介護のこととは少し離れて、当時の母の状態を記しておきます。
母の状態は命に関わるものではありませんでしたが、早急に眼と足の両方の治療(手術)が必要で、病院にとっても悩ましいものだったようです。眼科か整形外科か、どちらの病棟に入院させるべきかも決まらないからです。
母の担当になったケアマネージャーのNさんは、話し合いの結果、今後の母の生活の質を考えれば眼の治療を優先させた方が良いという結論になったと言ってきました。
今後、歩けなくなっても車椅子で何とかなる。でも目が見えないことはダメージが大きすぎると考えたみたいです。
ただ、私の見るところ、母は眼は痛くないのですが足は相当に痛そうでした。足の方を優先させるべきでは?と思いましたが、黙っていました。
案の定、眼の手術の後、うつぶせの姿勢を取らなければならなかったらしいのですが、付き添った兄によれば、骨折した足が痛んで、うつぶせになることが難しく、大変だったらしいのです。
結局、母は2ヶ月あまりの入院生活を送りました。
最初の病院を含めば、入院した病院は3か所。転院回数は4回でした。
眼の手術は2回受けましたが、視力は退院時点では回復せず、失明したままでした。
出血して固まり、膜状になった血液を手術で取り除いても、また新たに出血してしまうのだそうでした。
眼については、私は主治医と会ったこともなく、詳しい説明を受けたこともありません。
私自身、病院に行くのは夜か土日だったからかもしれないし、母は意識も頭もしっかりしていたので、自分で話を聞いて判断していたのかもしれません。
ただ、今思い出すと、主治医は家族から逃げていたかなとも思います。
ずっと以前から眼の治療を継続的に受けていながら、結局、大規模な両目の眼底出血を引き起こしてしまったからです。
足の骨折の手術(人工股関節置換術)の方は1回だけで、とてもうまくいきました。
通常、人工股関節置換術が行われても、必ずしもうまくいかないらしいのですが、母は痛みもなく、元通りにはならなかったにしろ何とか歩けるようになりましたし、通常は無理になってしまう正座さへできるようになったのです。もちろんリハビリも行って、その成果もあったようです。
眼科の主治医と異なり、整形外科の主治医とは何度かあって面談し、詳しい説明も受けました。
ただ、整形外科の主治医からは、ちょっと忘れられないことを言われました。
曰く「1年後にお母さんが生きていると思わないように」
私が、母の様子から、とてもそんなふうには考えられないと言おうとしても、医師は私の言葉を強い調子で遮って、1年以内にもう一方の足も骨折してまた入院する、あれこれ合併症が出てきて、そして「死ぬんやー!」と断定されてしまったのです。
確かに、骨折がきっかけになって亡くなる方もいることは私も知っていました。
勤め先の80代の会長が、医師が言ったような経過を経て亡くなったのを数年前に見ていたからです。
でも会長は、亡くなる数十年前から医師の指示で毎日牛乳1本飲んでいた骨の脆い人でした。
そんな人と一緒な筈はなかったのです。
事実、母はその後7年生きていました。その間、家の中で何度か転倒しましたが骨折することはありませんでした。
医師があれほど強い調子で1年以内に死ぬと言ったのは何故だったのか。統計的にか、経験上からか。
一つ考えられるのは母が骨折した理由です。母は玄関の上り口から落ちて骨折したのです。
若い医師だったので、昔の住宅の玄関の上り口の高さを知らず、落下ではなく、転倒による骨折と勘違いしたのかもしれないということでした。
いずれにしても専門家である医師の言葉は、私には重かったです。
母は、医者から「1年後には死んでいる」というお墨付き?を貰って退院したのです。
