CubとSRと

ただの日記

進行中

2025年01月30日 | 日々の暮らし
 1月22日(水)

 5時から5時35分まで散歩。
 8時を過ぎて朝食を摂り、9時15分からのFMの「音楽遊覧飛行」を聞くつもりだったが、気が付いたら10時半を回っている。既に二つ先の番組が流れている。眠っていたらしい。
 朝食後、温かい炬燵の中で音楽を聴こうという姿勢が間違っている?
 でも、空腹のまま寒い台所で音楽を、というのは根本的におかしい。「ターフェル・ムジーク」「テーブル・ミュージック」。食事やお茶の時間は暖かい空間あってこそ。音楽は自然界の音と同じく、その背景となって暖かい空間を作る。
 「懐石料理」だって出発点は温めた石を懐に入れて冷えた心と体を温めるところから始まったんだろうから。

 食事の後、ついウトウトしてしまうのは身体のために良くないらしいが、自然界を見ると、大方の生き物は食後転寝をしている。ヘビなどは獲物を丸のみ込みした後は消化するまで何日もじっとしているらしい。眠っているようなもんだ。

 昨夕帰宅した時、朝出掛けに干した洗濯物が目に入った。
 着替えてすぐ洗濯物を取り入れなきゃ。もうそろそろ湿ってしまう頃だ。

 今朝、散歩から帰ってギョッとした。洗濯物を取り入れるのをすっかり忘れていた。「日が陰ったら湿ってしまう」どころの話じゃない。一晩経っている。小雨でも降っていたら湿るどころかバリバリに凍っている筈だ。
 触ればどうなっているか分かるけれど、怖くて触る気になれない。
 まあ、どちらにしたって今日一日そのままにしておけばセーフだろう。
 一日半干すことになるが、まあしょうがない。二日半になる事は何が何でも阻止しなければ。
 ボケが進んではいるが、洗濯物の取り込みを忘れたのは初めてだ。
 ・・・?以前にもやったような。

 ま、進むものはしょうがない。要は生き死にに関係のないことは右から左へ受け流せばいい、ということ。
 そして、用事を作ってバイクに乗ること。
 
 
   
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洗車

2025年01月26日 | 日々の暮らし
 続き)

 今日は散歩から帰って、まだ暗い中、すぐに習字を始めた。
 朝食も7時過ぎには玉葱を炒め終え、7時半には朝食の片付けも終える。

 前後するが、この玉葱を炒めて卵でとじて塩胡椒をしてからバルサミコ酢をぶっかけ、納豆まではいかないけれどそれなりに攪拌、焼いたバゲットに載せて食べる、ってのは本当、妙に飽きない。もう十年近く、気が向いたら毎日のようにやっている。

 早々に朝食を終えたのは、コペンの洗車をと思ってのことだったが、あまり早く行っても車が乾かないだろうと急ぐことはしなかった。

 昨年、洗車後に拭き上げようとしたらどうしたことかいくら拭いても乾かない。普通なら風で水気を飛ばしてくれた後は僅かに残った水滴を雑巾で(拭く、のではなく)吸い取らせたらそれでおしまいなのにこの時は何だか様子が違った。
 何度か同じところを拭くうちに妙なことに気が付いた。拭いた時はきれいになったように見えるのに、次の瞬間その場所がいい加減に拭いたかのように白く汚れた線が残る。そんな筈はない。水だけの洗車だっていつも十分きれいになる。何で??
 能く見ると汚れが残っているのではなく拭いた端から水分が蒸発せず凍ってしまうのだと分かった。
 下手すると摩擦熱で蒸発する前に凍った水分は更に強くこすると塗装面を引き剝がすかもしれない。

 それに気が付き、冬場の洗車は昼近くになってからと思っていた。同じ轍を踏まぬように。
 
 9時半近くになってガソリンスタンドに着く。
 洗車場に入ろうとしたら、黄色のパイロンが洗車場入り口に車が入るのを塞ぐ形で置いてある。まさに「車止め」。
 昔なら「下乗」と高札があるみたいなもの。パイロンだけ置いて「見て分かれ」と言うより説明がある方が良い。いやいや、車で入らなきゃ意味がないんだった、洗車場だもの。

 事務所に行って聞くと、何でも寒さでノズルが凍ってしまったので、今点検中なんだと。
 確か一昨年にもそんなことがあったな。あの時は三、四日使えなかったと思う。やっぱりそれだけ寒いところなんだ、ここは。

 幸い点検はすぐに終わり、使えることになった。
 一ヶ月に一度の洗車が今回は年越しが絡んで少し間が空いた。

 洗車後、ひよどり台で食料購入。豆腐、厚揚げ、油揚げの豆腐一族。
 残り千円で、昨日から173円に値上がりしたガソリンを給油。
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痙攣

2025年01月25日 | 日々の暮らし
 1月18日(土)

 早寝は二日続かず。
 それでも12時過ぎには横になる。

 思いついて仰向けに寝て、右腰の痛い部分に右拳を置き、自重でツボを押す形を採ってみた。
 痛い。とても痛い。けど、気持ちが良い。「痛気持ちよい」って・・・被虐趣味はないんだけれど。
 これまで立ったままで拳を押し当てることはあっても、十数秒痛いところを擦りながら押し続けるということはなかった。

 やっている最中は痛さが先に立つが、終えてみると気持ちのよさだけが残る。このまま眠れそうだ。
 それで終えた時の気持ちよさだけが残り、ウトウトしかけた。
 その時、腰から脚に掛けて電気を当てられたようにビクッと痙攣する。
 站椿(たんとう)をやった後で、全身が勝手に反応する感じと似ている。
 痛みはない。痙攣した後は逆に気持ちが良い。
 踵と首で身体を反らせようとすると、このツボ押しの前には痛くてできなかったのに、これをやった後は全く問題なくできる。

 何より今朝散歩に出る時、以前は撥ねるようにして前進することができていたことを思い出したのは、このツボ押しの結果が大きく絡んでいる。
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早起きは三文の徳(三文の得?)

2025年01月24日 | 日々の暮らし
 1月17日(金)

 昨晩11時過ぎに寝て、目が覚めた時「随分寝たな」と思いながら時計を見ると午前2時15分。なのに眠くならない。

 このまま起きているしかないかと思っているうち、いつも通りに新聞配達のスクーターの音。
 「起きるしかないか。いや、これで起きたら疲れは取れんぞ?無理してでも寝なきゃ」。
 そう思ったまでは覚えている。その先の記憶がない。気が付いたら4時半近くになっていた。
 さすがに、もう寝たら後の予定が全部押し気味になる。

 5時10分散歩に出る。やはり散歩に出るのはこれくらいの時間の方が良い。

 一昨日と同様、何か顔にあたる。さほど曇ってはいないから、雨というのはどうか。
 街灯に透かして見ると、雨ではなく粉雪だった。
 散歩コース、折り返し点間際で止む。
 5時45分帰宅。

 今朝は本当に寒い。それでも風は吹かないから身体は温かい。
 今年初めて、7時前に朝食。
 朝食後、居眠りをしなかったから昼前が異常に長かった。今日はそれで得した気分。三回も四回も時計を見て、その都度「えっ?まだ10時過ぎ?」「まだ昼前?」と驚いて見せる。ままごとみたいな感覚か。

 
 
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ややこし

2025年01月23日 | 日々の暮らし
 1月15日(水)

 2時近くに寝て、目が覚めたのは4時。
 と思ったのだが、用足しに降りたついでに定例のホットレモンを作り、飲みながら時計を横目で見ると、4時ではなく5時だった。

 これは起きなきゃ、と血圧を測りに二階に戻り、瞬きをしたら5時半。
 ワープしたのではない、と思う。眠っていたのだ。

 既に6時前。靴を履いて出たのが6時。
 数十歩歩いて、いつもの曲がり角を右折したら雨粒の当たるような感触があった。気のせいではない。
 でも先日の雪片とは様子が違う。あれより温かく、鋭さもない。
 どうもごく小粒の雨らしい。
 その雨が進むにつれて強くなる。「これはもう小雨と言い切れるな」と思った辺りで帰宅。

 11時に歯科医院に行かなきゃならないが、雨の心配がなくなった辺りを見計らって、とゆっくりしていたらギリギリになった。
 
 カブで行く。
 親知らずを抜くのは功罪半ばするらしくリスクが大きいらしい。それに入院しなければならないので開業医にはできない。
 そういうわけで痛みが抑えられなければ手術するしかないが、痛み止めの薬で様子を見るというのが次善の策、との結論。

 「無病息災」という言葉が通念になっていたが、そんなことはまずないし、それではいざと言う時に慌ててしまって何もできなくなる。
 いつも健康に気を付けるためには、全く病気がないよりも意識づけにもなる「一病息災」という考え方の方が良いのでは?
 そう言われるようになったのは四、五十年前からだろうか。

 一度家に帰ってリュックを背負って出直そうかと思ったが、カブの前かごの容量を信じて、そのままスーパーマーケットに行くことにした。
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