CubとSRと

ただの日記

クラクション

2024年07月31日 | 日々の暮らし
 7月16日(火)

 5時に起きたものの雨。従って散歩なし。
 ただ、以降は降ることなし。

 墨汁を買いにホームセンターに行く。
 帰り、駐車場から出ようとしたら、駐車場内出入口付近を横切ろうとする女の人発見。
 駐車場内だし横断が終わるまで、と徐行・前進。

 いきなり近くでクラクションが鳴った。
 えっ?と思ってバックミラーを見ると思った以上に近くハイブリッド車。
 七十代半ば(?)くらいの夫婦が乗っている。「早く行け!」と運転している男の顔に書いてある。
 そりゃそうかもしれない。彼からはその女性の姿は目に入らなかったんだろう、目の前のとろい車ばかりが気になって。

 「前に人がいるんだよ」という気持ちも込めて後ろに見えるよう手を上げ、前方を指すしぐさをし、とにかく横断するまでは徐行。
 そのままゆっくり出口に近付く。こういう時、身振りが能く見えるからオープンカーは安心できる。
 まあ、そんなことを思っているのは当人だけで、右直事故と同じで運転している者はハンドサインなんて全く見てない(見えてない)のかもしれないけど。

 横切る車の途切れるのを待って右折。件の車もついてくるので加速し、引き離す。
 左折。奴も加速してついてくる。スーパーマーケットの駐車場に入る。奴も(以下同文)。

 駐車場内で右と左に行き別れ。
 頑固そうな顔。煽り一歩手前。嫁さんの前だからカッコつけた?七十代だって男だもの、ね。
 それとも「軽のくせにオープンカーだと!?軽薄な爺いめ!」だったのか?

 明日は今日以上に気温も上がる。コペンに乗ることはしばらくないかもしれない。そう思って出てきたのだが気温はともかく湿度が半端じゃない。
 それに加えてまさかのクラクション。やだねぇ~。
 
 
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「海の日」ではあるが

2024年07月30日 | 心の持ち様
 7月15日(月)

 昨晩の日記に「今日は早く寝るか」と書きながら、「どうせ明日は一日雨。散歩にも出られないだろうし」と、つい1時半まで起きていた。
 
 目覚ましは4時に掛けたが、起きたのは5時。
 やっぱり路面は濡れている。

 今日は「海の日」。
 明治天皇が北海道・東北の巡幸から帰って来られた日(明治9年7月20日)。初めは「海の記念日」。
 何でこれが祝日になったかというと、幕藩体制から王政に戻し、やっと新しい国家体制が定着した、という国の意思を示す最後の行動(仕上げ)に天皇巡幸以上のものはない、ということからだったのだろう。
 確かにこれで近代国家体制を少なくとも国内に示すことができた。
 ただ、残念ながら翌10年に士族の最後にして最大の反乱である「西南の役」が起こるのだけれども。
 しかし、この反乱は、国内の分裂を図るものではなかった。却って近代国家日本の体制を盤石にするものだった。もしかしたらそれは西郷の意図していたことだったのかもしれない。

 また脱線した。
 大体、本来は7月20日なんだから。それを「ハッピーマンデー」などと言って毎年無理やり月曜日にする、ってのが何ともふざけている。
 そんなの祝日でも記念日でも何でもないじゃないか!祝日・記念日のプライドはどこへ行った!!!

 まあ、そう言うわけで本来は7月20日なのに今年は五日も早い7月15日。
 そりゃもう「なんで『海の日』なの?」って聞かれたってまともに答えることが出来ない人の方が多くなるのは当たり前の話。

 今年、神戸近辺は降水量もあまり多くなかったようで、どうもこのまま明後日辺りには梅雨が開けそうな気配。
 
 風呂から出たらコーヒーを淹れようと思っていたのだが、牛乳がなくなった。最近はまっているミルクコーヒーを作ることができない。
 明日も雨らしいから、今日だけでなく明日もミルクコーヒーを飲めない。


 でも、まあ。コーヒーだけは淹れて置くか。
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原点回帰!

2024年07月29日 | 重箱の隅
 7月14日(日)

 今日は一日雨。従って散歩なし。腰、相変わらず痛い。
 
 ここ数年ほぼ治まっていたのに、先月辺りからどうも調子が悪い。
 座っている時は何ともないのだが、何度も書いてきた通り、椅子から立ち上がると座っていた時間に比例して立ち仕事(歩くことも含む)時に右腰から右脚全体に掛けて電気の走り続けるような痛みが続く。
 立ち仕事を続けていると、痛みを辛抱していた筈が不意に痛みがなくなっていることに気づく。
 その代わりに今度は、椅子に座って足を組もうとすると痛くてたまらない。手を使って助けてやらねば足が組めない。そのくせ、脚を組んで十数秒でその痛みも消える。

 正座をした後に痺れが切れたその足を悪戯で突っつかれる。
「ぎゃあ~止めろ~っ」と言いながら痛くてたまらないのと、それで転げ回りたいくらい痛がっている自分の姿が(きっと)おかしいのとで、もう笑うしかない状態。
 あの状態から「笑うしかない」を取り去ったら、今の「右腰から右脚の痛み」になる。つまり楽しさは欠片もない。面白くない。

 PCの向きを変えたのが理由か、とも思ったがそれなら痛みが出るまで間が空き過ぎている。
 もしかして、あの「仙骨体操」?それとも「相撲体操」?でなければスクワット?

