CubとSRと

ただの日記

ツーリング考(松島の月まず心に懸りて)

2019年12月31日 | バイク 車 ツーリング
 芭蕉という人は本当によく旅をしている。そしてその都度、紀行文を残している。
 無駄を省いたどころか大滝秀治の如くに、とにかく省いて省いて、もう本当にこれっきりというところまで省いて俳句にしたように、その紀行文もただ読んだだけでは意味が通らないくらいに言葉が省かれている。

 で、それがまた「味」になる。俳句と同じく言葉を省略することで却って情景に深みが出て来る。
 何でも書き上げたものに何度も加筆、訂正、削除を行い、結果あの形の紀行文ができたのだとか。
 有名な「奥の細道」だって初めの方くらいだろうか、
ちゃんとした文になっているのは。

 「月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり 舟の上に生涯を浮かべ馬の口とらへて老いを迎ふる者は日々旅にして旅を栖(すみか)とす 古人も多く旅に死せるあり」

 「舟の上に~」辺り、既に省略が始まっているけれど大体見当はつく。それが「古人も多く旅に死せるあり」となって来ると怪しくなる。
 まあ大体が巻頭の文にいきなり「古人も多く旅に死せるあり」、と「死」の一字を持って来るなんて縁起でもないといった気もするが、これまた計算づくだろう。禅味と言うべきか。

 「予もいづれの年よりか片雲の風に誘はれて漂白の思ひやまず 海浜にさすらへ 去年(こぞ)の秋 江上の破屋に蜘蛛の古巣を払ひて やや年も暮れ 春立てる霞の空に白河の関越ゑんと~」となると、もう「おいおい」と言うしかない。
 
 一つずつ話を纏めてくれよと言いたくなってくる。
 ところがこれ、
 「居ても立ってもいられない、とても悠然と構えては、いられないよ」
 という気持ちをまあ、見事にあらわしている。
 だから続けて
 「そぞろ神のものに憑きて心を狂はせ 道祖神の招きにあひて取るもの手につかず」
 となると、
 「そうだよな。もう、わくわくしてじっとしてられなくなるんだよな。修学旅行の前の晩だよ」
 と思わされる。
 
 「股引の破れをつづり 笠の緒付けかへて」すっかり旅支度を整え、
 「三里に灸すうるより松島の月まず心にかかりて~」身体のメンテナンスも完璧、と思った時には、もう松島の月が心に「懸って」いる。

 月が「懸る」と心に「掛かる」が掛かっているなんてどうでもいい。早く旅に出たくて仕方がない。わくわくして、もう心ここにあらず、だ。

 芭蕉は隠密行動をとる「忍び」だという説もある。何しろ出身地が伊賀上野だ。忍者のふるさとだ。
 でも旅行家のイザベラバードとは一味違う観察眼を持った教養人の、趣味人の旅、として見ていいんじゃないのかなと思っている。忍びとして見たからといってこの紀行文の素晴らしさが高まるものでもない。

 歌詠みを志し、途中から連歌の宗匠になったけれども古典に残る名所旧跡を一度でいいから見ておきたい、もうとにかく好奇心のみなんだけれども、名所旧跡巡りをしたい。名歌の詠まれた土地に行ってみたい。

 このワクワクする感じ。
 芭蕉ほどではないけれど修学旅行を経験した人ならみんな知っている感覚です。
 
 バイクツーリングというのは修学旅行と芭蕉の旅の間にあるのかな、と思うことがある。
 修学旅行は団体で、乗り物で移動する。
 芭蕉の旅は供を一人。自らの足で行く。
 修学旅行はお喋りをしたり遊んだりしているうちに目的地に着く。道程はあまり記憶にない。
 芭蕉は道程に句の題を見つける徒歩立ち。
 「風流の初めや 奥の田植ゑ歌」

