CubとSRと

ただの日記

老人力 2

2022年04月30日 | 日々の暮らし
 今日はSRで先日の道を走ってみた。
 
 昨晩12時過ぎに寝て今朝6時前に起きたから、睡眠不足ではあるけれども、もうこれを逃したら今年は花見はならない、と思った。

 でも実際に出たのは・・・9時過ぎて朝食。10時を回って洗濯。というわけで、11時を過ぎていたろうか。
 まあ夕方5時頃までかけてゆっくり走ったって良い。何しろ今日は日曜日。無職老人には平日も日曜も関係ないけど。

 以前は日曜日が休みだったわけだからいつも混雑する中に出ていたわけで、うれしいのと、うんざりとが半々だった。
 今は違う。楽しい思いをしたければ平日に出ればよい。理美容業界の人(ちょっとチャラい人が多い)に会いたくなければ月曜は止めておく(あの業界は大概月曜が定休日)。飲食業の人に会いたくなければ水曜日。
 後は・・・知らん。
 昔と違って自分勝手に人恋しくなれば祝日や土日に出る。

 つまり今はいつでも気分次第で、ということになる。あれだけ嫌で、でも待ち遠しかった土日祝日が、全く嫌でなくなったわけだし。

 また脱線した。
 今回も北上し山越えの道に入る。沿道の桜はやっぱり山桜だったようで、それも山に自生している山桜以上に花が少なく、若葉の新芽が花と同じくらい伸びて、それはそれで生き生きとしていて気持ちが良い。
 ただ、こんな三桁国道の沿道に植えるのはどうかな、とは思う。造成道路の護岸のためなんだろうけど。

 道の駅でトイレを探す。
 「道の駅の本旨は綺麗なトイレと広い駐車場に在り」
 維持費を捻出するために収入が期待できる施設を作るのは自由ということで呼びかけたら、全国どこでも思った以上に利用者があって、気が付いたら近所のドライブインは客を取られて次々に潰れて行った。
 この道の駅は、確か神戸市内で最初にできた道の駅で、トイレは小さかったんだけど。

 地元の産物を売っている建物の外にあまり大きくないトイレがあったと思うんだけど見つからない。改築したから店の中になったんだろうか、と中に入ってみたのだが中にもない。
 おかしいなあと思って行ったり来たりして、何で駐車場のど真ん中にこんな大きな建物を作ったんだ?と思って改めてみたらトイレだった。

 そこで気が付いた。そう言えば以前に利用したんだった。「道の駅の本旨は綺麗なトイレと広い駐車場に在り」、だ。確かにトイレあってこそ、の道の駅。
 「だからと言って駐車場のど真ん中にトイレを作るかねぇ~」、とその時思ったんだった。大き過ぎて目に入らなかった。
 やっぱり視野狭窄?

 前回と同じコースながら、今回は逆回り。喫茶店には行かず、古市で数年前に寄った喫茶店が開いていたので入ってみることにした。
 ドアに札が掛けられている。
 休み?の筈はない、「OPEN」ってあったんだから。
 札にはコロナ禍で、今、特別にホットドッグ半額、みたいなことが書かれてあった。入ってみた。コロナ禍、テイクアウトのみ。
 でも、出来上がるまで待っている間中ずっと喋っていたから、あんまり意味がないような気もするけど。出来上がったのを外に出て食べることにした。
 食べ始めたところでティッシュの箱を持って来てくれた。やっぱりテイクアウトの意味がないような・・・。
 コーヒーと食べ応えのある手作りパンのホットドッグを昼食として、後は淡々と逆コースを走る。

 いつものガソリンスタンド、レギュラーガソリンの表示価格が162円から159円に変わっていた。

 5時前に帰宅。眠くてたまらず、夕食後、転寝をしてしまう。
 8時半を回って珈琲を淹れ、テレビを見ていたら12時半近くになってしまった。

 このツーリング、トイレ探しなどという「老人力チェック」みたいな記憶が残りそうなものだが、いやいや、コロナ禍、のホットドッグという記憶になるのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あっ!

2022年04月29日 | 日々の暮らし
 今日は昭和天皇誕生日だというのにケーキ買ってない!

 雨が降るから国旗は揚げてない!

