CubとSRと

ただの日記

ツーリングに最適な日ではあるが

2023年11月30日 | バイク 車 ツーリング
 11月5日(日)

 5時20分起床。5時25分から55分まで散歩。

 「起きてからわずか5分で着替え、散歩に出る」などと、もしかしたら消防隊の出動より早い?それはない、か。
 消防団なら勝てる?それもないか。そんなことで自慢してどうする。
 ストレッチも何もしないで出ただけのことなんだから、怪我をする可能性はいつもより高いはずだ。しょうもないことで行数を稼ぐなよ。

 カブで鈴蘭台の生協まで行き、資源ごみを出し、帰りに近所のスーパーで買い物。
 ツーリングに最適な天候の日だとは思うが、目が気になる。
 だが、どうすることもできない。月曜日に眼鏡が出来上がるのを待つしかない。
 左眼の乱視が相当にひどくなっているのが自分でもわかる。
 
 視力が急激に落ちたのは高校の3年生になってからだ。学校の視力検査で左目の視力が0,3だったか0,4だったかになって、右目は1,0だったからこれはまずいぞ、となった。乱視が影響しているということだった。
 それでも日常生活に差し支えることはなかったから、22歳で就職するまでは眼鏡をかけたことはなかった。本も普通に読めるわけだし。
 
 就職してびっくりした。職場の女性がみんな若い。そんなはずはないのに年齢よりもはるかに若く見える。
 知的な表情をしているから、若く見えるのか?それだけじゃない。みんなきれいだ。

 「さすがに学生と違って社会人というのは顔つきがしっかりしている。立派な大人なんだな。だから若くてきれいに見えるんだろう」
 、と思っていたのだが、遠方ではっきり見えない時から挨拶はしなきゃいけないのが普通の社会。学生と違うところ。遂に眼鏡をつくることになった。

 出来上がった眼鏡をかけてみて驚いた。こんなに世界がはっきり見えるのか。
 そして職場に行ってもっと驚いた。みんな年相応の顔をしていた。
 悪口大会ではない。真実、ショックだった。

 それから何度眼鏡を作り替えただろう。あの時のようなショックは二度と感じることはなかったが、作り替える度に景色は鮮明になる。
 景色は鮮明になるが、触感(皮膚感覚)はその度に鈍麻していくような感じがする。

 カブや車に乗っている時は上体を起こしている。目が疲れるという感じはあまりない。が、SRに乗る場合をはじめとする、上体をそれなりに前傾させる姿勢をとると目が疲れる。少しでも上目遣いになるのが良くないらしい。

 「車に乗る、バイクはカブだけにする」、ならばいいのだ。

 しかし「バイクに乗らない」、なんて。考えたくもない。


 夜 焼酎一合五勺、栗焼酎のロック2杯。
   ポテトサラダ(ベーコン追加)、鰹のたたき、鰤の切り身煮付け、コロッケ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夜明けの散歩

2023年11月29日 | 日々の暮らし
 3時半に帰り着いて、目の調子はやっぱりもう一つ。
 予想したほど疲れてはいないけれど、何しろ左目と右目で焦点の位置が上下に違うものだから、気付かぬうちに無理をしているようで、身体は疲れてはいない、と書いたものの何だか「神経疲れ」というか、そのまま「視神経疲れ」みたいなものはある。手っ取り早い手段は眼鏡を新調することだろう。
 とにかくご飯を炊いて、夕食を摂って。


 目が覚めた。結構長い時間寝ていた気がする。辺りは暗い。
 枕元の時計を見ると6時を回っている。
 「しまった!散歩に出る時間が遅くなった」
 この時間からだったら、ぎりぎりで辺りが明るくなる前に帰って来られる。
 大慌てでいい加減ながらストレッチをして、服を着て外に飛び出した。

 隣の家の階段に並べてある太陽光の蓄電による照明が明るい。
 こんな時間なのに既に車はない。朝早くから家族そろって外出か。
 いや、今日は既に日曜日だ。学校は休みだから、もしかしたら昨日の午後から出掛けたのかも。

 いつもの散歩コースを歩くのだが、何か様子がおかしい。こんなに早くから灯りの付いている家が何軒もある。散歩に出る時間に、こんなに多くの家が既に起きているなんて・・・・?

 え?もしかして・・・・。
 待てよ、そういえば夕食を摂った覚えがない。ご飯を炊きかけたところまでは覚えている。当たり前なら茶碗に小分けにしてラップをかけて、だけど、それをした記憶が全くない。
 ということは・・・・?

