最近、ちょっと鬱です。
例の小室さんへのバッシング、あの手の記事や映像を見る度に気分が悪くなります。
最初に書いておきます。
小室さん親子には人権など認めなくても良いと考えている人は、私のブログは読んでいただかなくて結構です。
小学校の教科書にも書いてあるように、人権は誰にでもあるものです。
自分の嫌いな人、気に食わない人の人権は認めたくないという人は、人権の何たるかを分かっていない人ですので、そういう人とのみ、お付き合いして下さい。
眞子様が複雑性PTSDを発症されているとか。
そりゃあ、他人の私でも鬱っぽくなるのだから当事者であればその心労は計り知れません。
小室さんや、母親の佳代さんの心身の状態も心配です。
実は正直、最初に婚約の報道があった時、私はちょっとシニカルな思いで見ていました。
いかにもご祝儀報道でしたから。
そんな私でも、その後の小室さん親子への常軌を逸したバッシングには目をそむけたくなる思いでした。
週刊誌やワイドショーの報道の真偽のほどは知る由もないですが、相手が誰であっても長期間にわたって執拗にプラバシーをさらし続けたり、その上で執拗な人格攻撃を加えることは人権問題以前の、人間の品性の問題です。
とりわけ小室さんの父親の自殺の報道は、差別的、非人間的で心痛むものがありました。
というのも、見出しを読んだだけでも、そういう家庭の子供として小室さんの人格を否定し、攻撃しているとしか思えないものだったからです。
親を初め、家族を自殺でなくしている人は、小室さんだけでなく実は多いのです。
子供の頃にそういう形で家族を亡くすこと自体、大きなトラウマとなるでしょうが、そういう家庭に生まれ育った人間だからといって人格を悪く捉えること、しかも全国紙に大きな見出しで公表して否定することは、それ自体、攻撃する側の人間性を疑うに十分です。
仮に小室さんの人格についてのネガティブな報道がすべて真実であったとしても、そうしたバッシングに加担して満足する人間は、自分がイメージして攻撃している小室さん親子と50歩100歩であり、目糞が鼻糞を笑っている類の話です。
ここでお断りしておくと、私はよく言われる「火のない所に煙は立たぬ」、要するに「ここまで言われるのは何か問題があるからでしょ」といった、問題にされている人間は、問題があるから問題にされているのだ、問題のない人間はそもそも問題にされることはないという考え方にくみしません。
私の兄の話では、昔の中国では、自分の政敵や、存在してもらっては都合の悪い人間は、権力側はまずその人間を拘束し、適当に犯罪をでっちあげて尋問(拷問)するのだそうです。
その時の理屈が「お前は何もやっていないと言うが、それならなぜ、今ここでこんな尋問を受けているのだ。何もやっていないなら尋問されることもないではないか。さあ白状しろ」なんだそうです。
そして、取るに足らぬ些細な“罪”を見つけ出し、やはり罪人だったと世間に公表して闇に葬りさるのです。
これは昔の中国の話だけではないと思います。
日本でも同様のことはありました。
宮崎アニメの「風立ちぬ」でも、はっきり覚えていませんが、主人公が特高(特別高等警察)に追われて、それを上司がかくまいます。
主人公が自分には身に覚えがないことだから逃げ回らず堂々としていてもよいのではないかというようなことを言うと、上司が「身に覚えがないといって連行されて、戻ってこなかった人間がたくさんいた」と答えています。
これはアニメの中だけ話ではなく、戦前の特高がいかに多くの人を迫害したか、その事実を基に描かれています。
要するに、誰かが問題にされているからといってその人には問題があるという理屈は成り立たないのです。
そういう場合、第三者は、問題にされている人だけでなく、問題にしている人達もまた注視する必要がある筈です。
これは一般論ですが、バッシングがここまで常軌を逸しているのですから、小室さん親子の場合も同様な視点が必要でしょう。
メディアの無数とも言えるバッシングの中で、私がとりわけ驚いたのは、心理学者が、心理学の名の元に小室さんの人格をネガティブに論評したことです。
論評した内容が正しいかどうかは、ここではどうでもいいことです。