母の状態は命に関わるものではありませんでしたが、早急に眼と足の両方の治療(手術)が必要で、病院にとっても悩ましいものだったようです。眼科か整形外科か、どちらの病棟に入院させるべきかも決まらないからです。
母の担当になったケアマネージャーのNさんは、話し合いの結果、今後の母の生活の質を考えれば眼の治療を優先させた方が良いという結論になったと言ってきました。
今後、歩けなくなっても車椅子で何とかなる。でも目が見えないことはダメージが大きすぎると考えたみたいです。
ただ、私の見るところ、母は眼は痛くないのですが足は相当に痛そうでした。足の方を優先させるべきでは?と思いましたが、黙っていました。
案の定、眼の手術の後、うつぶせの姿勢を取らなければならなかったらしいのですが、付き添った兄によれば、骨折した足が痛んで、うつぶせになることが難しく、大変だったらしいのです。
結局、母は2ヶ月あまりの入院生活を送りました。
最初の病院を含めば、入院した病院は3か所。転院回数は4回でした。
眼の手術は2回受けましたが、視力は退院時点では回復せず、失明したままでした。
出血して固まり、膜状になった血液を手術で取り除いても、また新たに出血してしまうのだそうでした。
眼については、私は主治医と会ったこともなく、詳しい説明を受けたこともありません。
私自身、病院に行くのは夜か土日だったからかもしれないし、母は意識も頭もしっかりしていたので、自分で話を聞いて判断していたのかもしれません。
ただ、今思い出すと、主治医は家族から逃げていたかなとも思います。
ずっと以前から眼の治療を継続的に受けていながら、結局、大規模な両目の眼底出血を引き起こしてしまったからです。
足の骨折の手術(人工股関節置換術)の方は1回だけで、とてもうまくいきました。
通常、人工股関節置換術が行われても、必ずしもうまくいかないらしいのですが、母は痛みもなく、元通りにはならなかったにしろ何とか歩けるようになりましたし、通常は無理になってしまう正座さへできるようになったのです。もちろんリハビリも行って、その成果もあったようです。
眼科の主治医と異なり、整形外科の主治医とは何度かあって面談し、詳しい説明も受けました。
ただ、整形外科の主治医からは、ちょっと忘れられないことを言われました。
曰く「1年後にお母さんが生きていると思わないように」
私が、母の様子から、とてもそんなふうには考えられないと言おうとしても、医師は私の言葉を強い調子で遮って、1年以内にもう一方の足も骨折してまた入院する、あれこれ合併症が出てきて、そして「死ぬんやー!」と断定されてしまったのです。
確かに、骨折がきっかけになって亡くなる方もいることは私も知っていました。
勤め先の80代の会長が、医師が言ったような経過を経て亡くなったのを数年前に見ていたからです。
でも会長は、亡くなる数十年前から医師の指示で毎日牛乳1本飲んでいた骨の脆い人でした。
そんな人と一緒な筈はなかったのです。
事実、母はその後7年生きていました。その間、家の中で何度か転倒しましたが骨折することはありませんでした。
医師があれほど強い調子で1年以内に死ぬと言ったのは何故だったのか。統計的にか、経験上からか。
一つ考えられるのは母が骨折した理由です。母は玄関の上り口から落ちて骨折したのです。
若い医師だったので、昔の住宅の玄関の上り口の高さを知らず、落下ではなく、転倒による骨折と勘違いしたのかもしれないということでした。
いずれにしても専門家である医師の言葉は、私には重かったです。
母は、医者から「1年後には死んでいる」というお墨付き?を貰って退院したのです。
ずっとお世話になっている主治医的な先生 ?