 一日遅れたけど、明日遅ればせながらケーキを買ってお祝いしよう。
 国旗は揚げられないけど。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老人力

2022年04月29日 | 日々の暮らし
 書き忘れていた。
 コーティングを頼んだ車を受け取る前に、書店の下にあるスーパーマーケットで買い物をした。
 昨日手に入った生協の新しいカードを出してレジ打ちの人に渡す。
 レジの人は一瞬、受け取るのをためらうような素振りを見せる。
 ん?どうした?とカードを提示したままでいたら、やっと受け取り、言う。
 「これ・・・、コープさんのカードですけど」。
 そうだ。ここは神戸電鉄のスーパーマーケットだった。

 知らなかったけど神戸の人はコープと言わず、わざわざ「さん」を付ける。
 生まれも育ちも神戸の人はそれが当たり前なんだそうで、就職で神戸に来た人間としては、
 「『生活協同組合』なんだから組合員がさん付けなんて会社員が自社名を言うとき『~さん』ってつけるようなもんじゃないか」
 と思う。
 実際今のコープ神戸の前身は播磨生協と灘神戸生協で「コープ」という名称は比較的新しい。「昔からコープさん」はないだろう。それとも「さん」だけが伝統で、それまでは「生協さん」って言ってたのか?
 ・・・ん?あれ?「生協さん」って聞いたことがあるような気もする・・・。

 中高生の頃住んでいた西播では播磨造船所の社員のために作られた共同購入部の施設が、社員外でも利用できるようにと播磨生協になったということだから、感謝の意味を込めて「さん」付けをするのはおかしくはないけど・・・。

 あ、そんなことはどうでもいい。問題は、生協じゃないのに新しいカードになったんだからそれを出さなきゃ、としか考えていなかったこと。
 思考の視野狭窄。さすが老人。思考も視野狭窄になるのか。
 しかしこれ、自慢じゃないが何度もやっている。この二つのスーパーマーケット間で。

 衝撃を受けたのは、ここではない。これ自体は「つい、何も考えずに」というやつだから、そそっかしいとか慌て者とかで片付けることができる。
 けど、これまでなら恥ずかしくて真っ赤になりながら言い訳をしていただろうし、自身は見えなくても真っ赤になっているだろうことは分かっていた。
 それがこの時は
 「あ、ほんとだ。ちょっと待って下さいね」
 といいながら、別に急ぐこともなくショルダーバックから十数枚のカードを引っ張り出して、一枚ずつ確かめる間、恥ずかしいとも何とも思っていない。
 ただ、呆れながらカードを繰っている。

 老人力、意外と良いかも。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二題目

2022年04月28日 | 日々の暮らし
 昨日、変な終わり方をしたので題名をどうしようと考えたが、いい案が浮かばず、そのまま。
 まあ、「ただの日記」なんだし。あとで自分が「何?これ。何書いたんだっけ?」とすっかり野次馬になって覗き見をしたくなればそれで良い・・・のが題名。

 ・・・と行数を稼いだところで。
 もう一つの話。それは年に一回のコペンのコーティング。

 初めて買った車は中古のツイン。
 黄砂やらPM2,5よりはるかに大きい粒子やら、潮風やらがほぼ年中大々的に襲来する山陰海岸の、海から一キロ弱しかないところに居た。
 庭に停めていたものだから、毎日それらの直撃を受ける。従って毎日洗車をしなきゃ大変なことになる。洗車をしたって素人洗車だ、特に気になるフロントガラスなんかは迂闊に吹けば傷だらけになる、ちゃんと水を掛けてブラシではなく手で洗い流さなければ黄砂は落ちない。
 下手に手で触ると黄砂は落ちても油膜や水垢は広がるばかりで、運転時気になって仕方がない。
 ミニカーと間違われそうなツインだって軽自動車だ、それなりの大きさはあるわけで、毎日の洗車は些か草臥れる。
 
 というわけで、「こんなに小さいのに」と少々不満ながら軽自動車枠でコーティングをしてもらった。施工料は決して安いとは思わない。けど、後はホントに水洗いだけ、というのは驚きだった。

 それでこっちに戻って来る前に買い替えた一生に一度の新車は、初めから年に一回コーティング、と決めていた。あとは月に一回の水洗い洗車。洗車機で二百円。

 予約していたのは1時。
 3時頃には終わっているということで、まず斜め向かいの喫茶店に行ってコーヒーを飲みながら本を読んで時間を潰す。一時間半後、近くのスーパーマーケットに行って、夕食の買い物をし、3時少し前に受け取りに行く。
 そう予定を立てた。

 まだ半分しか読んでない「スーパーカブ」最終巻を持って行く。
 半分余り読んでいたのだが、続きはこの日のために取って置いた。それでも喫茶店にいる間に読み切ってしまうかもしれない。そうなると退屈だろうな、と思っていたが杞憂だった。

