最近聞いた新しい音楽について思ったことをあれこれ書いてみます。
ちょっと長くなるので音楽に関心ない人はスルーして下さい。
あらかじめ書いておくと、私は音楽に詳しくないです。
特に新しい音楽については無知です。
だから、このエントリーは何も知らない年寄りの感想だと思って読んでください。
どんな音楽を聴いたかというと、私は男子新体操の井原高校の演技が好きでよく見るのですが、使われている曲がいつも美しかったり、風変わりだったりで、要するに良かったのです。
それでどんな曲が使われていたのか、調べて原曲を聴いてみたのでした。
同じことを考えた人も結構いたみたいで、井原高校の演技に使われた原曲を調べて一覧にしたサイトがあったり(ココです)、原曲のサイトでは「演技のYou Tubeから飛んできた」という意味の英語のコメントに幾つもMe tooやsameの返コメが連なったりしてました。
私も日本語で「同じく」と書こうかと思いました(笑)。
ちなみに井原高校の演技を見る人は、今では国内より国外の方が多いみたいです。
結果は、ただただ驚愕。
私、音楽シーンについては、日本のそれも、世界のそれも、とにかく無知という自覚があったのですが、それどころじゃなく、音楽は進化していたみたいなのです。
まず原曲がどこから取られたかというと、PCゲームというのが多かったのです。
たとえば「NieR」、ニーアって読みます。
2011年、2015年、2016年の演技に使われてます。
断わっておくと、私はゲームをほとんどやったことないです。(-_-;)
ニーアの中の楽曲で使われていたのは「イニシエノウタ 運命」と「エミール」と「魔王」です。
ニーアのサントラはゲーム本体より売れたという噂があるそうですが確かに名曲ぞろい。
シリーズ化しているニーアの最初のバージョンが売り出されたのは2010年ですが、2011年の演技で既に使用されていますので、曲の良さに素早く反応したのでしょうね。
ニーアの「イニシエノウタ 運命」は東京オリンピックの開会式の入場行進の中でも使用されていて、ファンの間では評判になったみたいです。
でも私、オリンピックにほとんど興味なかったから入場行進も見てませんでした。(-_-;)
それでも入場行進では、世界に誇る(笑)日本のゲーム音楽が使われたのは知ってました。
ニーアはその中でもちょっと異質だったらしいです。
そもそもニーアは、あまたあるPCゲームの中でもちょっとマニアックらしいのです。
というわけで音楽紹介。⇒ココです。
オリンピックの入場行進曲の中でボーカルが入っているのは「イニシエノウタ 運命」だけだそうです。
でも、このボーカルの言葉、どこの国の言葉でもないんです。
ニーアの楽曲で歌われる言葉は作詞家によって作られた言葉で、意味のないカオス言語なんだそうです。
そう、私が驚いたのは発想さえしないそういう試み。
作曲したのは岡部啓一氏で、主にゲーム音楽やアニメの作曲をされる方のようです。
作詞したのはイギリス出身で日英ハーフのエミ・エヴァンス氏。
彼女が歌も歌っています。
作詞方法などここでは詳しくは紹介しませんが、詩はドイツ語、ハンガリー語、ウェールズ語、日本語、フランス語、ラテン語、スペイン語、ゲール語、ポルトガル語などがベースになっているそうです。(曲によりベースの言語を変えているみたいです。)
本当は希少民族の失われた言語も投入するつもりだったそうですが調査に膨大な時間がかかるのでできなかったそうです。
なんでそんなややこしい事をするのかと思うのですが、理由はあって、ゲームを作ったヨコオタロウ氏によれば、ゲームプレイヤーがゲームに集中できるように意味のない歌詞を求めたらしいのです。
これはよく分かります。
確かに意味のある言葉を聞きながら何かに集中するのは難しいです。
結果的にゲームをしないで曲だけ聞いても、その意味を伴わないボーカルから聞く人の想像力が刺激され、感情が揺さぶられる歌になっています。
もっとも男子新体操の演技では、2013年くらいまでは演技で使う楽曲でボーカルがあるのは禁止されていたようです。
フィギュアスケートもそうだったみたいだから、よく分かりませんが男子新体操もフィギュアスケートに合わせたのかもしれません。
ですから2011年の演技ではニーアでもボーカル抜きで、後年の分はカオス言語によるボーカル有です。
ところが、このカオス言語で驚いてはいけなかったのです。