その事故後からお世話になった医師なのですか
歳を重ねると、2重、3重の病気や、怪我の覚悟も
しておかねばならないのですね
お蔭さまで、未だ そんな医師の世話になったことは、
ありませんが・・・
姑の施設の担当医、いつも赤ら顔でこちらが、心配になります
30代の若い医師で、手術の腕は良かったのです。それだけでも良い医師でした。
後に本当に酷い、医師とも言えない医師にもお目にかかりました。
介護より、レベルの低い医師と向き合う方がしんどかったです。
私事ですが、4年前から眼科に通院しており、今月の眼圧が16と出ました。
最終的には医師を頼るしかないので、身につまされながら、拝読させて頂いています。
先日の検査では眼圧は14。
医師は11くらいには下げたいと言ってました。
キサラタンは目の周りが黒づみ、薬を変えてもらいました。
お互い、心配ですね。
医者の「一年後に…」はちょっと極端な言い方ですが、
高齢者が寝たきりになる原因は、圧倒的に骨折などによる入院です。
しばらく動かないでいるとあっという間に筋肉が落ち、
関節などは拘縮が始まります。
元に戻すには相当リハビリを頑張らないといけません。
そのため今ではベッド上で出来る足首回しなどのリハが
早い段階から行われていると思います。
バリアフリーで段差がなくても転ぶのが高齢者、
台所マット、ザブトンなども転ぶ原因になるので使わないほうがいいです。
お母様のためには玄関の改修をしておくべきでしたね。
手すりやスロープ設置など、それこそ介護保険のサービス内で
1割か2割負担でやってくれます。
うちも父が2年連続で入院を繰り返した時には
それだけでもショックなのに、医師とのやりとりと
すでに認知症の症状が出ていた母への対応で疲労困憊しました。
だけど、え?と思うようなことを言われたり、
納得いかない対応をされても、
こちらは親を「人質」にとられているので
そういう判断もあるのだ、と自分を納得させるしかないこともありました。
みどりさんのエントリーをよんで、あたしだけじゃないのね、と
慰められています。。。
玄関からの落下は突然の失明でパニックになり、訳も分からず歩き回ったからなのです。
事故以前には介護認定も受けていませんでした。(受けても軽い要支援程度だったとは思います。)
仮に受けろと言っても受けなかったでしょう。ましてバリアフリーなんて絶対にしようとはしなかったでしょうね。
自分にとって不都合なこと。自分の病気や老いや弱さは認めない人だったのです。
眼底出血は糖尿病が原因でしたが、早いうちに娘の私がおかしいと気が付いて検査するように何度も言いましたが「私が糖尿の筈がない」と拒否。
別の病気でたまたま重い糖尿病だと分かったのですが、そのことを指摘した医者に無茶苦茶言ったらしく、医者は激怒して席を立ち、診察室に戻ってこなかったくらいです。
素直に人の言うことを聞かない人でしたので、結局、行きつく所まで行きつくしかなかったのだと思います。
バリアフリーは入院中にケアマネさんの指示でやりました。鬼のいない間に洗濯したわけです。
こちらは素人、相手は専門家。
とても良いお医者さんにも、もちろんたくさんいらっしゃるし、出会いもしました。
でも、とても納得できない判断をする医者には、困って病院内の相談室(大きな病院にはあります)に行って相談したこともありました。
この点に関してはケアマネさんも頼りにならなかったのです。
kebaさんも一人ならともかく、ご両親ともでしたら、落ち着くまで大変だったでしょうね。
うちの両親も以前は使い勝手の悪い古い家に住んでいたのですが、
父の鶴の一声でバリアフリーのマンションに移りました。
母は最初抵抗したようですけどね。
大事なのは介護が必要になる前に手を打つこと、
予防介護なのだと言っても、
お母様のような方ならそれすら難しいのでしょうね。残念です。
そんな気位の高い人がどうやって自分の老いや病気を
受け入れていかれたのでしょうか。
機会があれば書いていただければ
今後の参考にさせていただきたいと思います。
眼と足と、ダブルパンチのお母様はさぞかし辛かったことでしょう。
しかし、ガンでもあるまいし、一方的に余命宣告をする医者なんて人間性を疑います。
私も救急で運ばれた病院であまりにひどい医者に出会い、「あんたなんかに診てもらいたくない」と強引に退院しました。
家族が入院した場合、特に高齢者だと人質に取られているようで、なかなか強く言えないですよね。
糖尿病は血管がもろくなるので怖いですね。中途失明の20%弱は糖尿病網膜症と言われているようです。
私の母は糖尿病ではありませんが眼底出血を起こしました。
父は低血圧でしたが、右目が網膜静脈閉塞症になり、視野欠損がありました。
ですので、私は年に一度、眼科検診を受けるようにしています。