2011.02/27 (Sun)
またまた宮沢賢治の童話。
「虔十(けんじゅう)公園林」という短い話があります。
またまた宮沢賢治の童話。
「虔十(けんじゅう)公園林」という短い話があります。
頭が悪くて、字も満足に書けない。だから学校にも行けない。でも性格は良くって、おとうさん、おっかさんの言うことをよく聞き、ただの一度も口ごたえをしたことがない。言われた仕事を、もう良いと言うまで、いつまでもやっている。
風が吹けばうれしくなり、陽が射せば楽しくなって笑ってしまう。でも、それは変だと思われるから一所懸命、我慢している。
それでも口元が緩んでしまい、空を見上げてあくびをしているような振りをして口を開け笑ってしまうのをごまかしている。周りの子供はそれを馬鹿にする。
おとうさんもおっかさんも、兄さんもそんな虔十が不憫で、だからよけいにかわいい。
そんな虔十が野良仕事に出ている時、畑のはずれの日当たりの良くない土地に、杉の苗を植えたいと言い出した。これまで何一つねだることをしなかった虔十が、初めてそんなことを言った。
兄さんは驚いたし、うれしかったけれど、
「あの土地は、日当たりは良くないし、土だって粘土だから苗は育たない。他の土地にしたらどうだ」
と言うと、虔十はすっかりしょげ返ってしまった。
おとうさんが
「今まで一度も言わなかったことを言うんだから、買ってやれ」
と言う。買ってきた苗を植えてみると、杉の苗木は、縦横にきちんと隊列を組んだ兵隊みたいです。
お兄さんの言ったとおり苗は途中まではすくすくと伸びたけれども、粘土に当たったらしく急に生長が止まってしまった。
数年後。普通なら五、六メートルにもなるところ、まだ半分くらいしか伸びてない。
村人は、「やっぱり無理だな」と笑い合うが、中に枝打ちはしないのかと、からかう者がいた。虔十はそれを聞いて、今度はすっかり枝打ちをしてしまった。
枝打ちをしないと、良い木に育たない。でも、こんな土地の杉の木がうまく育つわけもない。
上の方、数本の枝だけ残して枝打ちされた杉の木の列は情けないくらいすっきりとして、でも、がらんとして何だか寂しそうになった。虔十も泣きそうになっていたけれど、兄さんから良かった良かった、と言われ、やっと安心する。
翌日、林の方からにぎやかな声がするので行ってみると、学校帰りの子供らが何十人も集まって、碁盤の目のようになった杉林の間を、通りに見立てて、行進ごっこをしている。それは、毎日繰り返されるようになり、杉林はすっかり子供の遊び場になったのです。
隣の意地の悪い百姓が、お前の杉のせいで畑に陽が当たらない。切ってしまえ、と言いに来た時も、嫌だと言い、殴られても決して切るとは言わなかった。
杉の木は相変わらず育たない。
そうこうするうちに、数年が経ち、隣の百姓は流行り病で死んでしまった。
虔十も同じ病気で、十日ほど後に死んでしまった。
十数年の後、すっかり年老いた両親が、虔十の植えた杉林を見ると、縦横、きちんと植えられた木々の間は、それぞれ道のようになって、そこへ小学校から相変わらず子供が遊びにやって来て、「~通り」と名前までつけて、いかにも楽しそうに行進ごっこをやっている。
或る年のこと、この小学校を卒業して今は偉い博士になった人が、講演のためにやって来た。講演の後、外に出てみるとあの杉林で、子供らが相変わらず行進ごっこをやっている。
「あの杉林はここの学校のものですか」
と聞くと、校長先生は
「いいえ、あそこの農家のものですが子供のすきにさせてくれているのです」
と答える。
「私も子供の頃、あそこで行進ごっこをしていたのだ。あそこには頭の弱い人がいて、いつもはあはあ笑っていた。ああ、全く誰が賢くてたれが賢くないのか分からない」とつぶやいた。
お話ですよ。ただの作り話ですよ。私利私欲でなく、ただ空き地に木を植えたかった。何も考えてはいなかった。他の人と同じように枝打ちをした。思っていた以上に寂しくなった。杉林はやっぱり育たなくって、三メートル余りしか伸びなかった。
本当に決して賢いとは思えない話です。そして偶然に子供の遊び場になってしまった。策も何もない、良かれと思ってしたわけでもない。子供が行進ごっこをしているだけの杉林。ただ、それだけです。
けれど、博士は間違いなく「自分は人の思いやりの中で、育ってきたんだな」と感じていたんでしょうね。本当に賢い(世の中のためになる)ということは、もしや、虔十みたいな生き方なのではないだろうか、と。
全く別の外国の話。
公園で、素足で走り回る子供らの中で、老人がしきりに何かを拾ってポケットの中に入れている。不審に思った警官が「一体さっきから何を拾っているのか、見せなさい」と問うと、「これですか」と出して見せたのは小石だった。「そんな筈はない。小石なんかでごまかさず、全部見せなさい。」
結局小石しか入ってない。
理由を聞くと、子供が怪我をするといけないから、と。
「あなたの孫でもいるのか」 と再び問うと、「いや、子供は無心に遊ぶのが仕事だ。怪我をさせないようにするのは大人の仕事ですよ」
この老人が有名な教育学者、ペスタロッチだった、という話。
虔十と、何かしら重なって見えます。
風が吹けばうれしくなり、陽が射せば楽しくなって笑ってしまう。でも、それは変だと思われるから一所懸命、我慢している。
それでも口元が緩んでしまい、空を見上げてあくびをしているような振りをして口を開け笑ってしまうのをごまかしている。周りの子供はそれを馬鹿にする。
おとうさんもおっかさんも、兄さんもそんな虔十が不憫で、だからよけいにかわいい。
そんな虔十が野良仕事に出ている時、畑のはずれの日当たりの良くない土地に、杉の苗を植えたいと言い出した。これまで何一つねだることをしなかった虔十が、初めてそんなことを言った。
兄さんは驚いたし、うれしかったけれど、
「あの土地は、日当たりは良くないし、土だって粘土だから苗は育たない。他の土地にしたらどうだ」
と言うと、虔十はすっかりしょげ返ってしまった。
おとうさんが
「今まで一度も言わなかったことを言うんだから、買ってやれ」
と言う。買ってきた苗を植えてみると、杉の苗木は、縦横にきちんと隊列を組んだ兵隊みたいです。
お兄さんの言ったとおり苗は途中まではすくすくと伸びたけれども、粘土に当たったらしく急に生長が止まってしまった。
数年後。普通なら五、六メートルにもなるところ、まだ半分くらいしか伸びてない。
村人は、「やっぱり無理だな」と笑い合うが、中に枝打ちはしないのかと、からかう者がいた。虔十はそれを聞いて、今度はすっかり枝打ちをしてしまった。
枝打ちをしないと、良い木に育たない。でも、こんな土地の杉の木がうまく育つわけもない。
上の方、数本の枝だけ残して枝打ちされた杉の木の列は情けないくらいすっきりとして、でも、がらんとして何だか寂しそうになった。虔十も泣きそうになっていたけれど、兄さんから良かった良かった、と言われ、やっと安心する。
翌日、林の方からにぎやかな声がするので行ってみると、学校帰りの子供らが何十人も集まって、碁盤の目のようになった杉林の間を、通りに見立てて、行進ごっこをしている。それは、毎日繰り返されるようになり、杉林はすっかり子供の遊び場になったのです。
隣の意地の悪い百姓が、お前の杉のせいで畑に陽が当たらない。切ってしまえ、と言いに来た時も、嫌だと言い、殴られても決して切るとは言わなかった。
杉の木は相変わらず育たない。
そうこうするうちに、数年が経ち、隣の百姓は流行り病で死んでしまった。
虔十も同じ病気で、十日ほど後に死んでしまった。
十数年の後、すっかり年老いた両親が、虔十の植えた杉林を見ると、縦横、きちんと植えられた木々の間は、それぞれ道のようになって、そこへ小学校から相変わらず子供が遊びにやって来て、「~通り」と名前までつけて、いかにも楽しそうに行進ごっこをやっている。
或る年のこと、この小学校を卒業して今は偉い博士になった人が、講演のためにやって来た。講演の後、外に出てみるとあの杉林で、子供らが相変わらず行進ごっこをやっている。
「あの杉林はここの学校のものですか」
と聞くと、校長先生は
「いいえ、あそこの農家のものですが子供のすきにさせてくれているのです」
と答える。
「私も子供の頃、あそこで行進ごっこをしていたのだ。あそこには頭の弱い人がいて、いつもはあはあ笑っていた。ああ、全く誰が賢くてたれが賢くないのか分からない」とつぶやいた。
お話ですよ。ただの作り話ですよ。私利私欲でなく、ただ空き地に木を植えたかった。何も考えてはいなかった。他の人と同じように枝打ちをした。思っていた以上に寂しくなった。杉林はやっぱり育たなくって、三メートル余りしか伸びなかった。
本当に決して賢いとは思えない話です。そして偶然に子供の遊び場になってしまった。策も何もない、良かれと思ってしたわけでもない。子供が行進ごっこをしているだけの杉林。ただ、それだけです。
けれど、博士は間違いなく「自分は人の思いやりの中で、育ってきたんだな」と感じていたんでしょうね。本当に賢い(世の中のためになる)ということは、もしや、虔十みたいな生き方なのではないだろうか、と。
全く別の外国の話。
公園で、素足で走り回る子供らの中で、老人がしきりに何かを拾ってポケットの中に入れている。不審に思った警官が「一体さっきから何を拾っているのか、見せなさい」と問うと、「これですか」と出して見せたのは小石だった。「そんな筈はない。小石なんかでごまかさず、全部見せなさい。」
結局小石しか入ってない。
理由を聞くと、子供が怪我をするといけないから、と。
「あなたの孫でもいるのか」 と再び問うと、「いや、子供は無心に遊ぶのが仕事だ。怪我をさせないようにするのは大人の仕事ですよ」
この老人が有名な教育学者、ペスタロッチだった、という話。
虔十と、何かしら重なって見えます。