 バイクは途中の「移り行く景色と空気の真っ只中に身を置く」という楽しみもあるけれど句の題を見つけるには速過ぎる。

 バスや電車の窓外に広がる大パノラマは当然ながら立ち止まって満喫できるわけではない。だから気がつけば単調な記憶だけが残る。
 バイクは停まれる。でも、停まりたくないのがバイク乗り。
 とは言え時にはサイドスタンド出して、写真を撮ったり煙草を喫ったりする。

 この感覚は妙なもので、
 (停まりたくない。もっと先に行ってから休憩しよう。あ、また良い景色だ。写真撮りたいな。でももう少し先の方がいいかも。あれ?さっきの所の方が良かったな。でも後戻りは嫌だしな。Uターン、下手だからこけるかも知れないし。いいや。もうちょっと先へ)
 の繰り返し。

 それを無理やり停まって写真を撮る。思い通りのものは、まず撮れない。
 で、先へ行けば良かったかと少しばかり後悔しながら出発する。
 だのに後で写真を見ると、これが記憶の座標になっている。
 その座標はその時の空気や匂いの記憶も持って来る。

 車と明らかに違うのは転倒するかもしれないということ。
 「そんなの危険なだけじゃないか」という人もある。その通り、と思う。
 それでも転倒の危険と背中合わせの「楽しさ」にひたる。

 「おかしいよ」と言うのが普通かもしれない。
 けれど単独の山歩き(決して山登りではない)をして、足を挫き、歩けなくなって・・・・ということの危険性と比べて、車の通る「道」を走ることの危険性の方が格段に高い、と本当に言えるのだろうか。

2011.08/06
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「楽しさの追求」

2019年12月31日 | バイク 車 ツーリング
 夏、ツーリングで北海道に行くと、ホクレンのガソリンスタンドで三角旗をくれた。
 一時期は道内の地域ごとに色が違っていたので、何種類も集めるのも北海道ツーリングの楽しみの一つだった。
 今でも夏期ツーリング時にはあるのだろうか。手元には97年と2000年の三角旗が数本残っている。

 昔々、北海道ツーリングをする者を「ミツバチ族」と言ったそうだ。ミツバチみたいにブンブンと音を立てて走り去るから。
 同じ頃大きなリュックを背負ってYHを利用して旅をする者は「カニ族」。左右に張ったリュックが、カニの甲羅のように見えたから。

 90年代には「ミツバチ族」は死語になっていて、普通に「ライダー」。カニ族は徒歩だから「アシダー」。
 自転車(チャリンコ)で巡る者は「チャリダー」。自転車は列車に積めることができた(勿論分解してだろうけど)ようで、行動範囲の広さはバイクより自転車の方が大きかったのではないか。

 それでも、バイクと違って自分の足で進む自転車乗りは、ライダーから尊敬されていたように思う。
 少なくとも「この貧乏人が!」、みたいな目で見られる、なんてことはなかった。
 その流れで行くと、アシダーはもっと尊敬される。実際、ライダーは自転車にも徒歩族にも手を振っていた。

 必死の思いで長い上り坂を、ペダルを踏み続ける、或いは強い陽射しに照り付けられながらひたすら歩く。
 彼らからすれば「ライダーなんて。お気楽なやつらだな」と思われていたのだろう。何しろ強い陽射しは風の中で心地良い位だし、長い上り坂なんてひたすらエンジンが頑張るだけだ。
 けど、同じ道を旅する仲間、という、かなり自分勝手ではあるけれど「連帯感」、みたいなものはあったんじゃないかな、と今でも思う。

 この「相手の努力をそのまま認め、尊敬する」というのが、「バイクだけ」の中にもあって、北海道では「きっと苦労して旅を続けているんだろう」と思われる格好のライダーは、一目置かれていたように思う。

 リッターバイクより、中型車。中型排気量車より、小排気量車。
 中でも目立っていたのは原付。それもカブに、「夜逃げでもしてるんじゃないか」と思うくらいの大きな荷物を括り付けて、駆け足並みの速さで、「走る」というより「進んでいる」のが、一番カッコよかった。

 「いいなあ」、と思った。でも、「とてもじゃないけど、マネできないなあ。あの体力と精神力はないなあ。尊敬するなぁ」。
 四十近くなっているのに、心底、そう思った。
 「楽しむためだけ」にだって、体力も精神力も要るんだ。

