CubとSRと

ただの日記

「小学校の修学旅行はコメを一合持って行かねばならなかった」。これホント。

2024年03月31日 | 日々の暮らし
 産院の取り違え事故って本当に結構あったみたいですね。それをもとにしたテレビドラマなんかも何度か見たような記憶があります。
 そういうことにならぬよう足の裏にマジックで番号を書いたとか。
 「赤ちゃんのお肌はデリケート~」というようなCMも同じ時期に見たような気がするので、「マジックでなんか書いて大丈夫か?」と思ったことも。
 添い寝の件なんかは、「母親が添い寝していて寝返りを打ち、赤ん坊を窒息死させることがあるから危険なんだ」と。確かに。
 ただ、交通事故と一緒で、どんなに注意しても「魔の瞬間」というものがあると同じで、「だから車はなくすべき」は些か論理の飛躍が過ぎること、美術館の名画にペンキをぶっかけることや道路に座り込みをして交通妨害をするのと同じ。

 今思い出してみると色んなことで随分な思い違いが横行していたような気がします。それに加えて他者にその価値観を受け入れるよう強要する。
 ・・・・何だ、今も同じということか。

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 「パンばかり食べているとバカになる」は、本当だ。 (後半)

 この辺までは無知ながらどこかに善意は感じられるが、GHQの施策にはそうではない悪意から出たものも結構ある。

 クロフォード・サムスは日本人の頭にDDTをぶっかけた男だが、その次にやったのがマーガレット・サンガーと加藤シヅエを使った産児制限強制だった。
 フランクリン・ルーズベルトは「日本人は四つの島に閉じ込めて滅ぼせ」と遺言した。ポエニ戦役で敗れたカルタゴのようにと。
 それで「四つ」以外の台湾や朝鮮は没収。軍隊は解体させ交戦権も奪った。ローマがカルタゴに提示した降伏条約そのままだ。
 加えてこの産児制限で人口を減らし、滅びをより確実に早めさせた。
 実際、日本の人口はもう少しすると先の大戦前のそれを割り込むだろう。

 サムスはもう一つ仕掛けをした。日系米国人が祖国の窮乏を救うためにいわゆるララ物資を始めた。
 米政府もしょうがないから家畜飼料の脱脂粉乳を出したが、その際に始まった給食に便乗してきた。パン食の普及だ。 
 彼らは呼び水に約18万トンの小麦を供与し、見返りに「パンを中心とした給食」を法制化させた。
 山村明義『GHQの日本洗脳』によればマクバガン上院議員は「これで日本を将来にわたる小麦の大口買い入れ国に仕立てられた」と語っている。
 「コメを食うと頭が悪くなる」伝説が伝播されたのもこの時期。朝日新聞は「次代の子供たちまでコメ食につきあわせるな」(1964年)と米国からカネを貰ってパンの宣伝をした。

 かくてコメ離れは進んで2011年にはパンとコメの購入額が逆転している。
 小学1年の道徳教科書にあった「パン屋」の話を「和菓子屋」に変えたら検定をパスした。日本の伝統と文化はパンでは語れないという趣旨だ。
 それに朝日が嚙みついた。「パンには伝統も文化もないのか」と。
 そう。何もない。代わりに頭が悪くなるグルテンと年季の入った米国のズルさがどっさり入っている。
 コメの飯を食え。少しは歴史も見えてくる。

 (2017年4月27日号)


 
     新潮文庫 
 「変見自在 トランプ、ウソつかない」
        高山正之著 より
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「見える(他動詞)」と「見る(自動詞)」

2024年03月30日 | 心の持ち様
 昔、(私が中学生くらいだったから50年以上前)「赤ん坊は生まれてから一週間くらいはものが見えない」と言うのが定説だった。
 その理由は「赤ん坊は目を開けていても外界の物事に対して眼球を動かし、追いかけようとしないから」と説明された。
 「これは『赤ん坊はものが見えていない』という証拠である」

 以前にも書いたように、生まれた瞬間、外気の中に放り出された赤ん坊はびっくりして身体を縮めるが、次の瞬間には身体を縮めた時に吸い込んだ外気の冷たさにびっくりして外気を吐き出そうとする。その際の「泣き声」を産声と言う。
 この時には、まだ何が起こったか分からないからただひたすらに「びっくり(驚該)」だけで慌てふためいている。外気を吸ってびっくりし、泣き、息が切れてまた吸い、またびっくりして吐き出す。
 しばらくこれを繰り返す(しばらく泣く)うちに外気や呼吸時の空気の冷たさに慣れる。慣れてしまうと泣き止む。哺乳と睡眠で「初めてのびっくり」の壁を超える。

 「眼」は皮膚が感じた冷たさや初めての呼吸で驚いた時ほどの刺激は体験しない。だから、一週間ほどで眼球が色んな物事に興味を示し活発に動き回る(見る)ようになって、「あ、目が見えるようになったんだ」と周囲は判断する。
 実際はただ「見える」から、意図的に「見る」行動を取るようになった(学習した)だけで、そしてそれは身体に刺激をもたらすわけではないから、赤ん坊にとって特別大事なことではない(「驚該」の範囲外)。
 周囲の大人はそれを外見から判断するしかないから「あ、目が見えるようになったんだ」と判断をする。「見えて」は、いたのだ。「見よう」という意思は一週間近くかかって形成されたということだ。

 数日で身体の内外が外気に慣れた頃、「見える」外の景色を「見る」余裕が生まれる。生まれた瞬間から「感情」を身に着けるための学習は始まっているということであり、その結果が一週間後の「見る」という意思の形成になっている、ということになる。

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 「パンばかり食べているとバカになる」は、本当だ。

 日本敗戦の朝、米国人がどやどややってきた。
 今もそうだけれど彼らは日本人に比べてかなり知的レベルは低い。
 例えばGHQスタッフのレオン・ベッカーは、日本は米国に比べ遅れていて、だからまだ奴隷がいると頭から信じていた。
 彼はさんざ探して北海道の炭鉱をタコ部屋という名の奴隷工場とみなし、警察を使って「1万3000人の奴隷を解放した」(週刊新潮編集部『マッカーサーの日本』)。

 彼らは24時間働かされていた、立派な奴隷だったと彼は報告したが、当時は黒いダイヤのブームだった。昼夜三交代で夜も掘っていた。
 現にこのタコ部屋摘発のあとGHQは「石炭増産のために24時間操業をせよ」(同)と指令している。
 俄かに奴隷にされた炭鉱夫も吃驚(びっくり)しただろう。

 米国人はまた日本語の読み書きも文化が遅れた一因と見做した。
 だってアルファベット26文字の米国人の識字率はやっと60%台。日本人は1万以上の漢字に仮名とアルファベットも使っているから「日本人の85%は新聞が読めないだろう」(同)と推測した。
 「それが日本の民主化を遅らせている」「まずローマ字化し、ゆくゆくは英語化すべきだ」と。
 そんなバカな連中を諭すため文部省は昭和23年、子供から老人までを対象に全国規模の日本語読み書きテストを実施した。
 結果は識字率98%。担当したGHQ将校ジョン・ベルゼルが「識字率を攻めて米国人並みに改竄してくれないか」と日本側に哀願した話が残っている。

 米医学会も低レベルで新生児は「生後二年半は植物状態」と信じていた。
 だからGHQの医療担当官は早い時期から添い寝する母子を見て驚愕する。
 添い寝は危険で不潔だからとGHQは産院に母子分離を命じ、ために不幸な取り違え事故が何十件と起きた。
 母子添い寝が赤ん坊の情緒安定にいい影響があることを米国人が知るのは80年代にWHOが公認してからだ。

 (続く)
 
 
 
     新潮文庫 
 「変見自在 トランプ、ウソつかない」
        高山正之著 より 
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のんびりを装ってもうまくいかない

2024年03月29日 | 日々の暮らし
 3月16日(土)

 5時半から6時まで散歩。
 9時ではなく、8時に出られるように、朝食は7時。
 以前に行ったときは、期間の初日は11時半には売り切れて苦情が出たといったような話を聞いた。
 この日記に何度か書いた多可町の道の駅では、そういうことがたびたび起きるらしい。が、こういったものはなかなかその辺が読めない。
 それに加えて年に数回しかやらないというようなものには、口卑しい・・じゃない、食道楽?の人々が早くから焦点を合わせて狙っているから、閉店に間に合えば良いというものでもない。売り切れイコール実質閉店だから。

 ので、9時前には到着するよう、8時過ぎに出発した。
 9時10分前に到着。準備が始められたばかりだった。開店は10時だという。早過ぎた。
 「1時間もじっとして待つ、ってのもなあ~」「本、持ってくりゃ良かったなあ」、なんてことを思う。
 そして
 「持ってきてないんだもの。ないものねだりしたってどうにもならない」、なんてことも思う。

 丸テーブルに4脚ずつ椅子が置いてある。それが3組ほど並んでいる。
 勿論、買ったら早速そこで食べようとする人のためのものだから、開店前だ、誰も座ってない。一人座って待つことにした。

 空を眺めていた。
 本当にこんな長閑な良い天気の中でのんびり待つのに、文句を言ったり苛々してみたり。それじゃ面白くない。牡蠣フライが不味くなる。
 何より愛でるべきは、これ以上ない春の空。

 そうこうするうちにあと20分くらいになり、店の人が牡蠣飯のパックを積み上げ始めた。
 「もうすぐだな。予定より10分くらい早いか?」
 と思ったら、早速に買っていくおやじども。
 えっ?そんなのあり、か?

 先に注文して置いても良いのか、と聞いてみる。
 (勿論、「不満気な 物言いはせず 年の功」)
 お金を払ってゆっくり待つことにした。

 開店10分ほど前に注文して置いたものが揃ったので、受け取ってまっすぐ帰る。


 「しぼりたて」と書かれた冷用酒1合半の瓶、いつもの芋焼酎1合半と、でにこやかに夕食。
 
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牡蠣祭り

2024年03月28日 | 日々の暮らし
 3月16日(土)

 「三日に一度(中二日置いて)酒を飲んでも良いことにする」。

 そう決めてからどれくらいになるだろうと今調べてみたら、思った以上に続いている。どうも今年は5年目に入っているみたいだ。
 その我ながら驚いてしまう「三日に一度」の新習慣を、一日ずらして三日、間を空けるという離れ業!
 その原因となった道の駅での「牡蠣祭り」が、今日・明日と開かれる。

 あっさりと言ってしまえば待ちに待った牡蠣祭り。
 そのために酒を一日我慢した。なんて食いしん坊なんだ!

 田舎ではこういうやつを「口卑しい」と言った。そんな恥ずかしいことをするな、と叱られた。
 「そうだ!食い物のことを大の大人がああだこうだと恥ずかしい。自分はそんな大人にはならんぞ」と思っていた。
 しかし歳を取るにつれて、美味しいと言われるものを実際食べてみても「?」みたいなことがあったり、反対にあれだけ毛嫌いしていた苦手な食べ物が意外に美味しいと思い始めたり。
 想像の埒外というほど(これまでの価値観が崩壊するような)美味しいものはなく、逆に想像範囲の内に在った苦手だったものが、単なる食わず嫌いだったが故の決め付けでしかなかったことが段々に分かるようになってくる。

 大人になるまで牡蠣は食べたことがなかった。
 だから一度は食べてみたいと思ったり、わざわざ泊りがけで名産地まで食べに行ったりする旅行好きの話を聞いて「そこまでして食べるものか?」と急に白けたり。
 そんなだから本当に新鮮な牡蠣を食べたことがなかったのだろう。職に就いてから偶然に天然の岩牡蠣を食べる機会がなかったら、「別に無理して食べるほどのこともない」、と今も思っていたかもしれない。

 ・・・・なんてことを書いたが、些か大袈裟なような気もするし、反対に、もっと褒め称えても良いかもと思ったりもする。
 「蕎麦切り(笊そばで)」だって「板状にしてない天然の岩海苔」だって「養殖でない岩牡蠣」だって、職人や漁師の意気込みを想うことなく、こちらはただ「食べてる」だけだ。

 ん??何か端から妙な方向へ向かっているぞ?
 「食いしん坊」「口が卑しい爺さん」が「牡蠣フライと牡蠣飯」を買いに行く日記じゃなかったのか??
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清酒になる!(?)

2024年03月27日 | 日々の暮らし
 3月13日(水)

 散歩6時25分~6時55分。
 牡蠣フライや牡蠣飯を買うために一日繰り延べにした、「今日は酒を飲む日」。
 これで週末には道の駅まで肴にする予定の牡蠣フライを買いに行くことができる。

 と言うことで、今日の肴は近隣の店で調達。
 谷上のドラッグストア、北町の生協、ホームセンター(・・・には、食料はないが)。
 隣市の道の駅は勿論、ひよどり台にも行ってない。

 焼酎一合五勺は良いとして、濁り酒は一合で止めるべきだったか?

 
 3月14日(木)

 散歩はこれまでで一番遅い7時~7時35分。
 ただ、これはタイ記録ではあるが一番ではない。
 ん?自慢するようなことではない。今気が付いた。

 散歩以降は外出せず。一日家に居た。
 目が覚めたのが遅かったから、当然のことながらアルコールが残っている感じはあまりない。
 それに散歩に出たら、歩みを進めるにつれて体調が良くなっていくのが分かる。
 濁り酒の含有物が段々に沈殿していくような感じ、か。
 生酛辛口
 清酒「マ人間(?)」。

 晩はカレーライス大盛り。
 



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