CubとSRと

ただの日記

何だ?

2021年09月30日 | 日々の暮らし
 9月15日(水)

 書いていたつもりだったのだが書いてなかった。
 これもまた9月13日(月)、葡萄を買いに行った帰りのこと。

 家に戻って、カブが雨に濡れるかも、と気にしながら車をガレージに入れ、エンジンを切った。
 「ピピッ」という警告音を発してエンジンが切れた。
 ん?逆か。エンジンを切ってから(止まってから)警告音が聞こえたのか。

 いずれにしてもこれまでにない反応だったから、もうちょっと「何か異常はないか」と見直さなければならないのだが、こんな時の異常なんてチラッと見たくらいじゃ分からない。それにまずやらなきゃならないのはカブ。
 早く中に入れなきゃ、雨に濡れる(かもしれない)。まずはカブを中に入れ、腰を据えて見直すことにする。

 カブを入れ、シャッターは開けたままで、取り敢えずもう一度エンジンを掛ける。当たり前に掛かる。切る。また警告音。
 各計器の状態表示に、これまでにない表示が出てないか気をつけて見るが能く見えない。
 目を近付けたら、と思って暗いガレージの中、表示画面に顔を近づけるが、近視の上に乱視だ、余計に見えない。

 LPレコードのジャケットを、そのまま縮小印刷してCDのジャケットとしたのには些か以上に不満がある。けど、そこは辛抱、まあ良いとしよう。縮小したって美しいものは美しい。気の利いたジャケットは大きさで価値が激変することはない。
 だけど、中の曲解説などの紙まで全く同じ論法で非情な縮小印刷をされていたのには、随分腹が立った。ジャケットは眺めるものだ。曲解説などは読むものだ。虫眼鏡を用意しなきゃならないなんてのはおかしいだろう!
 初めから虫眼鏡が必要だったA(アダルト)Vは、ADVDになっても、全く同じ大きさだから文句は言わない(誰にも言えない?)。関係ないか。

 思い出した。あの時と同じだ。
 とにかく普段は見ることのない表示があって、「これ、エンジンキーの電池切れじゃないか?」と思い当たる。

 数年前、滅多にないこと、ルームライトを点けて探し物をした。
 そのまま車を出て一日半ほど放置(勿論ガレージの中)。そして当然のことながら・・・・・。
 その際、まだ買って三年目に入ったばかりの新車だったから、バッテリー上がりなんて考えもしなかった。
 とにかくエンジンキーをいくら押しても全く反応しない。
 「これは電池が切れたんだ、2年くらいが使用期限と説明書にあったからきっとそうだ。これだから電池式は!普通のキーで良いのに」
 、と不機嫌になりながら電池を買いに行くことにした。
 当然バイクで出掛け、電池を交換してもらっていそいそとエンジンを掛けようとする。掛からない。全く反応がない。
 これはやっぱり故障だ、と慌てふためいて近くの自動車修理工場に連絡、見に来てもらう。

 結局、ただのバッテリー切れ。初めに書いた通り、「ルームライトを点けっ放しにしていたから」、だった。
 「バッテリー切れ、みたいですね」と言われてちょっと考える。そして突然、ルームライトを点けっ放しにしていたことを思い出す。
 カッコ悪いったらない。

 今回は断じて(!)バッテリー切れではない。そして、今回こそ電池切れかもしれない。あれから3年経っているのだから。

 雨も上がったようだから、近くのオートバックスで電池を換えてもらった。
 勿論、以降、警告音が発せられることはない。
 

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今日はSRで

2021年09月29日 | 日々の暮らし
 随分間が空いたけど、9月13日(月)の続き。

 日曜は工事も休みだけど、今日月曜日から、また喧しくなる筈・・・と思っていたのだが。
 いつまで経っても静かだ。人の来ている気配がない。
 何故?と思いながら外を見る。やっぱり人の姿は見えない。
 
