CubとSRと

ただの日記

小熊、礼子、シノさん

2018年09月30日 | バイク 車 ツーリング
 ~7月5日の日記より~
 今朝からずっと、強い雨と風。
 風は夜になってマシになったものの、雨は呆れるくらいに降り続ける。
 このあたりでこれだけ強い雨が降り続くのは、おそらく数十年ぶりだろう。
 ここに住むようになって40年以上になるが、全くこんなのは記憶にない。
 というわけで、新しい日記帳の一頁目。どこへ行くこともなく、何をすることもない、何も書くことのない一日が過ぎようとしている。
 そうだ、特筆すべきことがあった。「スーパーカブ」一巻目をまた読み始めた。何とこれ、三回目。
 ライトノベルス自体、読んだことがなかったのだけど、それを三冊買って一巻から順に二巡し、三巡目に入った。
 物忘れが酷くなっているから、最初と同じく楽しく読める、ということもできるのだが。
 「小熊」という名前が、実は「cub」の訳語だと知ったのは二回目を読んでいる途中だったが、それを「成る程!」と思うと色々なことが「成程!」になる。
 (正確には、小熊ではなく、猛獣の子を意味する英語だから「子熊」らしいが)
 「礼子」はおそらく三好礼子をモデルにしているのだろう。良く言えば生き方の天才、天衣無縫。勝手気ままで全く悪意のない愛すべき人物。
 どうしても礼子が気に入って乗っていたバイクが郵政カブというのは無理がある、と思っていたら、初めは加曾利隆の駆るスズキのハスラーだったということも。
 更には小熊が僅か一年でプロ顔負けの整備技術を身に付け、シノさん、篠原勝之をモデルにしたという禿頭のバイク店主人を感心させているということ。
 トネ・コーケンというペンネーム、実はトネもコーケンも工具メーカーの名前から来ているということ。
 そこら中に色んな「成る程!」な無理(?)があるけれど、不思議なことに「小熊」という、見ようによっては愛くるしい名前の女の子を主人公にしたことによって、みんな許せるというか、納得できてしまうところ。
 ただ、小熊は、いつの間にか男よりも男らしい女の子になってしまうけど。それもたった一年で。
 けど、それも「小熊」という名前の「女の子」だから許せる。

 それにしても三巡目、とは。
 (これを書いている9月30日。四巡目を終わろうとしている)

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淡路島日帰りツーリング

2018年09月29日 | バイク 車 ツーリング
 ~6月23日の日記より~
 で、翌日は淡路島ツーリング。
 弁当は前の晩に用意していた。と言っても、卵焼きと野菜炒め、それにラッキョウ。
 御飯は・・・昨日は消費期限の過ぎたチキンライスの素だったから、今日は俵型握り飯の味付け海苔巻き。
 5時から起きていたのに、疲れてない朝のうちにブログを、とやっていたら、結局7時半。
 弁当の握り飯をつくり、コーヒーを淹れ、最後に朝食。気が付いたらもう8時半。
 遅くなりすぎたな~、明日にしようかなぁと思い始めたけど、じゃ、この弁当、どうすんだ??
 ということで、やっぱり行こう。空模様はもう一つだけど晴れると言ってたし。
 乗船場所へ着いたのは9時半だった。
 うまい具合に、次の便は9時40分。岩屋港に着くのは10時。
 やっぱり遅かったかな、と思いつつ、往きに3時間、帰りに3時間で、昼食を一時間とっても岩屋に5時。
 一番日の長い時だし、家に帰ってもまだ日は沈んでないかも、と気楽な計算をする。
 同乗はスクーターが二台、自転車が一台。全く話すことはなかった。
 入ってきた船は今時珍しい双胴船。早い。早いけれど明石大橋をくぐる時の興奮はやっぱり同じだった。
 
 カブでわざわざ交通量の多い東側を通ることもないだろう、と今回は西側(通称サンセットライン)を往復するだけの予定。
 数年来ないうちに、道が随分きれいになっている。その分、車の流れる速度も上がっている。
 加えて小さなカブが走っているとその後ろ姿からだろうか、邪魔に感じるようで、よく煽られる。何度道を譲ったか分からない。ハンドサインで道を譲ることを示すのだが、全く眼中にないようで、短いクラクションもハザードランプの点滅もついに見ることはなかった。
 「みんな神戸ナンバーなのになぁ。神戸ナンバーって評判良いんじゃなかった?」
  と思って、気が付いた。淡路も神戸ナンバーだった。
 景色は相変わらず良いし、道には「緑の道しるべ」という休憩場所が点在している。
 そして海岸を通る道路には高低差が殆んどない。自転車やバイク、特に自転車には、これ以上良い道は滅多にないだろう。もっと宣伝しても良い。
 
