CubとSRと

ただの日記

枕元に木刀、置いておくから

2020年01月31日 | 心の持ち様
2010.03/20 (Sat)

浜田の女子大生殺人事件以後も、何人も殺されています。
 信じられないくらい残忍なことが、毎日のように起きています。
 国内の日常生活です。
 でも、信じられない日常になりつつある、とは書きましたが、日本なんか比べ物にならないくらい、残忍なことが日常茶飯事、という国は、山ほどあるでしょう。
 以前ネタにさせていただいた「中韓を知りすぎた男」というブログ、さっき見たら「戦争 賛成!!」という題の記事が出ていました。
 いきなり、日常生活から国家間の戦争とは、あまりに飛びすぎと思われますか?

 異民族、異文化の国を自国の領土であると主張し、そこの宮殿の壁面に革命のスローガンをでかでかと書き、赤い旗を立てて完全に乗っ取ってしまった国が、近くにあります。現実、移民という形でじわりじわりと人が増え、コミュニティができると、そこは治外法権状態になります。
 最近よく聞くように、マンションなり公団住宅なりに転入してくる場合はどうでしょうか?僅かな人数でも、声の大きい傍若無人な方が主導権を握るものでしょう。やくざを見れば分かります。
 日本人のように静かで、目立たないように、と気をつける国民は稀です。席捲されるのはあっという間です。世界中、こうやって、日夜、諍いがあり、勢力争いが行なわれています。

 何気なく過ごしている毎日の生活の中にも危険は常に大なり小なり、潜んでいる。その危険への対し方で、他国、世界との付き合い方も個人レベルで見えてくるのではないでしょうか。

 これは「見極める」の一つの例なんですが。
 武術、特に徒手格闘技のできる人がいると、必ず護身術として教えてという人がいます。実際、警察なんかが主催して、護身術を教えたりするのをニュースで見ることもあります。
 「抱きつかれたら両腕を振り上げて相手の脇の下をくぐって・・・」
 見よう見まねで教えられた通りにやってみる。いとも簡単に危機からすり抜けられるのを実感する。魔法みたいだ。本人も周りも「おお~っ、すご~い!」と感動。
 この講習会で、危険を回避できるようになる確率は・・・・限りなく0に近い。
 相手は「別に・・殺したっていい」と思って襲う。
 こちらは、「怪我をさせずに相手を取り押さえたい」と思う。「殺しちゃ可哀想だ」と。

 襲う方は「殺すつもりはなかった」と言って逃げようとしますね。捕まっても。
 襲われた方は(殺される方は)「殺しちゃ可哀想」と思っている。もう初めから結果は分かっている。
 要は覚悟、なんです。
 危険な場所には行かない。
 行かなければならない時は、より安全な時間帯を選ぶ。
 半径2メートル以内に人が寄らない場所を歩く。
 最後に・・・・これは後で。

 私が教えられた、というか、気づかされた話です。
 前に何回かここで書きました、太気至誠拳法の澤井師範の話です。

 或る時、仕事の都合で、師範が家を留守にすることになりました。奥さん一人置いて出るわけだから、とても心配で、必ずしっかりと戸締りをするように、と話をしたら、奥さんはしっかりしたもので、
「大丈夫です。私だって貴方の妻なんだから。寝る時は、枕元に木刀を置いて寝ます」と応えたんだそうです。
 さすがに武人の妻、と思うところですが、師範、その心掛けを褒めるどころか怒り出して、
「これだから、素人は困る!そんなもの見せたらとんでもないことになる。刺身包丁を置いて寝なさい!」

 「出刃包丁」でも、えっ?なのに、「刺身包丁」ですよ。完全に殺害目的じゃないですか。しかし、これは、大正解。です。これ以上の答えはない。
 泥棒が来る。平常心で来るやつはいない。おっかなびっくりで入って来て、出来ることなら静かに帰りたい。どきどきしている。家人に見つかった。騒がれた!ら、舞い上がる。頭の中は真っ白になって、とにかく逃げなければ、と何でもあり、で暴れまくる。
 対抗手段は・・・・。殺すしかないんです。いや、もう一つありますね。
 一気に冷静にさせる手段。暴れさせない、暴れる気をなくす手段。
 