 どうも境界部(と言ってもギリギリまで掘り込むつもりで、結局は幅50センチほどこっちの敷地を掘り崩しているんだけど)の土砂崩れを防ぐために、鉄骨で支えているところの地盤にコンクリートを流し込み、固めようとしているらしい。
 それが固まるまで作業は一時休止。セメントが固まるまで、或いは塗料が乾くまでの期間を指す「養生」というやつか。
 3,4日は掛かるだろうから少なくとも日・月は休むしかなかった、と。明日はどうなるか分からない。

 それで昨日の雪辱というわけではないが、今日は用事はないけどSRに乗ってみることにした。
 
 SRにはしばらく乗ってない。(今、カレンダーを見たら先月の28日から乗ってなかった)。
 燃料コックを直通にしたら、またガソリンが漏れた。慌てて通常に戻し、手に着いたガソリンを見ようとするが、見る間もなく乾いている。
 さすがガソリン。
 もう一度コックを捻り、直通にしてみる。今度は漏れない。

 キック三回。
 走り出してみると少々耳障りなカチカチというタペット音はほとんど聞こえない
 その代わりのように、走り出してしばらくすると、何だかブレーキレバーを放してもブレーキを引き摺っているような感じがあった。
 確か先月の初めにレバー付近には潤滑スプレーを吹き付けた筈だが。
 明らかにキレが悪い。

 衝原(つくはら)湖に着いて、いつも通り、昔の少年団の屯しているベンチに座ったけれど、どうも気になる。数歩先に停めたSRを見に戻り、フロントのドラムブレーキ側には潤滑油を吹き付けてなかった、ということを思い出すともういけない。一刻も早く帰って潤滑油を、という考えで頭がいっぱいになる。
 ヘルメットを取るのにかかる時間と同じくらい藤棚の下に居て、すぐ帰る。

 勿論、帰ったらすぐ作業に掛かった。結果は明日。確認のために乗れば分かるだろう。

 色々なところで色々な問題事や心配事が生まれる。そんなものが無かったらどれだけ心は平穏か、と思ったりする。
 けど、「クルマは楽だが、バイクは楽しい」と同じで、問題事や心配事のない上にある平穏な心ってのは、当人にとって全く無意味、有難みのないものだろうと思ったりもする。

 
 
 
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あの国の分析

2021年09月28日 | 重箱の隅
 
(読者の声2)中国のメディアが高市早苗攻撃を始めていますが、中国が危険視するということはひょっとして?
  (JJセブン)


(宮崎正弘のコメント)中国語の新聞でも「極右」の台頭という基調で批判が展開されていますが、かなりよく高市さんの履歴を調べていますよ。とくに安倍
前総理との親密な関係、その経緯、早々と閣僚入りを果たし、党務でも総務会長歴任など、安倍ガールズの秘蔵っ子、有名大学を出ていないが松下政経塾から米国へいって政治の現場を体験していること。また途中まで安倍が肩入れしてきた稲田議員がLGBTで「変節」したため、高市におはちが回り、国防、靖国、経済政策、歴史認識などで安倍保守本流の意見を代弁していること。安倍は高市を試して、党内の保守本流の影響力を維持し、拡大を狙っているなどと分析しています。
 取りわけ中国に対しての考え方が安倍に近く、靖国神社参拝を欠かさず、台湾との友好関係を強化して、蔡英文総統と会見を望むことを公言するなどの言動があって、日本の極右勢力を狂喜させているとしています。日本の多くの有力者が支援していることも危険な兆候などと書いていて、中国はじつは高市総理誕生を懼れていることが分かります。
 文章から推察して、おそらく原文は日本人が書いたか、あるいは日本の情報提供者がいて、「保守」を「極右」と置き換えていると思いました。




「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和三年(2021)9月20日(月曜日。敬老の日)
通巻第7061号  から

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「文章から推察して、おそらく原文は日本人が書いたか、あるいは日本の情報提供者がいて、~」
 
 これも情報戦。
「情報戦」と言えば、何となし「情報を取り合う戦い(=交戦)」のように思いますが、戦い=交戦と考えているのはもしかしたら日本だけなのかもしれません。(騎士道の在った頃のヨーロッパも、そうだったかもしれませんが)。
 大方の国では、「戦い=交戦」ではなく、一方的な攻撃(卑近な例でいえば「虐め」)がほとんどです。
 「専守防衛」というのはカッコいい言葉ですが、多数による袋叩きに必ず遭うのが現実。
 本気で「専守防衛」を目論むのなら、「先手必勝」か「攻撃は最大の防御」と考えるしかない。でも、そうすると必ず「九条に反している!」って・・・。
 
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5年も前のことが、そのまま使えるのが何とも・・・

2021年09月27日 | 重箱の隅
 2016.08/16 (Tue) 
 再び.「こうやって並べられてみると、実に分かりやすい」。
(「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」から) 

 「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」から関連の投稿コメントを部分転載します。
 例によって読者の投稿欄からです。
 先日来、数度、「日本共産党の現状(或いは真実)」に関して読者同士で意見のやり取りがありました。

 何かを「見詰めよう」とする時、情報はジグソーパズルのように「全ピース揃っていなければ駄目」、というものでもないし、また、「どうしてもここにしか当てはまらない」というものでもない。
 でも、情報は多いにこしたことはありません。共産党のことを、時系列ではあまり見ることがないせいか、重要なことを教えていただけた気分です。
 
 いきなり脱線しましたが、読者同士の意見のやり取りというのは「日本共産党は本当に筋が通っているか否か」についてが主になっていたようです。その全部を転載しようとすると4990号から、ですから少々長くなります。
 それで直近の数回だけ、転載します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 (読者の声1)貴誌前号投書欄ですが、最近、日本共産党は「暴力革命を放棄していない」「その本質は変わらない」式の標題の批判を散見する。小生はそれらを読んでいないのだが(いずれ読むつもりではある)、日本共産党に暴力革命をやる意志も力もない、つまり、かなり的外れの批判なのではないか、と予想している。
そもそも彼らには、暴力的にせよ平和的にせよ革命的精神や気力はとっくに失せている。たんなる臆病者・反日主義もしくはそれへの追随者とみるべきなのだ。
貴誌第4990号(読者の声2)多田彰矢氏の論考は、小生の考え方を裏付けてくれるものであり、一服の清涼剤であった。多田様、ありがとう。
(等々力孝一)
 ~平成28年(2016) 8月15日(月曜日)弐  通算第4996号から~
・・・・・
 (読者の声1)読者の声欄の貴コメントを拝読しました。日本共産党に対する私見にご賛同いただき恐縮です。等々力様がいわれるように、共産党はもはや革命政党ではありません。確かに「敵の出方論」は堅持していますが、むしろユーロ・コミュニズムに近い立場と思います。
平和、憲法擁護などを叫んでいればそれなりの票数と議席が確保できますから、激減した小さな「左翼市場」で行き場のない少数者を取り込むこと自体が自己目的となっています。もちろん真面目に社会主義革命を夢見る左翼原理主義者もいるので、科学的社会主義(=マルクス・レーニン主義)の旗はおろさないでしょう。
 野党統一戦線も、今や滅亡寸前の社民党や民進党内部の旧左翼の連中を取り組むための戦術であり、これにまんまと乗った他の野党はいまや滅亡に向かってひた走っているのです。そういう意味では「反帝国主義反スターリン主義」を唱えてきた極左集団も同じ道を辿っているのは皮肉なことです。
 結局旧ソ連圏が崩壊したときに、マルクス・レーニン主義についての何の総括も出来なかったことが原因です。共産党も極左勢力も労働者大衆とは無縁の存在なのです。
   (多田彰矢)
 ~平成28年(2016) 8月14日(日曜日)通算第4993号から~
・・・・・・・
  (読者の声1)貴誌4993号「読者の声」欄で多田彰矢氏が「等々力様がいわれるように、共産党はもはや革命政党ではありません。確かに『敵の出方論』は堅持していますが、むしろユーロ・コミュニズムに近い立場と思います」とかかれています。
 日本共産党は大正11年(西暦1922年)に共産主義インターナショナル日本支部として創設されました。私は日本共産党が共産主義インターナショナル日本支部から日本共産党に自身を変革したと発表したことを聞いたことも読んだこともありません。
 ということは日本共産党はいまだに共産主義インターナショナル日本支部なのかそれともある時に変革したが発表しなかったのか、なんとなくいつともなく変革したのかのいずれかです。
 もし、ある時をもって変革したのなら、どう変革したのか、なぜ変革したのかと変革前の共産主義インターナショナル日本支部にたいする批判があってしかるべきです。この質問に答えるのが、日本共産党の一番の義務と考えます。
 もし、答えをご存知ならご教示願います。万一、こんなことにも答えられないなら、日本共産党は公党として存在する価値はありません。もっとも、日本には綱領のない政党すら存在しているので、日本共産党は「なんとなく公党」なのかもしれません。
    (ST生、千葉)
 ~平成28年(2016) 8月15日(月曜日)弐通算第4995号から~