 帰りも気持ちよく走り、道を譲り、していたのだが。
 一回だけ怖い思いをした。
 道を譲った後、距離を置いて走っていたら、ハンドルミラーに黒い軽自動車が映り、見る見るうちに大きくなる。
 カブのスピードメーターが60キロくらいだったから、70キロくらいだったんだろうか。
 道を譲った後だから、前に車がいる。その車とカブの間に入りたいらしい。
 でも、対向車が見えてきたので、ここで抜かさせるのは危険だから、こちらも70キロくらいまで速度を上げる。
 前を走る車との車間距離が縮まる。もし、前の車がブレーキを掛けたら、カブは追突するしかない。
 仕方なしにスロットルを戻す。
 するとこの軽、黄色のセンターラインを越えて強引に抜いたとほぼ同時に、前に割り込んだ。
 当然今度はこちらがブレーキをかけ、車間距離を取る羽目になる。
 折角のツーリングが台無しだ。
 あちらにはあちらの言い分があるんだろうけど。「原付は道の端を走れ!」みたいな。
 「軽のくせに!」という気は全くない。でも、「車のくせに!」といつも思う。

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下見

2018年09月28日 | 日々の暮らし
 ~6月23日の日記より~
 淡路日帰りツーリングに行くことを思いついたので、明石のフェリー乗り場まで下見に行くことにした。
 別に急ぐ用でもない。仕事はないけど時間はある。天気も良い。
 二十年余り前から月に一二度寄っていた喫茶店で、いきなり休憩。と言っても、もう昼前。
 今日の用事は下見だけなんだから。
 仕事をしていた時、こんな時間の使い方を聞いたら、もう「羨ましい」の一言だけだったんじゃないか、と思う。
 今は右向いて左向いたら一年経ってるから、こんなの当たり前すぎて「暇つぶし、時間潰し」みたいな時間を持て余している感じはない。ちっとも「ああ、幸せ~」なんて思わない。
 懸命に仕事をしている人に顔向けできないような(・・・なんてことは思ってないけどね)。
 しばらくして明石に向かう。
 ちょうどフェリーが出たところだった。小さな高速船だ。バイクや自転車はどこに載せているんだろう。
 係の人に聞くと、土、日は一杯だけど、平日は全く心配ない、とのことだった。
 何でも、明石フェリーが廃止されるまでは自転車やバイクは載せない、全くの渡船だったとか。
 明石フェリーが廃止になった時、自転車やバイクも載せてほしい、ということで淡路島の方で船を買ってくれたのだそうだ。
 念のために7~9時、15~17時の便数の多い時でも、平日なら大丈夫か、と聞いておく。
 日帰りなんだから、その辺は「いきなり休憩」、みたいな時間の使い方はできない。
 橋を渡るより安いとはいえ、往復二千円ほどかかるんだから滞在時間は十分に確保したい。
 これで用事は終わり、帰る。
 帰ってみたら距離計の表示は11950キロ。あと五十キロは四捨五入して12000キロ。
 ということでバイク店に直行。オイル交換をしてもらう。
 「調子が良くって。能く走ります」
 そしたら言われた。
 「見た目は若くても歳は取ってますから、あまり無理はしないように」
 ん?持ち主のことか?カブのことか?
 自慢じゃないが、持ち主は見た目も中身も歳相応だから。
 カブのことだよな?そんな失礼なこと言うような店主じゃない。
 でも、何だかオーバーラップしているような・・・・。

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「良いとこ取り」を裏返せば

2018年09月27日 | バイク 車 ツーリング
 ~6月20日の日記より~
 昨晩だったか、一昨晩だったか。オイル交換を早くするために次はどこへ行こうか、と考えていた。
 前回と前々回のオイル交換の間隔があまりにも空いていたため、一回替えたくらいではオイルは十分にはきれいになっていない。
 だから今回、もう一度1000キロ走行後にオイルを交換してもらおう。そうすれば、もっと回転が滑らかになるかも。
 そう思っているうち、それなら淡路に行けばよい、と気が付いた。
 明石大橋ができて明石フェリーはなくなった。それまでフェリーで淡路に渡っていた車やバイクは橋を渡っていく。
 それでコペンでも行ってみたし、R1100RSでも行ってみた。
 その感想。金はかかるし、つまらない。
 ゆっくり走ることもできないし、淡々と走って、でもごくわずかな時間で当たり前に着いてしまう。
 橋を否定するのではない、「ツーリングでは」、という但し付きの話だ。
 ツーリングということでなら、バイクも車も一度通ったら、もう一度、という気にはならない。
 以来、淡路島ツーリングには行ってない。(と言っても3年ほど?)
 先日、明石に行った時、小排気量のバイクや自転車なら運んでくれる小型のフェリーがあったことを思い出した。
 こりゃあ梅雨の晴れ間に行っとかなきゃ。
 淡路に行く時の楽しみは、明石大橋をくぐる時。
 あの巨大な橋脚が段々に迫って来て、その真下をくぐる時が最初の大興奮。あんなものを人間が作ったのだ。完成間近の大地震にも耐えて、橋の長さを少し修正しただけで、予定通り完成させたのだ。
 そのすごさは、淡々と渡ってしまったんじゃ分からない。
 ツーリングに関係ない?物凄い景色を見て感動する。それもツーリング。
 バイクは走ってないけど、同じ船上に居る。・・・と強弁しておく。
 それにしても小排気量のバイクでのツーリングなんて、随分してなかったな。
 原付免許取って、3か月目には250になり、2年後には400。大型免許を取ってからだって、既に18年だ。

 大型免許を取った時、SRで北海道に行って以降、90はおろか400でツーリングに出かけることすらなくなった。
 大型は楽だ。所有しているだけで誇らしく、何だか優越感もあった。
 ずっと以前に四国一周をした時、行き会ったBMWのK100RTの人達に、
 「大型は楽でいいよ。免許取って乗ったらいい」
 と言われた。
 大きなお世話だ、と思ったのは彼らが「昔免許」だったからなのか、全員タンデムシートに女性を乗せていたからなのか。でも、悔し紛れに「それは何か違う」と思ったことは覚えている。
 それがいつの間にか「所有しているだけで誇らしく、何だか優越感も~」だ。大型バイクを三台並べ、日替わりで乗っていた。SRは通勤用だし、カブは買い物用だから、別に偏ってはいない。
 けど「車は楽だけど、バイクは楽しぃ」ということを少しずつ忘れて来ていたのかも、と思う。
 何故って「大型は楽」だから。「楽」で、バイクだから「楽し」くって。楽で楽しい。もう言うことなし。
 いいとこ取り、というのは満たされているようで、裏返せば何か物足りなさを感じるということでもある。良いところとは氷山の一角でしかなく、隠れた海中の巨大な氷塊がそれを支えている。氷塊を感じなければ、上っ面を撫でただけ。それで終わりだ。「時よとまれ!お前はあまりにも美しい!」だ。その瞬間、魂はメフィストに食われる。人間じゃなくなる。楽も楽しさも消滅する。
 けど、幸い(?)なことに金銭的な理由で、大型はみんな手放した。

 バイク店で「車に乗るようになったら、バイクには乗らなくなるかも」
 と言ったら、
 「三切さんはきっと降りないと思いますよ」
 と言われたことがある。
 実際、バイクを手放し、車に乗るようになって6年余り。熱しやすく冷めやすい性格のまま、車に乗ることが楽しい、とも思うようになったけれど、今、カブやSRの調整をしてもらって乗ってみると、やっぱりバイクを離れることはできないのかもしれないなあ、と思う。
 
 

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遅まきながら反省

2018年09月26日 | バイク 車 ツーリング
 ~6月15日の日記より~
 9時頃から雨が降る、ということだったが、5時に目が覚めて外を見ると、既に雨。
 それでも段々に、「昼からは収まるかも」という予報を期待できそうな雰囲気になって来た。
 2時頃、もう大丈夫だろうと買い物に出かけたら、また雨粒が当たる。
 スーパーで短時間、買い物をしただけで駐車場へ戻ってみたらシートは結構濡れていた。
 家に帰って濡れたカブを拭く。20年余りまともに拭いてやったことがない。
 他のバイクはそれなりに手入れをしても、カブの方はいつも、そのついでに、といった感じだった。
 それどころかチェーンにオイルを注したことなんか一度もない。
 おそらくはバイク店で数回、先日の「100円喫茶」で一回。それだけだ。
 たしかにフルカバーのチェーンケースで守られたバイクは、「チェーンが埃をかぶって~云々」なんてのは殆んどないからオイルを注す頻度はとても低い。
 けど、物事には限度というものがあるだろう。全く顧みないなんて・・・。
 (ん?悪い奴は誰だ?何、他人事みたいに書いてるんだろう。)
 「これからはもうちょっと丁寧に見なきゃな。SRと同等に見よう」
 やっと、そう思い始めた。
 二台、ほぼ同じ頃に手に入れ、、二台とも事故に遭っている。それも連日で(初めにSR。翌日はカブ)。
 「スーパーカブ」から「大島サイクル営業中」を知った。
 この二つを読みつないでいくうちに、小排気量バイクの面白さ、その行動範囲内で起きる(起こりそうな)出来事を、自然に振り返るようになった。「そう言えば~」というようなことが色々と思い出される。
 そうなると、これは普通二輪、大型バイクとは全く違った楽しさがあるのでは、と今更ながらに思うようになる。
 今後、カブとSR、コペンローブは、自分の中で全く対等の存在になっていきそうな気がする。
 「世界に一つだけの花」とか「みんな違ってみんな良い」、なんて言い方は好きじゃない。
 込められた思いが深かったからこそ、それぞれに優れたものが生れ、生き残っていけるのだろう。
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