 その方法。
 ①「気絶させる」か、②「腰抜けにする」(とても勝ち目はないと思わせる)か、です。
 慌てて、木刀を取ったって、その身ごなしで腕はすぐに分かる。
 何より「殺されることはないな。いや、木刀が当たったら大怪我をするかもしれない。やられる前にやれ、だ」と一瞬のうちに計算します。

 刃物は違います。それも刺身包丁となると、匕首(あいくち)より長い。切れ味も誰だって知っている。その上、用もないのに先が尖っていかにもよく刺さりそうだし。
 腰を抜かすか、慌てて逃げ出すか、です。
 木刀で打ち殺されたり、骨を叩き折られたり、というのを、見る機会はまずありませんが、刃物で切れ味を、これでもか、というくらい見せ付けられる機会は、普通の家庭にだって、在る。

 強盗の「殺すつもりはなかった」、は、ほんの少し真実です。でも、殺されちゃ割が合わない。大怪我させられるのも嫌だ。
 襲われたほうが、「殺すぞ!」という態度に出れば、ほんの少しの真実がエアバッグになって、襲った方は腰が抜けます。

 「そんな極端な!」?
 でも、命は一つしかないのですよ?

 右翼団体から裏切り者、とか、北のスパイとか、散々に言われている鈴木邦男氏が、「国民みんなが武道の有段者になればいいんだ」と言ってるのを読んだことがあります。これこそ、本当の(は、言いすぎですが)「国民皆兵」「武士の国、日本」です。

 では、言いかけて止めていた、「一番の護身術」を書いておきます。
 それは「やられる前に、やれ」、です。そして、ここが肝腎なのですが、
「やった後は、自決する」ことです。
 相手を殺して、自決する覚悟を持つ。それは普段の生活に出ます。居ずまいにあらわれると、そう簡単に手出しはできぬものです。何より、自身が、無駄に危険なところに踏み込まなくなります。

 国家間にも通じる、と思われませんか?
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「皿洗いでも何でもやって」

2020年01月31日 | 心の持ち様
もう9年以上前のことなんですが、胆石で入院した頃に書いた日記です。
・・・・・・・・・・・・・・・・
2010.11/04 (Thu)

 徒然なるままに日がな一日を暮らし・・・・ているわけではありません。
 とは言え、退院して、既に二週間になります。
 日記を見直すと、入院中の二週間で、二十数回分書いていることになる。
 それが、退院して同じ二週間が経って、書いたのは僅かに二回。

 入院中は全てやって貰っていた。治療(は当たり前だけど)も、食事も、全ての世話は看護婦さんか、職員の方々がやってくれる。自分は本を読んだり、日記をつけたりしていればよい。
 それが、今月に入って、もう大丈夫だろうと、純粋に一人になった。
 父は、今の私が世話をやくのでは共倒れになるかも、ということで、ショートステイに行って貰っている。

 という訳で、好きなように寝て、好きなように起き、適当に何か作って食べ、少しずつ体力回復をはかる、といった生活が始まった。けれど、日記はちっとも書けない。

 何故なんだろう、と考えているうちに、ふと或る話を思い出しました。
 太気拳(太気至誠拳法)の澤井健一師範の話されたことです。(勿論、本で読んだだけです)
 日本で稽古を重ね、オランダに帰って道場を持ち、多くの門人を育てるまでになった相弟子と、自分の工夫を比べたくなった或る門人(その本の著者です)が、もう、矢も盾もたまらず、
 「自分もオランダに行って(自分の)力を試してみたい」
と言うと、澤井師範はこう問い掛けられたそうです。

 「その費用はどうするんだ?食費や、宿泊費はあるのか?」
 「向こうに行く旅費さえあれば、あちらで皿洗いでも何でもしてやっていきます。」
 すると師範はこう言われたそうです。
 「だったら、皿洗いのアルバイトは、こちらで半年でも一年でもやって、お金を貯めてから行きなさい。あちらには稽古に行きたいんだろう?皿洗いに行くんじゃないんだろう?着いたその日から宿や食事の心配をするか、稽古だけに専念できる様にするか。それは天と地ほどの差がある。」

 すぐにでも行きたいのは山々だけれど、師範の言われることも、よく分かる。
 それで一年間アルバイトをして、金を貯め、オランダに向った。
 相弟子の門弟たちは自分に対して、初めから「先生」として接してくれた。金銭面の余裕もあったので、稽古に没頭することができた。
 師範があの時言われた「天と地ほどの差がある」という一言はこういうことだったのか、と思った。

