CubとSRと

ただの日記

一体いつの時代の話、してるんですか?

2020年04月30日 | 重箱の隅
2012.07/18 (Wed)

 先日の「そこまで言って委員会」に山本太郎氏が出ていた。

 「あれ(反原発デモ)が偽らざる市民の声だ」
 と氏が言うのに対し、確か、東京新聞の編集長(長谷川幸洋氏?)だったか、が、
 「そうじゃない。後ろで糸を引いている者がいるんだ。そういう連中は表には出て来ない。連中は日本の破壊を目指してるんだから」
 みたいなことを言うと、山本氏、失笑して
 「一体いつの時代の話、してるんですか」。

 あまりにも傲慢というか、年長者に対して無礼千万な態度ではあったが、彼なりの本気、は見えた。
 で、やっぱり大半の人は、そう思っているんだろうか。「いつの時代の話、してるんですか?」って。
 「陰謀論か?都市伝説だってもっと気の利いたことを言うぞ」、なんて思っているんでしょうか、国民の大方は。

 今日、先日の反原発のデモ、集会の写真をネットで見掛けた。
 「政治色なんかない。生粋の市民のデモで、団体での参加などなかった。場所によっては日の丸が振られ、『美しい山河を守れ』と書かれた旗も」
 などとテレビでは言っていたけど、ネットでは、日教組の幟や動労(動力車労働組合)の旗、三里塚闘争の旗等も見られ「民青同」と書かれた旗もあった。日教組や動労や民青の旗があって、政治色がない??
 「美しい山河を守れ」、って日教組の組合歌じゃなかったのか?

 「一体、いつの時代の話、してるんですか?」
 そう言いたくなるのはこっちだ。
 何故、市民の、自然参加のデモだというのに、そんな旗があるのだ。

 「初めは数十人だったのが、賛同者が増えて20万人になったのだ。みんな自然参加だ」
 確かにそうだろう。けれど、じゃあ初めの数十人は何者なのだ。自然参加でこの旗か?
 それよりも「市民が自然に参加した」ということの異常性を考えることはないのか。子供が「行く」と主張するのは、親の教育の成果ではないのか。幼児を連れて行くのは親のエゴではないのか。
 「いい?よく見ておくのよ。今日から社会が変わるのを!」なんて言い聞かせたら、それは最高の革命思想教育ではないか。

 民青(民青同)がどういう活動をしてきたのか、本来はどういう組織なのかテレビや新聞で、採り上げ、解説してきただろうか。(註)
 「民青とは~な活動をする団体です。思想色は全くありません」って?

 現政権を擁護する気は欠片もない。勿論定例になっているデモに賛同する気も全くない。「原発大っ嫌い」と書かれたプラカードを見ただけで、程度が知れる。
 賛同する気が全くないのは、山本氏の言に象徴される考え方を「?」と思うからだ。
 「一体いつの時代の話、してるんですか(?)」
 この一言だ。

 教育体制、思想形態は、70年安保闘争の頃と、全くと言っていいほど変わっていないのに。「そんな大昔のこと、今まで続いているわけないでしょう?アタマ、大丈夫?」と能天気にも思い込んでいる。自分の意志で参加しているのだと、少しも疑うことなく、太鼓叩いて踊っている。

 まさかと思われるだろうけれど、水力発電や、治水を目的とするダム建設について、どれだけ多くの人が反対したか。そして、その反対意見をまとめたのは誰だったか。調べてみれば、、今の反原発と同じ仕組みだったことが見えてくる。

 坂本龍一や大江健三郎、瀬戸内寂聴などの有名人が中心になっているんだ、なんて本気で思っている人はいないと思うけど。 まさか、ですよね?


 註)
 最前線で戦う兵士の背後には、必ず、予備軍がいます。更に、その背後には、絶大な力を持つ後方支援が必要です。
  (中略)
 注目されるのは、最前線の兵士であり、幕内力士であるわけですが、実は、全体で一つのものを形成している。暗黙の了解があって、誰も口にしないけど、そういうことです。

 70年安保の時だって、全共闘ばかりが目立つけれど、運動は分化し、先鋭化して、日常的に「自己批判」が「強制」されるようになり、(これ、おかしな物言いでしょう?)終いには、グループ内で、「粛清」まで、行なわれた。字面では、そうは見えませんが、実際には「処刑」、です。