私は若い頃に市民団体で活動していて、その中に機関誌の編集の作業もありました。
その時に得た知見です。
心理学のような学問は特にそうなのですが、学問が特定の個人の人格を公に取り上げ、高みから論評してはならず、それを行うことは学者としてのモラルに反するということでした。
自分が携わる学問の権威を、特定の人を名指ししてその人の人格を貶めることに利用してはいけない、考えてみれば当たり前です。
編集のような立場ですと、特に難しいことをする必要はなく、滅多にないことながら、執筆者が無意識に、そして結果的に、特定の個人を上から目線で論じていることがないように注意するだけです。
しかし件の心理学者の場合、最初から、執筆の目的として、心理学という学問の権威を利用して、小室さんという個人を貶めていました。
ワイドショーのようなメディアが、個人を貶めて視聴率稼ぎをするのはよくある事かもしれませんが、学者が同様のことをすることが驚愕です。
最近では精神科医が、自分が診察したわけでもない眞子様の複雑性PTSDの診断に異議を唱えています。
そうやってバッシングの急先鋒であった週刊誌やワイドショーの報道の正当化にくみしているのです。
読者は、学者や精神科医という権威に騙されることなく、そうした学者や精神科医の行為が職業人としてのモラルに反していることを念頭に置いておくべきでしょう。
小室さんに対する批判に、疑惑とされている事柄についてちゃんと説明しろというのもあります。
この言葉、小室さんが釈明書を公表してからも言われています。
説明しろと言う人達は小室さんの文書を読んだのでしょうか。
本当に読んでいるのなら「説明しろ」という言葉は出てこない筈です。
私は読みましたが、丁寧に書かれていて、読みづらいとも思わず、一気に読める文書でした。(私は脚注まで読みました)
内容も十分に納得できるものでした。
宮内庁も納得したとのことです。⇒ここ
ですが、この文書に対するメディアの反応も奇怪なものでした。
さすがにその事を指摘している報道もあります。
リテラの「28枚文書は真っ当なのに…小室圭さんをとにかく糾弾したいワイドショーの事実歪曲とグロテスクな差別性」
あるいは一つの例として東国原英夫氏の奇怪な言説に触れたもの。
日刊ゲンダイの「小室圭さんの借金」東国原英夫氏のワイドショー発言はあまりに粗雑すぎる (成城大学教授・森暢平)
ワイドショーの呆れて開いた口が塞がらない論評として、小室さんはマザコンで母親との癒着が激しく、結婚すれば小室さんの母である姑から眞子様は守られないだろうというようなものまで。
あの文書からそういう言葉が出てくる脳内は、小姑色一色に染め上げられているとしか思えません。
いずれにしても、メディアは様々な嘘や詐術、論点のすり替えで、小室さんが何か悪い事をしているかのような事を言ったり書いたり(印象操作)しているのです。
あの小室さんの文書を読んで、あるいは読まないまま「説明しろ、説明しろ」と言っている人達は一体何を望んでいるのでしょうか。
小室さんにしても、眞子様にしても、立場上ほとんど反論できません。
それを良いことに、メディアは、一人の人間を、大勢で寄ってたかって人間サンドバッグにして楽しんでいるかのようです。
卑劣で残忍、見るに堪えない、醜悪極まりない光景です。
当事者の一人であった眞子様が病まれるのは当然です。
様々な人の文章を読んで、私にも分かってきたことはあります。
小室さんバッシングを是としている人達、何の痛痒も感じずむしろ楽しんでいる人達は、いわゆる小室さんの借金問題の真実など、もうどうでもいいことなのです。
そういうことができる理由は、彼らが小室さんが悪い人間だと確信しているからです。
その確信の根拠は何か。
それについて明言されたものはありません。
ただ胡散臭い人物だというのみです。
そこが厄介なところです。
ただ共通して読み取れるものはあります。
たとえば小室さんの家庭が経済的に恵まれていなかったにもかかわらず、小室さんが帰国子女など比較的裕福な家庭の子供が行くインターナショナルスクールや、大学は国際基督教大学(ICU)に行っていたこと。
それがどうしたと思いますが、そこから小室さんは悪い意味での上昇志向の強い野心家。