 そんなだから、車に乗るようになっても「快適さ」とか「合理性」よりも、「楽しさ追求」が先に来る。楽しけりゃ「排気量」や「快適さ」、「合理性」などは二の次だ。当然、軽自動車で十分、いや、十二分だ。
 けど、「楽」を追求する車と「楽しさ」を追い求めるバイクは、その価値観の順位が逆のようだ。

 「でもなあ」、と思う。別に車で楽しさを追ったって良いじゃないか。
 色々なパーツを着けたり、チューニングをしたりという「楽しさ」でなくて、どこかのCMじゃないけど「駆け抜ける」楽しみ、例えば「いつだって窓を開けて走る」とか。・・・あれ?「窓開ける」他に何かあるかな?
 そうそう、対向車が同じように楽しさを追っているらしい車なら、バイクみたいにハンドサインをする、とか。
 「ハンドサイン、なんて子供みたい」?

 でも、「楽しさ追求」って、童心に帰ることでしょう?
 良いじゃないですか、「ハゲおやじの満面の笑みとピースサイン」、なんて。
 車とバイクの間でも、できたらなぁ~。

 「楽しさ」を追求するとき、「相手の努力をそのまま認め、尊敬する」気があれば、決して利己主義や排他主義には陥らないんじゃないか。
 バイクや車に限らない。人間同士、国同士だって。


2016.11/21
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天皇制、天皇家

2019年12月31日 | 重箱の隅
 「天皇制」とか「天皇家」などという言葉は不届きです。
 「不届き」というのは「言葉足らず、誤解を招く」、ということで、「この、不届きものがぁ~っ」、というのは本来の意味から外れています。あ、そんなことは置いといて。

  「日本は皇国である」というのは、「日本は天皇の知らす国(統べる国)」ということで、直接、間接を問わず「天皇が中心となって成り立つ(決して腕力で纏め上げる、ではない)国」という意味です。
 「皇室」は「天皇のおわす室(場所)」という意味であって、「家」という意味ではありません。「家」なら、「一家」ということになり、「姓」が付きます。天皇には姓がない。だから「家」は成り立たない。天皇がそのまま国体なのですから、その住まいは「室」というしかない。天皇の室。「皇室」、です。子孫は宮「家」となり、やがて「宮」がとれて一般の「家」になる。
 だから皇帝を倒して新たに皇帝が、という「易姓革命(姓が変わる=一家が変わる)」は日本ではできる筈もない。皇室を一旦廃絶させれば、それでおしまいです。一度、姓を持った者が、皇室復興のために姓を捨てる、というのはできぬ相談。

 (西欧の)「君主」は「人民」を支配し、搾取を行うことで、人民と対峙している、とする形を「君主制」と言います。
 社会主義者は、
「人民がその君主を打倒することで、理想社会が建設される」
、と説きます。
 「支配者を敵と捉え、打倒する。それによって理想が現実のものとなる」。
 この考えを日本に当てはめようとして、天皇を「支配者」と捉え、打倒すべきもの、ということで作られたのが「天皇制」、という言葉です。出自からして、そういう考えを含んだものなんだということです。
 「成り立ちなんかどうだっていいんだよ。今が大事なんだろ!」
 という人が主流になってきて、
 「言葉は生きているのだから~」
 なんて詩的に説明しようとする人がいますけど、もっと大事なのは「思い(意)」、ですからね。
 「情に棹差せば流される」。その時々の「情」に沿えば、取り返しのつかないことになってしまう。
 向上の意欲、「かくありたい」という「思い(意志)」を見詰めるべきでしょう。


2016年2月21日・22日
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伝統と旧習

2019年12月31日 | 重箱の隅
 以前、
 「『保守』というのは、『今』を(闇雲に)守るのではなく、培い、高めてきた『伝統』を守るのだ」
 、と書いたのだけれど、昨日、こちらでしか見られないMBSの「ちちんぷいぷい」という番組で、その『伝統』という言葉が使われていて、その使い方に、もう引っくり返るくらい驚いた。
 何でもアメリカでは投票日は休日である日曜日ではなくって火曜日なんだそうだ。
 別に平日であったって良いけれど、とにかく「火曜日」、ということらしい。
 その理由が、日曜礼拝を済ませてから投票に行くことと、投票場が遠方なため、行くまでに丸一日以上かかるからだ、と。
 それも良いんだけれど、
 「今は車があるんだから、数時間か、まあ一日もかからないんだろうけれど、『昔からの伝統を守って』こうしている」
 ってのを聞いて、こっちはもう、ビックリしたわけです。

 それが「伝統」、か?それはただの「旧習」じゃないのか?
 五箇条の御誓文にあった「旧来の陋習を破り天地の公道に基くべし」・・・、こりゃ違うか。「陋習」とまでは言えないな。

 「伝統」に対するのは「因習」らしい。どちらも「伝わってきているもの」で、その社会を形づくるものなんだけれど、言葉の感じで、「伝統」の方が良い意味合いで使われていることは誰しも感じている。
 「伝統」の方は、二つの文字いずれにもその社会の人々の意志が感じられるからだろう。
 つまり、「伝えよう」「残そう」という「社会を発展させよう」とする意志が「伝統」の方にははっきりと見える。

 もう一度。
 「火曜日が投票日」
 それが「伝統」か?それはただの「旧習」じゃないのか?
 ただの旧習と伝統の区別もつけられないのか?アメリカは。

 そう言えば、昔々、
「合州国憲法の草案が展示してあるのを見に行ったら、そこに同じく観光に来ていたアメリカ人が感激して涙を流していた」
、という話を読んだことがある。
「アメリカ合衆国(その時は合州国だけど)の初め、というのはアメリカ人にとっては大変なことかもしれないけれど、高々300年にも満たないわけだ。それをこんなに感激している。対して、日本は、どうだろう。普段当たり前に思って生活をしているけれど、二千数百年の歴史の尊さを思い、感慨深いものがあった。」
大体こんな内容だった。

 アメリカはアメリカでいいと思いますよ、自国のことなんだから。
 火曜日だって水曜日だってかまわない。
 それが「伝統」なんだ、と言うのにとやかく言う気はありません(十分言ってるけど)。
 でも、日本が同じく「伝統とはそういうもの」と、「伝統=旧習・何となく伝わっていること」と、やられたんじゃあ迷惑です。
 勿論アメリカはそんなこと、強制してきません。日本人が勝手に「伝統ってそんなものだ」と誤解してしまうような説明を、無責任に垂れ流すメディアが問題なんです。

 「今を守るのではなく、培い、高めてきた伝統を守るのだ」
 と書いたのに、「旧習」じゃあ
 「今を守るのではなく、培い、高めてきた旧習、因習を守るのだ」
 になってしまう。
 おかしくないですか?
 「旧習」「因習」に、発展のための意志が見えますか?
 そうなると、保守政党って「頑迷固陋の政党」みたいじゃないですか。

 「培い、高めてきた伝統」というのは、これまで苦心して手に入れた、或いは作り上げてきたものを、磨き上げたものです。
 言ってみれば先人の工夫と努力の精華です。そして、精華だからこそ、それは更に磨き続けられる。磨き続けられてこそ、心の籠った「伝統」です。
 そう捉えることなく表面的に「習慣」「因習」と言い切ってしまったら、そこに敬意はなく、従って、そこから何かを学び取ろうという気は生まれません。

 「伝統」と「因習」。
 本来、「しきたり」や「ならわし」という和語には、「伝統」にある意志への敬意が含まれていたんでしょうけどね。


2012年11月8日の日記より

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「伝統って何だ?」と題して入院中に書いた日記だと思われます。もうボケてしまっていつ書いたか記憶にありませんが。
 記憶になくたって良いんです。要は血肉となっているか否かです。(はい、強情張ってるだけです。)

