「行幸と御親拝」
「天皇陛下が靖國神社を参拝(親拝)されたことはない」
文章を読んでいる途中、この文章はこう言っている、と解釈しました。
「はぁ?」と思いました。
「何、言ってんの?昭和天皇は参拝されてるし、第一、靖國神社を置くようにと言われたのは明治天皇なんだから、参拝のなかった筈はない」、と。
で、能々読むと、「皇太子の時は参拝されている」と続くので「??」となり、「天皇は皇室の祖先神や、代々の天皇を祀る神社には参拝をされるが、そうでない神社(靖國神社等)には行幸をされるのだ」と書かれていることで、やっと納得。
天皇陛下は神官の長、日本国の祭主なのだから、国民の先頭に在って皇祖神を拝するのが仕事。
国民を拝む、ということは対立する支配者であるという立場を唱えることになる。
で、「参拝と行幸の違いは、神前での拝礼の角度にある」と展開し、「参拝は90度に身体を倒される(最敬礼)が、行幸の場合は30度だ」、と。
「何だ、角度の違いか。それだけのことか。細かいことを。天皇陛下が来られるという事が大事なんだから、そんな角度のことなんか、この際、大したことじゃないぞ」
、と考えますよね?大半の人は。
でも、そうじゃない。
一番大事なことは、靖國に祀られている英霊(靖國の大神)の立場で考えてみれば、という事です。
「靖國の大神」、と言うより、英霊達は、天皇陛下の最敬礼を望むだろうか。
一見、拝礼の角度なんて小さいことに見える。
けど、そういう小さいところにしか心は表せない。そういうところにこそ、真心が見える。
英霊達は国を護るために命を捧げることが、身近の人を守る近道と知っていた。
だから「お母さん」と叫んだり、妻子の名前を叫んだりした。天皇陛下個人のためにではなく、国のために。
国の存続がなければ、身近な人々は結局命を失うことになる。
・・・・・・・・・・・・・・
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
令和元年(2019)5月15日(水曜日)弐
通巻第6078号
(読者の声2)最近天皇陛下の御親拝または御参拝に関する議論が多くなされています。
さらに最近沼山光洋氏が自裁されたことにより議論が沸騰しています。一つ注意を喚起したいことがあります。
今までに靖国神社に御親拝ないし御参拝された天皇陛下は一人もいらっしゃいません。
明治天皇も大正天皇も昭和天皇も上皇も靖国神社に行幸されたことはあります。しかし御親拝ないし御参拝されたことは一度もありません。
大正天皇、昭和天皇は皇太子時代には靖国神社に参拝されました。
天皇陛下が御親拝ないし御参拝されるとき神殿に向かって90度上体を倒されます。天皇の祖先に当たる神様や亡くなられた天皇が祭られている神社では御親拝ないし御参拝されます。例えば伊勢神宮です。
神社に行幸されるときは、約30度上体を倒して、深めの会釈をされます。
天皇陛下が神社にいかれる場合は、天照大御神様の地上における現人神としていかれます。
天照大御神様が靖国神社で90度上体を屈して拝まれることは、何より英霊の方々が望まれません。
英霊は天皇陛下が近くにいらして御稜威に触れることをなにより喜ばれます。天皇陛下が靖国神社を御親拝ないし御参拝されるよう要求することは、天皇の御稜威そして存在そのものを否定することです。
以前GHQの中の天皇陛下を裁判にかけず利用しようとした一派が、そのための文書・資料として木戸幸一に口述させ、寺崎英成に筆記させて作ったものが、昭和天皇独白録として公開されました。あれを第一級の歴史資料といった東京大学の教授がいましたが、それをはるかに超えた暴言、暴挙です。
(當田晋也)
「天皇陛下が靖國神社を参拝(親拝)されたことはない」
文章を読んでいる途中、この文章はこう言っている、と解釈しました。
「はぁ?」と思いました。
「何、言ってんの?昭和天皇は参拝されてるし、第一、靖國神社を置くようにと言われたのは明治天皇なんだから、参拝のなかった筈はない」、と。
で、能々読むと、「皇太子の時は参拝されている」と続くので「??」となり、「天皇は皇室の祖先神や、代々の天皇を祀る神社には参拝をされるが、そうでない神社(靖國神社等)には行幸をされるのだ」と書かれていることで、やっと納得。
天皇陛下は神官の長、日本国の祭主なのだから、国民の先頭に在って皇祖神を拝するのが仕事。
国民を拝む、ということは対立する支配者であるという立場を唱えることになる。
で、「参拝と行幸の違いは、神前での拝礼の角度にある」と展開し、「参拝は90度に身体を倒される(最敬礼)が、行幸の場合は30度だ」、と。
「何だ、角度の違いか。それだけのことか。細かいことを。天皇陛下が来られるという事が大事なんだから、そんな角度のことなんか、この際、大したことじゃないぞ」
、と考えますよね?大半の人は。
でも、そうじゃない。
一番大事なことは、靖國に祀られている英霊(靖國の大神)の立場で考えてみれば、という事です。
「靖國の大神」、と言うより、英霊達は、天皇陛下の最敬礼を望むだろうか。
一見、拝礼の角度なんて小さいことに見える。
けど、そういう小さいところにしか心は表せない。そういうところにこそ、真心が見える。
英霊達は国を護るために命を捧げることが、身近の人を守る近道と知っていた。
だから「お母さん」と叫んだり、妻子の名前を叫んだりした。天皇陛下個人のためにではなく、国のために。
国の存続がなければ、身近な人々は結局命を失うことになる。
・・・・・・・・・・・・・・
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
令和元年(2019)5月15日(水曜日)弐
通巻第6078号
(読者の声2)最近天皇陛下の御親拝または御参拝に関する議論が多くなされています。
さらに最近沼山光洋氏が自裁されたことにより議論が沸騰しています。一つ注意を喚起したいことがあります。
今までに靖国神社に御親拝ないし御参拝された天皇陛下は一人もいらっしゃいません。
明治天皇も大正天皇も昭和天皇も上皇も靖国神社に行幸されたことはあります。しかし御親拝ないし御参拝されたことは一度もありません。
大正天皇、昭和天皇は皇太子時代には靖国神社に参拝されました。
天皇陛下が御親拝ないし御参拝されるとき神殿に向かって90度上体を倒されます。天皇の祖先に当たる神様や亡くなられた天皇が祭られている神社では御親拝ないし御参拝されます。例えば伊勢神宮です。
神社に行幸されるときは、約30度上体を倒して、深めの会釈をされます。
天皇陛下が神社にいかれる場合は、天照大御神様の地上における現人神としていかれます。
天照大御神様が靖国神社で90度上体を屈して拝まれることは、何より英霊の方々が望まれません。
英霊は天皇陛下が近くにいらして御稜威に触れることをなにより喜ばれます。天皇陛下が靖国神社を御親拝ないし御参拝されるよう要求することは、天皇の御稜威そして存在そのものを否定することです。
以前GHQの中の天皇陛下を裁判にかけず利用しようとした一派が、そのための文書・資料として木戸幸一に口述させ、寺崎英成に筆記させて作ったものが、昭和天皇独白録として公開されました。あれを第一級の歴史資料といった東京大学の教授がいましたが、それをはるかに超えた暴言、暴挙です。
(當田晋也)