セレブ志向で身の程をわきまえない見栄っ張り、と見なされたようです。
眞子様との結婚も当然それ(野心の達成)が目的であるとも。
日本では、学校というものを教育機関というより一種のブランドとして見る人が多いので、そういう見方もできてしまうのかもしれません。
詮索好きな人が、近所の人が自分では買えないようなブランドもののバッグを持っているのを見て「あの人、ビンボーなのにあんなバッグを持って、おかしい」と妄想をたくましくするレベルの話です。
私はブランドには興味がなく、大学の序列といったようなものにも興味がありません。
それでもインターナショナルスクールも国際基督教大学も授業や講義は英語であり、教育方針も国際感覚を養うことが重視されていると聞いたことがあります。
そして小室さんの小学校時代の先生は、小室さんが小学校の卒業文集に将来海外で活躍する人になりたいと書いていたと語っていました。
そこから、私には小室さんが英語を帰国子女並みに身に付け、国際感覚を養いたかったからインターナショナルスクールや国際基督教大学に入学したと考えた方が自然なような気がします。
最近、小室さんについてのホントに共感できるブログの記事を見つけました。
「ぼっちライダーのひとり旅」というブログのこの記事「小室圭は何が悪いのか 嫉妬とネットリンチが大好き国民」です。⇒ココ
小室さんを叩く人の、叩く理由はここに尽くされていると思いました。
イジメを見ながら黙っている人(傍観者)は、イジメに加担しているのと同じだと言われています。
小室さんがどういう人なのか、私は会ったことがないですし、その人となりも知りません。
でも、小室さんがどういう人であれ、今起こっていることは異常なんです。
小室さんと眞子様の結婚について、世論が納得していないとか、国民が納得しないとか言われますがその世論の中に私の声は入っていませんし、その国民の中に私が含まれてもいません。
今回の記事は、こういう声もあるし、こういう国民もいるよと知って欲しかったからです。
気に入らないという人はコメントはいりません。
黙って去ってくださいますようお願い申し上げます。
例の小室さんへのバッシング、あの手の記事や映像を見る度に気分が悪くなります。
最初に書いておきます。
小室さん親子には人権など認めなくても良いと考えている人は、私のブログは読んでいただかなくて結構です。
小学校の教科書にも書いてあるように、人権は誰にでもあるものです。
自分の嫌いな人、気に食わない人の人権は認めたくないという人は、人権の何たるかを分かっていない人ですので、そういう人とのみ、お付き合いして下さい。
眞子様が複雑性PTSDを発症されているとか。
そりゃあ、他人の私でも鬱っぽくなるのだから当事者であればその心労は計り知れません。
小室さんや、母親の佳代さんの心身の状態も心配です。
実は正直、最初に婚約の報道があった時、私はちょっとシニカルな思いで見ていました。
いかにもご祝儀報道でしたから。
そんな私でも、その後の小室さん親子への常軌を逸したバッシングには目をそむけたくなる思いでした。
週刊誌やワイドショーの報道の真偽のほどは知る由もないですが、相手が誰であっても長期間にわたって執拗にプラバシーをさらし続けたり、その上で執拗な人格攻撃を加えることは人権問題以前の、人間の品性の問題です。
とりわけ小室さんの父親の自殺の報道は、差別的、非人間的で心痛むものがありました。
というのも、見出しを読んだだけでも、そういう家庭の子供として小室さんの人格を否定し、攻撃しているとしか思えないものだったからです。
親を初め、家族を自殺でなくしている人は、小室さんだけでなく実は多いのです。
子供の頃にそういう形で家族を亡くすこと自体、大きなトラウマとなるでしょうが、そういう家庭に生まれ育った人間だからといって人格を悪く捉えること、しかも全国紙に大きな見出しで公表して否定することは、それ自体、攻撃する側の人間性を疑うに十分です。
仮に小室さんの人格についてのネガティブな報道がすべて真実であったとしても、そうしたバッシングに加担して満足する人間は、自分がイメージして攻撃している小室さん親子と50歩100歩であり、目糞が鼻糞を笑っている類の話です。
ここでお断りしておくと、私はよく言われる「火のない所に煙は立たぬ」、要するに「ここまで言われるのは何か問題があるからでしょ」といった、問題にされている人間は、問題があるから問題にされているのだ、問題のない人間はそもそも問題にされることはないという考え方にくみしません。
私の兄の話では、昔の中国では、自分の政敵や、存在してもらっては都合の悪い人間は、権力側はまずその人間を拘束し、適当に犯罪をでっちあげて尋問(拷問)するのだそうです。
その時の理屈が「お前は何もやっていないと言うが、それならなぜ、今ここでこんな尋問を受けているのだ。何もやっていないなら尋問されることもないではないか。さあ白状しろ」なんだそうです。
そして、取るに足らぬ些細な“罪”を見つけ出し、やはり罪人だったと世間に公表して闇に葬りさるのです。
これは昔の中国の話だけではないと思います。
日本でも同様のことはありました。
宮崎アニメの「風立ちぬ」でも、はっきり覚えていませんが、主人公が特高(特別高等警察)に追われて、それを上司がかくまいます。
主人公が自分には身に覚えがないことだから逃げ回らず堂々としていてもよいのではないかというようなことを言うと、上司が「身に覚えがないといって連行されて、戻ってこなかった人間がたくさんいた」と答えています。
これはアニメの中だけ話ではなく、戦前の特高がいかに多くの人を迫害したか、その事実を基に描かれています。
要するに、誰かが問題にされているからといってその人には問題があるという理屈は成り立たないのです。
そういう場合、第三者は、問題にされている人だけでなく、問題にしている人達もまた注視する必要がある筈です。
これは一般論ですが、バッシングがここまで常軌を逸しているのですから、小室さん親子の場合も同様な視点が必要でしょう。
メディアの無数とも言えるバッシングの中で、私がとりわけ驚いたのは、心理学者が、心理学の名の元に小室さんの人格をネガティブに論評したことです。
論評した内容が正しいかどうかは、ここではどうでもいいことです。
私は若い頃に市民団体で活動していて、その中に機関誌の編集の作業もありました。
その時に得た知見です。
心理学のような学問は特にそうなのですが、学問が特定の個人の人格を公に取り上げ、高みから論評してはならず、それを行うことは学者としてのモラルに反するということでした。
自分が携わる学問の権威を、特定の人を名指ししてその人の人格を貶めることに利用してはいけない、考えてみれば当たり前です。
編集のような立場ですと、特に難しいことをする必要はなく、滅多にないことながら、執筆者が無意識に、そして結果的に、特定の個人を上から目線で論じていることがないように注意するだけです。
しかし件の心理学者の場合、最初から、執筆の目的として、心理学という学問の権威を利用して、小室さんという個人を貶めていました。
ワイドショーのようなメディアが、個人を貶めて視聴率稼ぎをするのはよくある事かもしれませんが、学者が同様のことをすることが驚愕です。
最近では精神科医が、自分が診察したわけでもない眞子様の複雑性PTSDの診断に異議を唱えています。
そうやってバッシングの急先鋒であった週刊誌やワイドショーの報道の正当化にくみしているのです。
読者は、学者や精神科医という権威に騙されることなく、そうした学者や精神科医の行為が職業人としてのモラルに反していることを念頭に置いておくべきでしょう。
小室さんに対する批判に、疑惑とされている事柄についてちゃんと説明しろというのもあります。
この言葉、小室さんが釈明書を公表してからも言われています。
説明しろと言う人達は小室さんの文書を読んだのでしょうか。
本当に読んでいるのなら「説明しろ」という言葉は出てこない筈です。
私は読みましたが、丁寧に書かれていて、読みづらいとも思わず、一気に読める文書でした。(私は脚注まで読みました)
内容も十分に納得できるものでした。
宮内庁も納得したとのことです。⇒ここ
ですが、この文書に対するメディアの反応も奇怪なものでした。
さすがにその事を指摘している報道もあります。
リテラの「28枚文書は真っ当なのに…小室圭さんをとにかく糾弾したいワイドショーの事実歪曲とグロテスクな差別性」