 ということで、一度、初期のストレッチだけに戻してみるか。このままではスクワットも再開できないから筋力は落ちる一方だし。
 それと、できるだけ椅子に座らないようにしよう。

 ・・・・・・と、椅子に座ってこれを書き込んでいる・・・。
 嗚呼!!
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ノート(日記)の使い方 他

2024年07月28日 | 心の持ち様
 7月12日(金)

 (新しいノートを使い始めるに際して)
 今日からまた頁両面使って書いていくことにする。
 「月に一冊使うくらいなら、片面だけの日記にしても良いか」。
 そう思っていたのだが、思いの外ノートを使い切るのが早い(半分しか使わないから当然のことなのだけれど)。
 本棚に並んでいるのを見ると、既にその幅は1メートル。・・・・はウソ。
 80センチくらい。

 中身はない。本人が言うのだから間違いない。(ん?どこかの元「〇対協」みたいなこと言ってる)
 ただ、「嘘も百回吐けば真実に~」じゃないけど、諦めずしつこく言って取り組み続けていれば、それは当人にとっての「真実」になり、その「真実」が当人をも変えていく(成長させていく)。
 まあ、出発点が嘘ならいずれは破綻するときが来るのだが、生きているうちに破綻しなければ、当人にとっては大勝利だ。
 「そういう生き方はしたくないね」というのはこちらが勝手に言っていること。

 また脱線した。
 50歳になった時、頭がかなり怪しくなってきた(外側・頭皮ではない。中身。頭脳のこと)と感じ、日記をつけることで認知能力低下の速度を抑えようと思った。

 何を書こう、となって愕然とした。
 書くことがない。今日も昨日と同じ。一昨日も今日と大きくは変わらない。同じような毎日の何を書くんだ?
 でも、日記を書く以上の方法は見つからない。だから、とにかく毎日ノート1頁は何かを書こう。
 それで、「まずはあったことを記録しよう、小学生の日記と変わらない、朝何時に起きて朝御飯は何時で仕事には何時に出て~、でも良いじゃないか。
 まずはやってみることだ」。

 そうやって日記を書き始め、数年経った時、またもや愕然とした。
 「何も変わってない。ボケ予備軍のままだ。いや、もう正規軍に編入されたかも」。そう感じることができただけ、それだけ、が救いだった。
 あったことを書いているだけでは頭が良くなるはずがない。そこに自身の考えがないからだ。「あったことを書く」のではなく「あったことについて思ったことを、更には考えたことを書く」のでなければボケ対策にはならない。
 日記を書くというのは誰かに向かって自身の思いを伝えようとすることだ。声ではなく、文字でそれを行おうとすることだ。
 「誰か」は他人であっても過去の自分であっても存在しない何者かであっても何ら問題はない。要は対象を定めて、対象に対して自身の思いを述べようと努力することだ。
 「あったことを書くだけの日記」には、その対象(話す相手)がない。だからボケ防止にはつながらない。

 日記をつけることを己に課してから20年。
 少なくとも「ボケ防止」という後ろ向きな理由を前面に押し出すことはしなくなった、か? 
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『合弁を解消』

2024年07月27日 | 心の持ち様
 日本製鉄、宝山との『合弁を解消』とは穏健な表現である
  実態は中国が『日本製鉄』をしゃぶりつくしたのだ
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 日本製鉄が宝山と合弁の自動車鋼板製造「宝鋼日鉄自動車鋼板(BNA)」を設立し、半世紀に亘って協力した合弁事業から撤退する。ようやく悟ったのだ。中国進出そのものが誤りであったことを。

 最初は猫なで声で日本を「先生」だと言って、仰ぎ見た。演技だった。技術陣は日本から一万人が派遣された。日本側の勘違い、その善意にもほどがある。
 中国は日本の特許を平然と侵害し、技術を盗みつくし、日本の資本やらなにやら、その総てをしゃぶりつくすや、用済みというわけだ。

 阿漕な遣り方、マナーがない、礼節の国ではなかったのかと日本人は憤慨するが、欺しと裏切りは中国の常識であって、そうした本質も理解しないで中国へ進出したのが、そもそもの間違いなのだ。川崎重工は新幹線技術をごっそりと中国に盗まれ、世界最長の中国新幹線は『中国の独自技術だ』と嘯いている。

 原型は中国の歴史そのものの権謀術数にある。孫子にあり三国志にあり、毛沢東は三国志の愛読者だった。

 日本を戦争に巻き込んで、中国国民党をしっかりと疲弊させた。
 国民党は蒋介石夫人がアメリカでアジ演説を展開し莫大な援助を貰った。近代兵器も供給された。
 共産党は『国共合作』などと偽って国民党内部を蚕食し、気がつけば国民党もアメリカもシャブリ尽くされていた。日中合弁は大失敗、その典型がこの日本製鉄と宝山の合弁解消事件である。
     ☆◎☆◎ミ○☆◎☆◎ヤ◎☆◎○☆ザ◎☆○☆◎キ◎◎○☆□


 
 「宮崎正弘の国際情勢解題」 
     令和六年(2024年)7月25日(木曜日)弐
     通巻第8343号 より   

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