 オランダの、相弟子の門人から見れば、日本からやって来た「師匠の相弟子」が、アルバイトをしながら稽古をする、という姿は、どう映るか。そして、どう応対するか。想像に難くないところです。
 この弟子は金銭面での余裕をつくっていたお蔭で、一日中稽古に専念できた。
 それだけではない。そのために、自身が自然に師範として遇されることになり、知らず、指導者としての在り方まで学ぶ場を持つことができた、ということになります。
 単純に「急がばまわれ」という諺がありますが、こんなことを表わしたものでしょうか。
 この太気拳の修業者は、あくまでも稽古のためにオランダに行こうとした。師範はそのために大事なヒントをくれた。
 オランダの相弟子、相弟子の門人たちは、稽古の手助けをしてくれた。
 その師範、相弟子、相弟子の門人によって、稽古が出来たばかりではなく、副産物として、「指導者のあり方を学ぶ」という得がたい経験も出来た。

 熱情、情熱は大事ですが、「急がばまわれ」、です。
 なんて書くと、
 「何言ってんだ。以前は『はっと言った、はっと』だなんて書いてるじゃないか。ぶれてるぞ」
と、言われるかもしれません。確かに正反対のことを書いています。
 「急がば回れ」には「熱情」に対して「冷静になれ」という言葉が隠されています。熱情を持って、の話です。
 「はっと言った、はっと」には「熱情を以って事に当たれ」という言葉が隠されています。どちらも、「確固とした揺るがない意志」を重視しているのです。
 私の思わぬ副産物は、時間でした。この修業者の思わぬ副産物は、得難い貴重な体験でした。
 随分とレベルの違う話ですが、強引にでも、自分に引き寄せて見れば、学べる事は、もっとありそうです。
 「意志」は強く持つべきですが、「周囲の支え」あってこそ、活きてくるもののようです。

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意地を高める

2020年01月31日 | 心の持ち様
2010.02/26 (Fri)

折角澤井師範の名前を出したのに、一回だけでは勿体無い。
 で、私は経験がないのですが、素手の格闘技つながりで、思い出したことを書いてみます。
 
 この澤井師範、合気道の吉田幸太郎師範と、空手の大山倍達師範の三人で、一時期中国人に武術を教えていたことがある、と本に書かれてありました。
 考えてみれば、澤井師範は周りの日本人、シナ人のほとんどが、日本人が拳法を習うなんて、と反対する中、試合に負けて虚心になって、弟子入りを頼み込んで「意拳」を身に着けた、という少々以上の変り者です。

 日本人は、「何も、日本より国力の劣る国の者に」、と考えます。
 シナ人は、「ただの殺人術を習うなんて、どうかしている」、と言います。

 澤井師範はというと、自分の習い覚えた、柔道も、剣道も、全く通用しなかった王向斎という人の武術を、「尚武」の国の人間として、手に入れたかった。
 「国力なんか関係ない。武術はただの殺人術ではない。」

 ということで、弟子入りを志願したのですが、拒否も、許諾もなく、ただ放って置かれたのだそうです。
 それが王氏の所の在り方で、他の門人が新参に稽古法を教え、相手になってやって、面倒をみる。
 門人となった人はを数ヶ月も稽古をしているうちに、たまに稽古を見に来る王師範から、何か一言注意があれば、儲けもの、といったところ。

 澤井氏のことをよく気に掛け、、相手をしてくれたのは、やはり試合を挑んで敗れ、門人となった人で、他流の上手だったそうです。

 ここ、王氏の稽古場は、他の拳法教場とは随分様子が違って、門人がそれぞれ思い思いの場所で、それぞれに修練をする、といったものだったそうです。

 その修練というのも、傍目から見れば、ただ、じ~っと立っているだけ。
 たまに、ちょっと変わった立ち方の人がいるくらいで、あとは、とにかく身動きひとつせず、立っている。
 実に不思議な光景です。同じ場所で稽古をしているのだけれど、てんでんばらばらに思い思いの方向を向いて立っているだけ。どう見たって拳法の修練をしているようには見えない。猫の集会みたいな感じでしょうか。

