CubとSRと

ただの日記

「侮る」と「決め付け」

2020年05月31日 | 心の持ち様
2010.11/10 (Wed)

 昨晩は、酔った勢いで日記を書き始め、どうにもまとまらず、そのまま更新しました。
 今朝になってみても、はて、何を言おうとしているのか、よく分からない。

 いや、「侮る」ということについて、なんですよ、書きたかったことは。
 そして、それが、「謙虚さ」と対峙しているものだ、とも思う。
 師範代の話を引き合いに出したのだって、酔いから醒めた今でも、そんなにはずれたことではない、と感じている。
 ただ、言いたいことは言えてない。
 何故なんだろう、と何回か見直していて、やっと気がつきました。
 師範代の最後の一言が、分かりにくかったんだ。

 あの言葉は、私がまとめたものであって、あの通りに言われたわけではありません。
 あのまとめ方が間違っていたから、何だか違う方向に向かい、終われなくなってしまっていた。

 師範代は、常々こう言われていました。
 「身体が大きくても、腕力だけで打つから、力が出ない。打つ時に腰が入れば良いのだが、力がある者は力に頼るから、上半身に力が入って上半身だけで打っている。それでは身体が活かせてない」

 「昨日のまとめと、どこが違うんだ?」と思われるでしょう?
 大して違わない。
 
 けど、昨日は、「まとめ」、だけど、今日は「そのまま」なんです。
 つまり、昨日のは、私の浅薄な知識で以って、師範代の言葉をまとめた。「侮り」、です。これじゃ、先は、ない。

 「謙虚」に聞いたつもりでも、「まとめ」る時点で、レベルの低い(精度の低い)定規を遣うわけですから、「傲慢」であり、「侮っている」。

 これは、色々なところに思いもよらない形で埋設されている罠、です。

 また、ややこしいことになりそうなので。

 (蛇足ですが。私は身体も大きくないし、力も強くない。それが、身体を活かせてない、と来ている。)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「侮る」

2020年05月31日 | 日々の暮らし
2010.11/10 (Wed)

 短い話を一つ。

 私がよく教えてもらった師範代の話。
 免許皆伝となる時、どこから聞いたのか、テレビの取材依頼があったのだそうです。
 師範代が、五十代半ば近くになった頃です。

 「何でも滅多に出ない免許皆伝で、次は順調にいっても、三十年くらい先になるだろうからと聞いたものですから。是非に」
 と、頼み込まれ、そこまで言われるのなら、と承諾した。

 滅多にないから、と言われても、当人はうれしい「皆伝」だけれども、取り立てて変わったことをするわけでなし、普通にテレビ局は取材をし、皆伝式も普通に終わる。
 
 そんなだから、いくらもせぬうちに、忘れかける間もなく、放送日が来た。
 
 「さすがにプロだな。なかなか上手く撮っている。武術の経験なんかないだろうになあ」、と思いながら見ているうちに、番組は終わってしまった。

 そして、翌日。当然、仕事があるから、会社に行く。
 すると、上司が
 「あんた、テレビに出とらんかったか」と聞く。
 さては、あれを見られたか、と思いながら、
 「え?知りませんよ。似た人じゃないですか」と応えると、
 「そうかなあ、よく似てたから、あんただと思ったんだが」
 「他人の空似でしょう」
 「でも、○○、と名前が出ていた」

 ばれてた訳です。
 ただ、そこから、です。

 「あんたが、剣術なんかをしとる、とはなあ。全く分からんかった。いつからやっとったのか」
 「中学生の時から、です」
 「いやあ、分からんものだなあ。そんなそぶりを見せたこと、一度もなかったじゃないか。全く分からなかった」

 ここからは、私に向けて、です。
 「いかにも、剣術をやっています、というのじゃ駄目だ。ごく普通の生活を普通にやって、誰にも気づかれないのも、稽古だ。」

 実際、その師範代は、線も細く背も百五十半ばくらいだったでしょうか。
 どこをどう見たって、そんな、剣術なんかをやっているようには見えない。
 ましてや、免許皆伝などと言ったって誰も信じないでしょう。
 さすがに、木刀を持った時や、何かの拍子にぐっと見据える目には力がありましたが、いつもは、あくまでも温和な普通の「おじさん」でした。

 よく言われたこと。
 「大きな身体をしていても、腕力があっても、それを活かさないと意味がない。身体が小さくっても細くても、身体を活かして打てばいい。それだけのことだ。」

 この頃、こんなことを思います。
 「相手を侮ると負けることがある。相手が侮ると勝機ができる。」

 「刀を抜き、中段に構へ、『敵もこれを持ち来るよ』と思ひて、ひたと見るべし」
 やっぱり、「謙虚さ」と「ひたむきさ」で、みんな纏まってしまうようです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「没頭する(皿洗いでも何でもやってpart2)

2020年05月31日 | 心の持ち様
 では、続きです。というより今回が本題なんですけどね。

2010.11/05 (Fri)

 施術後、すぐに姉に対して「(時間)どれくらいかかった?」と聞いたんだそうです。
 「一時間十五分」と聞き、「予定より長くかかったんだな」と応えたということですが、全く記憶にありません。
 二週間以上が過ぎても、思い出せません。

 「まあ、あの時はしょうがない。麻酔が効いていたんだから。」
 そう思うのですが、とにかく施術室に入る前から、終わって二時半、痛みで目が覚めるまで、何も覚えていない。
 それもしょうがない。麻酔が効いていたんだ。
 
 翌日、パジャマを買いに、一階の売店まで行ったことを、退院時には記憶違いを起こし、二日後だと思い込んでいた。
 それも、しょうがない。まだ、麻酔が効いていたんだ、と強弁。
 以降も、何度か記憶違いを指摘される。
 それもしょうがない。麻酔の後遺症だ。

 頑張って横車を押していたが、どうもこれ以上は無理のようです。
 よって、作戦を変えることにした。

 「入院ボケが定着したらしい。」
 証拠は色々ある。が、何よりもの証拠は「日記が書けない」ということでしょう。前回書いたように、退院以来、たった二回しか書いてない。
 それだけではない。話がちっともまとまらない。誤魔化そうといくら頑張ったって、それこそ「話にならない。」
 昨日のにしたって、我乍ら「何を書いてんだ?」と呆れてしまうばかり。

 それで、今度は、これではいけない、何とかしよう、と思ってみた。(ん?変な言い回し)
 齢は取ってみるものだ。狡さも身につくし、誤魔化すことも上手になる。 
 勿論その分、未練たらしくもなる。早い話が「往生際が悪くなる」。
 けど、この「未練がましさ」というのが何より大事だ。レアアース以上だ。勿論、人造ダイヤを凌ぐS官房長官(別名柳腰官房長官)の得意技だ。
 昨日書いたのが、なぜ「何、書いてんだ?」となったのか。それを明らかにすれば良い。

 昨日も、まず、自分のことを書いた。
 調子に乗って、あれだけ日記を書いたり、本を読んだりできたのは、全てのことを周囲の人が、代わってやってくれたからだった。
 おかげで何の気兼ねもなく、自由に遣える時間が、できたからだった。
 「自分一人で出来ていることなんて、ほとんどない。周囲の支えあってこそ」と、実感した。これが前半だ。

 そこで今度は、「自由に遣える時間」つながりで、「皿洗いでも何でもして」稽古をする話が、頭に浮かんだのだ。私にとっては、必然の成り行きだった、と言える。
 でも、本当はそうじゃなかった。
 「目的のために時間をつくる」のと、「偶然、豊富な時間を与えられて、その時間を目的のために使う」のとは、それこそ「天と地の差がある。」

 言うまでもない。私の「豊富な時間」は、思いがけないもの、「棚からぼたもち」、「果報は寝て待て」、だ。「真っ赤ーサー 棚の達磨も 赤面し」、だ。
 対して、「目的のために時間をつくる」のは、当然、言葉通りの「目的意識」がある。「時間は与えられる」のでなく、「苦労して掴み取る」のだ。
 言い方を換えれば、思い通りの時間を手に入れるため、時間を売り飛ばし続けるのが、「皿洗い」なんだ、ということになる。
 「皿洗い」で手に入るのは、お金だけだ。そのお金で「修業のためのオランダ行き」という「思い通りの時間」を買い取る。