2012年、2014年、2019年には、やはりゲーム音楽ー正確にいうとゲーム・アニメ・マンガ等で展開するメディアミックス作品ーの「Ar Tonelico」(アルトネリコ)の楽曲が用いられています。
そしてその歌詞が人工言語なのです
ゲームに詳しい人なら「何を今更」なんでしょうね。
「Ar Tonelico」の楽曲で用いられている人工言語の名はヒュムノス語で、創案者は土屋暁という人。
作曲も同じ人です。
ヒュムノス語の詳しいことはココです。この説明も正直よく分からんですが。
ヒュムノス語は主にゲームの中の楽曲の歌詞で使われているみたいです。
もちろん意味はあり、文法なども公開されていて、それを見て翻訳することも可能だそうです。
同じ人工言語といってもエスペラント語ほど完全なものではないそうですが、それでも日常会話はできて、聖書のヒュムノス語訳などもあります。
それにしても、です。
年寄りの私にしてみれば「今、そんなんが流行っているの?」と言いたくなります。
つまり、カオス言語にしろヒュムノス語にしろ、言語おたくのような試みがちょっと不思議なのです。
ヒュムノス語に関心を持つ人は国内外にいて、ゲームはやらないけれど楽曲とヒュムノス語は好きみたいな人もいます。
推測するに、ニーアにしてもアルトネリコにしても、ゲームの場合、製作者は自分の趣味嗜好に合わせて凝りに凝りまくった作品を作ることができるみたいです。
そういうのを人は「おたく」と呼ぶのかもしれませんけど。
音楽に話を戻すと、今の音楽シーンではゲームの楽曲が占める割合が少なからずあるらしいこと。
私は今回、たまたま凄くいい曲を聞いてしまっただけなのかもしれませんが、いわゆるメディアミックスとして、ゲームはやらないけど楽曲は聴く人が一定割合でいるみたいです。
ちなみに東京オリンピックのオーストラリアのアーティスティックスイミングでも、同じアルトネリコの曲が使用されていたみたいです。(これは井原高校の影響とも考えられます)
凄ーく年寄り臭いことを書くと、今の自分は新しい音楽に接する術さえ持たないでいます。
どこにどんな曲があるかも分からないのです。
だから今回、ゲームの楽曲というのはまだ分かるのですが、本当にその楽曲の出自(笑)が分からない曲がいくつかありました。
2018年の演技に用いられた「Caldes」の中の「残響と白き死神」「智慧たる紫の覚醒」も出自が分かりませんでした。
どうやら同人音楽らしいです。
同人というのは、年配の人達がイメージする昔のそれと違ってコミケなんかで売られている同人誌の同人のことです。
私が知っているのはマンガや小説の同人サークルであって、音楽の同人サークルがあるのは初めて知りました。
マンガや小説でも、プロデビューして有名になっても同人としても残り、そこで自分が本当に作りたい作品を作るわけですが、音楽においても同じことが行われているらしいのです。
その種の音楽はAmazonでも売られているのですが、一般の人にはそもそも存在を知ること自体難しいです。
また、そういう音楽活動を支えているのが音楽機材の発達、要するにパソコンで音楽制作ができることです。
自分が楽器演奏できなくても、歌が歌えなくてもいいわけですから。
「それは分かるけど、クォリティは?」と、私などは意地悪く問いたい気がします。
実はそれも、少なくとも私の要求を満たすレベルではです。
初音ミクを始めとしたボカロ(音声ソフト)も、当初の不自然さを克服してしまっていました。
2020年の井原のジュニアの方で使われた「あなたの夜が明けるまで」の「明けない夜のりりィ」シリーズを通しで聞きましたが鳥肌が立つ思いをしました。
私の感想など、今更なんでしょうけど。
作詞作曲は笠村トータ氏。
そこで使われているボカロはIAとFUKASEでした。
IAのイメージ画像です。
考えてみれば、米津玄師も当初はボカロの作曲家として世に出た人でしたね。
というわけでまとめ。
若い才能は心配しなくてもドンドン出てきています。
それを支える技術も日進月歩です。
私のような年配者は古い知識や固定観念を捨てて、ただ良いものを良いと認めるだけです。
終わりに、この中で私の一番のお気に入りは、どれも甲乙つけがたいのですが、ニーアの「魔王」です。
<付記>
私が後で知ったことですが、男子新体操では2012年からボーカルはスキャットであればOKとなったようです。
ボーカルがすべてOKとなったのは2019年からでした。
ちょっと長くなるので音楽に関心ない人はスルーして下さい。
あらかじめ書いておくと、私は音楽に詳しくないです。
特に新しい音楽については無知です。
だから、このエントリーは何も知らない年寄りの感想だと思って読んでください。
どんな音楽を聴いたかというと、私は男子新体操の井原高校の演技が好きでよく見るのですが、使われている曲がいつも美しかったり、風変わりだったりで、要するに良かったのです。
それでどんな曲が使われていたのか、調べて原曲を聴いてみたのでした。
同じことを考えた人も結構いたみたいで、井原高校の演技に使われた原曲を調べて一覧にしたサイトがあったり(ココです)、原曲のサイトでは「演技のYou Tubeから飛んできた」という意味の英語のコメントに幾つもMe tooやsameの返コメが連なったりしてました。
私も日本語で「同じく」と書こうかと思いました(笑)。
ちなみに井原高校の演技を見る人は、今では国内より国外の方が多いみたいです。
結果は、ただただ驚愕。
私、音楽シーンについては、日本のそれも、世界のそれも、とにかく無知という自覚があったのですが、それどころじゃなく、音楽は進化していたみたいなのです。
まず原曲がどこから取られたかというと、PCゲームというのが多かったのです。
たとえば「NieR」、ニーアって読みます。
2011年、2015年、2016年の演技に使われてます。
断わっておくと、私はゲームをほとんどやったことないです。(-_-;)
ニーアの中の楽曲で使われていたのは「イニシエノウタ 運命」と「エミール」と「魔王」です。
ニーアのサントラはゲーム本体より売れたという噂があるそうですが確かに名曲ぞろい。
シリーズ化しているニーアの最初のバージョンが売り出されたのは2010年ですが、2011年の演技で既に使用されていますので、曲の良さに素早く反応したのでしょうね。
ニーアの「イニシエノウタ 運命」は東京オリンピックの開会式の入場行進の中でも使用されていて、ファンの間では評判になったみたいです。
でも私、オリンピックにほとんど興味なかったから入場行進も見てませんでした。(-_-;)
それでも入場行進では、世界に誇る(笑)日本のゲーム音楽が使われたのは知ってました。
ニーアはその中でもちょっと異質だったらしいです。
そもそもニーアは、あまたあるPCゲームの中でもちょっとマニアックらしいのです。
というわけで音楽紹介。⇒ココです。
オリンピックの入場行進曲の中でボーカルが入っているのは「イニシエノウタ 運命」だけだそうです。
でも、このボーカルの言葉、どこの国の言葉でもないんです。
ニーアの楽曲で歌われる言葉は作詞家によって作られた言葉で、意味のないカオス言語なんだそうです。
そう、私が驚いたのは発想さえしないそういう試み。
作曲したのは岡部啓一氏で、主にゲーム音楽やアニメの作曲をされる方のようです。
作詞したのはイギリス出身で日英ハーフのエミ・エヴァンス氏。
彼女が歌も歌っています。
作詞方法などここでは詳しくは紹介しませんが、詩はドイツ語、ハンガリー語、ウェールズ語、日本語、フランス語、ラテン語、スペイン語、ゲール語、ポルトガル語などがベースになっているそうです。(曲によりベースの言語を変えているみたいです。)
本当は希少民族の失われた言語も投入するつもりだったそうですが調査に膨大な時間がかかるのでできなかったそうです。
なんでそんなややこしい事をするのかと思うのですが、理由はあって、ゲームを作ったヨコオタロウ氏によれば、ゲームプレイヤーがゲームに集中できるように意味のない歌詞を求めたらしいのです。
これはよく分かります。
確かに意味のある言葉を聞きながら何かに集中するのは難しいです。
結果的にゲームをしないで曲だけ聞いても、その意味を伴わないボーカルから聞く人の想像力が刺激され、感情が揺さぶられる歌になっています。
もっとも男子新体操の演技では、2013年くらいまでは演技で使う楽曲でボーカルがあるのは禁止されていたようです。
フィギュアスケートもそうだったみたいだから、よく分かりませんが男子新体操もフィギュアスケートに合わせたのかもしれません。
ですから2011年の演技ではニーアでもボーカル抜きで、後年の分はカオス言語によるボーカル有です。
ところが、このカオス言語で驚いてはいけなかったのです。
2012年、2014年、2019年には、やはりゲーム音楽ー正確にいうとゲーム・アニメ・マンガ等で展開するメディアミックス作品ーの「Ar Tonelico」(アルトネリコ)の楽曲が用いられています。
そしてその歌詞が人工言語なのです
ゲームに詳しい人なら「何を今更」なんでしょうね。
「Ar Tonelico」の楽曲で用いられている人工言語の名はヒュムノス語で、創案者は土屋暁という人。
作曲も同じ人です。
ヒュムノス語の詳しいことはココです。この説明も正直よく分からんですが。
ヒュムノス語は主にゲームの中の楽曲の歌詞で使われているみたいです。
もちろん意味はあり、文法なども公開されていて、それを見て翻訳することも可能だそうです。
同じ人工言語といってもエスペラント語ほど完全なものではないそうですが、それでも日常会話はできて、聖書のヒュムノス語訳などもあります。
それにしても、です。
年寄りの私にしてみれば「今、そんなんが流行っているの?」と言いたくなります。
つまり、カオス言語にしろヒュムノス語にしろ、言語おたくのような試みがちょっと不思議なのです。
ヒュムノス語に関心を持つ人は国内外にいて、ゲームはやらないけれど楽曲とヒュムノス語は好きみたいな人もいます。
推測するに、ニーアにしてもアルトネリコにしても、ゲームの場合、製作者は自分の趣味嗜好に合わせて凝りに凝りまくった作品を作ることができるみたいです。
そういうのを人は「おたく」と呼ぶのかもしれませんけど。
音楽に話を戻すと、今の音楽シーンではゲームの楽曲が占める割合が少なからずあるらしいこと。
私は今回、たまたま凄くいい曲を聞いてしまっただけなのかもしれませんが、いわゆるメディアミックスとして、ゲームはやらないけど楽曲は聴く人が一定割合でいるみたいです。
ちなみに東京オリンピックのオーストラリアのアーティスティックスイミングでも、同じアルトネリコの曲が使用されていたみたいです。(これは井原高校の影響とも考えられます)
凄ーく年寄り臭いことを書くと、今の自分は新しい音楽に接する術さえ持たないでいます。
どこにどんな曲があるかも分からないのです。
だから今回、ゲームの楽曲というのはまだ分かるのですが、本当にその楽曲の出自(笑)が分からない曲がいくつかありました。
2018年の演技に用いられた「Caldes」の中の「残響と白き死神」「智慧たる紫の覚醒」も出自が分かりませんでした。
どうやら同人音楽らしいです。
同人というのは、年配の人達がイメージする昔のそれと違ってコミケなんかで売られている同人誌の同人のことです。
私が知っているのはマンガや小説の同人サークルであって、音楽の同人サークルがあるのは初めて知りました。
マンガや小説でも、プロデビューして有名になっても同人としても残り、そこで自分が本当に作りたい作品を作るわけですが、音楽においても同じことが行われているらしいのです。
その種の音楽はAmazonでも売られているのですが、一般の人にはそもそも存在を知ること自体難しいです。
また、そういう音楽活動を支えているのが音楽機材の発達、要するにパソコンで音楽制作ができることです。
自分が楽器演奏できなくても、歌が歌えなくてもいいわけですから。
「それは分かるけど、クォリティは?」と、私などは意地悪く問いたい気がします。
実はそれも、少なくとも私の要求を満たすレベルではです。
初音ミクを始めとしたボカロ(音声ソフト)も、当初の不自然さを克服してしまっていました。
2020年の井原のジュニアの方で使われた「あなたの夜が明けるまで」の「明けない夜のりりィ」シリーズを通しで聞きましたが鳥肌が立つ思いをしました。
私の感想など、今更なんでしょうけど。
作詞作曲は笠村トータ氏。
そこで使われているボカロはIAとFUKASEでした。
IAのイメージ画像です。
考えてみれば、米津玄師も当初はボカロの作曲家として世に出た人でしたね。
というわけでまとめ。
若い才能は心配しなくてもドンドン出てきています。
それを支える技術も日進月歩です。
私のような年配者は古い知識や固定観念を捨てて、ただ良いものを良いと認めるだけです。
終わりに、この中で私の一番のお気に入りは、どれも甲乙つけがたいのですが、ニーアの「魔王」です。
<付記>
私が後で知ったことですが、男子新体操では2012年からボーカルはスキャットであればOKとなったようです。
ボーカルがすべてOKとなったのは2019年からでした。
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