GB250は良いバイク
2019年02月14日
・・・なんて書いたけど、本当のところは何が良いのか分からない。
何も知らないバイク初心者が、中型免許取って初めて選んで買ったバイクだ。
だから、もう単純に「形がいい、カッコいいから『良いバイク』」というしかなかった。
それって随分と強引な理由付けだ。「カッコいい」ってのは、ただ自分が思ってるだけなんだから。
けど、それ以外言える知識も経験も、まだない。何しろ買ったばかりなんだ。
でも、別に良いだろ?自分でお金出して、自分がカッコいいって思ってるんだから。
(逆切れしてるみたいだけど。)
重要なことは「自分がどう思っているか」。
自分のバイクさえ分からないんだから、他人のバイクをとやかく言うなんてできる筈もない。だから、他人のバイクの悪口は言わない。
ただ自分のバイクの方が一番良い、と心の中では思っている。あからさまに他人のクルマをぼろくそに言ったり、見下したりするより良いよね?
掲示板なんかで他人のバイクをぼろくそに言ってる奴は、だからバイクに乗ってない奴だ。間違いない。
前に書いた。
GBは「形が良い。見た目のバランスというか、タイヤの大きさとタンクの形、シートの高さ、ハンドルの高さ、みんないい。横から見たシルエットが素敵だ。」「全体のバランスはやや几帳面な形だけど、均整がとれていていい」
パワーとかトルク、操縦感覚、なんて全く分からない、原付に乗り始めて数週間の初心者。そいつが免許取ろうと教習を受けている最中に、当然カタログだけで「色々見比べて選んだ」わけだ。
だからカタログの写真を眺めているだけで、パワーとかトルクなんて数字を見るだけ。ちっとも分からない。結局「見た目」で選ぶ。
で、書いた通り。特にタンクの形が気に入った。
だから、数年後、「カッコよさを追求(?)」して、タンクの形が変えられた時、唖然とした。
自分の思ってたカッコよさは見事に消えていた。あのタンクの形が良かったのに!(別に買い替えるわけじゃないんだから。もうどうでも良いようなものだけど。でもファン心理は働くんだな)
いざ買ってみて、いきなり「クルマに抜かされなくなった」、「煽られなくなった」ことには驚いた。頑張ってアクセル開けなくても、普通にクルマと同じ速さで走ることができる。
本当に気に入らないところは、これも以前に書いた通り四角四面と言っても良いようなエンジンの形だけ。
これだけバランスの良い、カッコいいバイクなのに、なんでエンジンがこんなにカクカクしてるんだ?石部金吉、というか融通が効かないというか・・・・。
「GB250は良いバイク」
本当に形は良いバイク。でも、エンジンはシルエットが面白くない。
こんな状態で、GBとの付き合いが始まった。本当に第一印象の通りだった。
下手くそだから上手く乗れないだけのことで、250のシングルシリンダーは全く不安に感じることがない。免許を取って3ヶ月。夏に戸隠や白馬の方まで行った。
書いてなかったこと。見た目だけでは分からなかったこと。GBの不具合、じゃない、不都合な真実。
この数泊掛けのツーリング時に初めて、「見た目」じゃない部分に気が付いたんだと思う。
神戸を出て大津を抜け、名古屋から中津川を通って19号線、木曽街道を北上する。山間(やまあい)、と言うべきか、それとも谷間(たにあい)と言うべきか、能く分からない、眼前に高い山が連なる川沿いの道を淡々と走る。
離れている筈なのに、空気が澄んでいるせいか山々が間近に見える。
山は間近に見えるのに、その稜線は遥か高いところにある。
高校生の時、修学旅行で、大学では合宿で、それぞれ一度来たことがある。長野に来たのは、それ以来だ。
「そうだ、長野は景色の距離感がおかしくなるんだった」
遠くのものが近くに見え、近くのものに重なって見える。突然、これを思い出した。
単気筒エンジンの振動と、ちょっと冷たい谷間の空気を感じながら、忘れていた大事なことを思い出したようで、鳥肌が立った。そしてニヤついてしまう。全く、今、自分は間違いなく旅をしている。
バイクのおかげ?いや、バイクは自立も自走もできない。好きで乗っているからこそ走ってくれる。
「不都合な真実」は、この後。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
迷ってばかり
2019年02月15日
GB250に乗り始めて3ヶ月。初めての長距離ツーリング。
ここまで、通勤で通る道にとどまらず、休日はほぼ毎日、色々なところへ行った。
30年余り前のことだ、バイク用ナビは勿論、スマホだってないから頼れるのはツーリングマップルのみ。
すぐにタンクバッグを買って、目的地に向けての頁を開いてバッグの上部に入れ、いつでも見られるようにする。けれど、道を走る初心者。標識と地図の表記がなかなか重ならない。初心者ほど走りながら地図を見ようなんて怠けたことをする。危険なことこの上ない。
まず、国道と県道の「標識の形状」の違いからして、意識して見たことがなかった。だから標識に書かれている線番だけを見て進路を決める。
似たような線番が続いている、と安心して進んでいたら、全く違う方向だったと分かり、大苦戦してUターン、なんてことは数え切れない。
国道の標識は盾みたいな形だが、県道の方は六角形を寝かせたような形をしている。でも、同じ青色の地に白抜きの文字だ。
慌てている時は形より中に書かれた線番の方に目が惹き付けられる。
「私はだ~れ?」「どっちがホントかな?」みたいな顔で突然、道路端に現れる。
「え?え~っと。もう分岐点?もっと先じゃなかったかな」
、と思っているうちに通り過ぎるから、足元や後続車を気にしながら安全そうなところでバイクを停めて、やっとのことで地図を見る。もう目印がどこだったのか分からなくなっている。紙袋被せられた猫が、何かに当たってフリーズしてしまっているのと同じだ。
原付からだってまだ半年ほどの初心者、余裕綽々でその辺のことを簡単にこなし、おもむろに判断を下し、華麗にUターンを決めて正しい方向へ・・・・。
無理無理。
毎回、ツーリングに出るたび、あっちで道に迷い、こっちでどちらに曲がるか決めかね、という、本当に「逍遥」ではない「彷徨」を繰り返していた。
で、それがまた面白くて(負け惜しみ、じゃないよ)。
何をしてるのか分からない、「ただ楽しい」だけ、「疲れる」だけ、のツーリングの泥沼にハマっていく。
変態的性向がある?どM?
それとはちょっと違うと思うんだけど。
そうだ!「不都合な真実」について書くんだった。
(後半へ)