていたことを後に知って閉口しました。
寝ている患者に話しかけることは本当に難しいらしいのです。
ボランティアってホントに難しいです。
私が働いていた施設では、
一緒に歌を歌うボランティアとか、ちぎり絵のお手伝いとか、
主にレクの時間に入ってもらっていました。
ていうか、それぐらいしかボラさんのできることはないのが現実です。
介助介護に抵触することが多いし、
昔なら洗濯ものたたみとかありましたが、今は業者に外注ですし。
話し相手は簡単そうに見えて難しいですよ。
職員でも信頼関係がないとなかなか話は続きません。
まして、寝ている人を起こしてまでやるボランティアって、
何なんでしょう?
なんで昼間に寝てしまっているかの改善無しに、
対処をボランティアに任せるなんてね。
私が婦人科に入院していた50歳のころ、
ボラの女子学生が来たことがありました。「お話聞かせてください」と。
いきなりで、何を話せばいいのか。もうすぐ退院するのに。
高齢で重篤なかたとは話しづらいので、私が選ばれたようでしたが、
当たり障りのない世間話をしたような記憶が。
彼女のボラの実績にはなるのでしょうが、
あれで何かを学べたかは疑問です。
でも、対象者の性格や背景をある程度知らないと
効果的な接触はできないとも思います。
だけどそれでなくても人手が足りない病院で、
ボランティアを入れる準備のために使える時間も限られているでしょうから
「昼間寝ないようにさせればいい」的なアプローチになるんでしょうか。
さらには、話しかける相手が欲しいのは実はボランティアの側だったりすると
もう何が何だか、ですよね。。。
ホスピス病棟ではいい体験をされましたね。
うちの母は老人ホームでの行事はことごとく嫌がっていました。
みんな一緒に集められて保育園児であるかのような対応をされる、と。
一対一で向き合うのでないと、多分本当の意味での効果は出ないかも。
対象になる人も、お手伝いする人にとっても。
自分が お世話になる状況を考えて読ませて頂きました
個人個人を尊重した介護って難しいのですね
姑がお世話になっていた施設では 機能低下を抑えるプログラムは
プロの方が 居ました
マッサージや 歌を歌ったり
新聞の読み聞かせなどもあったようです
部屋に漏れ聞こえて来ました
トイレ掃除や洗濯のボランティアは 聞きますが・・・
従姉は 新聞を読んでそれを録音し そのテープを
配るボランティアのグループに参加しておりました
看護師さんが 認知症が 進んだ女性を車いすに乗せて、それを押しながら
薬を配っていることもありました
ジッとしていなくて 怪我をしたりするからって
そうそう、暴力、暴言の患者さんは 苦労ですね
姑のところでも 他の部屋からの「痛い 痛い」って介護師さんの声
何度も聞きました
「やめて~~」とか
私なら初日にケツを割りそうなボランティアですね。
たった一日のレクチャーを受けただけの素人に、寝てる人を起こしてまで何かをさせようというのは無理ありずきますよね。
私にはがんばってもお散歩の付き添いしかできそうにありません。
対象者がたまたま話し好きの人だったらいいかも知れませんが、そんな人は自分から話し相手を探してますから寝てないでしょうしね。
私はのべ4回くらい入院しましたが、ボランティアに出会ったのは一度だけで、その方は足を30分ほどかけてアロマオイルでマッサージしてくれました。
事前に希望のききとりがあり、おまけに希望者が少ないからと二日連続できてくれました。
あれは本当にリラックスできて心地よかったです。
その方はボランティアをするにあたり、オイルマッサージの講習を受けたとおっしゃっていました。
ただ、その病院では、問題のある患者さんにボランティアを介入させるという、本末転倒なやり方になってしまっていたのではないかと思います。
最初に受け持ったアルコール依存症の患者さんなど、その例です。
リストアップされていた患者さんの半数以上が爆睡していたことも同様ではなかったかと。
その病院でも当初は効果があったようなことを言っていました。たぶん、最初は丁寧だったからでしょう。
入院中の高齢者全員を対象とするのでなく、病棟を限定して、意識レベルの低下を引き起こしそうな患者のサインを見定めて介入し、その病院なりの方法を確立した後、病院全体を対象とすればよかったと思います。
でなければボランティアの負担が大きすぎて、思い込みの強い(?)人しか残らないのではないかと。
後のしまそだちさんのコメントを読むと、施設ではプロの方がそうした働きかけを行っていたと書いています。
施設ではなく病院、それも一般の総合病院だとボランティアしか担い手はいないでしょう。
私が若い頃、入院中に同室の高齢者に(たぶん眠らせない為に)看護学生が付いていましたが、その患者さんは嫌がっていました。
べったりというのもどうかなと私も思いました。
「何か話してください」などと言うのは、ボランティアとしては下手糞すぎます。
今なら冷静に思い出せるのですが、当時は途方に暮れました。
何より先輩ボランティアや看護師さんが納得していれば何も言えずモヤモヤは深まるばかり。
看護師さんは時間も無いし、ボランティアにダメ出しできなかっただけかもしれませんが。
下町のおばさん的な人は自分の善意だけでグイグイ押していけるけど本来の目的に適っていたかどうか。
老人ホームやデイサービスは、その高齢者に合ったところを探すのが大変みたい。
我が家が契約しているケアマネさんは色んなデイサービスセンターの特徴を調べ上げて、その人に合ったデイサービスに行かせていました。
もちろん、対象者の性格や背景も、家族はむろんのこと友人や医師など色んな人に聞きまくって調べていました。
あれくらい丁寧でないと無理なのかもしれません。
病院の場合、直接的な治療以外プロは使えません。
トイレ掃除や洗濯のボランティア⇐それこそ施設がプロを雇ってくださいと言いたいです。
病院の場合、入院が意識レベルの低下を引き起こしてしまうわけで、入院前から認知症になっている人の問題行動をボランティアがどうこうするのは筋違いです。
ただそういうことが病院の職員さん達一人一人にきちんと認識されていたかどうかは疑問でした。
一律にボランティアに振っていたように思います。
むしろ、なぜレクチャー通りの対応をしないのか疑問でした。
形ばかりの理解かもしれませんが、ユマニチュードという認知症の方に対する技法など、今後も役に立つかもしれません。
老健の喫茶室でウェイトレスのボランティアをしている友人がいるのですが、ユマニチュードの話をすると真剣に色々と聞かれてしまいました。
ですから話しかけなどは無茶苦茶ビビるようなことではないと思います。
ただ、爆睡している人とかアルコール依存症の人となると頭を抱えちゃいます。
無理せず飛ばしてしまえばいいんでしょうけどね。
アロママッサージのボランティア、羨ましい。
私も受けてみたいです。
色々ボランティアを探して、市の文化財収蔵館の、昔の暮らしの体験ボランティアが継続的に続いています。
綿や藍を育て、綿繰りから糸紡ぎ、染め、機織まで、自分も学びつつ子供達にも体験してもらうボランティアです。
ホスピスは先輩ボランティアが「あそこだけは(ボランティアが)できないし行きたくない」と言っていましたが、なぜなのか。
その人自身の死に対する恐怖からなのか。
私はホスピスも一般病棟も同じ感覚でした。