 沢井師範は、この修練法を「立禅」と名付けています。
 「只管打座(何も考えずひたすら坐る)」という坐禅に対し、何も考えず、ひたすら立つ。

 「何も考えない」というのは、簡単そうで実に難しいことです。妄想、雑念を切り払い打ち払い、とやっている中はそんなに苦労はない。次々と浮んでくるそれらを消していけばいいだけです。
 でも、そんなのは「考えない」までの途上。努力をしなくても浮かばなくなってからが本当の修練で、「考えない」ということを「考えない」まで至って、やっと「只管打坐」に入れるわけです。
 そして、悟りに至れるかどうかは、それからの話。5年か10年か、30年か。

 「立禅も同じだ」と澤井師範は考えたようです。ただ立っているだけに見えて、実は全身を動かしている。最初は勝手に動いているのを抑え込む。その先はどうしても抑え込めなくなる。次に無意識に抑え込めるようになる。
 そこで、やっと「ただひたすら立つ」という修練法が、身につく。

 「考えることをやめることで、考えが飛躍的に向上する」。
 それが「悟り」につながるならば、
 「動くことをやめることで、動作が早くなる(質的変化を遂げる)」
 それを「無敗」につながる、としたら良いでしょうか。

 双方、「意地」、「意(おも)いの地盤」が全く違ったものになってしまったというところに注目したいと思います。

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「常識」で失うもの(海舟から澤井健一師範の話)

2020年01月31日 | 心の持ち様
2010.02/26 (Fri)

 澤井師範が周囲の反対を意に介することなく、意拳の王向斎師の弟子となったことを書きました。

 氏の周りの日本人は、「国力」という、武術習練におよそ関係ないところから反対しました。シナ人の知人は、「武術は殺人術」という決め付けから反対しました。
 しかし、澤井氏は、国力と武術の見事さは関係ないと思っていたし、日本人の持つ「尚武」の気風から、武術を単に殺人術と捉えることは愚かしいことと考えてもいました。

 「学ぶ」ということは、虚心坦懐に取り組まねばできることではありません。それが、心とつながるものであれば、時にはこれまでの生き方、考え方までも自己批判をしたり訂正したりしなければならなくなるからです。

 「国力」という面から反対した、日本人の気持ちにも、一理あります。
 こちらにそんな気はなくとも、国力の明らかに劣っている国の人間は、ともすれば、卑屈な気持ちになります。
 なった瞬間、それを恥じて、今度はそんな気持ちを一瞬でも持たせた相手に、負けてたまるかという反発心を持ちます。それから、そんな攻撃的な気持ちを持つのは間違っていると反省し、平静な付き合いをしようと努めます。
 ここまでくる人ばかりではありません。反省までの人、反発心までの人は言うまでもなく、卑屈な気持ちで停まってしまう人も確かにいるのです。
 
 「殺人術」という面から反対したシナの知人の気持ちもわかります。
 当時は共産主義ではありません。儒教を大事にした考え方は十二分に残っています。
 礼と楽によって国が治められ、平和であることが国の最良形態です。そこでは、武術は緊急時に用いられる最低、最悪の問題解決法として、位置付けられています。つまり、武術は蔑まれるべき技術なのです。「武道」なんて発想そのものが理解不可能なのです。
 「日本人が、なぜ、我が国で一番疎まれているものを手に入れようとするのか。あんな下らないものを」

 澤井師範は、この両方の「常識」からの「忠告、反対」に、悩むこともなく、門人になることを決めました。
 結論から言えば「習いたい」という気持ちを抑えることができなかったから、です。
 しかし、これを単に「意志が強いから」で、終わらせてしまったら、我々はここから得るものはありません。

 澤井師範は、日支両国の知人の、「それぞれの常識」に基く、弟子入り反対忠告を聞きつつ、それぞれの理解、認識の程度を確実に把握したのです。その上で自分の選択が間違いないと確信しています。

 では、その力、把握能力はどこから生まれたのか。

 それは、武術を学ぶ過程で手に入れた論理能力でした。「武徳」と言っても良いでしょうか。
 おそらくは、この日記で書いてきた福澤諭吉、勝海舟なども、手に入れているであろう能力です。
 現実にいちいちあたり、こつこつと、今、やるべきことをやり、結果、出発時にはとてもできる筈もないと思っていた技術を、心の成長と同時(不即不離)に、澤井師範も手に入れて来た。
 初めはとても理解などできるはずがないと思っていたことでも、正しい課程を踏めば、正しい過程を歩むことになり、想像を大きく超えた技術、理解力を手に入れることができる。

