スズちゃんが逝ってしまって10日以上の日が経ちました。
未だ悲しみと後悔の思いは続いています。
49日が済むまではスズちゃんの魂は我が家の辺りにいると思いますので、時折、スズちゃんの魂に語り掛けて、スズちゃんがいてくれたことへの感謝を伝え冥福を祈っています。
どうやら私の状態はペットロス症候群と呼ばれるもののようです。
昔、何かで読んだことがあるのですが、ペットを失って形容できないような悲しみに襲われるのは、そのペットの死に後悔することがあるからだと。
それは何となく理解できることでした。
私は今まで何匹も猫を飼ってきて、何度もその死にざまを見てきました。
その都度、悲しい思いや寂しい思いは感じましたが、今回のスズちゃんの時ほどの深い悲しみを覚えたことはありません。
ただ一度の例外は猫ではなく、飼っていた鳥を亡くした時のことでした。
それは亡くなった父が、私が小学4年生の時に買ってきたアオボウシインコです。
大型のインコ類は30年40年と生きますが、ポッポと名付けられたそのアオボウシインコは35年間、我が家で生きました。
共にいた年月の長さが別れの悲しみを深くしたのではありません。
一羽の鳥としての生涯の無残さが、私をどうしようもない申し訳なさで一杯にしたのでした。
ポッポは外国航路の船員だった私の父が南米に行った時に、露天で売られていたのを買ってきた鳥です。
人の手によって繁殖して得られた鳥ではなく、野生のインコを捕らえて売られていた鳥だったのです。
アオボウシインコは、現在では繁殖個体が大半だそうですが、当時は野生の個体ばかりだったのです。
ポッポだけではなくアオボウシインコの性格は、陽気で快活、活動的で遊び好き、賢くて、よく人馴れし、好奇心旺盛です。
それだけ聞けば、ペットとしては申し分ないと思われるかもしれません。
でも個人の家で飼うには大変なものがありました。
最初の十数年は遊び好きで活動的なポッポのために、庭に面した一畳の板の間に籠をつるして、夜以外は籠の外に出られるようにしていました。
年月が経つと家人も忙しくなり、昼間は家で一羽でいることが多くなりました。
人にあまり構われなくなると、退屈さからか淋しさからか、柱やら家具やら、しまいには電線まで、鋭い嘴で手あたり次第に齧り始めて、結局、籠の中に閉じ込めておくしかなくなりました。
もちろん、私はポッポの状態にいつも気を遣ってはいましたが、始終ついているわけにはいかなかったのです。
結果、ポッポは20年以上もの間、滅多に籠から出されることもなく、生きて死んだのです。
元は地球の裏側のアマゾンのジャングルで自由に飛び回っていた野生の鳥でした。
その子が日本にまで連れてこられ、仲間もいない場所で、あまり構われることもなく、20年以上も籠に閉じ込められたまま生きて死んだのです。
あんなに遊び好きで活発な子だったのに。
ポッポが死んだ時、私はそんな生涯を送らせてしまった申し訳なさに泣きました。
しばらくの間、私は夜になるとポッポのことを思い、一人で泣いていました。
もう野生の動物は二度と飼いたくないと思い、事実、飼ったことはありません。
珍しい野生動物を飼っていることを面白そうに映しているようなテレビ番組も見たくありません。
野生でいて、たとえ飼われている場合より短命になっても構いません。
その動物が、その動物らしく命を全うすること、それが一番大切だと思うのです。
だから家族同様のペットであっても、むやみやたらな延命治療はしたくないのです。
(家族に対しても、自分自身も、命の尊厳を踏みにじる延命治療は拒否です!)
当時の私は、いわゆるペットロスの状態でした。
ポッポに対する申し訳なさがそういう状態を引き起こしていたのだと思います。
ところで、現在「ハリーポッター」の影響でフクロウを飼うことがブームになってしまったそうです。
フクロウは大型インコよりはるかにペットとしてふさわしくない鳥です。
作者のJ・Kローリングはフクロウを登場させたことを後悔して、フクロウを飼うなどと考えないで、むしろ野生の鳥のためになることをしてほしいと訴えているそうです。
全くその通りだと思います。
これは2年前に淀川の河川敷で撮ったコミミズクの写真です。
もちろん野生です。
コミミズクは冬に越冬のために日本に北から渡ってくる渡り鳥です。
こんなフクロウがいつまでも日本で越冬できる環境を残してあげたいです。
未だ悲しみと後悔の思いは続いています。
49日が済むまではスズちゃんの魂は我が家の辺りにいると思いますので、時折、スズちゃんの魂に語り掛けて、スズちゃんがいてくれたことへの感謝を伝え冥福を祈っています。
どうやら私の状態はペットロス症候群と呼ばれるもののようです。
昔、何かで読んだことがあるのですが、ペットを失って形容できないような悲しみに襲われるのは、そのペットの死に後悔することがあるからだと。
それは何となく理解できることでした。
私は今まで何匹も猫を飼ってきて、何度もその死にざまを見てきました。
その都度、悲しい思いや寂しい思いは感じましたが、今回のスズちゃんの時ほどの深い悲しみを覚えたことはありません。
ただ一度の例外は猫ではなく、飼っていた鳥を亡くした時のことでした。
それは亡くなった父が、私が小学4年生の時に買ってきたアオボウシインコです。
大型のインコ類は30年40年と生きますが、ポッポと名付けられたそのアオボウシインコは35年間、我が家で生きました。
共にいた年月の長さが別れの悲しみを深くしたのではありません。
一羽の鳥としての生涯の無残さが、私をどうしようもない申し訳なさで一杯にしたのでした。
ポッポは外国航路の船員だった私の父が南米に行った時に、露天で売られていたのを買ってきた鳥です。
人の手によって繁殖して得られた鳥ではなく、野生のインコを捕らえて売られていた鳥だったのです。
アオボウシインコは、現在では繁殖個体が大半だそうですが、当時は野生の個体ばかりだったのです。
ポッポだけではなくアオボウシインコの性格は、陽気で快活、活動的で遊び好き、賢くて、よく人馴れし、好奇心旺盛です。
それだけ聞けば、ペットとしては申し分ないと思われるかもしれません。
でも個人の家で飼うには大変なものがありました。
最初の十数年は遊び好きで活動的なポッポのために、庭に面した一畳の板の間に籠をつるして、夜以外は籠の外に出られるようにしていました。
年月が経つと家人も忙しくなり、昼間は家で一羽でいることが多くなりました。
人にあまり構われなくなると、退屈さからか淋しさからか、柱やら家具やら、しまいには電線まで、鋭い嘴で手あたり次第に齧り始めて、結局、籠の中に閉じ込めておくしかなくなりました。
もちろん、私はポッポの状態にいつも気を遣ってはいましたが、始終ついているわけにはいかなかったのです。
結果、ポッポは20年以上もの間、滅多に籠から出されることもなく、生きて死んだのです。
元は地球の裏側のアマゾンのジャングルで自由に飛び回っていた野生の鳥でした。
その子が日本にまで連れてこられ、仲間もいない場所で、あまり構われることもなく、20年以上も籠に閉じ込められたまま生きて死んだのです。
あんなに遊び好きで活発な子だったのに。
ポッポが死んだ時、私はそんな生涯を送らせてしまった申し訳なさに泣きました。
しばらくの間、私は夜になるとポッポのことを思い、一人で泣いていました。
もう野生の動物は二度と飼いたくないと思い、事実、飼ったことはありません。
珍しい野生動物を飼っていることを面白そうに映しているようなテレビ番組も見たくありません。
野生でいて、たとえ飼われている場合より短命になっても構いません。
その動物が、その動物らしく命を全うすること、それが一番大切だと思うのです。
だから家族同様のペットであっても、むやみやたらな延命治療はしたくないのです。
(家族に対しても、自分自身も、命の尊厳を踏みにじる延命治療は拒否です!)
当時の私は、いわゆるペットロスの状態でした。
ポッポに対する申し訳なさがそういう状態を引き起こしていたのだと思います。
ところで、現在「ハリーポッター」の影響でフクロウを飼うことがブームになってしまったそうです。
フクロウは大型インコよりはるかにペットとしてふさわしくない鳥です。
作者のJ・Kローリングはフクロウを登場させたことを後悔して、フクロウを飼うなどと考えないで、むしろ野生の鳥のためになることをしてほしいと訴えているそうです。
全くその通りだと思います。
これは2年前に淀川の河川敷で撮ったコミミズクの写真です。
もちろん野生です。
コミミズクは冬に越冬のために日本に北から渡ってくる渡り鳥です。
こんなフクロウがいつまでも日本で越冬できる環境を残してあげたいです。
11年一緒に暮した 黒ラブでした
犬と人間の隔たりの無いように過ごしていましたから、3年くらいは 何となく涙を流したりしました
インコのポッポちゃんには 凄いドラマが あったのですね
アマゾンのジャングルから鳥かご
実家の裏山でミミズクが 鳴いているなんて 大人達は 言いましたが
見たことは ありません
淀川でこんな珍しい鳥に会えるのですね
スズちゃんのことは、無理に忘れようとせず、泣きたい時は
涙を流せば良いと思います
きっと黒ラブちゃんとの関係もそういうものだったと推察いたします。
だからこそ、絶対に裏切れないですね。
以前、東北の震災関連の番組を見ていて、若い男性が津波からの避難に際して、どうせ大したことではない(津波なんて来ない)と思い、愛犬を家に残して避難し、犬を死なせてしまったことを泣きながら話していました。
避難する時、犬が「どうして僕も連れて行ってくれないの」というような目で自分を見ていたってね。
辛い話です。
寝食を共にして来て、
いわば相棒の一人だったのですから。
コメントの方も言われているように、
泣きたいときは泣いてください。
鳥類と言う生き物はとても愛情深く、
パートナーと生涯を共にする種類もいるそうです。
だから卑屈であってもポッポちゃんは、
平均寿命を全うされたと思いましょ。
フクロウの顔、お面をかぶっているみたい!
それにしてもきれいに撮れています。
そうですよね~人知れず亡くなり静かに看取ったのじゃないので・・・気持ちわかります。
ポッポちゃんの出来事も・・・やはり生き物の最後は誰でも辛いですよね"(-""-)"
インコ20年とか生きるのでしょうか?知らなかったです。
コミミズクの鳥最初何ぃ?とマジマジ見ました、お面?🐓と珍しい🐓でした。
早く元気になってくださいね
でも人間と同じ、QOL(生活の質)が問われます。
20年以上も籠に閉じ込めず、たとえ短命でも自由にジャングルを飛ばせてあげたかったと思うのです。
感情豊かな鳥なので、一時の思い付きで飼えるものではなかったなと、しみじみ思います。
コミミズク、お面じゃなくて素顔です(笑)。
一応猛禽類で、生のネズミが主食だそうです。
30年40年はザラだそうです。
だから2世代、時には3世代で引き継いで飼うことになります。
可愛がって、40年飼っている人もいるようですが、40年先のことなんて、誰も考えられませんから無責任なことはできませんね。
コミミズク、お面じゃないです
フクロウの顔って、みんなユニークですね。
私も愛犬の死後経験しました。しかも母と2人で。
2年ほどいつものようにごはんちょうだ~いと現れるような気がしていました。
そして、あああの子はもういないんだと涙したのでした。
なんでもペットにしたがるのは人間のエゴですね。犬や猫は人間に寄り添うよう進化した動物ですが、野生動物はやはり自然とともに生きるのが幸せだと思います。
最近、あちこちにフクロウカフェが出現して、「ふれあい」をウリにしていますが、フクロウにとってはすごいストレスなのではないかと気になります。
辛い別れを経験すると、今現在の人や動物との縁をこれまで以上に大切にしようと思ってしまいます。
フクロウカフェ、困ったものだと思います。
結局、野生の個体を捕まえてきたものを買って、見世物にしているわけですから。
人間は罪が深いです。
自覚を欠いているのが一番始末に負えないです。
今思い出すと、可哀想な飼い方をしてしまった子達もいます。
当時は大人達も動物に対する扱いがザツでした。
動物を飼うことは素晴らしいことだけど、どう接するか大人達が子供達に教えてこそ、ですね。
野生の動物は論外だと思います。