CubとSRと

ただの日記

細かいこと。いや、「神は細部に宿る・・・」

2021年08月17日 | 神社
 「行幸と御親拝」
 「天皇陛下が靖國神社を参拝(親拝)されたことはない」
 文章を読んでいる途中、この文章はこう言っている、と解釈しました。
 「はぁ?」と思いました。
 「何、言ってんの?昭和天皇は参拝されてるし、第一、靖國神社を置くようにと言われたのは明治天皇なんだから、参拝のなかった筈はない」、と。
 で、能々読むと、「皇太子の時は参拝されている」と続くので「??」となり、「天皇は皇室の祖先神や、代々の天皇を祀る神社には参拝をされるが、そうでない神社(靖國神社等)には行幸をされるのだ」と書かれていることで、やっと納得。
 天皇陛下は神官の長、日本国の祭主なのだから、国民の先頭に在って皇祖神を拝するのが仕事。
 国民を拝む、ということは対立する支配者であるという立場を唱えることになる。
 で、「参拝と行幸の違いは、神前での拝礼の角度にある」と展開し、「参拝は90度に身体を倒される(最敬礼)が、行幸の場合は30度だ」、と。
 「何だ、角度の違いか。それだけのことか。細かいことを。天皇陛下が来られるという事が大事なんだから、そんな角度のことなんか、この際、大したことじゃないぞ」
 、と考えますよね?大半の人は。
 でも、そうじゃない。
 一番大事なことは、靖國に祀られている英霊(靖國の大神)の立場で考えてみれば、という事です。
 「靖國の大神」、と言うより、英霊達は、天皇陛下の最敬礼を望むだろうか。
 一見、拝礼の角度なんて小さいことに見える。
 けど、そういう小さいところにしか心は表せない。そういうところにこそ、真心が見える。
 英霊達は国を護るために命を捧げることが、身近の人を守る近道と知っていた。
 だから「お母さん」と叫んだり、妻子の名前を叫んだりした。天皇陛下個人のためにではなく、国のために。
 国の存続がなければ、身近な人々は結局命を失うことになる。
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
令和元年(2019)5月15日(水曜日)弐
         通巻第6078号
(読者の声2)最近天皇陛下の御親拝または御参拝に関する議論が多くなされています。
 さらに最近沼山光洋氏が自裁されたことにより議論が沸騰しています。一つ注意を喚起したいことがあります。
 今までに靖国神社に御親拝ないし御参拝された天皇陛下は一人もいらっしゃいません。
 明治天皇も大正天皇も昭和天皇も上皇も靖国神社に行幸されたことはあります。しかし御親拝ないし御参拝されたことは一度もありません。
 大正天皇、昭和天皇は皇太子時代には靖国神社に参拝されました。
 天皇陛下が御親拝ないし御参拝されるとき神殿に向かって90度上体を倒されます。天皇の祖先に当たる神様や亡くなられた天皇が祭られている神社では御親拝ないし御参拝されます。例えば伊勢神宮です。
 神社に行幸されるときは、約30度上体を倒して、深めの会釈をされます。
 天皇陛下が神社にいかれる場合は、天照大御神様の地上における現人神としていかれます。
 天照大御神様が靖国神社で90度上体を屈して拝まれることは、何より英霊の方々が望まれません。
 英霊は天皇陛下が近くにいらして御稜威に触れることをなにより喜ばれます。天皇陛下が靖国神社を御親拝ないし御参拝されるよう要求することは、天皇の御稜威そして存在そのものを否定することです。
 以前GHQの中の天皇陛下を裁判にかけず利用しようとした一派が、そのための文書・資料として木戸幸一に口述させ、寺崎英成に筆記させて作ったものが、昭和天皇独白録として公開されました。あれを第一級の歴史資料といった東京大学の教授がいましたが、それをはるかに超えた暴言、暴挙です。
   (當田晋也)
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靖國神社の創建に関しても再掲します

2021年08月15日 | 神社
 靖國神社の祭事暦に八月十五日の祭事はない。
          
                 2020年05月23日 | 重箱の隅

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 「神社」、というのは「神々の集う場」、ということで、本来は建物はありません。

 神々をお祀りするために天上から降りて来ていただく。
 降りて来ていただいて、祭りをする。
 終わったら、また天上に帰っていただく。

 降りて来ていただく時は、「依り代」を御用意して置き、神主が「降神の儀」という儀式を行います。
 「ぉおお~~~~~っ」
 、という長い掛け声(?)に乗って、神様が天上界から降りて来られるのが見えるような気がするのが何とも不思議です。

 祭祀が終わり、天上に帰っていただく時は、「昇神の儀」という儀式を行います。
 これまた
 「ぉおお~~~~っ」
 という長い声を発するのですが、初めはやや低い声で段々に高くなる。
 これもまた神様が天上界に帰って行かれるのが見えるような気がする。
 「昔の人はこんなまやかしにのせられて・・・」、と左巻きの人は笑いますが、共産主義にロマンを感じることと比べて大差はない。いや、何かしら実感し、崇高なものを感じるということは大きな力になります。最近よく聞く「パワーをもらえる」という発想より品もある。脱線。

 祭りの目的は、神々への感謝、お願いを伝えることです。
 例えば、
 「豊作になりますように」
 「豊作になりました(奉告)」
 「目標が叶いますように」
 「目標を達成することが出来ました(奉告)」
 などです。
 「願を掛けて、願を解く」「お参りに行って、御礼参りに行く」

 お願いをする時も降りて来ていただかなければならないし、
 お礼を言う時も降りて来ていただかなければならない。
 その都度、「降神の儀」と「昇神の儀」を行います。

 神様は忙しい。その都度、招かれたり、送られたり。
 でも、神様ですから、文句なんか言いません。
 人の方は、できれば、神様にずっと身近に居てほしい。いつも見守っていてほしい。
 だから、それなら、「依り代」を神として祀っていよう、そのために「神社」をつくろう、となっていきます。それが「神社」という名の建物、みたいに思われるようになってきます。
 聞かれたこと、ありますよね。「山が御神体だ」、とか、「山の頂上にある磐座に神が降りられた」、とかいう話。それが本来の「神社」、です。


 まだ若い神様の御霊を招いて祀る。
 戊辰戦争の終結後、東京で、国のために命を捧げられた英霊達を招いて祭りがおこなわれました。
 勿論、感謝の祀りです。そして、これからも良い国をつくるよう努めますという「奉告祭」です。

 そのために特別に作られたのが「東京招魂社」、です。
 「東京」と名がついてはいるけれど、「東京につくられたから」というだけのことで、戊辰戦争に関わった人々を祀るものです。全国が対象です。

 当然、一回だけのものなんですが、「つい先日までは、私の肉親だった」などという人が沢山いる。
 そうなれば、祭が終わったから帰ってもらう、というのではなく、
 「いつだってお参りをしたい」
 との希望が殺到するわけで、それなら、常設の神社として建物をつくろう、となった。
 「ならば、東京から遠いところの人のために、日本全国でも、招魂社をつくろうではないか」

 国のために命を捧げられた人々を祀るんだから、ということで、各地の招魂社は「護国神社」という名前で呼ばれるようになります。
 「東京招魂社」の方は、「東京護国神社」となるかと言えば、そうではない。
 元々が「東京招魂社」が初め、なわけですから、自ずと護国神社の総本社みたいな立場です。
 ならば、ということで「招魂社の本旨は?」となったらそりゃあもう、「国が安らかで発展し続けるように」ということ。
 では「國、靖らけく」という願いからなのだから、ということで、「靖國神社」と命名された。

 「神社」ではあっても、現実には国のために命を捧げられた人々を神霊(みたま)として祀るのだから、縁者は「供養」の気持ちも持っている。
 縁者でなければ、しかし、「感謝」と「護国の誓い」を表する場所である。
 でも、縁者でなくたって、同じ日本人として「供養」の気持ちを以て参っちゃいけないというものでもない。
 ならば誰だって、神社であっても先祖供養をする気持ちで参拝したって良いではないか。

 ということで、春秋の例大祭が始まります。以前に書いたように、太陽暦ですから、春秋の彼岸より約一ヶ月、早い。
 敗戦後は、盆の行事も同じようにしたい、という要望があり、これまた太陽暦だから一ヶ月早い七月に「みたままつり」が行われるようになった。
 靖國神社が「国家神道の総本社!」みたいな態度で踏ん反り返っていたなら、決して起こり得ないことです。

 もうお気付きでしょう、靖國神社は本来の戊辰戦争の祭事で終わる筈のところを、以降の幾多の戦いに命を捧げられた神霊も祭ることをする。日清、日露の両大戦も、大東亜戦争も、です。
 そして、国民の思いに応えて色々な祭りを設けて来たのです。
 だから、本来なら何の関係もない八月十五日の参拝も「同じように」参拝者の便宜を図っています。

 ちなみに「靖國暦」で「祭事暦」を見ると、八月の祭事は、ありません。

 八月十五日の参拝は、大東亜戦争に関する個々の日本人の思いに委ねられている、ということです。


~「祭祀場」から「神社」へ。 (主)  2014年8月15日の日記より~

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 蛇足ですが、靖國に祀られている英霊は既に神霊となられ、近い将来には神に昇格されます。
 だから我々は神を拝するつもりで靖国神社に参拝する。決して弔いに行くのではありません。お寺参りと墓参りは違うでしょう。
 英霊達は血のつながりのない我々後生(こうせい)の日本人のために、同じ日本人であるというだけで、命を捧げて下さいました。
 「八百万の神々」をもっと丁寧に言うと「八百万の神たち」。「八百万の神の方々」とは言いません。
 「方」は目上の人に対して用いる言葉です。貴族などは同じ「人」ではないから、ということで「公達」と称していたことはご存知の通りです。
 ということで、英霊を丁寧に言うときは英霊達。「英霊の方々」では、英霊を目上の「人」と目していることになり、神にはまだ遠い、ということになります。

 もう一つ。
 「天皇制」という言葉は、「君主制」という言葉にみられる「対立(敵対)関係(いずれ打倒、廃止すべきもの)」、を意識して、共産党によってつくられた悪意からの(と言って悪ければ否定的な)新造語です。
 この言葉が何の気なしに使われるようになったことと、「天皇家」という言葉がよく使われるようになったこととは不可分です。
 勿論、「天皇家」というものは存在しません。あるのは國體の真ん中に位置する「皇室」だけです。天皇を継承する(皇統を継ぐ)のは皇族であって、どこかの一家ではありません。また、元々尊い存在である「皇室」に「御」をつけることはしない。つけなくても初めから尊い。



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「八百万の神達」とは言うけれど、キツネは神様じゃない

2021年06月04日 | 神社
 わたなべ りやうじらう のメイル・マガジン
               頂門の一針 5795号
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      2021(令和3年)年 6月3日(木)より


◎キツネを神として拝んではならない:北村維康

 稲荷神社で、キツネを拝んではならない。

 はあ?なんのことぢゃい?と思はれるかもしれないが、これはひとつの老婆心と思ってお読みいただければ幸ひである。

 世に、神社は沢山あるが、稲荷神社も多い。しかし、そこに祀られてゐるのは、神道の神様であり、キツネではない。キツネとか、竜とかは、霊的に言ってもみな眷属(けんぞく)であり、いはば、神様の家来である。

 眷属でも、ある程度の霊力は持ってゐる。だから、参拝者が、キツネを神様だと思って拝んだりすると、キツネも「自分は偉いんだ」と錯覚して、それなりに商売を繁盛させたりもする。

 しかし、その御利益を頂いた参拝者が、あとで恩知らずに寄り付かなくなるやうなことでは、キツネが怒って、いろんな禍を齎(もたら)すかもしれない。

 これは、もともと、神でもないものを神として祀り、拝んだところにその原因があるのである。稲荷神社に参拝するのは良いが、あくまでもそこに祀られてゐる神様をこそ、拝むべきなのである。(男神としてのオオトシ、女神としてのオオゲツ)これが、山陰神話研究会の会員としての、老生の老婆心である。

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 「八百万の神達」と言い、「森羅万象に神が坐(いま)す」と説明され、また「神無月には八百万の神々が出雲に集って各種の縁結びについて会議(神議(かみはか)りをなさる」とも言われて、何だか神様は平等であって上下はない等と思いがちだが、神様が神様を産むことだってある。いや、それだけでも大変な数になるんじゃないか。
 もうそれだけでも、階級とまではいかずとも(心情的にでも)上下は生まれる。若い神達が天御中主神と同じ、なんてあり得ない。ましてや神々の眷属(けんぞく=神の使者)と神々が同じ、なんてことはあり得ないだろう。
 それなのに、例えば「お稲荷さんを家に祀って油揚げを供えて~」なんてことをついやってしまう。
 「お稲荷さん」は「稲荷大明神」或いは「稲荷大神」。キツネはその眷属だから「使者」。眷属、言ってみれば家子・郎党の立場のキツネが油揚げが好きだからと言って稲荷大神に油揚げを供えるのはおかしいだろう。主人の家来の好物を持って主人を拝しに行く・・・それはおかしい。
 いや、おかしくはないな。尊い神に対して好物等の現物をお供えするってのは失礼が過ぎる。神宮だってお供えは朝夕の御饌だけだ。
 だから油揚げ供えたっていいけど、それは拝殿で、じゃない。
 拝殿では清明正直の身心で、赤誠を以て祭神に向かい、拝礼する、と。


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再掲 「波上宮(なみのうえぐう)と沖縄  (中)」

2021年05月27日 | 神社
 2015.11/16 (Mon)

 社報「靖國」11月号からの部分転載、後半です。
 「左翼的な県民性だ、と思っていたがそうではなかった。それどころか敬神の念に篤く、剛毅・純朴な人々だった」
  こんな人々が、あれだけ猛烈な基地反対運動などするだろうか、と私の疑念を書いたのは、先祖祀りと、社会批判・革命運動とはつながらないからです。
 革命はこれまでのすべてを否定する。先祖を祀ることさえ否定する。当然でしょう、これまでの社会を支えてきた人々なのですから。社会を否定する、ということは支えるという行動をも否定するということです。ということはその社会の人々の先祖もみんな否定することになる。先祖否定=先祖祀りの否定です。
 先祖は否定するのに、先祖祀りはする、というのは変でしょう。社会を否定するということは、先祖祀りも肯定「してはならない」。
 だから孔子の墓だって暴かれたんだし、そんなことをされたらたまらん、ということで周恩来は墓を作らせなかった。
 脱線しました。


 「基地反対運動は革命ではない。大和と琉球は国が違うのだから当然のことだ」
 という人もいるかもしれない。でも、それはまやかしだ、基地反対運動は革命(独立)運動のために利用されているし、沖縄県は間違いなく日本だということを、今回、改めて思わされました。

 明治の「琉球処分」を批判する人があるけれど、先述した通り、「処分」に冷たい意味はありません。
 江戸時代、沖縄は「琉球国」と名乗って島津藩の支配下にありました。日本>島津藩>琉球国です。
 それが新しい国家体制を作るために、明治政府は琉球も同じく一つの県、とした。鹿児島に支配されていたのに、鹿児島と同列に置いた。だから明治天皇を恨んではいない。恨んでいないからこそその明治期の琉球処分を思い、敗戦後の一日も早い本土復帰を願うために明治天皇の顕彰を、と銅像を建立した。そう思うのが妥当ではないでしょうか。

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 「沖縄のこころ」
 ~県民憧れの宮・沖縄総鎮守 波上宮を通して見た沖縄~

 <天照大御神を祀る浮島神社>
 さて、昔の那覇は、海に面し、国場川・安里川・久茂地川と三方を川に囲まれた謂わば浮島のようなものであった。そこで、明国の冊封使が那覇の港に到着し、首里に向かうまでには、どうしても、川を渡る必要があった。
 時に琉球国第一王朝・金福王の時代、那覇に石の橋、堤を築いて冊封使をお通しするようにとの王命が国相の懐機に下った。
 川底は深く、両岸は離れており、どのようにして石堤を築けばよいかと、懐機は途方にくれた。そこで、彼は、福州の人であったが、大和で最も尊い「天照大御神」を祀り、二夜三昼の間、祈り続けた。
 すると、徐々に潮がひき始め、七日の間、再び満ちてくる事が無かったという。懐機は多くの部下を使い石堤を造り上げた。
 それが、のちに琉球八景の一つに称えられる長虹堤である。懐機は、この石堤築造の大工事が無事完了したのは天照大御神の御蔭であるとし、自らの邸宅をこの神に捧げ、そこに「長寿宮」(ウイシノミヤ=御伊勢の宮)を建てた。
 一昨年、伊勢神宮の御遷宮が行われた事は記憶に新しいが、まさに、琉球王朝の最盛期に、伊勢の皇祖神・天照大御神がこの地に祀られた事は特筆大書すべきであろう。
 (大和であればごく自然のことであろうが、当時は「琉球国」だったのである。)

 現在、このお宮は土地問題の為に波上宮の境内に「浮島神社」として祀られているが、今も那覇市松山一丁目五番地には、その石碑が残っている。浮島神社には土地問題、経済的問題もあるが、早く元のお姿に御復興申し上げる事が私共の悲願である。

 <琉球の王様は日本人>
 さて、一四五二年、今の那覇市松山から崇元寺迄の石堤「長虹堤」が完成し、大和の皇祖神・天照大御神が祀られた。しかもそれを祀ったのは、国相・懐機である。当然、王家の許しなくそのような事はできないし、必ずや王家の理解あっての事であろう。
 そこで、尚王家に就いては、「尚」という姓から、中国大陸系統か朝鮮半島系統かと思われがちだが尚姓は明国から第一尚王家の祖「尚巴志」が戴いた外交上の姓である。
 そして元を辿れば「尚巴志」の祖父は鮫川大主、その親は屋蔵大主であって、日本人なのである。 

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再掲 「波上宮(なみのうえぐう)と沖縄  (上)」

2021年05月26日 | 神社
 泥縄もいいところですが、折角読んでいただいたのに前段を載せないままでは、と思い、順番に再掲し直そうと思います。

 この「前回の日記のかかわりで」という日記は、社報「靖國」に掲載されていた文章に私の感想を書き込んだもので、それなりの分量だったため、三回に分けて日記として挙げました。

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 2015.11/14 (Sat)

 先日、社報「靖國」11月号が届いていたのを、開封したまま置きっ放しにしていた。
 思い出して、綴じる前に目を通しておこうと開いてみたら、これは大事なことが書いてある。

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 「沖縄のこころ」
 ~県民憧れの宮・沖縄総鎮守 波上宮を通して見た沖縄~
              大山晋吾(波上宮禰宜)

  < 敬神・崇神の島、沖縄 >
  間もなく、筆者が靖国神社から波上宮に転任して五年となる。東京でいた頃は全く沖縄のことを知らず、テレビで米軍基地反対の市民集会の様子を見て、何と左翼的な県民性かと思っていたが、全くそれは誤解であった。
 人々は皆々、先祖を大切にし、神々を深く信仰している。実に一般の県民は、敬神・崇祖の念篤く、剛毅にして純朴なる気性に満ちていた。

 さて、沖縄総鎮守・波上宮の参拝者数、今年の正月三箇日は三十万八千人を数えたが、当宮は年間を通して参拝者が非常に多く、また崇敬者の参拝時間の長さにも驚かされる。若い方でも五分、十分と祈ってゆかれる。高齢者に至っては二十分、三十分とお座りになって「お拝み」をされるのである。
 また、祖先を敬う県民性は、墓所・墓石の多いことに象徴されよう。丘や山に登れば、必ず墓所がある。それも膨大な数で、その内に生きた人の住む所が無くなって仕舞うのではないかと危ぶまれる程である。
 人々は清明祭やお彼岸等になると一族で先祖伝来の器にお供え物を盛って墓参に行く。そこで、子孫は親たちの拝む姿を見て、自然に崇祖の心を養うのであろう。

         (略)

 < 明治天皇の御尊像 >
 さて、境内に建つ明治天皇の御銅像の建立は、昭和四十五年であり、沖縄が日本への祖国復帰を果たす以前のことであった。
その御銅像の台座には、明治天皇の御宸筆「國家」の文字が刻まれている。そこには戦いに敗れて米国に占領され、祖国から切り離された当時沖縄県民の悲しみが、そして一日も早く日本国に復帰したいという県民の悲願が籠っているように思えてならない。
 波上宮は戦いに敗れ、打ちひしがれた沖縄の人々にとり、祖国日本を偲ぶ唯一の心の故郷、魂の拠り所であった。まさに、その境内地に御銅像は建てられ、それから二年後、沖縄は見事に祖国復帰を果たしたのである。


                   転載終わり

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「~テレビで米軍基地反対の市民集会の様子を見て、何と左翼的な県民性かと思っていた~」
 しかし、
 「実に一般の県民は、敬神・崇祖の念篤く、剛毅にして純朴なる気性に満ちていた。」

 これ、どう思われますか。大山禰宜が間違ってるんでしょうか。それとも、報道がおかしいのでしょうか。
 いやいや、波上宮に参拝する人々だけが別なんでしょうか。
 それとも参拝している時だけが敬神の念が篤くなるんでしょうか。
 少なくとも、辺野古を初めとして反対運動をしている人々と、参拝者の表情は決して重ならないのではないか。
 今朝も関西のテレビでは「正義のミカタ」という朝の情報ショーで、沖縄国際大の前泊教授が
 「沖縄の民意は基地反対。反対意見が強まれば助成金が増える。飴と鞭だ。助成金は地元には四割しか落ちない」
 などと説明していましたが、これまた
 「敬神・崇祖の念篤く、剛毅にして純朴なる気性の沖縄県民」
 と全く重ならない。


 「境内に建つ明治天皇の御銅像の建立は、昭和四十五年であり、~」

 戦争に敗れたのが昭和二十年。講和条約が二十七年。
 銅像の建立されたのが四十五年。本土復帰が四十七年。
 敗戦から二十五年もたって明治天皇の銅像を建立する。
 何故、明治天皇なんでしょうか?「琉球国」独立を支持する人々は、明治天皇を「『琉球処分』を命じた酷い天皇」だと思っているのではないのでしょうか。

 菅官房長官が「粛々と行う」と発言したのを「上から目線だ」と文句をつけたことがありました。言いがかりに近いものです。「粛々」というのは決して「上から見下す」ような傲慢な表現でないことは、普通に学校に行っていれば分かること。
 それと同じく、「処分」という言葉には「冷たく切り捨てる」といったような意味はありません。
 「適材適所」と同じで、「それぞれの処に分類して収める」ということでしょう?「処分」の文字にはそれだけの意味しかない。
 「切り捨てる」、というのなら鹿児島の支配下から「沖縄県」へ、という鹿児島と同等の立場にする施政は成り立ちません。己の勉強不足を棚に上げて批判ならぬ非難ばかり・・・、いやいや、今日はこの辺でやめときましょう。



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