 道の先にテニスクラブの照明が見える。朝「暗いうちから早朝テニス」なんて、いくら何でもやってないだろう。
 テニスクラブに近づくにつれて、推理が確信に変わっていく。

 犬と同じく散歩は日に二回でも良いけれど、これ以上腹を減らすより引き返して夕食を摂ることにしよう。
 ボケたらこんな感覚になるのか。これで不安に襲われたら完璧だ。
 しかし、意外にこういうのはただ面白がる方が良いのかもしれない。本好き少年の空想癖みたいに。異世界転生もの、とか。
 現実を把握できなくなることを悲観するより、自由気儘に空想する方が中身があって面白い。

 まあ、我儘気儘ってのは本人は良いけど周囲は迷惑でたまったもんじゃないだろうな、とは思う。

 帰って念のために時計を何度も見て、ラジオのニュースで曜日も何度も確かめて。
 結果、やっぱりまだ日付は変わってないことを確認。今は土曜日だ。
 酒を飲める日ではないから、十分余りの散歩は早々に切り上げ、茶碗にご飯を盛り分けるというルーティンの後、あり合わせのおかずで夕食。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

所期の目的

2023年11月28日 | バイク 車 ツーリング
 11月4日(土) 続き

 何はともあれ今日の目的は先週の駄目押し。
 「竹輪を買って、苦瓜買って、鶏の唐揚げも買おう」
 でもそういったものは後回し。
 到着したらまずは杉原紙の栞を買いに行くこと。

 同じ土曜日だから同じ光景が展開している筈だった。
 天気があまり良くなかったのはしょうがない。
 その結果景色が寒そうに見えたのも、これは紅葉前ということもあってしょうがない。
 その代わり先週と違って、今日は車ではなくバイクだ。景色は違って見える。

 バイクに乗り始めた三十数年前。片岡義男が車で北海道に行った時のことを書いたエッセイを読んだ。それを日記に書いていた。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 片岡義男という小説家のエッセイに、こんなのがありました。
 思いついてドライブに出かけた。けれども何だかしっくりこない。
 天気も良いし、快適なのにさほど楽しくない。何か物足りない。
 で、ふっと自分が水族館の中に居るような気がした、と。
 スポーツカーの車内は快適なんだけれど、外界と窓ガラスで遮断されている。これでは長距離ドライブと言ったって、ただいつもの空間のまま移動しているだけじゃないか。バイクは外の空気に触れているからこそ、楽しかったんだ。よし、来年はバイクでツーリングに行こう。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 で、この時はやっぱり「枠があって囲まれている感」がそう思わせるのだろうとなって、「バイクは逆に景色に対して剥き出しだから」というような結論が書かれていたと思う。
 氏が翌年バイクで行ったかどうかは書かれてなかった(と記憶している)。

 
 杉原紙の栞は、何故だか今回は心を惹かれる図案が少なかった。並べてある栞のほとんどが入れ替えになったなどということはないだろうから、今日の天気と同じで自身の目が曇っていた、ということか?
 それでも今回はブロッコリー・ピーマン・ピエロ・カワウソ(?)・干し大根の5枚を買う。
 なかでも干し大根の図柄は秀逸だった。青首大根三本を藁縄に見立てた紙縒りで括り、緑の和紙の上に置いてある。
 春になったらまた来てみよう。

 竹輪は売りに来てなかった。苦瓜は小さなのが二本あるだけだった。
 鶏の唐揚げだけ買って帰った。


 3時過ぎに帰り着く。目の調子はやっぱり良くないが、それ以外は思ったほど疲れてない。
 しかし、まず目を休めなければ。
 いや、その前にご飯を炊かなきゃ。

 この時間なら夕食は4時半からでもいける?


 (続くかも)
  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛想のない景色

2023年11月27日 | バイク 車 ツーリング
 11月4日(土)

 5時から5時30分まで散歩。
 8時前に習字を終え、朝食を摂る。

 昨日の計画通り、多可まで行ってみることにする。
 ただ天気はもう一つ。雨が降るかもしれないし降らないかもしれない。
 降水確率は20%とあったが、南部はそうでも北部は高くなる。
 それに確率は低くてもそれは「降るか降らないか」だけの話で、降れば小雨だってちゃんと濡れる。大雨になるかもしれないし、ならないかもしれない。

 西脇の辺りで、またもや怪しい天気に。
 何よりそれ以前に今日はずっと曇っている。
 「今日はSRで」と思って出てきたのだが、全くバイク日和ではない。
 しかし西脇を過ぎてからは、逆に雲が少なくなってきた。
 兵庫県は広い。こういうこともある。

 多可の道の駅に着いたのは11時半頃。
 土曜日だからだろう、今日はバイクも多い。日曜日と違ってソロライダーも結構いる。
 例のおにぎり店には入らなかった。先日と違って駐車場に車は多くないので、品物はたくさん残っていただろうと思うが、酒を飲むのは明日だ。折角の美味しいおにぎりも冷蔵庫に一日でも入れておけば食感は間違いなく悪くなる。
 その前におにぎりは肴にはしない方が良い、ちょっとしか飲めなくなるから。

 トイレ休憩だけですぐに出発。
 杉原紙の道の駅までの十数キロは、道に変化はあるものの山間の道も田園地帯も淡々と走るしかない。早い話が取り立ててこれと言ったところのない面白くない道。
 以前から何故面白くないのだろうと考えているのだが、答えが見つからない。まあ、こじつけるならば山の姿に面白みがないからか。
 いや、山だけのせいにしちゃいかんな。他にも理由があるだろう。

 面白くないと言えば、更に面白くないのが播州の景色。この多可町は山に木は多いが、播磨の山は低木ばかりで、岩肌が露出したままのところも多い。
 何だか殺伐としている。「悪党」の始まりと言われる赤松氏の本拠地だから、というわけでもあるまいが。
 脱線するけど「悪党」というのは「悪いやつら」ではなく、「悪(にく)い者共」が本来の意味で、名前だけの主人(幕府)の命令に従わない地方の豪族を評する言葉。土地の住民にとっては良い領主だった場合がほとんどらしい。有名なところでは楠木正成なんかも「悪党」と呼ばれていたと習った記憶がある。

 愛想のない平地を北へ進み続けると、段々に山が両側から迫って来る。気が付けば狭隘な山道になって、更に上り坂になる。このまま進むと分水嶺になるであろう播州峠。その手前が杉原紙の里(だった)、その名も「加美町」。例の「平成の大合併」で多可郡加美町の名前はなくなったらしい。

 (続く?)
  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「そうだ、そうしよう」、と。

2023年11月26日 | 日々の暮らし
 11月2日(木)

 5時10分から6時5分まで散歩。
 いつもは30分強のところが、一時間近くかかったのは神社参拝のため。

 先月の途中、久し振りに参拝した。長い間止められていた手水舎の水道栓が開けられて手水を遣えるようになっていた。柄杓はなかったけど。
 柄杓はなくとも参拝はできる。
 伊勢神宮内宮は五十鈴川の水を手水とするのが本来の形だった。元々は参道のはじめとなっている地点に橋はなかった。川を渡ることで穢れを祓う、ということだったらしい。同じ考えから手水を遣うことで「川を渡るのと同じ効果=穢れを祓う」が始まった。だから柄杓は、本来要らない。
 けど全ての神社のそばにそんなに都合よく川が流れているわけもないので、手水舎が置かれ、柄杓が置かれた、と。

 元に戻って。
 手水が遣えるのなら参拝を復活させても、と思ったものの、毎日一時間近く歩くより今の30分強の方がしっくりくる。
 「そうだ!参拝は月一回にしよう。そうだ、そうしよう」。

 というわけで、月初めに参拝することを思いついたのは先月末。
 それなら何で1日じゃないのかというと、昨日は集団検診があったから。
 ・・・と言いたいところだけど、実は集団検診と内視鏡検査結果の二つが頭を支配していて、決めてたことをすっかり忘れていたから。1日の夜になって思い出した。

 神社に参ってみると、以前のように柄杓が三本置いてあった。
 「これで安心、これなら毎日」とはならない。頑迷固陋の爺。いやいや。
 何よりトイレが近い。一時間は不安だ。これが最大の問題。途中にコンビニが一店あるが、毎日借りるわけにもいかぬ。

 酒を飲める日なので、買いに行く。飲みたい酒を選ばなければ天国から煉獄、地獄まで行って二度と帰って来られないほどの量を確保しているが、やはり「酒酔い」は気分次第。何で酔うかは大問題。そしてあの世への片道切符、それも特急券にはしたくない。
 飲んでしまって品切れ中の缶ビールと栗焼酎を買ってくる。

 結局、柿の酢の物をつくって食べ忘れ、焼酎一合五勺を温める用意だけして温めずに終わる。
 焼酎は水で割った状態で二三日寝かせておけばうまくなるらしいからOK。
 酢の物は柔らかくなってしまった柿を
 「う~ん。やっぱり忘れていたのは大失敗!」
 とぼやきながら、朝食の一品に。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする