CubとSRと

ただの日記

起伏

2022年12月31日 | 日々の暮らし
 12月31日。大晦日。

 当たり前ならそういうわけ(?)で年末の挨拶とか御礼とかで一応日記を締め括る。そして日付が変わったら新年の挨拶。

 ・・・・ということになるんだけど、身寄りのない爺さん一人。加えてひねくれ者で、第一、この日記は「ただの日記」と副題に謳ってるんだから、そういうことはしない。相変わらずこれまで書いた日記を少々手直ししたり、なるほどと思わされたネット記事を転載したりするだけ。

 というわけで、12月14日(水)の日記の続き。

 今日(水曜日)は、4時半頃になって目覚ましに気づく。
 今朝は雨が降ることもなかったので、散歩に出る。出る前に站椿を5分。

 素振りは今月に入って一度もしていない。二週間、だ。
 怠けると日の経つのは早い。
 かと言って真面目に淡々と続けていると、感情の起伏に乏しい毎日になるからこれまた日の経つのは早い。

 「どっちが良いんだ?」と思うこともあるけれど、どっちが良い、と判断すること自体ナンセンスなのかもしれない。
 怠けているうちに日が経つのは「怠惰」、悪だ、と決めつけるけど、振り返ってみればそんなに悪いものでもない。何より記憶の中に肘枕をして気持ちよさそうに転寝をしている姿が残る。
 真面目に淡々と感情の起伏がないような毎日を過ごしているのだって、振り返ってみればそれはそれで真面目に机に向かっている姿が、記憶には「充実感そのもの」として残る。要は自己の肯定感。
 「肯定的にものを見る」というのではなく過去を肯定したうえで、これからの展開に関して工夫をすることが大事なんじゃないか。
 過去を否定してしまったら依って立つ足場がなくなるんだから。

 脱線した。
 散歩に出たら、えらく風が強くて帽子が何度か飛ばされそうになった。
 西風で、そのせいかさほど寒くはない。
 幹線への道を下り始めたら風はすっかり収まった。
 「これで後は晴れるだけか」、と思いながら折り返す。

 バス道に戻ったら、また強い風が吹き始めた。
 考えてみれば、初め「風がやんだ」と思ったのが間違いで、ただ凹凸のある道、地形に風が阻まれていただけのことだったのかもしれない。
 なるほど家を建てて住むには地面の起伏が多いところの方が良いのかも、と納得。「毎日の気持ちの持ちよう」は意外にこの辺に左右される。

 昼をだいぶ過ぎて、昨日延期にしていた米を買いに出る。
 ついでに資源ごみを片付けようと、前かごに満載にしたカブで行く。回収箱に入れ終え、続けて店内へ。島根米がない。何となく島根米ばかり食べていた。
 じゃ、北町の生協で買うか、と作戦変更。

 北町の生協にも島根米はなかった。
 島根米がないんだったら、県民だから兵庫米を買う。3割引き。
 ということは、これは去年の米、ということだな。今は保存技術が高いから味はそんなに落ちることはない。少なくとも素人の自分には全く違いが分からない。とにかく店頭にある物は美味しい。

 家に帰って、何だかもう少し乗りたいなという気になる。
 「確か、ガソリンが少なかったんじゃないかな」
 ということで、米と、一緒に買った豆腐を玄関に置いて、改めてガソリンスタンドに向かう。

 
 今日はそれなりに楽しかった、かな。
 振り返った記憶の中には、5キロの米袋をカブのリアキャリアに括りつけて走っている自分がいる。

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舞いあがる!

2022年12月30日 | 日々の暮らし
 12月14日(水)

 昨日は「十日ぶりに酒が飲める!」から舞い上がっていたのか、一昨日の日記の途中からこのノートに代わったところでペンも交代するということにしていたのをすっかり忘れてしまっていた。

 とにかく。
 「13日(火)は酒解禁日!!」。それだけ。
 何よりものことは、昨日は夜が明けるまで雨だった、ということ。
 「雨降り」という大義があるので、散歩には「行かない」。肴を用意するために昼頃から出掛ければよい。
 
 ということだったのだが、明けて当日になったら「別に、これまで三日に一度だったのが偶々十日過ぎた、というだけのこと」とか、散歩に出ないで済むというのだって「30分~1時間布団の中でもぞもぞしていると、あっという間」だよなあ、と実感する。
 やっぱり人間、夜明けを待ち望んでいるだけでなく、自分で夜の帳を少しでも引き上げようとする気持ちで何らかの活動を始めようとしている時が一番楽しいのかもしれない。「さあ太陽を呼んでこい」、だ。
 わくわく感、期待に胸を弾ませている時の方が、その真っ只中よりも。

 道の駅にむかごはなかった。代わりに(?)搨菜(ターサイ)を買った。やっぱり水が少しこぼれてトランクが濡れた。一緒にサラダをつくろうと胡瓜を買ったが、結局作らなかった。

 続けてドラッグストアーへ。炊き込みご飯の素を四種類ほど買う。
 戻って来て生協で米を買う・・・つもりだったが、既にコペンのトランクは一杯になっていた。どれだけ買ったんだと言いたいところだけど、元々このトランクは少ししか入らないんだから。


 屋根を閉めてまで買い物をしようとは思わない。必要なら一旦帰って出直せばいい。
 そうすればまた出掛ける口実ができる。

  

 
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禁酒生活一週間と三日

2022年12月29日 | 日々の暮らし
 12月12日(月) 続き

 さて、長い長い禁酒生活も今日で終了。
 酒を飲む予定の日に内視鏡検査だったから、その前の二日と検査後の一週間はアルコール禁止、ということで十日間、酒が飲めなかったわけだ。
 十日目が今日。やっと明日は酒が飲める、と明日を心待ちにしている。
 ・・・・が、まだ酒の肴は何も用意されていない。

 とにかく、そういうわけで明日は食材の準備。
 資源ごみを出して、米を買って、魚を買って、となるとやっぱり初めはカブで後からコペン?
 いや、隣市まで行くことを考えたら、鈴蘭台じゃなくて北町の生協に行って資源ごみを出すのが正解か?
 となると、屋上の駐車場に行ってはならない、か。一階の入り口まで資源ごみを入れた袋を持って降りなきゃならない。そんなことをしたら五階分通り抜けなきゃならないんだから、擦れ違う人に何事かと思われる。
 それともいっそ資源ごみは後日、とするか。

 よし!明日はコペン。




 ・・・・ここに書くような日記ではなかった・・・・。

 ま、いいか。明日は宴会だ!

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確かに。東亜三国と欧州とでは歴史が全く違う

2022年12月28日 | 心の持ち様
 
書評 BOOKREVIEW
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 

 日本や朝鮮や中国が(ヨーロッパのように)境をはずして混じり合ったことはない
 日本と中国との間には、『関係』とよべるようなものはなんら存在しなかった

    ♪
西尾幹二全集『第二十一巻 天皇と原爆』(国書刊行会)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 西尾全集も二十一巻となった。この巻では単行本四冊ほどが凝縮されている。
 とくにアメリカの戦争観や戦後史家たち、たとえば半藤一利、秦郁彦氏らの欺瞞と嘘の歴史観への批判などがあるが、圧巻は中枢を占める『天皇と原爆』である。
 まず議論は「国体」についての考察だが、以前にも小覧で書いたことがあるので割愛し、昭和十二年に出た『国体の本義』についても国柄の特質、日本人の明かき心と清明心が国民精神の根底にある、というのが議論の前提になる。

 西尾氏はこう書かれる。
 「宗教には個人の心や魂の救済と、公的な社会における関与」という二つの問題があるが、国家ということを考えれば「天皇以外に考えられない」
 まず「日本や朝鮮や中国が(ヨーロッパのように)境をはずして混じり合ったことは一度もない。(中略)日本と中国との間には、極言すれば『関係』とよべるようなものはなんら存在しなかった」(441p)

 では何があったか?
 律令制はたしかにシナに学んだが、日本は天皇を中心に国家体制を構築した。冠位制度は儒教的要素に、もうひとつの価値観をふくらませ、聖徳太子は十二階とした。平城京も平安京も長安に都市設計は真似たが、城壁がない平和的な建築思想が基礎になった。
 「方向の異なる二つの力、すなわち牽引力と反撥力とが作用し合った、ある種のバランスをとっていなければならない。(中略)日本は中国文化を吸収し」た部分もあるように見えて、実は独特な文化に置き換え、「二つが融合したわけでもないのに、日本は中国に対してはただ牽引力のみを感じ、反撥力を持たず、それでいて日本文化は個体として生き残った」。
 それは島国だったから、あらゆる文明文化をうけいれ日本流に租借してしまったのである。

 国威発揚の儀式を重んじた律令制国家も遣唐使を廃止した。
「907年には唐が崩壊します。すなわち東アジアの緊張がなくなっちゃったので、国威発揚の必要もなくなる」、それゆえに、「王権自体が消極的になり『天皇を差し置いた摂政関白の時代が始ま』ることになる。外国の脅威が稀釈化し、まさに秩序の安定と天皇家との縁組みによる藤原レジュームが三、四世紀という長い時間つづくのである。
 その基本は十七条憲法のl『和を以て貴しとなす』である。

 評者(宮崎)がよく喩えるのは、日本人の多くが熱中したサッカーと蹴鞠の比較である。
 嘗て岡潔も指摘したことがあるが、蹴鞠は飛鳥時代から日本の優雅な室外競技だがサッカーの源流ともいわれながら、まったくサッカーのルールとは異なる。蹴鞠は、競技参加者が輪になって球を蹴り合うが、お互いに蹴りやすい位置へ球をもっていき、なるべく長く足下で落とさないように保ち、結局全体の和を競う競技である。サッカーのような攻撃性はない。
 欧州やシナとは、まったく異なる和の協調性が蹴鞠の精神であることを忘れてはならない。

 神道と仏教は奈良時代から日本で神仏混交となって絡み合い、江戸時代には仏教が政治と結びついて力をもった。庶民はまず神社仏閣へお参りに行ったが、儒学の湯島聖堂を訪れる人は少数(いまも訪問者は少ない)。
 儒学は江戸時代に知識人に影響を持ったが、政治を動かしたかと言えば、幕府ブレーンの顔ぶれをみても僧侶の天海、崇伝であり、林羅山に政治力はなく、新井白石は儒学の政治を主導したわけでもなく、まして山鹿素行も荻生徂徠も、長屋の講釈で糊口を凌いだ。
 西尾幹二氏はこうも言われる。
「徳川の政治体制は儒学とはあまり関係なしに成立したので、幕府が朱子学者たちを抱えたことを過大に考えない方がいいでしょう(中略)。幕府のお抱え儒者たちは主に博識と文章能力を利用されたのであって、彼らの思想も論争も、支配階級である侍の間にはさほど浸透することはありませんでした」

 というより、江戸の儒学者らは博覧強記にして孔子、孟子、荀子などの本質を捉えたが、日本主義、国体尊重に流れ込み「天壌無窮」「神州不滅」「尊皇攘夷」というナショナルな情緒を加味した独特の思想を生んだ。典型が水戸学で有り、幕末の平田篤胤である。国学が純粋培養されて幕末の志士らの原動力となるのだ。

 本書における水戸学の客観的な分析と解説はおおいに参考となった。
 蛇足ながら月報に小川栄太郎、三浦小太郎、浜崎洋介氏らが寄稿していてそれぞれが面白かった。



 「宮崎正弘の国際情勢解題」 
    令和四年(2022)12月27日(火曜日)
       通巻第7569号より
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つらつら思う

2022年12月27日 | 日々の暮らし
 12月12日(月)

 珈琲店へ。今日は久し振りに一杯。ブレンド豆を100グラム。

 店内を見るともなく見る。
 カウンター席に何だか以前に見た覚えのある後姿があった。
 派手なツイードらしいジャケットに、禿頭小太り。よく見ると後頭部の髪を括っている。

 知り合いというのではなく、何度かここで見かけた客だ。
 「こんな格好の人、って一体何をやってるんだろう。やっぱり『クリエイティブ』な仕事、か?」
 確か以前に見かけた時も同じジャケットだった。
 えらく派手なのに気負いも何もなく着ている感じで、その様子が似合っているとか何とかは度外視、実に自然だ。

 神戸で職に就いて数年の頃、元町の商店街を歩いていたら赤いシャツにベージュのスーツを着た老人に何度か遭った。
 赤いシャツなんて。それも爺さんが。田舎だったら奇妙なものを見る目で遠巻きに眺められるのがオチだ。赤シャツは「坊ちゃん」の昔から気障の象徴じゃないか。

 しかし元町を歩いていた老人はあまりにも自然だった。
 背筋の伸びたその姿に「流石に神戸は違うなぁ。あんなにかっこいい爺さんが普通に歩いているんだ」と、だからその都度感心していた。
 後にそれが詩人の竹中郁だと知って、あの人が特別だったのかな、と思い直したけれども。
 目の前の後姿は・・・まあ、とにかく自然だった。

 連れらしい男の人と喋っているところに新しい客が一人、店内に。
 思わぬ遭遇だったようで、連れらしい男に新しい客を紹介し始めた。
 新しい男も連れらしい男も地味な背広で店の中に溶け込んでいる。派手なジャケットだけが照明に浮いている。

 三人で話し始めたのが止まらない。合間に「豊岡の~」とか「校長になって~」とか「出世した」とか聞こえてくる。
 どうも学校に勤めているような雰囲気の言葉が混じっている。
 (ということは、この人たち、まだ60前ということか?)

 彼らは大人然としている。
 何だかもうすぐ七十になろうとする自分のことがガキっぽく思えてしまう。

 でも、今これを書きながら思い返してみると、あの大人びた風采で、「仕事の出世が云々」を話しているのは、逆に世間一般からすれば随分子供っぽい感じもする。
 まあ、彼らに更に十年足して七十近くになった奴が、革ジャン着てだいぶ草臥れたバイクに乗って珈琲を買いに来ている、なんてのは更にガキっぽいのだろうが。

 そりゃ確かにレザージャケット着て機嫌よくSRに乗ってる爺さんは、見た目は別にして心はガキだ。
 自慢なんかじゃない、正直恥ずかしいけど、「已むに已まれぬ大和魂」、じゃなかった「已むに已まれぬバイク乗り(魂)」だから。



 
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