 澤井師範は柔道の稽古のために、昔の高専まで押し掛け、風呂のない所で水を被りながらの稽古を続け、精神的なストレスからか禿頭になったそうです。それでも、稽古を続け、飛躍的に腕をあげたとか。
 刀を上段に取った写真を見ましたが(勿論、本で、ですよ)、左の手の形の良さは滅多に見られないものでした。

 一足飛びの到達なんか出来る筈もないことを、柔道、剣道と二つもやって来ている。
 一瞥して結論の提示を性急に求める姿勢からは、この論理能力の形成は期待できません。
 論理能力をまともにつくらず、知識のみ収集してしまうと、「常識」の網に絡め取られて何も見えなくなってしまいます。
 
 先入観を持たない。
 自分の目、感覚を信じる。
 焦る気持ちを抑え、一つずつ、こつこつと取り組む。
 何より、謙虚であること。

 また、途中で終わってしまいます。
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延着「勝海舟」

2020年01月31日 | 心の持ち様
2010.02/21 (Sun)

今回は勝海舟の続きです。
 前に「福澤諭吉は居合い術の手錬れだったらしい」と書きました。
 対して、勝海舟は直心影流の島田虎之助(島田見山)の門人で、免許皆伝の腕前だった、とか。
 勝自身、「本当に一所懸命にやったのは剣術ぐらいだ」と言っています。
 また、「若い頃は真冬でも、稽古着一枚で寺の境内で坐禅をした。寒くなると木剣を振り回し、暖かくなったら、また坐禅をした。夜が明けるまでそれを続け、その間寝ることはなかった」とも言っています。腕には、自信があったのでしょう。

 そんな勝は、坂本竜馬が勝を殺すつもりで訪ねてきた時、家人から
「どうも、先生を切りに来たようですが、いかが致しましょう」、と言われ、
「そうか、それなら会おう」と答える。坂本を上がらせてからは、みなさん御存知の通りです。

 人切りを諌められたのではなく、世界の広さ、世界の国々のことを話して聞かされ、勝の見識の高さにすっかり感心した坂本は、間を置かず勝の弟子になり、神戸の軍艦操練所では塾頭として奔走し、後、海援隊をつくるのですが、勝との出会いが転機であることは、間違いないでしょう。
 脱線しますが、坂本竜馬は北辰一刀流の免許だそうですから、それなりに遣える腕を持っている筈です。
 それが勝邸では家人に「先生を切りに来たようですが」と、いとも簡単に見破られている。勝家の家人、というのは全員女だったそうです。
 勘働きは人並み以上だったのでしょうが、それにしても会う前から目的がばれているのに、ノコノコ上がっていく竜馬。
 愛すべき人柄、というのはよく分りますが、それにしても・・・ねえ。
 人切りなどめざす腕ではないような、と思うのですが。
 実際、龍馬のもらった免許状というのが残っています。
 免許状には以前の授与者の名前も書いてあるのですが、それが、(4、5名分あった、と思います)全部女の名前なのです。
 そこから、龍馬の免許状というのは剣ではなく北辰一刀流の薙刀術のそれではなかったか、という説もあります。
 だからと言って龍馬の業績は些かも光を失うことはありません。

 後の話、です。
 坂本龍馬は、勝の身辺警護のために岡田以蔵をつけることがあったそうです。
 幕末、「人切り」とうわさされ、怖れられた四人の人物がいます。
 熊本の河上彦斎、薩摩の中村半次郎、田中新兵衛。そして土佐の岡田以蔵、の四人です。

 勝が岡田と一緒に出かけた時、切りかかられた事がありました。
 あっという間のことでしたが、岡田以蔵は、さっと勝の前に立ち、刀を抜いて一人を切り、「弱虫が何をするか!」と一喝。
 相手は何もできずに逃走します。

 普段は呼吸を読んで、相手を一喝したり、気を緩めさせて敬服させたり、と思うとおりにしていた勝でしたが、この時は突然のことで、何もできなかった。
 こういうこともあるのですね。だから、世の中はこわい。

 それでも勝は以蔵に
 「人殺しを嗜んではいけない」と諭します。
 以蔵の返事は
 「でも、先生。やらなきゃ切られてますよ」
 後に勝は
 「それにゃあ、ぐうの音も出なかったよ。」
と述懐しています。

 今と昔、政治家の心構えというのは、どうなんでしょう。

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