 しかし、実は、学生運動に自然に参加させようという活動を行なうグループもあった。「民青(民主青年同盟)」がそうです。
 その民青のやり方、フォークダンスをやってみたり、みんなでハイキングに行ってみたり、という、正攻法でなく搦め手からの参加者勧誘という方法は、真剣に真正面から社会について考えようとする各グループから見れば、とんでもない軟弱者、日和見にしか見えない。
 けれど、このノンポリ(ノンポリシー。はっきりした思想を持たない)をも、巻き込んでしまい、学生運動にシンパシーを感じるように仕向けていく、このやり方こそ、コミンテルン世界大会の決定方針に一番近いものでした。
 「人民戦線」、の考え方、「革命は外側(暴力、武力)からでなく、内側から」、です。
  「良い子の70年安保」その①
コメント (2)
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谷垣総裁のこと

2020年04月30日 | 心の持ち様
2012.07/17 (Tue)

 「そうだ!それが言いたかったんだ」
 と思ってる人、結構あるんじゃないでしょうか。

 夕刻の備忘録氏の
 「その先入観が自民党を潰してきた」
 と題するエントリーです。
 今回はごちゃごちゃ書かないで、ただ、抜粋文を転載するだけにします。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

              ★ ★ ★ ★ ★

 さて、こうした「保守派」の人達に不人気なのが自民党谷垣総裁である。覇気がないだの、リーダーシップに欠けるだの、誠に言いたい放題であり、他党支持者ならともかく、自民党支持者にまで、こう酷評ばかりされては、御本人も遣り切れないだろう。

 谷垣禎一は自民党の歴史に残る総裁である。
 これは厳然たる事実である。
 先ず、久々の三年任期満了の総裁である。
 そして、先日の自民党内からの生放送で、自ら自嘲気味に語られたように、「自民党総裁室に最も長く居る総裁」である。政権与党となれば、当然「総理執務室」に居る時間の方が遙かに長くなるわけであるから、「これまでの自民党総裁は、総理であったがために余り総裁室には居なかった」ということを冗談めかして語られたのである。

 しかし、これはウケを狙って話されたのではない。むしろ、この言葉に男としての誇りを読み取るべきなのだ。

 三年前、自民党は野党に転落した。
 その時、「野党自民党総裁」となることを躊躇う有力議員が多い中、敢然と手を挙げられた「総裁選経験者」は、谷垣総裁ただ一人であった。このことだけを取り上げても、谷垣氏に文句を言える自民党議員は少ないはずである。あの時、あの状況で、如何なる裏事情があろうとも、自らが総裁選に出なかった段階で、「谷垣降ろし」を画策する資格は無いのである。

 そして谷垣自民党は、極めて舵取りの難しい政治状況の中で、日々得点を重ねてきた。歩みは遅く見えても、確実に相手を捉えて、見失うことなく追い詰めてきた。重要な選挙はことごとく勝ってきた。

 そして何より、自民党から落伍者を出さず、反総裁グループを作らせず、少しずつ自民党本来の主張である「自主独立の路線」へと移行させてきた。唯の一回も大声を出さず、見苦しい振る舞いをせず、現状で唯一「政権交代が可能な野党」を、見事に取り仕切ってきたのである。

 しかし、「保守」という括りに拘る人達には、この現実が見えないようである。そこには、やはりマスコミの煽りが利いていると思われる。他の問題なら一言でマスコミを否定する人達も、谷垣氏の見た目の優しさに焦り、苛立ちをおぼえ、マスコミの思う壺に嵌ってしまうのである。自らの我慢の無さが、自らの信条すら裏切ってしまうのである。

 これまで、どれほどマスコミが作り上げた先入観に乗って、自民党の雄偉の人材を潰してきたか。他党支持者ではない、自民党支持者が自ら「次代のホープ」にドロを塗ってきたか、そのことを考えて頂きたい。

 「丸ごと支持、何もかも支持!」と断言出来ない心の弱さが、ピンチの時に現れるのである。「百%何でも支持」なら、宗教と同じでそれは真の支持者ではない等と、如何にもマスコミの受け売りのようなことを言って、自分だけは理性的な、知的な支持者であろうとカッコを付ける。その弱みに付け込まれるのである。

 中川昭一の、あの一件の時の「反応」を思い出して頂きたい。自民党は支持するし、中川も支持するが、「今回のことだけはダメだ」と、「真実を調べようともせず」、自分だけは高みに登って、マスコミに同調した人達がどれほど居たか。事の真偽を確かめる前に、マスコミ報道に踊らされ、先入観を植え付けられて、自民党潰しに加担してきた人が実に多かった。泣きたい位に多かったのである。

 自民党は昔から「人材の宝庫」と呼ばれてきた。しかし、国民挙げてその人材を潰してきたのである。幾ら宝庫だとは言っても、それには限りがある。野党とマスコミの共闘により、自民党の総裁は短期に使い捨てられてきた。そして遂に世代間ギャップが目立つところまで追い込まれてきた。ここで下らぬ横槍を入れて、谷垣総裁まで使い捨てるようなことがあっては、益々人材が涸渇するようになる。

 嘘も偽りも、誇張も要らない。冷静に、谷垣総裁のこの三年を調べれば、「よくぞ、この時期に総裁職を引き受けて貰えたものだ」との思いを持たれるはずである。来る総選挙、政権奪還の闘いに勝利する。その為には、現体制がベストである。間違っても「選挙向けの顔」などを模索することがないように、御願いしたいものである。

 闘志と信念を腹の中に収め、ひたすらジェントルに振る舞われる谷垣氏は、実にマスコミが批判し難い相手なのだ。そのことを誰よりも知っているのが、谷垣氏である。それを単なる弱気としか読めない人は、政局を語る資格が無い。今は沈黙に徹し、焦らず、慌てず、大局を見て頂きたい、と切に願うものである。
 
 「保守」であるという政治信条よりも、さらに大切なものがある。
 それは国家である。日本である。

 日本を護るため、現政府を倒すためなら、保守であろうと何であろうと捨てる。それこそが、実は保守そのもの、保守派の気概というものではないか。

 >落伍者を出さず、反総裁グループを作らせず、少しずつ自民党本来の主張である「自主独立の路線」へと移行させてきた。

    ↑
 これ、大きいでしょう?



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万里一空?万理一空?

2020年04月30日 | 重箱の隅
2011.09/30 (Fri)

 大関昇進が確定して、満面の笑みの琴奨菊。何がうれしいと言ってこれほどうれしいことはない。でしょうね、きっと。
 使者に対する口上で、四字熟語を言いたくて、もうとにかく何を言おうか、カッコいいのはないか、と、悩むのか喜ぶのかはっきりせい!と言いたくなるくらいの笑顔。そりゃそうですよねぇ、おっさんみたいでも、二百キロ近い体躯をしていても、考えてみれば、まだ二十代の若者なんですから。

 使者に対するに、四字熟語なんて別に遣う必要はないんです。
 昔の力士は口下手で、短い口上を述べるのだって汗を拭き拭き、つっかえながら、でした。その言葉も決まり切ったもので、「相撲道に精進し、国技の名を汚さぬよう努めます」、くらいなものでした。

 それが、琴奨菊にとっては憧れの存在である貴乃花が「不惜身命」だとか「不撓不屈」だとか、難しい言葉を使ったものだから、「カッコいい!おれも言ってみたい!」となった。暴走族が、難しい漢字でチーム名をつくった、みたいな感じかも。「喧嘩上等!」「夜露死苦!」の世界かもしれない。

 けど、それ、えらいな、と思います。子供の頃からひたすら相撲の強さに憧れ、自身も強くなりたいと努力して来たんです。側から見て子供みたいだろうがなんだろうがかまわない。一途に取り組んで今がある。で、四字熟語でびしっと決めてみたい。
これ、素晴らしいことじゃないですか。
 初志貫徹、点滴岩をも穿つ、ですよ、拍手喝采ですよ。
 
 だから、全く関係のない、相撲ファンの一人だけれど、どんな四字熟語をさがして来るのかな、と楽しみにしていました。
 そしたら、或る人の情報で「万里一空の境地を・・・・」だって。何だ、そりゃ?
 
 いや、だからいいんですよ、別に。本人が「カッコいい!」と思ったんだから。
 で、今朝、「万里一空」ではなく、「万理一空」だと、どの局も朝のワイドショーで報じている。
 ははあ、「万理一空」かぁ。けど桑田投手が「万里一空」と言っているのか。桑田投手、間違えて聞いたんだろうな、と思って、今度はすぐにネットで調べました。

 何と、「五輪書」からの引用らしい。そして「五輪書」では、「万里一空」と出ているらしい。桑田投手、正しかったんだ。
 ということで、考えようとしてみました。先に言って置くと、「万里一空」では、意味が通らない。武蔵は「理」に「里」を当てて書いただけでしょう。

 さて、まず「五輪書」の「五輪」から書かねばならない。
 五輪塔というのがあります。「おそ松くん」のちび太が持ってるおでんみたいな形の石塔です。
 「五輪」というのは、世界を構成する五つの元素を言います。そしてそれが上下に重なっていると考える。そうやって成る世界の形を表しているのが五輪塔ですから、「五輪書」というのは、「世界の仕組み」を説く書、という題名だということになる。
 もちろん「武芸の」とか「剣術の」と特定してないだけで、剣術の書の体裁になっていますが、各分野でこの書が様々に読み解かれ応用されているのはご存知の通りです。

 ついでながら、人は、この世界の形を具現化したものとされています。
 五つの元素(類)が順序通りに重なっているから、人のことを「重類」と言い、動物は重ならないで並べた形になっているから「傍布」と言います。
 五元素というのは「地」「水」「火」「風」「空」。
 人は地に足を着けているから足が「地」。小便をする、水分を有する腹が「水」。胸には「火(情熱)」があり、口から息を吐く「風」。そして、全てのものを統括し、全てを生み出す頭「空」。
 「地」「水」「火」「風」「空」、この世を成立させているものを基本の形として武術を足元から説明し最終的に「空」として説き終わろうとしたのが「五輪書」と言えます。
「空」を説くのは、「心の持ち様」を超えた「境地」の話ということになります。

 「五輪書」には、こうあるそうです。
 「山水三千世界を万里一空に入れ、満天地とも攬(と)る」
 更に、
 「乾坤をそのまま庭に見る時は我は天地の外にこそ住め」

 これを読むと武蔵は「万里」を「万理」の意味で遣っているのが分かります。  いや、元々武蔵はちゃんと「万理」と書いていたのかもしれません。
 「千里の道も一歩から」「万里之(立)行起一歩」という言葉のように、「里」は道程に関する文字ですが、「理」は「仕組み」「理(ことわり)」です。
 「一空」の「一」は「ひとつの」ですが、「空」は「空っぽ」ではなく「全て。そこに在る」ということだと言います。
 あの般若心経の「色即是空、空即是色」の「空」です。「形も色もない、未発の全て」。そこから始まり、そこに全てが帰結する。
 だから、「空」は「仕組み」「理(ことわり)」と言い換えられるでしょう。
 「万理一空」。全て、空から始まり、空に戻る。

 そうすると「山水三千世界」(山水(或いは陸海)も全ての世界)も、「万理一空に入れ」(空で整序し)、「満天地」(そうやって整理した天地全て)を、「攬る」(己が掌に乗せてしまう)。

 「乾坤をそのまま庭に見る時は」(時の流れも含め、全て世界を掌に乗せてしまうと)、「我は天地の外にこそ住め」(私は世界を外から包んでいるということになる)。

 大体、こんな意味でしょうか。哲学者の目指すところでもあり、禅僧の悟りでもあるようです。

 「万理一空の境地を目指し・・・・・」
 いいじゃないですか。相撲道に精進したいという気持ちがとてもよく伝わって来ました。

 ところで、横綱に推挙された時は何て言うんだろう。
 また、あの何とも言えない笑顔を見たいものです。今から楽しみです。
 
 これ、書き終わってネットを見たら、「万理一空」って、「兵法三十五箇条」に出てるんだそうですね。五輪書でなく。
 で、「難しいことだから自得せよ」、だって。
 まあ、そりゃそうですね。「更に参ぜよ三十年」、ですよ。
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駅前演説

2020年04月30日 | 重箱の隅
2011.09/27 (Tue)

 日本では相手のことを思い遣るがゆえに、「足元を見る」ということをあまり勧めません。
 けれども、同時にそれは我が身を省みる際に甘さが出てしまうことにもなると書きました。
 しかし、また日本には「脚下照顧」という言葉もあって、やっぱり、しっかり地に足着けて生きる(何かに取り組む)こともちゃんと考えているのだ、とも書きました。

 対して欧米の人々は「足元を見る」ことによって様々な情報を手に入れ、それで以ってつき合いをするのだから、「足元を見る」ことは常識的に捉えられているということも。
 初対面の時に御辞儀をするか、敵意がないことを示すために握手をするか、も似たようなこと。

 何だか最初からややこしい言い回しをしていますが、早い話、「足元を見る」という言葉一つ採ってみても、見方によって捉えるものは違って来る、ということを言いたいんでした。

 「足元を見る」とはただの一動作でしかないのですが、否定的に捉える日本の文化に対し、欧米では情報を得るために肯定的に捉える。

 また泥沼にはまりそうです。
 何故こんなことをくどくどと書いているかと言うと、まだ、あの「モンクストラップ」が引っ掛かっているからです。
 ローマ法王がモンクストラップの靴を履いていた。あ、やっぱり。修道僧はモンクストラップの靴を履くんだ。そうかそうか、モンクストラップの靴は修道僧の靴から、というのは本当だったんだ。
 足元を見れば色々なことが分かるんだ。そういう風にして成立する文化もあるんだな。

 一点を集中して見る。その時、全体を見ることはできないけれど、全体を念頭に置く努力をしながら、一点を集中して見る。
 そんなの根本的に無理なんです。焦点を二つ持つことになるんですから。
 でも、努力する。「治に居て乱を忘れず」に近いかもしれません。
 なかなか難しいことで、そう簡単にはできません。
 でも、そうやって、一点を集中して見ているうちに、その一点の微細なところまで見えて来るようになる。
 その結果、焦点を他のところに移しても、「ピント」が合うようになるまでの時間が短くなって来る。一点集中によって高められた「集中力」という能力(能くする力)のおかげです。

 全体を念頭に置く努力を続けていれば、この一点集中と全体像を思い出すことを交互にやることはさほど難しいことではなくなり、修練の結果、これは瞬時にできるようになる。観見の目付(めつけ)が同時にできるようになる。

 そう考えると、やはり、現総理の言動は信ずるに足るものではないという事が明らかになってきます。
 性格が悪いとは思っていません。実直な人だ、とは思います。ただ、すっかりひねくれてしまったのではないか。柄に合わない修正主義を受け入れようとして、苦悩し続けているのではないか。そう思います。

 松下政経塾へ行ったのが悪かったのだ、とは言いません。
 民主党に入ったのが悪かったのだ、とも言いません。
 総理大臣になるべきではなかったのだ、とも言いません。
 勿論、それらが正しい選択だった、と肯定しているのではありません。

 松下政経塾へ行ったのは、ここで勉強するのだ、という青雲の志に衝き動かされてのことと思います。
 地盤・看板・鞄のない者が自民党から推薦される訳もない。民主党の自由さがあってこそ、財務大臣まで行けたのでしょう。
 総理大臣だってそうです。あの、選挙互助政党と揶揄される、党の綱領をつくることすらできない寄せ集めの、バラバラの主義主張をする者の中にあって、それを纏め上げるのは「ヒーロー」ではない。
 「潤沢な資金をばら撒く」者か、
 「力づくで当選させ、恩を売る」者か、はたまた
 「何もしない、言わない、で党員を野放しにする」者か。

 いずれも、あるべき姿ではない。特に最後の「総理主導」のリーダーは、党を限りなくぼろぼろにし、分解寸前にまで追いやった。
 それを何とかまとめ上げるのは、「求心力」ではなく、「なだめる力」でしょう。
 「調整型」というのは、そこから希求された人間であり、それは野田総理しかいなかった。

 でも、小渕総理とは違う、ということを書きました。
 もう一度、そこを書いて置きます。
 
 相田みつをの、あの詩文です。
 「どじょうが金魚のマネしてもしょうがねえじゃん」
 、は野田総理の言。
 これを、「ああ、あれか」と聞いた人、知ってる人は思い浮かべる。
 けれど、相田みつをの詩文は、こうでした。
 「どじょうが金魚のマネすることねんだよなあ」
 よく見ると全く違うニュアンスです。けれども少なくとも輿石幹事長は喜ぶ。幹事長の心、わしづかみ。駅前演説の成果(?)です。
 この微妙なズレを、野田総理は「摺り合わせの技術」として自分のものにしている。

 もう一つの例が、あの「正心誠意」です。
 「正心誠意」は勝海舟の言葉、と新聞は書き立てましたが、これ、四書五経の中の四書「大学」にある「格物 致知 誠意 正心 修身 斉家 治国 平天下」の項目からの言葉なんだそうです。
 海舟の言葉ではない。
 けれど、海舟は独特の意味を込めて用いている。海舟の生き方と重ねてみれば、やっぱり「正心(ひたむきな心)を以って意(おもい)を貫く」となる。
 しかし野田総理は「意を誠にし、心を正す」と読んだ。「大学」のままの読みです。所信表明演説で出てくるには唐突過ぎる。
 海舟を意識しながら、原典のままの読みをした。これでは、正心誠意を持ってきた意味が分からない。
 ここでも意味をずらしている。

 両方とも意図的ではない、と思います。却って意図的であって欲しいくらいです。しかし、これ、本心からでしょう。

 幹事長の歓心を買うために相田みつをの詩文を採り上げ、「氷川清話」中の海舟の「正心誠意」を、「正」の字の意味を見詰めることなく、おそらくは政経塾に居た頃に「意を誠にし、心を正す」と捉えたままで所信表明に遣った。
 だから、「何で今、あんたが?」となってしまった。「それで、何で、四日間なのか」、と。

 やっとおしまいです。
 「物事をしっかりと見詰める」ためなのか。
 それとも
 「(一瞬で)相手の心をつかむ」ためなのか。
 駅前演説で、野田総理はどちらを手に入れたのか。


 「足元を見る」とはこういうことではないでしょうか。
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言行一致(知行合一とは言わぬまでも)

2020年04月30日 | 心の持ち様
2011.09/24 (Sat)

 「夕刻の備忘録」から、転載です。
 私がとやかく言うより、まず、読んでいただく方がいいでしょう。

 「君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。きっと非難とか叱咤ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。
 しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい」 (昭和32年2月)

 誰の言かは、ひとまず置いておきます。「昭和32年2月」ということだけ。
 昭和26年、七年間の長期にわたる占領の後、晴れて独立国となった日本。防衛大学校の第一回卒業式の訓辞だそうです。

 次に転載するのは翌33年、一人の文学者が書いたものです。
 「ここで十分に政治的な立場を意識してこれをいうのだが、ぼくは、防衛大学生をぼくらの世代の若い日本人の弱み、一つの恥辱だと思っている。そして、ぼくは、防衛大学の志願者がすっかりなくなる方向へ働きかけたいと考えている」

 ご存知の方も多いと思いますが、初めの方は、時の総理大臣吉田茂。
 後の方は、ノーベル賞作家大江健三郎です。
 見方は色々でしょう。私は双方について余りよくは知りません。それは、我々日本国民の大半と同じ程度の知らなさ加減だと思います。

 そんな程度でも一人前に国政に物申すことができる。そして、物申さねばならない。「知らないから黙っておきます」というわけには行かない。言わなければならない。それが民主主義国家の、一国民の在り方、務め、です。無責任なことは言えない。日本国民なんですから。

 だから、考える。考え方の目安。
 それは、相手を、対象たる人物を、人間として認めようとする姿勢があるか否か、です。これくらいだったら、誰にだってできるでしょう。
 私はこう思います。

 「吉田茂は防衛大学校の卒業生に、日陰者であることに『耐えてくれ』と言っている。卒業生の人格を認めるからこそ、『それが国、国民のため』、とその人格を踏みにじられることを、命じている。」
 対して。
 「大江健三郎は『防衛大学生は若い日本人の弱み、一つの恥辱』と言い、志願者がなくなって欲しい、と人格どころか存在を否定している。」

 「それぞれ『国、国民のため』ながら、人格を踏みにじられるよう命じることと、存在を否定することと、どちらに相手を『人間として認めようとする姿勢』があるだろうか。」
 そう考えた上で、「一事が万事」、です。身なりを見ます。身なりを見れば、そこに人間性は現れる。
 
 今回の「夕刻の備忘録」氏のエントリーは
 「なぜ野田は親の仇に平伏したのか」
 で、私の感想とは直接の関係はありません。
 しかし、この二者の言の対比があまりにも鮮やかだったので、敢えてお借りしました。
 野田総理の父親は自衛官だったそうです。民主党、時の政権は自衛隊を、つまり野田総理の父親の存在意義を、否定している。 
 
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