 つまり、私の場合には、「皿洗い」に該当するものがない。皿洗いなんかしなくったって、時間が降って来た。だから、「お金で時間を買い取る」達成感も初めっから、ない、ということになる。

 この時点で、二つの話に共通しているように見える「手に入った自由な時間」が、全く違ったもの(別物)であることがわかる。
 だったら、この話は、つなげようとすること自体、どだい無理な試みだったということになる。
 それぞれの「自由な時間」はレベルの差はあれ、それぞれの成果を残した。
 そして、それぞれ「周囲の支えがあってこそ」という共通点も持っている。
 しかし、「初め」も「成果」も、また共通点も酷似しているけれど、全く違ったものを、強引にくっつけようとしたのは、大失敗以外の何物でもなかった。これが、結論です。

 では、改めて書きます。未練がましく見えたら、それは思い違いです。
 「皿洗いでも何でもやって。」
 この意気は、やはり必要です。しかし、その仕組み、「とりあえず取り組むのは手段であって、目的であってはならない。」
 「皿洗い」は、金を手に入れるための手段です。自由な時間を買うための方便です。一生涯の仕事、目的ではない。(「世界一の皿洗い」をめざすという人は、その限りではありませんが)
 ですから、「確固とした揺るがない意志」を以って「皿洗い」をするのは個々人であり、国ではありません。

 ところで、我々日本人は、この「皿洗い」までも謙虚に取り組み、そこから何かを学び取ろうとします。それ自体は素晴らしいことです。それあってこそ、の「世界に冠たる日本人」です。
 でも、その謙虚さの故に、本来の目的を見失ってしまうことも、往々にして、あります。また、最近は謙虚さも持ち合わせていないかのように見える人も増えて来ているようです。
 
 「謙虚さ」を基として生まれるのが、「思い遣り」であり「優しさ」です。
 日本の文化の、広く深いことは、世界に知られるようになってきていますが、それを伝える日本人は、生まれながらにしてその文化を持っているわけではない、と度々書いて来ました。
 謙虚さを以って「何か」に没頭する。「その準備のため」に、皿洗いでも何でもする。

 入院して「『棚からぼた餅』の時間が」、なんてのは、やっぱり、あまり望むべきものじゃありません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「皿洗いでも何でもやって」

2020年05月31日 | 心の持ち様
 半年近い前に挙げた日記ですが、次の日記に係わってくるので再掲します。
 面倒でしょうがセットで読んでいただければ・・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・
2010.11/04 (Thu)

 徒然なるままに日がな一日を暮らし・・・・ているわけではありません。
 とは言え、退院して、既に二週間になります。
 日記を見直すと、入院中の二週間で、二十数回分書いていることになる。
 それが、退院して同じ二週間が経って、書いたのは僅かに二回。

 入院中は全てやって貰っていた。治療(は当たり前だけど)も、食事も、全ての世話は看護婦さんか、職員の方々がやってくれる。自分は本を読んだり、日記をつけたりしていればよい。
 それが、今月に入って、もう大丈夫だろうと、純粋に一人になった。
 父は、今の私が世話をやくのでは共倒れになるかも、ということで、ショートステイに行って貰っている。

 という訳で、好きなように寝て、好きなように起き、適当に何か作って食べ、少しずつ体力回復をはかる、といった生活が始まった。けれど、日記はちっとも書けない。

 何故なんだろう、と考えているうちに、ふと或る話を思い出しました。
 太気拳(太気至誠拳法)の澤井健一師範の話されたことです。(勿論、本で読んだだけです)
 日本で稽古を重ね、オランダに帰って道場を持ち、多くの門人を育てるまでになった相弟子と、自分の工夫を比べたくなった或る門人(その本の著者です)が、もう、矢も盾もたまらず、
 「自分もオランダに行って(自分の)力を試してみたい」
と言うと、澤井師範はこう問い掛けられたそうです。

 「その費用はどうするんだ?食費や、宿泊費はあるのか?」
 「向こうに行く旅費さえあれば、あちらで皿洗いでも何でもしてやっていきます。」
 すると師範はこう言われたそうです。
 「だったら、皿洗いのアルバイトは、こちらで半年でも一年でもやって、お金を貯めてから行きなさい。あちらには稽古に行きたいんだろう?皿洗いに行くんじゃないんだろう?着いたその日から宿や食事の心配をするか、稽古だけに専念できる様にするか。それは天と地ほどの差がある。」

 すぐにでも行きたいのは山々だけれど、師範の言われることも、よく分かる。
 それで一年間アルバイトをして、金を貯め、オランダに向った。
 相弟子の門弟たちは自分に対して、初めから「先生」として接してくれた。金銭面の余裕もあったので、稽古に没頭することができた。
 師範があの時言われた「天と地ほどの差がある」という一言はこういうことだったのか、と思った。



 オランダの、相弟子の門人から見れば、日本からやって来た「師匠の相弟子」が、アルバイトをしながら稽古をする、という姿は、どう映るか。そして、どう応対するか。想像に難くないところです。
 この弟子は金銭面での余裕をつくっていたお蔭で、一日中稽古に専念できた。
 それだけではない。そのために、自身が自然に師範として遇されることになり、知らず、指導者としての在り方まで学ぶ場を持つことができた、ということになります。
 単純に「急がばまわれ」という諺がありますが、こんなことを表わしたものでしょうか。
 この太気拳の修業者は、あくまでも稽古のためにオランダに行こうとした。師範はそのために大事なヒントをくれた。
 オランダの相弟子、相弟子の門人たちは、稽古の手助けをしてくれた。
 その師範、相弟子、相弟子の門人によって、稽古が出来たばかりではなく、副産物として、「指導者のあり方を学ぶ」という得がたい経験も出来た。

 熱情、情熱は大事ですが、「急がばまわれ」、です。
 なんて書くと、
 「何言ってんだ。以前は『はっと言った、はっと』だなんて書いてるじゃないか。ぶれてるぞ」
と、言われるかもしれません。確かに正反対のことを書いています。
 「急がば回れ」には「熱情」に対して「冷静になれ」という言葉が隠されています。熱情を持って、の話です。
 「はっと言った、はっと」には「熱情を以って事に当たれ」という言葉が隠されています。どちらも、「確固とした揺るがない意志」を重視しているのです。
 私の思わぬ副産物は、時間でした。この修業者の思わぬ副産物は、得難い貴重な体験でした。
 随分とレベルの違う話ですが、強引にでも、自分に引き寄せて見れば、学べる事は、もっとありそうです。
 「意志」は強く持つべきですが、「周囲の支え」あってこそ、活きてくるもののようです。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ・・・・では次の回へお進みください!
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「真っ赤~さ~」(10・18の日記)

2020年05月31日 | 重箱の隅
2010.10/27 (Wed)

 「正論」に、面白い句が書いてあった。

 「新憲法 棚の達磨も 赤面し」  素淮(すわい)

 名前のイニシャル、SYからの、俳号だそうです。
 棚からぼた餅、ならぬ、新憲法。自分ではなにもやっていない。
 さすがに達磨も赤面して、「真っ赤~さ~」

 マッカーサーから押し付けられた憲法、というわけですが、その中味は「真っ赤」、つまり、共産主義思想(マルクス主義)の持ち主が、大方をつくっている。
 それを、素淮(SY。吉田茂)氏は、十分に把握していた、ということなんだそうです。

 民主主義の憲法と言いますが、これは、占領下で、「独立国ではない日本」が、主権を主張できない中で、制定されたものです。
 「自主制定憲法」ではないから、本来は、講和条約により、独立国に復帰した時点で、失効していると言われます。

 とにかく、このGHQ ,構成員の大半がマルクス共産主義思想の持ち主であったことを、マッカーサーでさえしっかりとは把握できてなかった、と言われています。勿論、アメリカ政府も。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする