CubとSRと

ただの日記

やってしまった

2019年08月31日 | バイク 車 ツーリング
 コペンに乗り始めて4年目。今日、とうとうやってしまった。
 道路の縁石にフロントホイールを擦りつけてしまった。
 「ガガガッ」という音がして、クルマと石が酷い軋轢を起こしているらしい衝撃があって、
 「しまった!」
 、と思った時にはもう遅い。
 交通量の少ない道路だって慌てて降りると危ないから、少し先に行って停め、絶望の気分で音がした辺りを見に行く。
 
 左前輪のホイールに派手な引っ掻き傷が入っている。
 幸い、車体には擦れたらしい形跡はないし、縁石に寄せた時だったから左前輪だけ、だったが少々以上に気落ちした。
 郵便局でお金を引き出そうと思い、近くの路上に停めようとしたのだが、ショックでそんな気はなくなった。
 傷心のまま次の目的である、洗車に行く。
 洗車機で洗いながら(正確には洗われながら)車内でため息をつき、洗車が終わって移動し、拭き上げながら真新しい傷跡を見て、また「はあ~っ」と、しょ気返る。
 でも、「覆水盆に返らず」(?)、溜息ついたって傷は消えない。諦めるしかない。
 いっそホイール、換えてやろうかしらん。一個だけだとしたらいくらだろう。
 それよりも、あのちょっと高級そうなホイールに換えてやろうか。で、残りの3本はネットで売ってしまう。
 ・・・・・なんてセコイことを考えた。
 が、考えて見りゃ、コペンを買って、結構傷付けている。それぞれ弁解し始めればキリがないけれど。
 「悪いのはオレじゃない!あの場所が、あの凸凹が、あんなところに闇に紛れた忍者みたいに内緒で立っている鉄柱が悪い!」
 一部が迫り出すような形になった石垣に、開けたドアの縁を当ててしまった。
 (コペンのドアは思った以上に大きい。)
 そんなところにある筈のない斜面に、コンクリートブロックが斜めに突き出していて乗り上げ、亀の子状態に。
 駐車場から左折で出たら、歩道と車道の段差が大きく、加えてしっかりとつくられてあった角の縁石に内輪差で車体下部を擦ったり。
 バック駐車で死角に在った細い鉄柱にぶつけたり。この時は修理に十万近くかかっている。
 (街中でリアに大きな縦の折り込み線を付けているクルマがいるけど、これでやっと理由がわかった)
 ん?こうやって挙げてみると5回も6回もやってるじゃないか。
 「とうとうやってしまった」どころか「またやってしまった」。いやいや、「性懲りもなく」、か。
 それとも「どんだけぇ~」、「免許返納しろ!」か?
 これは折々に見直し、胆を嘗める気分を残しておいた方が良いか。直せばすぐに忘れてしまうんだから。
 もしかしたら街中を走っているぶつけた跡がそのままのクルマは、それを見ることで自戒に努めているのかも・・・・。「良薬は口に苦し」、だから。
 ・・・んなこたぁない、か。
 



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五日目

2019年08月27日 | 日々の暮らし
 8月27日(火)
 今朝、4時に寝て7時に起きる。
 昨日(月)は朝食後、改めて昼まで寝ていたから、晩になってもなかなか眠れなかった。
 それで数日分の日記を書いた後、零時を回って風呂に入る。
 風呂を出て、1時頃からグズグズしていた。
 そうこうするうちに4時になってしまう。
 このまま起きていようかとも思ったのだが、それをやると今日一日がグズグズになる。
 今日はパンを買いに行くつもりだった。
 が、予報では10時頃から雨。
 それでも
 「8時頃家を出て、開店すぐに買って帰れば、雨には遭わずに済むのだが、さてどうしたものか」。
 ・・・なんてことを考えているうちに9時になってしまった。これは、もう駄目だ。
 実際に雨が降り始めたのは、午後1時少し前。
 うまくいかない時はこんなもの。明日の朝はご飯を炊けばいい。

 姉が23日(金)に他界して、翌24日(土)に田舎に戻って通夜。
 25日(日)の葬式の後、前日と同じく6時間ほどかけて神戸に戻ったのが、午後11時前。
 一夜明けて。昨日は夕方礼服をクリーニングに出しただけ。
 この4日間、随分長かったように思う。
 いや、長いというより、ずっと前のことだったように思う。
 七月の初めから、雨の日以外は続けていた、病院までのカブでの往復60キロ。
 もうする必要がなくなった。
 口喧しい姉がいなくなったから、自堕落な生活をしたって小言を言って来る肉親はもう誰もいない。
 独り暮らしの自由気儘な生活に、ずかずかと踏み込んで来る者がいないのはスッキリして良いが、妙な空白感がある。我ながら何とも身勝手な奴だと思う。
 義兄の悲しむ様子を見ていると、姉弟なんて今生だけのもの、夫婦は二世、心までもつながっているんだろうなあ、と思う。
 不思議なくらい涙は出てこなかった。
 ただ単に薄情なだけかもしれない。


 
 

 
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ウクライナは

2019年08月22日 | 重箱の隅
 転載だけ。
 ~~~~~~~~
メルマガ「週刊正論」          令和元年8月22日号
【靖国神社で交わされたウクライナ人国際政治学者と東京新聞記者との会話】
 月刊「正論」8月号で「ウクライナ人から日本人への警鐘 私たち『平和ボケ』でした」と題する鼎談を行った国際政治学者グレンコ・アンドリーさん(31)は8月15日、東京・九段北の靖国神社を参拝しました。その時、境内で東京新聞記者の取材を受けた模様を、自身のフェイスブックに書いています。以下が全文です。
      ◇
先日の8月15日に、私は靖国神社に参拝した時に、東京新聞(よりにもよって)の記者がやって来て、いくつかの質問をしました。私は拒否せずに答えることにしました。最初は英語で話しかけられたが、日本語が話せるのを見て、日本語に変わりました。最初はどこの出身かとか、日本が長いのかとか、日本で何をしているのか、日本に興味を持ったきっかけなど、当たり障りのない質問から始まりました。その後、段々何故今日ここにいるのかとか、本題に近づきました。
私は、英霊に敬意を表す為に来たと答えたら、今度は「日本の政治家が来ると問題になることがある」という質問が来て、それに対して私は「国家のために戦った方々を祭るのは当たり前のことだから批判する勢力があっても構うべきではない」と答えました。
その次は、流石左翼新聞というべきか、「戦争に強制的に行かされた人もいて、遺族はここに祭られるのを嫌がるという人もいますが、それについてはどう思いますか」とずるい質問が来ました。少し困りました。確かに、日本兵は全員自分の意思で戦場に行った訳ではありません。なので、私は少し考えて、こう答えました。
「戦争という、国家存亡がかかっている究極な状態では、平時のように人を自由にさせる余裕がない。それは日本に限った話ではなく、当時の参戦国は皆、国民を戦争に動員していたので、日本が異常なことをしていた訳ではない。従って動員された方々と自分の意思で行った方々を同様に祭るべきだ」と。
名前も教えたので、是非実名で回答を新聞に載せて欲しいところですが、載せないでしょうね…
         ◇
実際には、16日付東京新聞をみると、「こちら特報部 創立150年 8・15靖国ルポ」の中に、「靖国参拝は30回以上」というアンドリ―さんのコメントが以下のように掲載されています。
「私がここに来るのは日本に対する尊敬の表れ。同胞のために犠牲になった人たちに敬いたい」
もちろん、アンドリーさんがフェイスブックに書いたようなやりとりは載っていませんでした。
「正論」での鼎談で、アンドリーさんはクリミア半島がロシアに併合されたウクライナについて「思考的に日本の左翼と同じで、どの国に対しても脅威でなければ争いに巻き込まれないと当時、ウクライナの国会議員たちは考えていましたし、国民の大多数もそういう意識だったと思います」と述べています。そのうえで、ウクライナの経験から日本に対し次のようなアドバイスをしています。
「日本国憲法前文には『平和を愛する諸国民』とありますが、日本の周囲を見渡すと平和を愛する諸国民が絶妙にそろっているといえます(一同笑)。前文からして全面的に変える必要がありますし、今の九条など論外で、せめて九条二項は削除する必要があります。それが前提で、政府はどうすればよいかというと、形(憲法)と中身(軍事力)の双方が大事で、憲法という形を変えただけでは中身は変わりません」
グレンコ・アンドリーさんは1987年、ウクライナの首都キエフ生まれ。キエフ国立大学日本語専攻卒業。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程指導認定退学。著書に『プーチン幻想』(PHP新書)、『ウクライナ人だから気づいた日本の危機』(育鵬社)があります。

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笑顔で夏を

2019年08月20日 | 日々の暮らし
8月3日の日記より
 3時半、病院を出る。
 とにかく連日の猛暑だから、病院までの往復だけで体力を消耗する。他のことが何もできない。
 というより先の見えない闘病の毎日で、何もする気になれない。
 勿論、闘病しているのは自分ではないのだけれど、却って何もできないもどかしさから他のことに手をつけられない。
 精神的に何もできないのは言うまでもないけど、それよりもはるかに低次元な話、いつ電話がかかって来るか分からないから、数時間、家を留守にすることもできない。これが意外にストレスになる。
 早朝ツーリングとか、早朝ドライブとか、野菜の買い出しに道の駅まで行く、とか。
 「理想だけじゃ生きていけないんだよ!」とか「そんなガキみたいな青臭いことを言ってんじゃねえよ」なんて陳腐なセリフだけれど、言い返せない物理的な圧力がある。
 けど、一番暑い時間帯に家に居ないで、大汗流しながら炎天下の道路を走っている、というのはそれなりに気が張って良いともいえる。実に不謹慎な捉え方、ではある。
 帰り掛け、数十年来通っている喫茶店の閉店まで三十分あるから、寄ってコーヒーを、と思ったのだが、既に閉まっていた。
 店主の体調が悪いのか。それとも暑過ぎて客足も途絶えたので、早仕舞いをしたのか。
 後者であれば良いのだが。
 明日も同じ時間くらいに通るだろうから、明日は寄ってみよう。
 5時前に帰宅。
 明日の仕事に、と思っていた虎刈り状態の庭が気になり、取り敢えず落ち葉を集めてごみ袋に入れたら一袋余り。
 どうも中途半端だから、とごみ袋を新しく出して、草刈り鎌も出して、結局四袋がいっぱいになる。
 週明けの収集日に(台風が来る前に)出してしまえば、庭も真夏を迎えられる。
 ちゃんと刈っておけば、以前みたいに足長バチの巣を、知らず刈り取って手の甲を刺され、テニスボールみたいに腫れ上がる、なんてことはなくなる。
 (あの時はバイクに乗るのにグローブをしようとしたら、指しか入らず、ハンドル自体、握れなかった)
 明朝、もう少し片付けたら、ごみ袋6つくらいにはなりそうな気配。

 何も手に付かない。何となく手をつけられなくて無駄に時間が過ぎてしまう。
 そう言っていたら何か変化があるか、というとそんなものじゃない。 
 夏休みの終わり、「宿題がたまっている。どうしよう」と言ってたって、やらなければ片付きゃしない。
 「する気になれないから」と言っているだけ、なのも同じ。
 渋々動き出す?それは疲れる。
 じゃ、やっぱり「ハッと言った、ハッと」だけれど、「ハッ」という気力もない。
 どうする?
 気負わず、動き出せばいいんじゃないか、今日の草刈りみたいに。
 
 

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鈍足台風

2019年08月15日 | 日々の暮らし
 8月13日(火)
 鈍足の台風が来る。超大型らしい。
 まともに来たら日本列島のほとんどが強風圏に入り、半分くらいが暴風圏に入る。
 下手すると、関空の橋がはずれそうになったり、トラックが風で吹き飛ばされたり、滑走路が水没したりする・・・かもしれない。
 まともに来なくても似たようなもので、とにかく鈍足で、雨も風も強くて超大型で、と眉間にしわ寄せて「大変だ、大変だ」「命を守る行動を」と繰り返しニュースで連呼されると、何だか絶望的な気分になる。
 日本全国の家という家が風で吹き飛ばされる。そこまで行かずとも浸水して使えなくなって、みんな路頭に迷って、自衛隊が救出に来ようと思っても、これだけの大災害だ、てんで人員が足りなくって、それに加えて「自衛隊は憲法違反だから、来るな!」と騒ぎ立てる団体がいて・・・・・、なんてことはない(・・と思う)。
 大きな台風であろうが、小さかろうが、足が速かろうが遅かろうが、どうしたって来るものは来る。
 被害もどこかで起こる。
 だからと言って「諦めろ」なんて言ってるんじゃない。
 諦めないで、できるだけの準備をする。
 そうして、過ぎ去れば「ああ良かった」、「何とか生き延びることができた」、「この程度で済んだ」「さあ、後始末!」とやせ我慢して、強がりを言う。そうやって自身を鼓舞する。
 ・・・・と書いて、今日、8月15日(木)がやって来た。
 風ばかりが強かったけど、昼を数時間過ぎて、横殴りの強雨が東から南側の窓を叩きつけている。
 兵庫県は日付が変わる頃に、雨風共に勢力が弱まって来て、明日午前中には通り過ぎるらしい。
 昨日、今日、と行けなかった病院へ、明日は行けそうだ。
 
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