・・・・・
 
 (読者の声1))貴誌前号「読者の声」の「千葉ST生」様へ。
まず日本共産党は公党ではありません。あくまで私党です。おそらく今の党員諸君は上層幹部を除いて共産党の歴史は何も知らないでしょう。
コミンテルン日本支部として創設されたこと、党の目的が労働者の祖国ソ連を守ることであったこと、天皇制打倒を掲げたことによって多くの労働者大衆が離脱したこと、戦後においては占領軍を解放軍と規定したこと、日本国憲法の制定に際してこれに反対したこと、昭和28年にスターリンが死去したときに盛大な追悼行事を行ったこと、昭和31年のハンガリー動乱についてソ連の軍事制圧を支持したこと、昭和39年の部分的各実験停止条約に国会で唯一反対したこと、昭和30年代後半から40年代初めまで機関紙「赤旗」は毛沢東と金日成の賛美記事で埋め尽くされていたことなど、今の日共党史には一切出てきません。
だから共産党員諸君は軍国主義と戦争に反対し、戦後は平和と民主主義のために奮闘したという公式党史しか教えられていません。
日本国憲法に反対した野坂参三は百歳になってソ連のスパイであったことを理由に除名されましたし、中国に逃亡した徳田球一は家父長的権威主義指導者として批判されました。
火炎瓶闘争など軍事革命路線を指導した志田重男は左翼冒険主義者として弾劾され、その他袴田里見も党規律違反で除名されました。獄中18年の志賀義雄や作家の中野重治はソ連派として除名。戦前から命脈を保ったのは宮本顕治だけです。宮本の愛弟子である不破哲三や志位和夫は正にスターリニスト官僚。自主独立の党という、うそで固められた党史を掲げる共産党には公党としての資格はありません。
   (武蔵国住人)
 ~平成28年(2016) 8月15日(月曜日)弐通算第4996号から~ 

           (転載了)
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「共産党は結党以来ぶれない」「常に筋を通してきた」「共産党しか庶民の味方はいない」等々。
 党も庶民も、つまり自他ともにそう言い切ってきたように思います。
 それなのに、何だか知らん、もう一つ胡散臭いというか、何だか怪しい、というか、そんな気持ちを持ち続けて来たのは私だけではないでしょう。
 それでも何となく切り捨てられないでいる理由は、学校は言うまでもなくテレビだって新聞だって、決して「胡散臭い」とか「怪しい」とか言わないから。
  それで
 「何も知らないから、そんな気がしているだけかな?何かそれを口にするとバカだ、って言われそうだから、黙っていよう」
 、となる。
 素直に思った通りを言えばいきなり「空気を読め」、みたいな目で見られるか、蔑みの目で見られるか。

 でも、こうやって並べてあるのを見れば、共産党に対する「素朴な疑問」は間違ってなかった、となります。
 酷いもんです。これでは民進党どころではない。将に「亡国の政党」」。
 「売国の政党」も嫌ですけどね、「亡国の政党」に比べれば桁違いのもの。
 何しろ「亡国の政党」は武力革命をせずとも、現社会の全否定はするんですから。

 枝葉の部分になりますが、
 「天皇制打倒を掲げたことによって多くの労働者大衆が離脱したこと」、
 「戦後においては占領軍を解放軍と規定したこと」、(今は、「そんなこと、言った?」みたいな顔、してます)
 「日本国憲法の制定に際してこれに反対したこと」、(今は、憲法護れ、ですよね?)
 の三つ。
 
 ちょっと驚いたのは一つ目の「天皇制打倒を掲げたことによって多くの労働者大衆が離脱したこと」。
 日本人の面目躍如、といった気がします。

 同時に、今の日本人だったらどうだろうか、という気もしますが。






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共産主義という「考え『方』」その⑤

2021年09月26日 | 重箱の隅
共産党  ⑤これでおしまい

 2016.09/26 (Mon)

 《本音は天皇制反対》
 ところで今年三月、共産党がなぜ破防法(破壊活動防止法)の「調査対象団体」に指定されてきたのか、という質問状が内閣に提出されました。破防法の調査団体は、公安調査庁が調べるところです。
 内閣は、これは従来から続いていることで、共産党は本質的に変わっていない、革命論を捨てていない、との答弁書を出して話題となりました。
 
 「革命」「共産主義」というと、議会制民主主義制度のもとではそれを否定するかもしれない、と疑われても仕方がないところがあるのでしょう。同じ敗戦国でも、ドイツは憲法で共産党の存在を否定しています。
 革命論や自衛隊論以外でも、見逃せない重要なポイントがあります。それは天皇制です。
 実は「天皇制」という用語は、共産党が「君主制」を読み替えて作った造語なので使いたくありませんが、取りあえず使います。

 天皇制をどうするか、これについて共産党自体がはっきり説明しています。
 二〇〇四年綱領の解説版があります。
 「ここが知りたい特集。日本共産党綱領と天皇制、自衛隊、より明らかになった変革の道すじって?」(二〇〇四年三月七日「しんぶん赤旗」)です。
 その一問一答で、「今度の綱領は天皇制、自衛隊を容認したの?」という問いに、
 「共産党は、天皇制や自衛隊を『良い』ものだとは考えていない」
 と答えています。
 綱領にも、天皇制は「将来、情勢が熟したときに、国民の総意によってかいけつされるべきものである」と明言しています。
 最近、共産党はあれほど嫌っていた天皇陛下御臨席の国会開会式に初めて出席して注目されました。共産党も天皇制を認めてソフトな普通の政党になったか、と。

 しかし綱領を見ると、本質は明らかに違います。「良いもの」と思っていないのです。廃止したいのでしょう。
 でも、そうはっきり言うのは得策でない。そこで「国民の総意」で、などと意味不明のことを言うのでしょう。国民投票でもやり、そこで決着しようというのでしょうか。
 政党として大事な問題を「国民の総意」「国民の合意」で決めるというのなら、政党はやめたほうがいいのではないでしょうか。
 政党は重要な政策テーマについて国民にはっきり主張をし、その方向に少しでもリードしていく理念、政策、気概がなければ存在する意味がないでしょう。
 共産党は、その肝心の臍を隠そうとしているといわれても仕方ないと思います。

 《「共産党」を知らない世代のみなさんへ》
 日本共産党は、自由主義社会でほとんど〝唯一〟残っている共産主義政党でしょう。日本共産党も、ソ連崩壊後は振るわない政党になり、衆参の国政選挙では七連敗とか八連敗とかいわれました。党員数も赤旗読者も減少の一途です。国会内でも「はぐれ鳥」でした。それがここ一、二回の選挙で盛り返してきました。なぜでしょう。
 考えられるのは二つ。一つは、野党第一党や政権まで取った民主党、その後継である民進党への国民の失望、二つめは「共産党を知らない世代」が増えてきたことでしょうか。

 民進党は民主党から看板は変えても、その理念、基本政策、党員、地方組織、財源などはいつも頼りなさを感じます。これが、死んだはずの共産党を生き返らせてしまったのでしょう。
 共産党と街頭でスクラムを組んで気勢を上げる、選挙で参議院一人区全区で共闘と、関係を一挙にエスカレートさせました。それも、政権問題や政策の一致は棚上げしてやるという前代未聞の「共闘」です。

 六〇年安保闘争でも、社会党、総評は、共産党と共闘しても同列に置かず、あくまでもオブザーバーに留めました。
 戦後の掟を破り、何でもあり。溺れる者は藁をも掴むといいますが、そんなことをして国民の信頼を失い、やはり政権交代はできない政党に堕落したか、ということになるのは必定です。

 議会政治が機能するには、健全な野党の存在が不可欠です。共産党からの誘惑に乗せられることなく、二度や三度の敗北といった風雪に耐えうるしっかりとした野党を作らないと日本はおかしくなり、共産党に振り回され続けるでしょう。

          (転載終了)

 「月刊Hanada」10月号 「日本共産党の怖さ一から教えます」より

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 共産党は「破壊活動防止法」の調査対象団体。

 「何だか恐ろし気な団体に見えるな。指定暴力団みたいだ」
 と思われるかもしれませんが、「指定暴力団」の方がはるかにまし、です。
 なぜなら、指定暴力団は現実社会の枠の中に在って、公安の監視下に置かれているからです。下っ端の犯罪がトップをも揺るがす暴力団のための連座制。それが「暴力団対策法」といったら大まか過ぎますか。
 それに暴力団は現社会を否定(=破壊)しようとしているわけではない。社会を肯定して、その中で己の団体の勢力拡大に勤しんで(?)いるだけですから。
 対する共産党は?
 初期からの「筋の通った」「全くぶれない」ことといえば、現実社会を否定する、破壊すること。それが革命実現のための必須項目。どちらが危険か言うまでもないことでしょう。
 
 目的のためには手段を選ばない。だから「天皇制反対!」と自分では言わず「国民の総意」「国民の合意」で決めるという。
 政党は同じ考えの者が集まって国民に新しい世界を描いて見せ、国民の賛同を得てその実現に努めるためのものです。
 それが「国民の総意」で決定、ということになると、「責任も国民が取れ」と言っていることになります。
 「絵は描く。だがそれは君たちが実行し、その恩恵は君たちが受けるのだ」
 これを「いいじゃないか、素晴らしいことだ」ととらえる人が今でも多いから、妙なことになる。これ、「君たちは我々に言われる通りに、黙って手足になってやっていればいいんだ」、ということでしょう?

 さらには「現実社会の枠に守られながら(共産党として存続を認められる)、その枠の中で現実社会の破壊活動をする」という絶対矛盾。
 その意味で「筋の通った」「全くぶれない」政党。そんなのは決して褒められるべきことではないでしょう。
 「一目置かれる」べき存在ではないし、同時に「野党」の雄と言えるものでもない。

 「社会を破壊するのが目的」の集まりであっても、それを公言しなければ「党」として存立を認めるのが民主主義ですが、実際の破壊活動までも認めているわけではありません。そこを十分に把握しているから、破壊活動もその責任も、自らの手は使わないで全て国民にやらせようとする「筋の通った」「全くぶれない」政党。
 つまり、共産党は「野党」ですらない、ということになります。
 

 長々と転載を続けましたが、これで終わりです。
 実は、最初はいつもの通り、「部分転載」のつもりだったんですが、途中から、やはりこれは全文掲載の方が良いのではないかと思い、この日記初めての長文の全文掲載にしました。
 「月刊Hanada」10月号を購入されている方には、何をいまさら、でしょうが、雑誌の中の一つだけ取り出して改めて見直すと、意外な発見があることもあります。
 多くの力のこもった論文が並んでいると、やはりそれぞれの特色よりも、気迫、熱量をより大きく感じさせるものの方が心に残ります。
 でも、論文もあれば紹介文もありコラム形式のものもある。「論説よりもまずは共感を得るように」、と意図するものもある。
 それぞれにみんな目の付け所が違うわけですから、単に「気迫、熱量」と「特色」を両天秤にかけるべきではないと思います。

 この共産党に関する論文(講演録の形式になっていますが)は、「日本共産党」の概要を具体的な事例を上げながら説明してありますから、知識と考え方双方に渡って全文転載の方が良いのではないかと思ったわけです。
 いつもの通り、この日記は自身の考え方を整理するために書いているものですから、その意味はあったと思います。
 

 
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