あるいは一つの例として東国原英夫氏の奇怪な言説に触れたもの。
日刊ゲンダイの「小室圭さんの借金」東国原英夫氏のワイドショー発言はあまりに粗雑すぎる (成城大学教授・森暢平)
ワイドショーの呆れて開いた口が塞がらない論評として、小室さんはマザコンで母親との癒着が激しく、結婚すれば小室さんの母である姑から眞子様は守られないだろうというようなものまで。
あの文書からそういう言葉が出てくる脳内は、小姑色一色に染め上げられているとしか思えません。
いずれにしても、メディアは様々な嘘や詐術、論点のすり替えで、小室さんが何か悪い事をしているかのような事を言ったり書いたり(印象操作)しているのです。
あの小室さんの文書を読んで、あるいは読まないまま「説明しろ、説明しろ」と言っている人達は一体何を望んでいるのでしょうか。
小室さんにしても、眞子様にしても、立場上ほとんど反論できません。
それを良いことに、メディアは、一人の人間を、大勢で寄ってたかって人間サンドバッグにして楽しんでいるかのようです。
卑劣で残忍、見るに堪えない、醜悪極まりない光景です。
当事者の一人であった眞子様が病まれるのは当然です。
様々な人の文章を読んで、私にも分かってきたことはあります。
小室さんバッシングを是としている人達、何の痛痒も感じずむしろ楽しんでいる人達は、いわゆる小室さんの借金問題の真実など、もうどうでもいいことなのです。
そういうことができる理由は、彼らが小室さんが悪い人間だと確信しているからです。
その確信の根拠は何か。
それについて明言されたものはありません。
ただ胡散臭い人物だというのみです。
そこが厄介なところです。
ただ共通して読み取れるものはあります。
たとえば小室さんの家庭が経済的に恵まれていなかったにもかかわらず、小室さんが帰国子女など比較的裕福な家庭の子供が行くインターナショナルスクールや、大学は国際基督教大学(ICU)に行っていたこと。
それがどうしたと思いますが、そこから小室さんは悪い意味での上昇志向の強い野心家。
セレブ志向で身の程をわきまえない見栄っ張り、と見なされたようです。
眞子様との結婚も当然それ(野心の達成)が目的であるとも。
日本では、学校というものを教育機関というより一種のブランドとして見る人が多いので、そういう見方もできてしまうのかもしれません。
詮索好きな人が、近所の人が自分では買えないようなブランドもののバッグを持っているのを見て「あの人、ビンボーなのにあんなバッグを持って、おかしい」と妄想をたくましくするレベルの話です。
私はブランドには興味がなく、大学の序列といったようなものにも興味がありません。
それでもインターナショナルスクールも国際基督教大学も授業や講義は英語であり、教育方針も国際感覚を養うことが重視されていると聞いたことがあります。
そして小室さんの小学校時代の先生は、小室さんが小学校の卒業文集に将来海外で活躍する人になりたいと書いていたと語っていました。
そこから、私には小室さんが英語を帰国子女並みに身に付け、国際感覚を養いたかったからインターナショナルスクールや国際基督教大学に入学したと考えた方が自然なような気がします。
最近、小室さんについてのホントに共感できるブログの記事を見つけました。
「ぼっちライダーのひとり旅」というブログのこの記事「小室圭は何が悪いのか 嫉妬とネットリンチが大好き国民」です。⇒ココ
小室さんを叩く人の、叩く理由はここに尽くされていると思いました。
イジメを見ながら黙っている人(傍観者)は、イジメに加担しているのと同じだと言われています。
小室さんがどういう人なのか、私は会ったことがないですし、その人となりも知りません。
でも、小室さんがどういう人であれ、今起こっていることは異常なんです。
小室さんと眞子様の結婚について、世論が納得していないとか、国民が納得しないとか言われますがその世論の中に私の声は入っていませんし、その国民の中に私が含まれてもいません。
今回の記事は、こういう声もあるし、こういう国民もいるよと知って欲しかったからです。
気に入らないという人はコメントはいりません。
黙って去ってくださいますようお願い申し上げます。