前回は母に不名誉なことを書いてしまったので今回は名誉なことを書きます。
私の母の場合、とても前向きで負けず嫌い、それが少々度を過ぎるという面がありました。
自分の病気や老いをなかなか認めようとしなかった事など、時には死の危機さへ招きました。
たとえば、まだ母が50代の頃、胆石の発作を起こしたことがありました。
私は当時、実家に住んでいなかったのですが、激痛でうなっている時でさへ、病院に行こうとせず、家事をやろうとしていたそうです。
父が見かねて、引きずるようにして近くの病院に連れて行ったところ、直ぐに大きな病院に行くように言われ、大きな病院に行くと即日手術されました。
後に母は私に、医者がとても生意気で、自分に向かって「あなたは死にたかったのですか」と言ったと言って怒っていました。
実際には、手遅れ寸前だったのですが、それを認めず、「医者が生意気」というところが母らしいです。
ただ、母の介護をするに当たって、家族にとってはその性格が、とても楽に働いたのでした。
自宅での介護が始まって、私が見ていてとてもショックなことがありました。
それは食事風景で、目の見えない母は当然のように手掴みでご飯やおかずを口に入れていたのです。
私はお箸で食べられなくても、せめてスプーンを使ってでも、手掴みでなく食べてほしくて、ケアマネさんに、リハビリの一環として目が見えなくてもちゃんと食べられる方法を母が学べないか聞きました。
するとケアマネさんは私をキッと見据えて言いました。
「〇子様(私の母)は、眼が見えなくなっても、自分の力で食べようとしていらっしゃいます。私は〇子様を立派だと思います」
そう言われて、私も初めて知ったのですが、80歳を過ぎて失明した場合、食事は介助されて食べるのが当然らしくて、通常の中途失明者のように食べ方を学んだりしないということ。
でも母は、病院にいた時から自力で、つまり手掴みで食べていたのです。
たぶんそれは、ほかの同じような状態に陥った高齢者はしないことのようだったのでした。
もう一つ気づいたこと。家族の目から見て否定的に見えることでも、他人の目から見ると評価されることもあること。
私もケアマネさんに言われて『手掴みで食べることが評価のできることなのか』と驚いたのですが、介護に他人を入れることの大切さは、同じことが異なる視点で見られることにもあるのではないでしょうか。
いずれにしても、負けん気が強くて何でも自分でやろうとする母の性格は、介護者にとっては後々までありがたいことでした。
大腿骨骨折の手術後のリハビリも、同室の同じような手術を受けた人達が痛みに苦しんでうまくいってなかったにもかかわらず、母の場合、とてもうまくいって、珍しいことだそうですが正座までできるようになりました。それは、自立心と行動力が人並み外れていて、その上、痛みを恐れない母の性格の故だったかもしれません。
そういうわけで、当初こそ訪問看護士に来てもらっていましたが、直ぐに必要なくなり、お風呂にも自力で入れるようになったのです。(家に誰もいない時でも一人で入ろうとするのには困りましたが。)
よく「私の母はわがままだから・・・」と介護について心配される方がいますが、私の母もわがまま、というより、究極の自己中人間でした。ただ、介護については、そのわがままさがプラスに働きました。わがままというのは、案外、家族に対してだけだったりするからです。
友人知人の話を聞いていると、介護度が高いわけでもなく介護で困っている人は、別世帯なのに子供である自分が何でもしてあげて当然だと思って、毎日親の家に通って世話をしてあげていたりします。
親の方も、それが当然になって、一日でも子供が家に来ないとヤンヤと電話をかけてきます。
子供相手なら、わがままがきくということもあると思います。
ただ、それで自分がやりたいことが何もできないなどと子供が愚痴るのは間違いなような気がします。プロと相談してある程度は任せるということもせず、親の本来的な力を引き出すこともせず、親子でそういう介護の方法を選んでいるだけなのではと思える部分もあるのです。
もちろん、母の場合も何の問題もなかったわけではなく、完全失明した結果、昼夜の区別がつかなくなり、昼夜が逆転したことなど、困ったこともありました。(ラジオの深夜放送が面白いと母は言っていました。)
でも、高圧的な態度をとる看護師さんは嫌っていましたがヘルパーさん達とは仲良くなって、まずまずのスタートだったのです。
母が中年の頃の刺繡の作品、掛け軸に仕立てたものです。
題は「花車」です。
私の母の場合、とても前向きで負けず嫌い、それが少々度を過ぎるという面がありました。
自分の病気や老いをなかなか認めようとしなかった事など、時には死の危機さへ招きました。
たとえば、まだ母が50代の頃、胆石の発作を起こしたことがありました。
私は当時、実家に住んでいなかったのですが、激痛でうなっている時でさへ、病院に行こうとせず、家事をやろうとしていたそうです。
父が見かねて、引きずるようにして近くの病院に連れて行ったところ、直ぐに大きな病院に行くように言われ、大きな病院に行くと即日手術されました。
後に母は私に、医者がとても生意気で、自分に向かって「あなたは死にたかったのですか」と言ったと言って怒っていました。
実際には、手遅れ寸前だったのですが、それを認めず、「医者が生意気」というところが母らしいです。
ただ、母の介護をするに当たって、家族にとってはその性格が、とても楽に働いたのでした。
自宅での介護が始まって、私が見ていてとてもショックなことがありました。
それは食事風景で、目の見えない母は当然のように手掴みでご飯やおかずを口に入れていたのです。
私はお箸で食べられなくても、せめてスプーンを使ってでも、手掴みでなく食べてほしくて、ケアマネさんに、リハビリの一環として目が見えなくてもちゃんと食べられる方法を母が学べないか聞きました。
するとケアマネさんは私をキッと見据えて言いました。
「〇子様(私の母)は、眼が見えなくなっても、自分の力で食べようとしていらっしゃいます。私は〇子様を立派だと思います」
そう言われて、私も初めて知ったのですが、80歳を過ぎて失明した場合、食事は介助されて食べるのが当然らしくて、通常の中途失明者のように食べ方を学んだりしないということ。
でも母は、病院にいた時から自力で、つまり手掴みで食べていたのです。
たぶんそれは、ほかの同じような状態に陥った高齢者はしないことのようだったのでした。
もう一つ気づいたこと。家族の目から見て否定的に見えることでも、他人の目から見ると評価されることもあること。
私もケアマネさんに言われて『手掴みで食べることが評価のできることなのか』と驚いたのですが、介護に他人を入れることの大切さは、同じことが異なる視点で見られることにもあるのではないでしょうか。
いずれにしても、負けん気が強くて何でも自分でやろうとする母の性格は、介護者にとっては後々までありがたいことでした。
大腿骨骨折の手術後のリハビリも、同室の同じような手術を受けた人達が痛みに苦しんでうまくいってなかったにもかかわらず、母の場合、とてもうまくいって、珍しいことだそうですが正座までできるようになりました。それは、自立心と行動力が人並み外れていて、その上、痛みを恐れない母の性格の故だったかもしれません。
そういうわけで、当初こそ訪問看護士に来てもらっていましたが、直ぐに必要なくなり、お風呂にも自力で入れるようになったのです。(家に誰もいない時でも一人で入ろうとするのには困りましたが。)
よく「私の母はわがままだから・・・」と介護について心配される方がいますが、私の母もわがまま、というより、究極の自己中人間でした。ただ、介護については、そのわがままさがプラスに働きました。わがままというのは、案外、家族に対してだけだったりするからです。
友人知人の話を聞いていると、介護度が高いわけでもなく介護で困っている人は、別世帯なのに子供である自分が何でもしてあげて当然だと思って、毎日親の家に通って世話をしてあげていたりします。
親の方も、それが当然になって、一日でも子供が家に来ないとヤンヤと電話をかけてきます。
子供相手なら、わがままがきくということもあると思います。
ただ、それで自分がやりたいことが何もできないなどと子供が愚痴るのは間違いなような気がします。プロと相談してある程度は任せるということもせず、親の本来的な力を引き出すこともせず、親子でそういう介護の方法を選んでいるだけなのではと思える部分もあるのです。
もちろん、母の場合も何の問題もなかったわけではなく、完全失明した結果、昼夜の区別がつかなくなり、昼夜が逆転したことなど、困ったこともありました。(ラジオの深夜放送が面白いと母は言っていました。)
でも、高圧的な態度をとる看護師さんは嫌っていましたがヘルパーさん達とは仲良くなって、まずまずのスタートだったのです。
母が中年の頃の刺繡の作品、掛け軸に仕立てたものです。
題は「花車」です。
目から鱗のフレーズです
ことにしっかり者だった母親が、認知症になったりすると娘は 受け入れられないって
聞きました
姑も弱みを見せない人でした
90代後半でも 強がりで杖を持たずに外出して、何度も転びました
伯母の一人は、働き盛りの息子が、 1日施設を訪ねないと 他の兄弟に
電話して 「どこか悪くて 入院したのか」と大騒ぎしました
娘が、行くと帰る時興奮するので、娘も辛かったようです
こうやって、他の方の経験を伺えるのは ありがたいです
はたして、自分が 前向きに考え行動できるか 自信もありませんが
少し心の余裕となりそうです
ありがとうございます
見事な 「花車」の刺繍です
こんな大作を仕上げるなんて、おかあさま 素晴らしいです
うちの母は完全にリハビリから脱落した模様。
父との生活に戻ってどうなったかちゃんと確認していませんが
12月にまた顔を出したときに様子をみようと思います。
うちは在宅介護ではありませんが、
2人が老人ホームにいてくれるということが
どれだけ心の余裕になっているか、とその点では両親に感謝しています。
若い頃との比較をしてもせんないことなのに
ついついしてしまう身内にとっては、
第三者の専門家がいてくださるのはありがたい事です。
しっかり者だった母が老いてよぼよぼしているので、𠮟りつけたらプチ家出されてしまったなんて話も聞いたことがあります。
高齢者ではなく介護者に心の柔軟性が求められているのかもしれませんね。
私はケアマネさんやヘルパーさんには恵まれていたと思います。
母との間だけでなく、介護を手伝ってくださる方々との会話も大切なんだと思います。
確かに、老人ホームにいてもらえるというだけでも安心だし感謝ですね。
とても大変な仕事をされているのですから介護に携わる方々の収入、もっと上げてほしいです。
刺繡は細かい作業ですし。
このように多くの立派な作品を残されて居られたら、
晩年の失明は辛かっただろうなと、心中を察したりしました。
食事ですが、
食べさせてもらうより、スプーンで食べるより、手づかみの方が味がわかりますし、食べた気になります。
私事ですが、あまり人を頼らない、口だけの優しい言葉は信じない主義なので「可愛くない」と言われます。
それなら意地悪ばあさんになってやろうかと(笑)
当時の介護に慣れていなかった私には、自力で食べるということが重要で、食べ方は問わないということが分かっていませんでした。
母はとても器用な人だったのですが、器用さを発揮することはあまりなかったのです。
刺繍も中年の一時期凝っていて、技術的には高いレベルに達していました。でもすぐに興味を失くしてしまったのですよ。
私事ですが、私はちょっとキツイ人に見られるらしく、人からは避けられることもよくあります。それがかえってショックだったりもします。
口だけ優しい人のキツサって、人は分からないのかもしれません。
晴れのち曇りさんは、それがお分かりになるのですね。
でも人には頼らないと損だって、関西人の私は思います(笑)。
要介護になったら何もできなくなり、
何でも周り(家族であれプロの介護者であれ)がしてあげるのがベスト
と勘違いしているひとはまだまだ多いようです。
例えば老健と特養の違い。
老健は残存能力を活かすべくプログラムにリハビリがありますが、特養はありません。
でも、いくらリハビリをしたとしても本人にやる気がなければ効果は出ません。
やる気・・・これもある意味、残存能力かなと思います。
いかにやる気を出してもらうか、動機付けするのが周りの役目ですね。
元気な頃の親の姿を知っている家族と、要介護以降の
姿しか知らないプロとでは、感じ方や対応が違うのは当然で、
両者の情報交換は必須ですね。
老人性のウツになったり、やたら依存的になったりしたら、やる気どころの話ではなくなります。
動機付けって、相当に高度な技術ではないですか?
私の母の場合、意欲というか気力は死ぬ間際までありましたが、体がついていかなくなりました。
家族の中にはそれが理解できなくて怒鳴りつけた輩もいたのですよ。それはそれで困ったものでした。
老健というのはリハビリをする所という理解だったのですが、なんだか今では行き場のない高齢者を引き受ける所みたいな感じです。
仕方のないことなのでしょうか。
こんなに繊細で美しい作品を仕上げておられたのに、
突然失明されて、どんなに心残りだったことか・・・。
この先も、もっといろいろなことをしたいという願いがおありだったでしょうね。
こうして公開していただいて、今、お母さまもきっと喜んでいらっしゃると思います。
というのは私が目が悪く正直失明の恐怖を味わっているからです。
もう来年には70歳。だんだん介護の必要な年齢が近くなり
できれば自分の事は自分で最後まで迷惑をかけずに生活していきたいと思います。
亡き母も自己主張の強い人でした。
介護人が母に親しみを込めて(?)○○ちゃんと呼ぶのです。
それに大きなエプロンをしてスプーンで食事を口に押し込みます。
見ていてハラハラしていました。
そうか手づかみで食事をするというのもありなんだって
しみじみ思いました。