 小熊が「PASS」の正社員になるまでで読むのをやめた。老眼鏡まで持って行って万全の対策は取っていたのだが、駄目だった。
 眩し過ぎた。

 道路に面した向かいの駐車場に車が並んでいる。横列駐車で車の前面が道路に向けられている。道路を挟んで喫茶店があって、そこの空いていた席に座って本を読もうとした。
 眩しいので外を見ると、向かいの駐車場に停められていたアクアのフロントガラスからの照り返しだった。

 眩しいなとは思ったものの、時間が経てば直接の反射はなくなるだろう、とさほど気にも留めず、目を細めながら本を読む準備をする。
 注文したコーヒーが机上に置かれ、反射光が眼に入らないように少し顔を傾けて本を読み始めた。
 五分経ち、十分経っても眩しさは変わらない。
 その辺りで常連らしいかなり年上のお姉さま方がやってきた。歌謡ショーによく行くらしく、その話で賑やかだ。陽射しの鬱陶しさとお姉さま方の賑やかさで本を読むのが大変になってきた。

 不思議なことに反射光の強さが全く変わらない。時間が経てば方向は変わるはずだがおかしいな、と思って目を糸のように細めて再度駐車場の方を見た。
 愕然とした。さっきと変わらない強さの光が目を射る。

 やっと気が付いた。太陽が移動したって眩しさは変わらない。眼前の憎きアクアに限らず、車のフロントガラスは曲面だ。太陽の運行に合わせて反射は移動するけれど、いつまで経ってもフロントガラスの曲面の正面は今座っている席。
 アクアがいなくなるまで眩しさは続く。


 だからと言うわけではないが、酒の肴は六品。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二題

2022年04月27日 | 日々の暮らし
 4月9日(土)

 6時半、ラジオの音で目が覚める。昨晩、12時前に寝ているせいか調子が良い。
 起き掛け、腰や左脚が少し痛かったが、すぐにおさまる。何よりも原因はこれだろう、最近の特筆すべきこと。
 それは今週の火曜日から始めた「一日に水を1、5~2リットル飲む」という実験。

 偶然ネットで、上白石萌音を生真面目にしたような医者を見た。
「へえ~、最近の医者は可愛いねえ~」と思ってつい見てしまったのか、それとも「痴呆防止のために」みたいな惹句に惹かれたからなのか、それは分からない。・・・なんて言いながら、ほぼ間違いなく前者だろう。
 「痴呆防止には水を飲むこと」というのが動画の主旨で、それが妙に納得できたから、やってみようと思って始めた実験だった。

 降圧剤を飲めば血圧は下がるが、血管が若返るわけではない。ただ、塩分を減らしたり血流を良くしたりするので、梗塞のおそれが低下する。脳にせよ心臓にせよ血液の流れが悪くなると梗塞の起きる可能性は高まる。それで血液をサラサラにする。
 じゃ、水をたくさん飲めばどうなるか。水中毒を起こすほど飲めばそれは大変なことになるが、物事には「良い加減」というものがある。ほどほどに水を飲めば当然血液は薄まる。塩分も薄まる。だから水を飲め、と。

 問題は水分が体内に取り込まれたら血液が薄まった分、血管に負担がかかり、結果として血圧が上がる、というところだ。それで血管が破れたんじゃ元も子もないじゃないか。
 
 「過ぎたるは猶及ばざるが如し」。これは間違いない。
 けど、何を以て「足らぬ」と「過ぎる」の判断をするのか、というと、これ素人の目じゃ分からない。素人どころかプロの医者だって分析結果を見なければ分からなかったりする。そして医者じゃなくって、「素人」が当事者なんだから。

 こうなると、プロのプロたるゆえんである「直感」を持たない素人こそ、「論理的思考の結果」の判断をしなければならないということになる。
 血圧を下げなければ血管が破れるかもしれない。
 血圧を下げれば血液が減り血流が悪くなる。梗塞を起こすかもしれない。
 血圧を下げ、血流も良くする。そんなうまいこと・・・。
 それをやらねばならない。そいつは時間がかかる。

 そういうわけで(?)水を飲み始めた。

 水を飲む。血液中の塩分も薄まる。用足しに行く回数が多くなる(=塩分が排出される)。遠回りながら腎臓への負担が軽減される。
 昨日が四日目だったが、突然、体の具合が良くなった。どこがどうというのではない。何だか知らん、「良くなった」。

 
 あ!「二題」と書いといて・・・・。
 続き(もう一つの)は明日にしよう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする