CubとSRと

ただの日記

GB250 (前半)

2023年07月31日 | バイク 車 ツーリング
 GB250は良いバイク
           2019年02月14日

 ・・・なんて書いたけど、本当のところは何が良いのか分からない。
 何も知らないバイク初心者が、中型免許取って初めて選んで買ったバイクだ。
 だから、もう単純に「形がいい、カッコいいから『良いバイク』」というしかなかった。
 それって随分と強引な理由付けだ。「カッコいい」ってのは、ただ自分が思ってるだけなんだから。
 けど、それ以外言える知識も経験も、まだない。何しろ買ったばかりなんだ。
 でも、別に良いだろ?自分でお金出して、自分がカッコいいって思ってるんだから。
 (逆切れしてるみたいだけど。)
 重要なことは「自分がどう思っているか」。

 自分のバイクさえ分からないんだから、他人のバイクをとやかく言うなんてできる筈もない。だから、他人のバイクの悪口は言わない。
 ただ自分のバイクの方が一番良い、と心の中では思っている。あからさまに他人のクルマをぼろくそに言ったり、見下したりするより良いよね?
 掲示板なんかで他人のバイクをぼろくそに言ってる奴は、だからバイクに乗ってない奴だ。間違いない。
 
 前に書いた。
 GBは「形が良い。見た目のバランスというか、タイヤの大きさとタンクの形、シートの高さ、ハンドルの高さ、みんないい。横から見たシルエットが素敵だ。」「全体のバランスはやや几帳面な形だけど、均整がとれていていい」

 パワーとかトルク、操縦感覚、なんて全く分からない、原付に乗り始めて数週間の初心者。そいつが免許取ろうと教習を受けている最中に、当然カタログだけで「色々見比べて選んだ」わけだ。
 だからカタログの写真を眺めているだけで、パワーとかトルクなんて数字を見るだけ。ちっとも分からない。結局「見た目」で選ぶ。

 で、書いた通り。特にタンクの形が気に入った。
 だから、数年後、「カッコよさを追求(?)」して、タンクの形が変えられた時、唖然とした。
 自分の思ってたカッコよさは見事に消えていた。あのタンクの形が良かったのに!(別に買い替えるわけじゃないんだから。もうどうでも良いようなものだけど。でもファン心理は働くんだな)

 いざ買ってみて、いきなり「クルマに抜かされなくなった」、「煽られなくなった」ことには驚いた。頑張ってアクセル開けなくても、普通にクルマと同じ速さで走ることができる。
 本当に気に入らないところは、これも以前に書いた通り四角四面と言っても良いようなエンジンの形だけ。
 これだけバランスの良い、カッコいいバイクなのに、なんでエンジンがこんなにカクカクしてるんだ?石部金吉、というか融通が効かないというか・・・・。

 「GB250は良いバイク」
 本当に形は良いバイク。でも、エンジンはシルエットが面白くない。
 こんな状態で、GBとの付き合いが始まった。本当に第一印象の通りだった。
 下手くそだから上手く乗れないだけのことで、250のシングルシリンダーは全く不安に感じることがない。免許を取って3ヶ月。夏に戸隠や白馬の方まで行った。
 書いてなかったこと。見た目だけでは分からなかったこと。GBの不具合、じゃない、不都合な真実。
 この数泊掛けのツーリング時に初めて、「見た目」じゃない部分に気が付いたんだと思う。

 神戸を出て大津を抜け、名古屋から中津川を通って19号線、木曽街道を北上する。山間(やまあい)、と言うべきか、それとも谷間(たにあい)と言うべきか、能く分からない、眼前に高い山が連なる川沿いの道を淡々と走る。
 離れている筈なのに、空気が澄んでいるせいか山々が間近に見える。
 山は間近に見えるのに、その稜線は遥か高いところにある。

 高校生の時、修学旅行で、大学では合宿で、それぞれ一度来たことがある。長野に来たのは、それ以来だ。
 「そうだ、長野は景色の距離感がおかしくなるんだった」
 遠くのものが近くに見え、近くのものに重なって見える。突然、これを思い出した。
 単気筒エンジンの振動と、ちょっと冷たい谷間の空気を感じながら、忘れていた大事なことを思い出したようで、鳥肌が立った。そしてニヤついてしまう。全く、今、自分は間違いなく旅をしている。
 バイクのおかげ?いや、バイクは自立も自走もできない。好きで乗っているからこそ走ってくれる。

 「不都合な真実」は、この後。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 迷ってばかり
        2019年02月15日

 GB250に乗り始めて3ヶ月。初めての長距離ツーリング。
 ここまで、通勤で通る道にとどまらず、休日はほぼ毎日、色々なところへ行った。
 30年余り前のことだ、バイク用ナビは勿論、スマホだってないから頼れるのはツーリングマップルのみ。
 すぐにタンクバッグを買って、目的地に向けての頁を開いてバッグの上部に入れ、いつでも見られるようにする。けれど、道を走る初心者。標識と地図の表記がなかなか重ならない。初心者ほど走りながら地図を見ようなんて怠けたことをする。危険なことこの上ない。

 まず、国道と県道の「標識の形状」の違いからして、意識して見たことがなかった。だから標識に書かれている線番だけを見て進路を決める。
 似たような線番が続いている、と安心して進んでいたら、全く違う方向だったと分かり、大苦戦してUターン、なんてことは数え切れない。
 国道の標識は盾みたいな形だが、県道の方は六角形を寝かせたような形をしている。でも、同じ青色の地に白抜きの文字だ。

 慌てている時は形より中に書かれた線番の方に目が惹き付けられる。
 「私はだ~れ?」「どっちがホントかな?」みたいな顔で突然、道路端に現れる。
 「え?え~っと。もう分岐点?もっと先じゃなかったかな」
 、と思っているうちに通り過ぎるから、足元や後続車を気にしながら安全そうなところでバイクを停めて、やっとのことで地図を見る。もう目印がどこだったのか分からなくなっている。紙袋被せられた猫が、何かに当たってフリーズしてしまっているのと同じだ。
 原付からだってまだ半年ほどの初心者、余裕綽々でその辺のことを簡単にこなし、おもむろに判断を下し、華麗にUターンを決めて正しい方向へ・・・・。
 無理無理。

 毎回、ツーリングに出るたび、あっちで道に迷い、こっちでどちらに曲がるか決めかね、という、本当に「逍遥」ではない「彷徨」を繰り返していた。
 で、それがまた面白くて(負け惜しみ、じゃないよ)。
 何をしてるのか分からない、「ただ楽しい」だけ、「疲れる」だけ、のツーリングの泥沼にハマっていく。
 変態的性向がある?どM?
 それとはちょっと違うと思うんだけど。
 
 そうだ!「不都合な真実」について書くんだった。


 (後半へ)




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心積もり

2023年07月30日 | バイク 車 ツーリング
 バイク生活が始まる
          2018年12月29日

 中型免許を取り、GB250を手に入れてからというもの、毎日の通勤が楽しくてたまらない。少しでも多い距離を走りたい。少しでも多い時間、バイクに乗っていたい。
 峠越えの道は十数キロと距離が短い。ダム湖のほとりを通る大回りの道はその約二倍。できれば毎日こっちを通りたい。何より、もう怖い思いをしなくて済む。
 実際は朝寝坊のせいで、仕方なし殆んど峠越えの道だったんだけど。
 勿論、帰りは大回り。

 一ヶ月弱で免許を取る、と目算していたのだが、未だに納得できない邪魔(介入?)により、現実に免許を手に入れたのは一ヶ月弱どころか一ヶ月半も後の事だった。
 それでもその間に(途中で挫折したとはいえ)泊りがけのツーリングにも出かけた。
 「取り敢えずは通勤のために原付免許を取ろう!」から始まったことが、半年もせぬうちに、考えもしなかった、昔っからの「思いついたらじっとしておれない」性分に火を点けた。

 免許を取って初めての夏。
 以前から思っていた信州ツーリングを計画した。
 信州は高校の修学旅行で木曽・上高地・白樺湖・車山・川中島辺りに行ったことは覚えている。けど、基本、酔い止め薬のせいでバスの中では寝ていたし、あのバスの車輛毎の旗に引率されて歩き回った修学旅行だ、特にどうこうはない。
 バイクに乗り始めたころはバイクブームだったわけだが、多くのライダーの旅の目的地は北海道・・・・ではなくて信州だった。
 関西のライダーにとって、北海道は憧れの地。信州よりワンランク上。
 北海道はフェリーで行かなくちゃならない。
 鉄道で、というのはまだ始まったばかり。
 飛行機にバイクを載せて、という方法も始まったが、言うまでもなくバカ高い。
 「船よりも早く!飛行機よりも安く!」
 というのがバイク寝台急行「日本海」(通称「モトトレール」)のキャッチコピー。

 信州に関しては、夏になるとバイク雑誌は信州特集が定番。読者投稿記事も多く、その投稿記事の余りの面白さに遂にはそれを集めた
 「信州はまだか!」という本が作られたくらいだ。

 だから「信州に行こう!」
 遅れて来た通勤ライダーは、信州を目指すライダーの一人となった。
 そして、奈良・名古屋・木曽を経由して、信州戸隠へ。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 次は何を
        2019年02月13日

 グダグダな日記でも、毎日書いていると同じようなところに目が向いてしまったり、同じようなことを書いてしまったりする。
 自身、追い詰められているような、強迫観念みたいなものに囚われているような気になる。(勝手に自分で自分を追い詰めているだけなのだが。)
 たかが日記、それも一人か二人しか訪れる者のない日記に、何を責任感じてるんだ?と思う時もある。
 けど、これ、リハビリ日記だから。ボケていく自分に対しては責任を感じなきゃ。「自分のことだ、何とかしなきゃ」と悪戦苦闘する責任は、ある。

 今、「どうしても毎日書かなければ」、と自分に課している。
 「内容はともかく」、という但し書き付きだからいい加減なものだけれど。
 第一、本人にしてみれば、内容は元々自慢できるようなものじゃないんだから、この但し書き、全く「保険」にはなってないんだけど。
 そんなだから、書き終えたら数時間後には「次は何を書きゃいいんだ?」と追われ始める。

 「書くことが見つからない」。
 こんな時に、初めの一歩はどんな大言壮語をしたのか、どこまで大仰に考えて始めたのか、を見直す。
 経験がないから本当のところは分からないけど、自分に子供ができた時、親となる二人は
 「どんな名前をつけようか。賢くなってほしい。優しい子になって。注目を浴びる名前が良い。カッコいい名前」
 等々、いろんな思いから最高の名前を付けようと苦心惨憺する。
 ブログの名前も同じで、その名前には色々な思い入れ(思い込み?)があってつけるのが普通だろう。だからその名前を見れば、管理者のブログ開設の意図は大体わかる。
 「あんまり大袈裟な肩肘張ったような名前だったら、誰も気軽に見に来てくれないだろうから」と、とっつきやすい名前を付ける場合もある。
 それもまた「だからその名前を見れば、管理者のブログ開設の意図は大体わかる」。
 

 ところで、このブログは前のブログと違って、分かったようで分からない名前にした。
 けど、名前は変わったとしても、書いている奴は同じだ。
 だから実は「終わらなければ終わらないよ(by少女終末旅行)」。
 ここには前のブログ「繋ぎたる舩に棹差す心地して」の考え方が、どうしたって、途切れず「在る」。
 「cubとSRと」。
 繋がれた船に乗って棹を差し、進もうとしたって水面を辷り出すことはできない。
 だから「もやい綱を解け」。
 けど、その前にまずは
 「じっとしていられない。棹を差そう、行動を起こそう」
 、という、じたばたする気持ちを持とうじゃないか。
 そういうつもりで題名にした。その延長線上の「cubとSRと」。
 「cubとSR」、ではない。「cubとSRと」。その他のバイクとジイさんも加わって、じたばたし続ける。これがこの日記の目論見。

 有限の命だからゆっくりしているヒマはない。
 だからと言って、素早く適切に少々無理をしてでもやっていく、というような体力(肉体、神経共に)は、ない。

 と言うわけで(?)、次回はGB250クラブマンのことを。
 
 ・




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文句言うだけじゃ解決しない。走らなきゃ

2023年07月29日 | バイク 車 ツーリング
 楽しい
     2018年12月26日

 バイクが面白いものだと思ったのは、原付講習会の受講を終えた頃だった。
 そこから先は石見人(いわみじん)の逆上(のぼ)せ性の故か、それともあの「熱しやすく冷めやすい」性格のためか、もう坂道を転がり落ちるようにバイクにハマった。

 何しろバイクは坂道に限らず、平坦な道でも上り坂でもかまわず転がる。それに乗ってる者のテンションは上がるけど身体的な疲労はない。
 テンションが上がった分、神経は疲れるからよく眠れるし、ほどほどの振動のおかげで腹が減る。
 よく食べてよく寝るし、それなりの運動になっているからか、体重はやや減少気味で身体の調子も良くなる。
 早く乗りたいから早く目が覚める。休みの日などは5時前には起きていて、もうじっとしていられない。
 当然、6時頃には出る準備が終了している。

 その頃、西村由紀江がブームになっていて、朝の番組を持っていた。彼女の曲を聴きながら、「今日はどこまで行こう」と毎週思っていた。
 「明日は折角の日曜日だ。なら、今晩はちょっと羽目を外して飲もう」
 「今日は折角の日曜日だ。なら、昼前から酒を飲んだっていいだろう」
 そして昼過ぎから、うたた寝をして、目が覚めたら既に三時前。
 そういう生活をしていたのが百八十度方向転換。
 「酒は夜まで飲まない。飲んだらバイクに乗れなくなる」

 それ以外にも大きな変化があった。
 何しろ通勤で乗るのだ、行きも帰りも。
 仕事を終えて片づけをして「やれやれ。さて帰るか」だったのが、まずバイクに乗る準備をしなきゃならない。
 クルマのキーを指先でくるくる回しながらと言うのとはわけが違う。
 (昔のことです、スマートキーはなかった・・・と思う)
 「鍵」は家の出入りの時だけだったのに、今度は違う鍵を出す。
 ライディングジャケットを着て、ブーツをはいて、ヘルメットをかぶりストラップを留め、グローブをしてバイクにまたがる。

 「やれやれ。さて帰るか」
 こんなセリフは浮かばない。
 「右良し、左良し!エンジン良し。出発!」
 指差し声出し確認こそしないけれど、何となくバスに乗り、電車に乗って行き来していた時と違って「『自分の意志で』『バイクで』移動する」、というのを乗るたびに意識するようになった。
 仕事上のことで落ち込むことがあっても、自棄酒やギャンブルで憂さ晴らしをする気にならない。
 バイクに乗れば気分は昂揚する。
 「ぶっ飛ばし」たり、「盗んだバイクで走りだ」すことは、あの世への一本道をひた走ることにしかならない。
 こんなに面白いものを、そう易々と手放してたまるか。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 原付き泊りがけツーリング
             2018年12月27日

 「・・・・なんてするものじゃない」
 、と、身も蓋もないことを言っちゃあ先に進めない。
 原付NS50Fで泊りがけのツーリングに行ったのは、原付免許を手に入れてから一ヶ月余り後のこと。
 一泊目は予約を入れ、二泊目は適当に決めるつもりで宿を出て、一時間ほどで白バイに捕まった、ということは以前に書いた。
 腹が立つやら血の気が引いてやる気が失せるやら、で、二泊目を中止して帰ってしまったことも一緒に書いた(と思う)。

 白バイの警官というのは妙に愛想が良い。高飛車に言われたら「売り言葉に買い言葉」状態になるからなんだろうけど。
 妙にやさしい口調で
 「はい、ここ見て下さい。何キロになってます?」
 と問う。
 「~キロです」
 「原付だから~キロオーバーです。危ないですよ。私が居るの、見えませんでした?」
 見えてたら飛ばすわけがない。信号が青になって、クルマから離れなきゃ、と思っての40キロ少々。
 「クルマが近いので、取り敢えず抜かしやすいようにと思って」
 「そうですよねぇ。原付じゃ怖いですよね。私も普段は原付に乗ってるんですが、こわいから買い物に行くくらいしか乗らないんですよ。中型くらいでないとねぇ~。免許、取ってくださいよ」
 「今、通ってます」
 「そうですか。じゃあ、免許取って安心して走ってください」

 朝一番の良い気分が台無し。けど、非は一方的にこちらにある。
 全くやる気がなくなってぐずぐずぐずぐず後悔し続けながら、ともすれば40キロを超しそうになるのを制御してトロトロ走る。ストレスばかりになる。
 もしかしたら走ってる後ろ姿に「ブツブツ」「ぶつぶつ」ってマンガみたいな吹き出しが見えたかもしれない。見る人が見れば見えたろう。
 免許証を持って出るのを忘れてバイクに乗ってた人が、途中で不意に免許証がないことに気付く。途端、不思議なことに免許証の提示を求められる。
 挙動がおかしくなるので、何となく分かるんだそうだ。

 「ぶつぶつ」がずっと続き、「え~い、もうやめ!今日は帰る!」となって、日付が変わる寸前までかかって家に辿にり着いたわけだが。
 「ぶつぶつ」言ってても何も良い結果は得られなかった。
 諦めて、ツーリングを投げ出した結果。夜中の真っ暗な道を走り続けるなら良いけれど、結構、対向車がいる。ヘッドライトが眩しい。辺りが一瞬見えなくなる。国道の癖に路面が変形して畝のようになっている。しょっちゅうタイヤを取られ、ハンドルが暴れてヒヤッとさせられる。
 揚げ句に雨まで降ってくる。ヘルメットのシールドが雨粒に覆われ、そこにクルマのヘッドライトが乱反射する。何も見えない。しょうがないからシールドを上げ、眼鏡を外して走る。

 「後悔先に立たず、だ。ブツブツ言ってたって良いことなんか一つもない。青切符切られたことが取り消せないなら、『次善の策』だ」
 「取り敢えず今回のことは『忘れてやる』」

 朝、捕まって12時間近く経ってやっと出た結論が、これ。
 「今はやせ我慢。これから後のことを楽しもう」
 

 ずっと後にも、朝6時半、中央道の追い越し車線で捕まったが、計測時間が短かったのか、追い越し車線を長く走っていたため、通行区分違反だけとなった。5時に家を出たばかり。
 「取り敢えず今回のことは『忘れてやる!』」
 おかげでゴールド免許になったのは30年間でたった一度。
 それも、一年足らずで、青に戻り、現在に至る。
 それでもツーリングはやめない。楽しいから。





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勘違い2題

2023年07月28日 | バイク 車 ツーリング
 免許を取ったらツーリングに!
           2018年12月21日

 居直ってみたからか、一本橋を秒数なんか気にせず駆け抜けたからか。
 (コースから落ちれば検定中止。とにかく渡り切れば秒数分、減点。同じなら減点の方が中止より良いに決まっている)
 とにかく減点の嵐(?)の結果、「検定中止!!」とはならなかった。

 いつ「中止!」の声がかかるか、と、ヒヤヒヤしていたが、取り敢えずは出発地点まで戻った。
 ここでバイクのシートに脚を引っかけてバランスを崩して転倒、なんてことになると笑い話にしかならない。それだけは避けたい。
 もう、細心の注意を払ってサイドスタンドを立て、バイクをスタンドに預け、終了の合図の手を上げる。
 だからと言って「必ず合格」となる、かどうかは分からない。俎板の上の鯉、だ。

 「大丈夫かなぁ」「どうだろうなぁ」「止められてなかったら大丈夫でしょう」「なら、いいけどねぇ」
 等々、歳の離れた受検生らと、互いの不安を紛らわすために喋っていた。
 七人くらい受けて、確か二人、検定中止になっている。コース脇のタイヤに突っ込んだり、急制動で転倒したり。
 当然、「大丈夫かなぁ」のグループには初めから居ない。既に彼らは自主練習の予約や次回の検定日の確認のために移動している。考えてみれば「大丈夫かなぁ」と言っていて、発表の場で「あなたは不合格です」と言われる方が辛いだろうな。

 数十分後「大丈夫かなぁ」のグループは、満面に笑みを浮かべながら免許試験受験用の書類を書いていた。
 「免許取ったらツーリングに行こう!」
 、なんて言ってたけど、年齢もバラバラだし、
 「おや、どちらへ」「ええ、ちょっとそこまで」
 とか
 「今度、一杯どうです」「いいですねぇ」
 、の世界。
 連絡先を教え合うこともなく解散した。
 いや、聞いてないのは自分だけかな?

 取得に行く予定の日も、取得理由もバラバラ。欲しいバイクもバラバラで、信じられないのだけど別に買う気も乗る気もないのに、「免許だけは取って置く」、なんてのもいた。クルマならわかるけど、バイクで???
 そんなのが偶然、一緒に卒検を受けただけなんだけど。

 バイクつながりって一気に仲良くなるのに、「乗らないかも」という奴は当然のこと、車種や用途の違いで、全く関わりがなくなるんだな、と実感した初め、だった。
 
 でも、一人で走ってるのを見ると、話し掛けたくなる。
 グループで走ってるのを見ると、距離を置きたくなる。
 その辺はあの頃も今も全く変わらない。
 
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 クルマが遠慮してくれる
            2018年12月25日

  免許が取れた。山陽電車で明石から戻って来た。
 
 喜び勇んで、早速に下取りになる原付に乗ってバイク店に行く。
 店長と店長のお父さんの二人でカッコいいバイクを磨いている。
 おっ、これじゃないか、もしかして。
 そばに寄ってみると意外に大きい。これまで見てきたバイク(と言うより「記憶にあるバイク」)よりひと回り大きい。

 今になってみれば不思議だ。
 GB250を目の前でまじまじと見るまで、大きなバイクを見たことはなかったか?
 そんな筈はない。いっぱい見てきている。けど、大きなバイクなんて全く記憶にない。
 「無関心」、というのはこういうことなんだろう。見る気がなければ「見えない」のだ。
 時代劇の牢屋の格子、よく見れば電気鉋をかけた跡があるし、街道の砂利道にはタイヤの跡がある。黄門様御一行に限らない、何故か道を歩かず、砂浜の、それも水際を行く。
 大体、街道に砂利なんて撒かない。歩きにくくてしょうがない。第一、砕石した砂利自体、江戸時代にはない(玉砂利は別)。
 「知るを知ると言い、知らざるを知らずと言う。これが知るということだ」
 、かな?知ろうという気がなければ分からない。見ようという気がなければ見えない。
 車でバイクと事故を起こした時、ドライバーは、能く「気づかなかった」と言う。
 「そんな筈はない」とバイクに乗っていると思う。「ただ見てなかっただけだろう」、と。
 けど、ドライバーは見る気がなかったから「見えなかった」「気づかなかった」のだ。

 さて、また脱線したけど、喜色満面でバイクを受け取り、早速、乗って帰・・・らない。
 そりゃ、もう、まずは試運転をしなきゃ。そのために急いで帰って来たんだから。
 家とは反対の方向に向けて走り出す。
 雨の日にはダートと化すいつもの通勤路ではなく、クルマに追い抜かれて怖い思いをしながらも仕方なしに通っていた大回りコースへ。

 無理せずとも少しスロットルを開けるだけで加速する。
 教習所のVFRに比べれば力はないけど、シングルシリンダーのエンジン音ってのははっきりしていて気持ちが良い。排気音もすっきりしていて小気味よい。
 しばらく走っているうちに、妙なことに気が付いた。
 いつもなら必ず、クルマが追い越しを掛けて来るのに、今日は全く追い越そうとしない。それどころかちゃんと車間距離まで置いている。

 近寄ってくるクルマがいない。
 「そんなに危なっかしい運転に見えているんだろうか」
 一瞬、そんなことを考える。
 でも、普段よりは少しはましなくらいの、我ながら「♪な~ん~て~なめらか~♪」な運転をしているような気がするんだけど。
 何故、車が車間距離をちゃんと取っているのか、その理由が分からない。



 ふとスピードメーターを見ると、針が60キロの少し先を指していた。
 遠慮しているわけじゃなかったらしい。



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「倒れやすい」と「倒し込みやすい」と。(再掲)

2023年07月27日 | バイク 車 ツーリング
 何でこんなに重い!
         2018年12月14日 

 この日記を書こうと思って、先日、記憶の薄れてしまったVFRの写真をネットで探してみた。
 
 当時、まあ、標準的な形だったんじゃないだろうか。それなりにカッコいい。
 でも、もう一度言いたい。いや、何度でも言いたい。
 他人が乗っているところを見れば、カッコいいかもしれないけど、いざ自分が跨って上から見ると、目に入るVFRの姿はちっともカッコ良くない。タンクがでかくて碁盤みたいで「ぶっさいく」。
 何度も言うけど「上から見たら」、だ。
 でも、自分が乗ってる時は上からしか見えないんだから、これは重要だろう。横から見るのは見学の時だけだ。
 道路沿いのビルのガラス壁に映る姿を見ればカッコいいかもしれないけど、教習生、そんなよそ見は危険だ。
 何より自動車学校にそんなガラス壁はない。 
 それに加えて重心が高い。教習生にスラロームとか8の字とかを教える時、重心が高いとバンクさせやすいからその方が良いんだろうけど、その分、ちょっと傾くと立ちごけ一直線。だから教習生としてはたまらない。
 とにかく教習生はちょっとのことで限りなく後ろ向きになる。立ちごけするたびに「ああ~、やっぱりオレ、向いてないんだ」とか何とか。
 そのくせ、ちょっとうまくいったらもう木に登るどころか空でも飛べそうな気になるんだけど。

 ハーレーは重たいけど、力がなくても乗ることはできる(らしい)。引き起こしは大変でも重心が低いから滅多に倒さない(らしい)。
 更に、そのいかにも重そうな見た目から、倒したりしたら車にしか乗らない人だって義気を発揮して助けようと駆け付ける(らしい)。
 BMWなんかは偏屈が多いから(?)そこまでの助力は望めない。
 けど水平対向エンジン。重心が思いっきり低い。それに加えて、「いかにもドイツ」な「頑丈過ぎる」エンジンガードがある。倒したってエンジンガードが「転ばぬ先の杖」ならぬ「転んだ時のプロテクター」。ブレーキレバーだってクラッチレバーだって、地面に当たる前にエンジンガードが接地して守ってくれる。(古いのに限る、けど)
 なのに、VFRときたら!

 勿論、教習車だから完璧なガードが付いていて、「完璧な転倒」は、ない。転倒したって脚が挟まれたり下敷きになって抜け出せない、なんてことはない。けど、転倒は、する。重心が高いから、転倒する率も高い。
 ・・・・とここまで予防線を張っといて、言う。
 以降、ほぼ毎時間、教習時間内に一度はコケていた。クランクの出口で。前の教習生が早く停まり過ぎて。よそ見してバランスを崩して。早々に立て直すのを諦めてバイクを放り出して、等々。
 ちゃんと前方回転受け身をしてすっくと立ち上ったり。
 教えられた通りに乗れば良いようなものなんだけど。そうすりゃ何も問題は起きないんだから。
 それができないから困ってるわけで。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 重心が高いから、転倒しやすい
             2018年12月15日

 「重心が高いから、転倒しやすい」。それは確かだ。
 でも、「転倒しやすい」、のであって重心が高いから「絶対、転倒する」、ということではない。
 現に重心が低いバイクで転倒する奴もいる。誰とは言わない、恥ずかしいから。
 後年、重心が低くて頑丈なエンジンガードのついているR80を二回倒した。
 乗ってた本人は転がったけど、バイクは「今、バンクしてます」みたいな恰好で、自分だけ平然としてただ「傾いている」。エンジンガードを地面につけて。
 
 教習の二段階目に入って転倒しなくなった。
 「あまりの転倒振りに気の毒に思ったホンダがVFRの重心を下げ・・・」。そんなバカなことはない。
 転倒しなくなったのは(他の人だって転倒しなくなるのは)、体重をバイクの重心に近付けられるようになったからだ。
 一言で言えば、「ちょっと『慣れた』から」。
 重心が高ければ「倒れやすい」と同時に「倒し込みやすい」。
 低ければ「倒れにくい」と同時に「倒しこめない」。結果、曲がりにくくなる。
 どっちが危険か。
 どっちを採るか。
 操作性向上のためにホンダは高い重心の方を選んだ。それが有利と教習所が採用した。
 教習生は「倒れやすい」しか分からない。「バイクって重い!気を抜くとコケる・・・」。
 クラッチつないで、上手く前進できた!
 切って、何とかバランスを保って停まった。
 次はどうするんだ?次の指示は?と、横を見る。
 教官の姿が視界に入らない。もっと体をよじる。
 ハンドルが数センチ、左右いずれかの向いた方に移動している。
 バランスを崩した、という感覚が起こると同時にバイクが急激に車重を預けてくる。
 「あっ、いかん!」
 もう立て直せない。
 「あ~っ・・・・!」→→「ガッシャーン」・・・・・。
 早速、引き起こしの実習。
 毎時間コカしていても、不思議と同じ転倒の仕方はしない。
 そして、段々に、「あっ、いかん!」の「あっ、い」辺りで、腕力で止めるようになる。
 一瞬の冷や汗。
 そして段々転倒をしなくなる。
 
 実は「転倒しなくなる」のではなくって、するまでの間隔が長くなるだけ。
 ダメージを最小限にするテクニックを身に着けるだけ。
 転倒しなくなることはない。バイクなんだから。
 「転倒しないバイク」はバイクじゃない。だって楽しくないから。
 



 



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