 「保守」という言葉の意味すら己の裡ではっきりさせないまま「保守」を標榜する。
 そうすると、「守るべきもの」が何だかわからず、もう誤爆ばっかり繰り返してしまうことになる。それが仲間割れを誘い、結果、大きな力になれず、消えて行ってしまう。
 「天皇制」は言うに及ばず、「皇国」だって意味を知らないで何となく使っているみたいだし、そうなると当然「皇学」だって・・・。

 「『皇国史観』なんて言葉も実はいい加減に使われ始めたんじゃないか」



2018.06/04
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皇国(すめぐに)

2019年12月31日 | 神社
 「皇学」とは国学のこと。「皇典」とは日本の古典籍のこと。
 では「皇国」とはどういう意味だろう、と考えているうちに、訓読みにしたら意味が見えてきた。
 それが日本という国の在り方から成り立ちまでを説いているのではないか、と書きました。
 以前に「皇」という一字姓があることを知り、
 「何て読むんだろう。何だか畏れ多いような名前だけど」
 と思っていたら、これ、「すめらぎ」と読むんだそうですね。

 同じく「皇国」を訓読みで読むと「すめぐに」です。
 「すめらぎ」は「すめらぐ」の連用形で、名詞と思われます。
 ところが「すめら」という言葉も又、名詞。
 となると、「すめ」という言葉があって、「すめる」という動詞が成ったとも考えられる。(元を辿れば、「すめ」と動詞の「住む」は同じだったのかもしれません)

 「皇国」と書いて、「すめらみくに」と読むこともありますが、これ、「天照大神」と書いて「あまてらすおおみかみ」と読むのと一緒で、書かれてない敬語を入れた読み方ですから、普通に読めば「すめぐに」、です。

 では「すめ」、又は「すめる」なんですが、何故、「皇」という字が当てられるのか。
 それで、似た感じの語(勿論、和語)はないか、と思ったら、ありましたよ。
 「すべ」、「すべる」という言葉が。
 「滑る」、じゃないですよ、「統(す)べる」、です。

 「統べ」、「統べる」は、「まとめ」、「まとめる」。そのための方策も意味しますから、「術(すべ)」も根は同じでしょう。

 「『すめ』と『すべ』、同じかぁ~?」
 と思われるかもしれませんが、「さむらい」は、本来「さぶらい」が正しい発音です。貴人の傍らに「さぶらう」者。「さぶらひ」、「さぶらふ(侍る)」から「さむらい」、です。
 日本語は元々、マ行とバ行に明確な違いはありませんでした。
 だから、今でも「寒い」、を、処によっては「さぶい」と発音するでしょう?

 「すめぐに」は「すべぐに」と考えたら、「皇国」と書かれる理由が見えてくるでしょう。
 天皇が国を「統べる」。それが日本の在り方だ、と。
 皇学は国の学問。皇典は国の古典。そして「皇国」は日本のこと。
 それは「天皇が統べる国」という意味で、決して「支配する」という対立関係ではない。
 「統べる」とはみんなをまとめあげる、ということで、「布(し)く」、「支配する」というような意味はありません。
 「統一」とすれば、強引な印象が出てきますが、「統べる」、にはそのような強硬なイメージはありません。
 「みんな一緒。天皇を先頭に国民が一体となって生きる」というのが「皇国」の意味と考えられます。

 「天壌無窮の神勅」には「ゆきてしらせ(行って治めよ)」という文言がありますが、そこに居る人々は支配されるのではなく、天皇と共に「在」り、天皇と共に天壌無窮であることを命ぜられている(神勅を同じく受けている)、とみるべきでしょう。
 皇孫だけが「天壤(あめつち)と窮(きわま)り無かるべし」、となったんじゃあ国民は存在できませんからね。 
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 天壌無窮の神勅

 豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂(みずほ)の國は、是(こ)れ吾(あ)が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)也。宜しく爾皇孫(いましすめみま)、就(ゆ)きて治(しら)せ。行矣(さきくませ)、寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、当(まさ)に天壤(あめつち)と窮(きわま)り無かるべし。



2012.11/19
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